2013年06月30日

聖書という文書の本来の姿を理解して読む


                  2013年6月20日

                                 
                  佐々木正明

  

 クリスチャン人口が1パーセントにも遠く及ばない日本ですが、聖書を手にとって見る人は、案外多いようです。販売数も少なくありません。でも、聖書をはじめから終わりまでしっかり読んだ人の数は、「天文学的に」少ないのではないかと想像します。何しろ、恐ろしく分厚い本で、退屈な部分もそこここにあるからです。

 

 またたとえ読み通したという人でも、たぶん、理解できないまま「忍耐の訓練」とばかりに、ヤケになって読んだというのが本当のところではないでしょうか。さらに、ある程度は理解できたと思っている「有能な」人たちも、実際は理解できたと思い込んでいるだけで、かなり誤解しているのではないかと思われます。

 

 そこで、いくらかでも聖書を読むときの手助けになればと、願いをこめて、簡単な手引のようなものを書いてみようと思い立ちました。

  



 聖書という文書の本来の姿を理解して読む 


      

 

 教会では、「聖書は神様からあなたに送られた手紙です。注意深く読みましょう」などと教えられますが、それを鵜呑みにするのは大きな間違いです。聖書はあなたに宛てて書かれてはいないからです。

 

a. 聖書は大昔に書かれた

 

聖書は大昔に書かれたものです。私たちが生まれる1900年から3500年ほども前に書かれているので、直接私たちに宛てて書かれている筈がありません。ただ、そこに書かれていることには、現在の私たちにも、神様からのお言葉として、直接「聞く」ことができる内容のものも含まれているのは事実です。「あなたの隣人を愛しなさい」という教えなどは、その最たるものです。

 

また、直接私たち宛てられたものではなくても、その教えの基礎的な原則を探り出し、それを、いま生きている私たちに適用して、「神様の言葉として」聞くことができます。たとえば、「女は教会の中では黙っていなさい」という、女性活動家には叱られてしまいそうな教えも、当時の文化や社会状況、あるいは家庭というもの理解し、その中での女性の立場と役割というものを考慮したうえで、敬愛される女性として振舞うためには、どうしたらよいかという具体的な指導だったのです。いつでも、どんな文化でも、どんな状況でも、女性は黙っていなさいということではありません。原則は、神様に造られた女性として、与えられた文化や状況の中で、敬愛されるにふさわしく生活しなさいということなのです。その原則を聞き取り、自分の日常の中でそれを実行しようとするのが、正しい聖書の読み方なのです。

 

ですから今でも、女性は教会では黙っていたほうが良い文化が、広い世界のどこかにはあるかもしれません。また、反対に女性は教会で黙っていてはいけない文化もあることでしょう。それぞれの文化と状況の中で、女性としてふさわしい振る舞いをすることが大切なのです。

  

  だから私たちは、聖書という書物を一般の書物を読む時のように、「他人事」として読むのではなく、神様がいま、21世紀に生きている私たちに、この書物を通して語りかけようとしておられるのだという、非常に重要な事実に気づきながら読むのが大切なのです。そのとき、聖書は私たちに対する神様の語りかけ、神様の手紙となり、私たちの祈りは神様に対する応答となるのです。

 

  聖書に記されている具体的な数々の教えの基盤となっている、原則は何かと考え調べるときに大切なことは、聖書の本当の著者である聖霊に導きと解き明かしを下さるように祈ることです。さらにその原則を自分たちの時代、自分たちの文化、自分たちの実情に最もふさわしく適用できるように、助けを祈るのです。聖書を正しく理解させ、正しく適用できるように助けてくださるのが、聖霊の最も大切なお働きの一つです。

 

 b.旧約聖書はイスラエル民族に与えられた、

 

 同じ母親が、同じ意味のことを同じ心で書いたとしても、親思いの優しい息子に宛てた手紙と、自分勝手でわがままなぐうたら娘に書いた手紙とでは、おのずと異なってきます。言葉遣いも具体的な指導や注意も違ったものになってくるでしょう。 

 

聖書が誰に宛てて書かれた書物なのか、誰を読者に想定して書かれているのかを理解することがとても大切です。現代の私たちではないことはすでに学びました。でも、大昔の人々というだけではまったく不十分です。旧約聖書は数多くの人々の中で、特定の個人にではなく、イスラエルというひとつの民族に宛てて書かれている、特殊な書物だからです。

 

 旧約聖書は不特定多数の読者を想定して書かれたものではありません。すべての部族や民族に宛てて書かれたものでもありません。誰が読んでも分かるように書かれてもいません。イスラエル民族という小さな民族に宛てて、彼らだからわかるような内容のことが、彼らの言葉で、彼らの歴史的民族問題や、生活環境に絡んで書かれているのです。しかもそのイスラエル民族は、聖書そのものが「夫を裏切って他の男と遊び暮らしては捨てられる惨めな女」にたとえているほど、神様に対して不誠実な生き方を続けていたために、彼らの倫理や信仰生活を指導する目的で、あるときは優しい慰めの言葉で、あるときは激しい警告や厳しい断罪の言葉で書かれているのです。そのような特殊性を知らないで読んでしまっては、聖書を正しく理解することはできません。正しく理解できていないと、聖書を本当に有益に用いることができないのです。

 

c. イスラエル民族の特殊事情のために与えられた

 

 イスラエル民族は、神の救いの祝福を全人類に及ぼすための器として、神に選ばれた特異な民族です。(創世記12:1〜5) そのために、他の諸民族とは異なった取り扱いを受けました。まず、彼らは神の目的を果たすために、特別に祝福され、導かれ、守られた民族です。それでいながら、たびたび神様を裏切り、神様の懲罰を受け続けたのです。

 

 彼らは当時存在していたメソポタミアやバビロニア、エジプト、さらにはヒッタイトなどの北方の諸民族に比べて、とても小さく弱い民族でした。民族同士の激しい戦いが耐えなかった時代、彼らが一つの民族として生き残り、神の祝福を全世界にもたらす民族になるためには、特別な守りが必要でした。彼らは神様に対する不従順のために、何度も何度も民族存亡の危機に遭遇しましたが、どれをとっても圧倒的に不利な状態でした。ただただ神の守りがあったからこそ、それを乗り越えることができたのです。

 

 彼らの特殊な事情は、現在でも継続しています。イスラエル(ユダヤ)民族は、紀元70年にローマ帝国によって完全に滅ぼされ、人々は散り散りになって国家を持たない民族となり、世界中をさまようことになりました、それが1947年にいたって、つまり、1877年も経過したあとに、現在のパレスチナに国土を得て国家の再建を果たしたのです。まさにありえないことが起こったのです。その後も、イスラエルはさまざまな戦いを経験し、現在でも、世界で一番強硬な姿勢を貫き続ける民族国家となっていることは、誰でも知っているとおりです。現在のイスラエルのあり方を肯定するわけではありませんが、さまざまな善と悪が入り混じった民族国家の闘争の背後に、神の守りがあることだけは確かです。

 

 そのようないイスラエル民族が民族として立ち行くだけではなく、全人類の救い主を誕生させる重責を担う民族として、天地創造の神、唯一の神を礼拝する信仰の純粋性を持ち続け、倫理的な正しさも維持するために、さまざまな混乱した宗教と敗退した道徳観念を当たり前のように抱えていた、他民族との結婚の禁止、他民族に倣って偶像を作ることとそれを礼拝することの禁止、あるいは他国に対する情け容赦なしの戦争などが教えられたのです。

 

旧約聖書に記されているこのような具体的な指導と励ましと警告の数々は、自由と平等とを重んじる現代日本人の感覚では、とても受け容れられそうにもありません。だから、背景になっているそのような特殊な事情を一切無視して、現在の自分たちに直接語られているかのように旧約聖書を読むのは、大変危険なのです。

 

現代の私たちは旧約聖書の特殊性を正しく理解した上で、そこに記されている神の愛、優しさ、忍耐深さ、あるいは聖さ、正しさ、厳格さ、公平さなどの原則を読み取り、それを私たちの生き方に適用して生きるのです。そうすると、旧約聖書は古代イスラエル民族に与えられた単なる古文書ではく、現代の私たちに対する神の語りかけとなり、それによって導かれ、戒められ、励まされ、慰められ、強められて生きるのが私たちの生き方となるのです。神が旧約聖書を読む私たちに望んでおられるのはそのことです。アブラハムの神、モーセの神、ダビデの神、イザヤの神は、現代に生きる私たちの神となって下さるのです。

 

d.イスラエル民族が、やがて出現する救い主とその働きを理解するために与えられた

 

 旧約聖書のもう一つの重要な役割は、やがて救い主を与えるという神の計画を教え、どのような働きをして救いを成し遂げるかということを、あらかじめイスラエル民族に示し、救い主の出現に向けて準備させることでした。

 

 やがて救い主が与えられることは、いくつかの方法で告げられました。一番はっきりしているのは「予言」です。聖書の中には、やがて救い主が出現するという、神の約束が幾度も与えられています。多くは「預言者」といわれる人々を通して語られ、「預言書と呼ばれている聖書の部分に記されていますが、それ以外にもたくさんあります。(日本語のクリスチャンの間では、ふつう「預言」あるいは「預言者」という書き方をします。これは神の言葉を預かるという意味ですが、その中に、未来について語る「予言」も含まれていると理解します。ただし、これは日本だけの区別で、他の国々ではすべて「予言」とう意味の言葉で表しているようです)

 

 次には、出来事や人物を通して、やがて現れる救い主を髣髴とさせる方法もあったようです。やがて現れる救い主の働きが、出来事や事物を通してあらかじめ象徴的に語られていたのです。出エジプト記に記されている過ぎ越しの出来事や、モーセの杖で打たれた岩などがその代表です。このような象徴的な伝達方法での教育はで、当時生きていたイスラエル人にも、なかなか理解されなかったのではないかと思われます。後になって、キリストの生涯と働きを見た人が、旧約聖書の中にそれを髣髴とさせるものがあると受け取ったと考えたほうが、いまの私たちには分かりやすそうです。

 

新約聖書は、このような出来事や人物を「型」あるいは「雛形」という言葉で表しています。イスラエル人の文化や感覚による表現方法や、コミュニケーションの手段を、神がお用いになったのだと考えられます。文化の違いから、そのようなイスラエル人の表現方法やコミュニケーションは、現代日本人である私たちにはなかなか理解できません。

 

 ともあれイスラエル人は、このような旧約聖書を通して救い主の誕生を約束されていたのです。その約束の多くは、イスラエルの歴史と文化を知っていなければ理解できないものでした。つまりイスラエル人でなければ分からないものだったのです。

 

これらとは別に、旧約聖書の中にはこまごまとした宗教儀式の定めごとが、長々と記されていて、現代の私たちには退屈極まりなく、読むのには非常な忍耐が必要な部分があります。ところが実は、この部分こそキリストの働きとその意味をあらかじめ、宗教儀式を持って教えていた、重要なところなのです。

 

 そこで教えられていることは主に、次のようなことです。

@       罪ある人間は、ありのままの姿では神に礼拝を捧げることはできない。礼拝という行為は神に近づく行為でもあり、罪人がそのままの姿で神に近づくと、神の聖さに打たれて滅んでしまう。

A       罪ある人間が神に近づくためには、定められた動物の犠牲を携えていかなければならない。それらの動物は殺されて、血が流されなければならない。それはその動物を携えて行った人の身代わりとなり、その罪のために殺されるということであった。つまり、「身代わりの死」であった。神を礼拝するものたちはこの身代わりの死によって、自分たちは自分たちの罪のために「すでに」刑罰を受け、死んだものと見なされ、神の聖さに打たれて死なないで済んだ。

B       罪ある人間が神に近づくためには、犠牲だけではなく、罪ある人間のためにその犠牲を正しく神に捧げ、神と人間との間を取り持つことができる「祭司」と呼ばれる仲保者が必要である。

 

 そのほかにもたくさんのことが定められていますが、それらの多くが、やがて現れる救い主とその働きを語っているものでした。新約聖書のヘブル人へぼ手紙には、このことがかなり詳しく説明されています。

 

 そこではキリストが、神の準備した完全な犠牲であり、人間の罪のために血を流して死んだこと、その犠牲は完全であるために、もう二度と再び罪のための犠牲は必要がなくなったこと、さらに、キリストは完全な大祭司としてご自分の血を神に捧げて、神と人との間を永遠に取り持ってくださること、他に神と人との間に仲保者は不要であることが語られています。

 

 現代の私たちが旧約聖書を読むとき、最も重要で、常に注意しなければならないことがあります。それは、旧約聖書の中に表立っては見えないものの、太い主旨、メイン・テーマとなっている、神様の救いの計画とその遂行を読み取ることです。旧約聖書に記されているイスラエルの歴史も、律法も、詩歌も、さらには預言も、神の人類救済の計画と遂行の一部なのです。それを理解して旧約聖書を読むことが重要なのです。

 

e. キリストの教えも、当時生きていたイスラエル人に与えられた

 

 旧約聖書の焦点は、民族と民族的英雄、あるいは国家と国家の指導者です。一人ひとりの小さな人間の物語は、焦点を浮かび上がらせる逸話として挿入されているに過ぎません。ところが新約聖書になると、俄然一人ひとりの人間、それも、弱く小さな人間に焦点が当てられ、民族とか国家などは背景として語られるようになっています。そのために、まったく雰囲気が変わります。情け容赦のない厳しい神の姿が突出していた旧約聖書に比べると、新約聖書には、小さく弱い人間に涙を流して寄り添ってくださる神の姿が、描かれているのです。

 

 特にキリストの生涯と教えが記されている、新約聖書のはじめの4巻にはそれが顕著です。不注意に読むと、思わず違う宗教、違う神様と感じてしまうほどですが、まったく同じ流れの中で書かれています。旧約聖書で予言され、そのためにイスラエル民族が導かれ整えられてきた救い主が、誕生したのです。その救い主がキリストなのです。(「キリスト」とはヘブル語の「メシヤ」のギリシヤ語訳で、「救い主」という意味です)

 

 多くの人たちは、キリストの教えが全人類に向けて語られたものであるかのように、感じています。いまの自分に宛てて書かれたものであるかのように、キリストについて書かれている部分を読んでしまいます。何かとても親しみやすく、思い違いをして読んでしまいますが、実はキリストの教えは、当時生きていたイスラエル人たち(ユダヤ人)たちに向けて語られたのです。ただその内容の多くが、当時のユダヤ人だけに止まらず、全人類に適用できるものであるために、つい自然に、全人類に宛てて語られたもの、自分に与えられた教えと思い違いをしてしまうのです。

 

 キリストがお語りになった多くの教えは、当時のユダヤ人に対しての教えです。旧約聖書に記されているイスラエルの歴史と出来事、文化と習慣というものを前提として語られているのです。当然、ユダヤ人でなければ理解できない部分もたくさんありました。ただ、いま聖書を読むわたしたちは、キリストの教えの普遍的な部分、あるいは容易に全時代の全人類に適用可能な部分を選んで、読み取っているのです。

 

 そのような読み方が完全に間違っているわけではありません。悪いのでもありません。ただ、キリストの教えは当時のユダヤ人に向けて、ユダヤ人に分かりやすく、その歴史と文化を前提に、また当時の社会的状況を背景に語られているということを、しっかりと理解して読むと、おのずと読み取る深さが異なり、意味も豊かになるのです。

 

 特にユダヤ人読者を想定して書かれたと思われる「マタイによる福音書」には、キリストの行動や教えが、旧約聖書の予言の成就であるという言い方が繰り返されているのはそのためです。

 

 たとえばキリストは、悪人たちに対する神の厳しい刑罰について語り、ゲヘナの火で焼かれるとか、そこでは蛆が尽きず炎が消えないという表現で、神の裁きと刑罰の恐ろしさに触れて、警告をしています。この「ゲヘナ」という言葉が少々不用意に「地獄」と翻訳されたこともあって。多くの宣教師や牧師たちはこのキリストの表現をとって、キリストを信じない人が陥る裁きと刑罰であると語り、神も、救い主も、罪も、罪のための犠牲も知らない日本人に、そのままあてはめて「地獄に落ちるぞ」とばかりに語るのです。でもキリストは、ユダヤ人に向けて語ったのであって、日本人には語っていないのです。それを日本人に適用するためには、キリストが語った原則、基盤、原理を正しく理解し、イスラエルの文化から解き放ち、それを日本の文化に生きる日本人に適用しなければならないのです。

 

 キリストは、旧約聖書を知っていたユダヤ人、2000年ほども天地創造の神について教えられ、その神の導きの中に生き、聖書を与えられ、罪について教えられ、従順について諭され、神に喜ばれる生活がどのようなものであるかを示され、救い主の出現について大きな望みを抱いていた、ユダヤ人に向けてお語りになったのです。天地創造の神を知らず、聖書も持たず、罪についても、神の聖さについても、贖いについても、犠牲の動物についても、神に喜ばれる生活についても、救い主の誕生についても、何も知らない日本人にお語りになったのではないのです。

 

 ゲヘナの火という表現ひとつをとっても、それは明らかです。ゲヘナとは、エルサレム郊外でごみの焼却場になっていた谷のことです。そこでは常に火が燃えていて蝿が飛び交い、蛆が湧いていたところから、キリストによって、神の刑罰の厳しさと忌まわしさの象徴として用いられたのであって、仏教的な地獄とは似て非なるものです。ゲヘナの火は、ユダヤ人のように神とその教えについての知識を持ち、救い主についての約束も理解していながら、その救い主であるキリストの教えに反対し、口汚くののしり、妨げようとしていた、不従順なユダヤ人に向けて、警告として語られたものなのです。それを、まだキリストを信じていない日本人に向けて語ることが大きな間違いなのです。

 

 キリストがお語りになったことも、注意深く、その文化と状況の中で真意を理解しようと努力した上で、その真意を、私たち日本人に適用しなければならないのです。

  

f. 主にユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれた新約聖書

 

新約聖書の大部分が、ユダヤ人クリスチャン向けに書かれていることも、理解しなければ

なりません。異邦人が大部分の教会に宛てて書かれた部分でも、当時の異邦人クリスチャンの多くは、ユダヤ化した異邦人だったという重要な点を忘れてはなりません。多くはクリスチャンになる前にユダヤ教に改宗していた者たち、あるいは正式に改宗はしていなくても、賛同者だった、同調者だったのです。

 

新約聖書が書かれた時代には、現代の多くの日本人のように、身も心もまったく完全に異

邦人だったというクリスチャンは、少なかったのです。確かに、異邦人の数はどんどん増え、圧倒的に異邦人の数が多い教会が出現したとしても、その教会の中心となれたのは、多くの場合、ユダヤ教の背景を持った人たちでした。キリストの生涯と教えを理解し、救いを理解するためには、旧約聖書の理解がほとんど不可欠だったためです。それは現代でも同じで、日本人クリスチャンが、聖書の理解の上でも生活のうえでも、なかなか成長できないのは、クリスチャンになる前に、ユダヤ化しておらず旧約聖書の知識も持っていなかったからです。

 

  パウロは異邦人への使徒といわれていますが、実際のところ、完全な異邦人を対象に伝道の働きをした例は少なく、ほとんどはユダヤ化した異邦人が相手でした。そのため、比較的容易に多くの人々を救いに導き、すぐ教会を建て上げ、役員を任命して次の土地に向かうこともできたのです。だからこそ、ユダヤ人とユダヤ化した異邦人とが混じり合った教会が、異邦人社会の中に存在する問題と戦わなければならなかったわけです。一方では国粋的ユダヤ人の脅威があり、他方には異邦人の脆弱な神観念と腐敗した道徳がありました。それらと格闘しながら聖霊の啓示の助けを得、福音の本質を見極めて説いたのがパウロです。ですからパウロは異邦人への福音の基礎を据えたのです。ただしそれは基礎であって、異邦人のための神学が完全に建て上げられたわけではないのです。

 

 いま聖書を読む日本人クリスチャンたちに必要なことは、ユダヤ人に当てて書かれている聖書の教えを、異邦人である日本人のために、分かりやすく解き明かすことを考えながら読むことです。ユダヤ人にはこのような言い方や表現で与えられた、律法や教えの本当の精神はどこにあるのか、真意は何かと探り出して、それを現代の日本に正しく適用するのです。そのためには聖書の真の著者である聖霊の助けが必要です。

 

 また、イスラエルの歴史と文化背景を用い、ユダヤ人の宗教儀式やユダヤ人への預言などを通して教えられた神の救いの計画を、どのように日本文化に生きる日本人に理解してもらえるかを考え、ユダヤ文化の流れの中で完成されたキリストによる救いを、いかにして日本人に分かりやすくまた受け容れやすくとくことができるかと思索しなければなりません。その上、キリストを信じることによって、異邦人にも無差別に与えられるという救いの福音を、いかにユダヤ人的な感覚や枠組みから開放して、真に日本人に対する福音として、日本人に提示することができるかを模索することです。

 

 これまでのように、「イエス・キリストはあなたの罪の刑罰を背負って、身代わりに十字架で死んでくださいました。このキリストを信じる人は誰でも救われるのです」というような、ユダヤ教的福音理解からほとんど進歩していない説明では、大部分の日本人は納得できません。受け容れることはおろか、理解することさえできません。少なくてもパウロは、異邦人のための福音、普遍的な福音について語るとき、イスラエル人と律法という概念が生まれたときよりも前に遡って、「アブラハムは神を信じた。それが義と認められた」と語り、ユダヤ教的な福音理解からの脱却を試みています。

 

パウロはアブラハムの義、アブラハムの救いを語るとき、キリストにも、十字架にも、罪にも、悔い改めにも触れなかったのです。アブラハムに現れてくださった、神を信じるだけで救いが実現したのです。パウロは、救いにはキリストも十字架も必要がなかったと言っているのではありません。しかし、人間がそれを知り、理解し、信じる必要については語られていないのです。そのパウロの試みを、私たちはされに発展させなければならないのです。

 

 パウロは聖霊の啓示によって、普遍的福音の神学の土台を据えました。私たちは聖書を読み聖霊の照明を受けながら、パウロが据えた土台の上に、日本人への福音の神学を建てなければなりません。

 

g. 読まれるために書かれたのではない聖書

 

 おかしな言い方ですが、聖書の大部分は読まれるために書かれたのではなく、読み聞かせられるために書かれたのです。特に、旧約聖書にはその特質が強く現れています。当時、といっても紀元前1500年程から紀元100年ほどの期間、いかに教育程度が高かったイスラエル人とは言え、自由に読み書きできる人間は限られていました。何よりも、現代のように筆記用具が簡単に手に入り、簡単に記録できる状況ではなかったのです。比較的簡単なものは粘土板に書いたり、動物の皮に書いたりすることもできましたが、大切なものは、石に刻むことになりました。大変な技術と労力、そして費用が必要だったのは間違いありません。

 

 ですから、旧約聖書の律法といわれる最初の5つの本も、ただ最初のオリジナルのものが有っただけで、それらが書き写されて、個人の所有になった形跡はありません。ただ、そのうちの一節、あるいは数節が、動物の皮などに書き写されて、個人の家々に置かれていたことは考えられます。特に家の柱や壁などに貼り付けられ、それが記憶されるようにしていたことは聖書に記されています。

 

 そんなことから、聖書という本は、現代のように一人ひとりが手にとって机に向かって読むようにではなく、民族の中から選ばれた者が大声で読み上げるように書かれていたのです。読むためにではなく、読み聞かせられるように書かれているのです。何千人もの人々、あるときは何万人もの人々が集まって、読み上げられる聖書に耳を澄ませたのです。

当然、一人の声ではそれほど多くの人々に届きません。そこで、たぶん10メートルかそこらはなれたところにもう一人が立ち、読み上げられた節を大声でくりかしたのです。それをまた、少し離れたところに立つ別の者が繰り返し、リレーをして行ったわけです。

 

 当然、ゆっくり、大声で読みやすく書かれていたことでしょう。それを繰り返していきやすく書かれていたでしょう。単純化され、聞くものに理解されやすく、また記憶されやすく書かれていたことでしょう。現代のように、難しいところは止まって、繰り返して読み、熟考するなどということはあまりできなかったのです。まず記憶して持ち帰り、それを反芻して考えることになったのです。筆記用具のない状況の中で、人々は当然記憶に頼ることになりましたが、その記憶力は現代の私たち日本人の記憶力とは、比較にならないほど確かなものだったと、容易に推測できます。

 

 宣教師として働いていた筆者が、最初にフィリピンに渡ったのはマルコス政権下の1973年のことでした。非常に混乱した政治情勢の下で、人々はとても貧しい生活を強いられていました。学用品も極度に不足し、まともな紙すらありませんでした。ですから、教会でも聖書はともかく、歌の本は皆無という有様でした。信徒たちは歌う歌を熱心に覚え、集会ごとに歌う何十種類もの歌は全部暗記していたものです。

 

 マニラでバスに乗って筆者の住む近くまでは、特急で7時間以上もかかったものですが、いつも満員で、70人ほどの人が乗っていたように思います。発車してしばらくすると、車掌さんが前のほうから一人ひとりの行き先を聞いて来ます。全員に聞き終わると運転席の横の自分の席に戻り、切符の束を開いて、全員の行き先と日時と料金にパンチをいれます。それから、前から始めて全員にそれぞれの切符を渡します。渡し終えるともう一度前の席から料金を徴収して回ります。ほとんどの者がおつりを必要とする大き目の札で払います。全員の徴収を終えると、車掌は自分の席に戻って料金を精算し始めます。全員のおつりをそれぞれ仕分けて、今度は前の席から順番におつりを戻していきます。そうこうしているうちに、途中から乗ってくる者もいます。

 

 私はバスに乗るたびに私の切符に間違いがないか、料金に間違いがないか、おつりに間違いがないか、一生懸命にあら捜しをしたものですが、一度も間違いを見つけたことはありません。それで私は誰にでも、「フィリピン人は世界で一番頭がいい」と言うのですが、いつも記憶を訓練して生きている人には、そのような芸当もできるのだそうです。ですから、モーセやダビデ時代の、あるいはキリストの時代のイスラエル人も、そのような記憶力を持って生きていたのでしょう。聖書はそのような人を想定して書かれているのです。おのずと、現代の日本人のものの書き方とは異なってきます。短く、手際よく、語りやすく、聞きやすく、理解しやすく、覚えやすく書かれていたはずです。そのためには、現代人が大切にする要素には、気が配られていなかったことでしょう。

 

 聖書はそういう事情を配慮して書かれていたはずです。そのようなことを理解して読むと、聖書もまた変わった側面を見ることができ、より全体的な理解に近づくことができます。

  

結び

 

 聖書という書物は、徹頭徹尾ユダヤ的書物です。そのほとんどがイスラエル人に向けて書かれています。イスラエル人以外の人々が含まれていた、「教会」に宛てて書かれている新約聖書でさえ、いくつかの書物は直接ユダヤ人クリスチャンに宛てて書かれていますし、そのほかの部分も、ユダヤ人に向けて神の救いの計画と遂行について記されている、旧約聖書の流れに乗って書かれています。その中から、21世紀の現代に生きる日本人に向けての、神のメッセージを聞くことは容易ではありません。

  神のメッセージ自体が、イスラエル人の歴史と文化と言葉に乗せて、その枠内で書かれているために、その枠をはずし、日本の現状に置き換え日本語で、日本人にも分かるメッセージとして聞かなければならないのです。神の救いはイスラエル人のために準備されたのではなく、全人類のために準備されたのです。聖書には、すべての人が自分の文化の中で理解できる、神のメッセージがあるのです。








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2012年10月21日

やってはいけない聖書の読み方 (2)



 

 数年前、私たちの教団の牧師たちが大勢集まって、研修会を開いたことがありました。特別講師は、日本では最も大きなキリスト教団のひとつで、議長か何かを務めておられる立派な方ということでした。

 

 その中で講師は、自分たちの教団の指導者の一人が、未信者にも聖餐に与らせたということで問題を起こし、とうとう、その教団を辞めてもらわなければならなくなったと、お話してくださいました。確か講師の方も、「とんでもない奴がいて・・・」という表現で、聖餐を未信者に与えるのは非常に間違った、許すべからざることであるかのように語っておられました。

 

 私の知る限り、日本中の、あるいは世界中の正統的教会の九十九パーセント以上は、未信者に聖餐を与えることはないと思います。それは多分、千数百年間も続いてきたキリスト教の伝統です。私は教会史や歴史神学をきちっと学んだ者ではありませんので、いつどのようにという詳しい事情は知りません。でも、どうしてそうなったのかということは、だいたい分かります。聖書の教えを間違って受け取って理解してしまったからです。そしてその誤った理解が教会の公式見解となり、伝統となり、宗教改革という大変革を通しても、まだ間違ったまま引き継がれ、聖書的であることを宣言し、標榜している教会でも、聖書の教えとは違ったことを行っているのです。

 

 そこで、教会が未信者から聖餐を取り上げる理由になっている、聖書の教えを読んで見ましょう。コリント人への手紙第一、十一章二十七節〜三十一節です。

 

  「したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲むものが

あれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとり

ひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだ

をわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分を裁くことにな

ります。そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者

が大ぜいいます。しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることは

ありません」

 

 多くの教会、つまり牧師も信徒も、未信者に聖餐を授けない理由として持ち出すのが、ここに記されている、「ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります」という言葉と、「みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります」という言葉です。

 

 この言い方を読むと、「ふさわしくないまま」とは「みからだをわきまえない」ことです。では「みからだをわきまえない」とはどういう意味でしょう。多くの教会では、この「みからだ」を十字架に付けられたキリストの「みからだ」と考え、それを「わきまえない」とは、その意味と意義を正しく理解しないことであり、「ふさわしくないまま」とは、そのキリストを信じ、罪を赦される体験をしないままということだと主張します。簡単に言うと、「未信者に」となるわけです。

 

ある人たちはさらに、「洗礼を受けていない状態で」とか、「その教会の正式な信徒とならないままで」というような意味まで加えて、オープンとかクローズドとかいう議論を重ねています。オープンとは「洗礼さえ受けていれば、たとえその教会員になっていなくても、聖餐に与らせる」という立場で、クローズドとは「洗礼を受けた自分の教会の会員以外に授けない」という立場です。もちろんこのパウロの言葉は、そのようなことにはいっさいふれていませんが、聖餐と洗礼と教会員となることの大切さなどを考慮し、「わきまえる」を発展的に解釈して、聖書とは関わりのないところで作り上げられた神学です。

 

さらに強調されるのは、「主のからだと血に対して罪を犯すことになります」という断定

と、「自分をさばくことになります」という警告です。その上、「そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます」と、さばきの実例を挙げる恐ろしい言葉が続くのです。これでは、未信者には絶対に聖餐に与らせることができなくなって当然です。「物凄く」慎重になって、オープンだとかクローズドとか議論するのもよくわかります。未信者に聖餐を授けた牧師を懲戒処分にするのもうなずけます。なにしろ、聖餐という祝福の儀式が、たちまちのろいの儀式に変わってしまうのですから。

 

 そこで、問題になっているこの聖書の箇所、パウロの言葉をもう少し注意深く読み、正しく理解するために、幾つかの大切なことを学んでみましょう。


 
 

1. ひとつの書全体から理解する

  

私たちの教会で普通に行われている聖書の読み方のひとつは、聖書をばらばらに分解して、ひとつずつの文節や言葉を取り上げて暗記したり解釈したりする方法です。聖書六十六巻の類似した表現や主題を見つけ出しては、それらをつなぎ合わせて理屈を組み立て、組織神学などにするわけです。あるいは説教でも、大抵は聖書の中の短い部分、または一節を取り上げて、それを細かく分析し、類似した言葉や文節を、聖書のあちらこちらから集めてきて説くわけです。もちろんそれでうまく行く場合もありますが、言葉というものは、本来前後関係の中で理解されるべきものです。その部分だけを切り離して読んで、それだけで判断すると大きな間違いに陥ることがあります。たとえ分かりやすい一節でも、前後関係をよく読み、どういう文章の流れの中で語られているか、その書全体の背景や、取り扱われている主題を把握した上で、その一節を理解しようと努めなければ、正しい理解は出来ないのです。

 

 いま取り上げている問題も、二十七節から三十一節という短い部分を読んだだけで、解釈しているために起こったものです。その前後関係をきちっと読み、その主旨の流れの中で理解しなければなりません。少なくても十七節から三十五節までの一区切りを読まないで、とやかく言ってはならないのです。さらに、その一区切りが、どういう文章の流れ、思想の組み立て、論議の構成の中で用いられているかを、コリント人への手紙第一全体から読み取る努力をしなければなりません。実はこのようなことは、私たちが一般の書物を読む場合、ごく普通に、意識しないままにやっているのです。それなのに、どういうわけか聖書を読むときは、細切れにして読んでしまうのです。

 

 さらにより正確に解釈しようとしたら、コリント人への手紙第一がどういう背景で、どんな目的のために書かれたのかも知らなければなりません。この書が歴史の書なのか、詩歌の書なのかあるいは書簡なのか、文体も心得ておかなければなりません。この書は、たとえば、詩歌に用いられている文体とはまったく異なる、言葉や表現や構成が用いられています。それは、教会の中に実際に起こっている難しい具体的問題に、真正面から取り組んでいる極めて教育的な、厳しい戒めと、指導に満ちている手紙だからです。たとえ同じ言葉が用いられていても、目的や文体や表現方法が異なれば、かなり違った意味になるのです。

 

そういうことにも注意した上で、できれば、同じパウロが書いた他の書も読んで、パウロの活動、取り扱った主な問題、その論調などと比較しながら理解しなければなりません。そして、より正しく解釈し、正確に判断しようとしたら、聖書全体の教えの中でその問題を見直さなければなりません。聖書全体の調和の中でこそ、一つの書の一箇所の解釈が、より正しく行われるのです。

 

 少し前のことですが、近所の青年が亡くなりました。葬式に参列すると、友人の代表らしい人が、亡くなった人物の名前を呼んで、「ばかやろう!」と叫びました。「なんで、こんなに早くお前だけが往ってしまったんだ!!」

「ばか」も「ばかやろう」も、使う人と使われる場所と場合によってまったく違う意味になります。「大嫌いよ」は「大好きよ」の場合もあることは、誰だって知っています。「適当にやりなさい」と言われても、前後関係が分からなければ、「適当にごまかすのか」「最も適したやり方をするのか、解釈不能です。聖書も、前後関係から切り離した一区切りや、節や、単語などを細かく分析するだけでは、分からないことが多いのです。私たちは日常の生活の中で、そのような常識をもって言葉を用いています。どうして聖書を読むときは、そのような常識を横に置いてしまうのでしょう。

 

 コリント人への手紙第一は、パウロが開拓した教会のひとつ、コリントという異邦人の都市にある教会に送られたパウロの手紙です。この都市の偶像礼拝と道徳的腐敗は、現代にもその名を残すほど有名です。たとえば英語で「コリント」というと、道徳的腐敗を意味することもあるほどなのです。ですからこのコリントに生まれた教会は、一方では、あらゆる賜物に欠けるところがないと、パウロが認めるほどの素晴らしい教会でありながら、他方では、ユダヤ人たちが中心だった教会では考えられないような、大問題がいくつもあって、パウロを悩ませ続けたのです。その大問題のひとつが、教会の中に分裂騒ぎがあり、不一致、仲たがい、愛と思いやりの不足が、日常的に見られたということでした。

 

 教会内の不一致にかかわる問題は、教会生活の様々な側面にいろいろな形で現れていましたが、中でも、パウロが絶対に許しておけないと感じて取り上げたのが、教会でいつも行われていた食事会での出来事です。いまでこそ私たちは「聖餐式」と言っていますが、パウロの当時は、まだ聖餐式という独立した儀式は行われておらず、教会で開かれる食事会の中で、パンを裂いて分配し、ぶどう酒を分け合って飲む時間があっただけのようです。

 

 キリストが過ぎ越しの祭りを用いて行った最後の晩餐は、過ぎ越しの祭りの新たな解釈を可能にし、キリストの贖いの理解をもたらすものでした。使徒の働きから想像すると、教会の揺籃期の弟子たちは、機会さえあればいつでもどこでも、キリストがお教えになったようにパンを裂き、ぶどう酒を飲み交わす集まりを開いていたようです。パンとぶどう酒を分け合う簡単な食事会の周辺に、さらにいろいろな食べ物も加わり、「アガペー」と呼ばれる愛餐会として発展したものであると考えられます。

 

 その愛餐会の中で、愛餐会の精神である「アガペー」が否定され、覆されるような恥知らずの行為が公然と、しかもくり返して行われていたのです。それが、パウロの怒りを買ったわけです。「食事のとき、めいめい我先にと自分の食事をすませるので、空腹な者もおれば、酔っている者もいるというしまつ」のことです。とりもなおさず、教会の中で「貧しい者たちがはずかしめ」られることであり、教会が軽んじられることでした。(v.2122

 

 貧しい者を軽んじていながら意に介さない、気にもとめないことが、実は教会そのものを軽んじることであり、あってはならない分裂分派の原因になっているとパウロは指摘しているのです。(D.18 そのような分裂がある状態では、たとえ教会の集まりがあっても、そこに集まることは益にならないで、かえって害になっていると、厳しく責めているのです。(v.1718) 

 

 聖書を分解してばらばらにしてしまう読み方をせずに、ひとつの書を一つの書として読み、全体的に理解をするならば、コリント人への手紙第一、十一章二十七節から三十一節を取り上げて、未信者に聖餐を与えることは、その人に死を招くことさえあるなどと言って恐れるのは、根も葉もないことであると分かります。

   

U. パウロの時代の教会では、未信者を聖餐に与らせないようにされていたか

  

 すでに述べたように、パウロの頃の聖餐式はまだ儀式されておらず、誰でも参加できる食事会の中で行われていたものでした。もともとは家々でパンを裂く、キリストの教えに従う習慣から出たもので、クリスチャンを中心にしたものですが、教会が発展していく中で、多くの未信者も加わるようになったものだと考えられます。教会でもたれる集いに未信者も出席していたことは、同じコリント人への手紙第一で述べられていて確かなことです。(1423

 

 ですから、愛餐会の場で聖餐が行われるとき、そこには様々な人々が参集し、未信者もいたということは充分に考えられるというより、当然であったと理解すべきです。愛餐会の場で未信者だけをより分けて、愛餐に与らせないなどということが行われていた形跡は、少なくても聖書にはまったくありませんし、そのようなことを想像させるものもありません。現代の私たちの教会のように、聖餐が特別な人にだけ与えられる秘儀か奥義のように神秘化され、わずかの量のパンとぶどう酒を配るだけのことなら、「未信者の方はお控えください」とアナウンスでもきます。ところが当時は、具体的な愛の交わりとして、「アガペー」と名づけられた「愛餐会」が行われていたのですから、未信者をより分けて仲間外れにし、食事も与らせないというのはまさに差別であり、拒絶であり、愛の教会の愛餐会としては考えられないことです。

 

 もしパウロが、未信者に聖餐を許すことは、死をも招く罪を犯させることになると理解していたならば、疑う余地がないほど明らかに、そのように言ったはずです。それは、人々の生死に関わる重大事であり、教会の浮沈に関わる危機的問題だったからです。ところがパウロはそのようなことには全然関心を払っていないのです。パウロが言った事は、「ふさわしくないままで」聖餐に与り、「罪を犯す」ことにならないように、「自分を吟味」しなさいということです。(D.2728

 

 では、「ふさわしくないままで、パンを食べ、主の杯を飲む」とはいったいどういうことでしょう。くり返しますが、二十七節だけを切り離して理解しようとしても、絶対に分からないことです。あくまでも前後関係で判断しなければなりません。前後関係に注意を払いながら読むと、パウロの言っていることが何であるかは、中学生ほどの読解力があれば理解できることです。パウロがこの部分全体で、あるいはさらにコリント人への手紙第一全体で扱っている問題は、教会の不一致、分裂、愛の不足です。愛が不足していたために、愛の象徴である愛餐会で、貧しい者が差別され、無視され、忘れられ、はずかしめられていたのです。

 

 そのような無関心、愛の無さがコリント教会の姿であったために、コリントの教会には、病気をしても満足に世話をしてもらえずに、病気を悪化させてしまう人たちが絶えず、無視されていたために死んでしまう人たちも、次々と出ていたのです。それをパウロは厳しく指摘しているのです。

 

パウロが言っているのは、「もし、あなた方のあいだに愛があったならば、無関心がなくなり、差別がなくなり、憐れみの心が増していたなら・・・・。キリストにあって一つである、おなじキリストの命に生かされているキリストのみ体であるという思いがあったならば、あの人たちの病気はあそこまで重くならなかっただろう。あの人たちも死なずに済んだだろう。飢えで苦しむ信徒も少なくなり、孤独死するクリスチャンも激減するだろう」という意味のことなのです。

   

V. 「みからだ」の理解

  

 大切なポイントの一つは、パウロが二十九節で言っている「みからだ」とは何かということです。これを正しく理解しなければ、パウロの言っていることが分からないのです。そしてこれを理解するためには、ここで説明した読み方、前後関係から考え、その書全体の主旨の流れの中で読み、著者の他の書物にも目を通し、類似した問題の取り扱いに注意し、その中で理解することが重要なのです。

 

二十三節の「からだ」はキリストのみ言葉の引用で、文字通り、十字架に架けられた主のみからだです。二十七節の「主のからだ」も同じ意味だと理解できます。ところが二十九節の「みからだ」はそうではなく、「主のみからだである教会」と判断すべきなのです。つまり、教会のことを考え、理解し、思いやり、わきまえないままで」、そのみからだである教会を象徴するパンを食べ、その教会を生かすキリストの命である血を象徴するぶどう酒を飲むものは、自分をさばくことになると言っているのです。

 このキリストのみからだを、十字架にかけられたキリストの肉体ではなく、霊的な意味でのキリストのみからだ、すなわち教会であると理解することは、一章手前の十章十四節から十七節によっても支持されます。そこでは偶像礼拝の問題に関わって聖餐のパンが取り挙げられ、「私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなのものがともに一つのパンを食べるからです」と語られています。聖餐のパンを裂くことはキリストのからだにあずかることであり、みんなが一つのパンを食べるのだから、たとえ私たちは大勢であっても一つのからだなのだと、聖餐が教会論的に語られ、パンは教会を意味していることが明確にされているのです。

 

パンを裂くこと(パンを裂いてそれを食べることという意味)は、「キリストのからだにあずかること」であると、ここでパウロが言ったときの「キリストのからだ」は、文字通り十字架に架けられたキリストの肉体であるとも、霊的な意味でのキリストのからだ、すなわち教会であるとも理解できます。これは一種の言葉遊びに近い言い方で、日本の掛詞(かけことば)にも似た表現です。どちらにも架かる意味を持たせられているのです。

 

パンを食べる行為によって、私たちは、十字架に架けられ傷つけられ裂かれたキリストのみからだが、私たちのためであったと告白しているのです。キリストのみからだに自分を重ね合わせ、アイデンティファイ(同一視)する信仰を告白しているのです。また同時に、自分はキリストのみからだである教会の一部であって、同じようにパンを食べる多くの人々と共に、キリストのみからだと呼ばれる一つのからだ、教会と呼ばれる共同体を構成しているのだという、霊的事実を認める告白をしているのです。それだけではなく、その霊的事実を具現化する愛の生き方をして行こうと、決意を表明しているのです。

 

 パウロはここで、聖餐の贖罪論的意義あるいは救済論的な意味を語って、「キリストのみからだをわきまえないで飲み食いすると、自分をさばくことになる」と言っているのではありません。聖餐の神秘性、奥義性に触れ、その気高さと畏れ多さを思い起こさせ、まさに秘儀であり秘蹟なのだからと言って、恐怖心を起こさせようとしているのでもありません。キリストのみからだである教会、キリストがご自分の命を奉げその命をもって買い取られた教会、キリストの命に生かされている教会、キリストの花嫁である教会、愛が具体的に表現されるべき教会をわきまえないで、その教会の象徴であるパンを食べ、教会のいのちの象徴である血を表現するぶどう酒を飲むことは、その人に裁きをもたらすことになると言っているのです。

 

キリストのからだを教会と解釈することは、すぐ後に続く十二章や十四章を読み、その上でエペソ人への手紙やコロサイ人への手紙を読み比べると、すぐに正当なものであると理解できるのです。教会を「キリストの体」と霊的に表現するのが、パウロの教会論の特徴です。

   

4.先入観を持って読まない

  

 なにごとでも、先入観を持たずに学ぶことが大切です。とはいえ、それは実際上不可能です。あらかじめある程度の予備知識があってこそ、つまり先入観ともなり得る知識を持っていてこそ、物事は理解されるものです。学び続けると、昨日学んだことが先入観になってしまうこともあり得るわけです。

 

 ただ聖書を読むときは、それまでの知識、学説だとか神学だとか言うもの、あるいは牧師に教えられた見解や本などで得た理解に捉われず、それらを横に置いて新たな気持ちで読むことも大切なのです。特に自分たちの教派や教団の神学的立場、あるいは自分が聖書学校や聖書勉強会で教えられた見解を、ひとまず忘れて、極めて普通に、小説やニュース記事を読むような、常識的感覚で読んでみることです。聖霊が正しい読み方を教え、正しい理解に導いてくださるように、真摯に祈りながら読んでみることです。そうすると、案外、無理な解釈をした教えやこじつけた考え方が、常識の網目にひっかかって識別されてくるのです。

 

 それが出来ないと、聖書を読んでいるつもりでも、実は聖書が教えていることを正しく読み取ることが出来ないで、反って自分の考えや誰かに教えられた教えを、聖書の中に読み込むことになっていまいます。聖書には確かに黙示録やダニエル書のような黙示文学といわれるジャンルが含まれていて、その解釈は並みの文章を読むような感覚では不可能です。また預言書なども、預言としての解釈という困難な作業が要求されるものです。それでも聖書の大部分は、まず普通の感覚で読み普通の感覚で理解されるべきものなのです。

 

 いま私たちが学んでいるこのコリント人への手紙も、まず、普通の感覚で読み、普通の感覚で解釈すべきものであり、ことさらに霊的な解釈を試みたり、アクロバットのような、奇想天外の解釈を持ち込んだりする必要はありません。牧師や神学者を始め多くのクリスチャンは、いま取り上げているこの聖書の箇所を幾度も読んでいて、よく知っているはずです。ただほとんどの場合、すでに自分たちの教会で教えられた教え、自分たちの神学的伝統で叩き込まれた解釈を、都合よく聖書のなかに読み込んでしまうのです。つまり、先入観にあうように、アクロバットのような解釈を許してしまうのです。少しくらいはおかしいなと感じることがあっても、まじめに、突っ込んで考えてみることがないのです。あるいは、自分の教会や自分たちの伝統から外れた解釈をすることを恐れて、あえて不問に付すのです。

 

 本当のところ、聖餐論は多くの正統的教会がそれぞれ少しずつ違う解釈をしていて、一致することが出来ないままでいます。その主な理由は、だれも、まじめにまた素直に聖書に向き合おうとせず、自分たちの伝統という先入観を重んじているからです。その伝統の根幹はしっかりとした聖書の解釈から出てきたものではなく、聖書とはあまり関わりのないところで形成されたものであると、知らなければなりません。

 

 現在の混乱した非聖書的聖餐論の原因は、古代のカトリック教会にあったと思われます。 教会に参集する人々に比べて、聖書の数が絶対的に不足していたカトリック教会の初期のころ、聖書の教えに拠らないいろいろな教えが教会に流入するのは、避けることが出来ない問題でした。聖書が不足しているために、教会の指導者たちでさえ、キリストの教えをしっかりと理解するどころか、概要を知ることも容易ではなかったのです。ですから、聖書の教えを正しく信徒たちに教えるなどということは、おおよそ無理だったわけです。でも、人々を教会につなぎ止めておかなければならず、何とか「宗教的に養って」おかなければなりませんでした。そこで考えられたのが、キリストがお定めになった聖餐に重大な意味を含ませ、聖体拝受として教会の働きの中心に据えて、信徒を教育することでした。

 

 カトリック教会の聖体拝受の教えは、キリストが最後の晩餐のときにお与えになった教えをもとにしたものですが、聖書の正確な解釈や理解から発展させられたものではありません。カトリック教会の理解によると、聖書はカトリック教会の産物であって、聖書を産みだしたカトリック教会のほうが、産み出された聖書より高い権威を持つものです。従って、少々聖書の教えから遺脱していたとしても、カトリック教会の権威でそれらを正当化できることになります。

 

聖体拝受の特徴は化体説にあります。聖餐のときのパンとぶどう酒は、見えるところも味も香りもパンとぶどう酒ではあるけれど、その本質において、文字通りキリストのからだと血に変化したものであると主張するものです。文字通りキリストのからだに変化したパンと、字義通りキリストの血とに変化したぶどう酒をいただくのですから、これに与るというのは大変祝福であると同時に、大きな恐れを伴ったわけです。

 

また聖体拝受は、罪のためにくり返してささげられるキリストの犠牲であるとも教えられていますから、これを逃すことは罪が許されないことになってしまいます。普通のカトリック信徒の多くは、日曜日の朝に行われる聖体拝受(ミサ)を逃したまま、次の聖体拝受まで待てないまま死んだ場合、天の国に入ることが出来ないことになってしまうと恐れています。(ただしカトリック教会は、正式にそのように教えを出したことはありません。ただ一般の信徒たちが、そのような結論を導き出したわけです)

 

 一方、聖体拝受に与るとすべての罪は許されるために、安心してその週を過ごすことができるわけです。そのために、カトリック教徒の多くは、土曜日の夜にドンちゃん騒ぎをして罪を犯し、日曜早朝の聖体拝受で許していただくということを、くり返すことになるわけです。カトリックの信徒たちは、何が何でも絶対に、日曜日の朝のミサに参列しなければならないと教理によって脅され、ミサを受けるとどんな罪でも許されたと宣言されて、平安を得るわけです。

 

 また、現在のカトリック教会では、信徒たちにはパンだけを与えてぶどう酒は与えません。司祭が代表して飲んでしまいます。それはぶどう酒が文字通りキリストの血に変化したものであると教えているためです。これを万が一こぼしてしまうと、取り返しのつかない恐れ多い失態、キリストの血を冒涜する過失を犯したことになってしまいます。パンならば落としても拾えますが、ぶどう酒ではそうも行きません。それを避けるために、信徒にはぶどう酒をくばらず、「これを血のない犠牲」と呼んでいるわけです。

 

 キリストの犠牲はただ一回だけのもので、くり返されるべきものではありません。なぜならそれは完全な犠牲だからであるというのが、聖書の教えです。また、血を流すことのない罪のための犠牲はあり得ないというのも、聖書の教えです。カトリック教会では、第二バチカン公会議で聖書の重要性を確認した後、聖書に対する態度が変わり、まじめに学ぶ姿勢も見え始めましたが、聖書の権威よりも教会の権威が上であるという見解は変わっていませんので、聖書の教えを持ち出しても余り効果はありません。

 

カトリック教会は、キリストのからだと血という尊い犠牲をいただく「聖体拝受」の価値と重要性を高く謳い、これを彼らが主張する七つの秘蹟の中でも最も大切なものであると教えます。彼らの聖体拝受の教理の中心は、パンとぶどう酒が文字通りキリストの体と血であるというものですが、これはキリストが用いられた「たとえとしての表現」を、文字通りに解釈することによって成り立つものでした。キリストはパンを取り上げて「これは私の体である」とおっしゃり、ぶどう酒を取り上げて「これは私の血である」と語られたからです。

 

このようにカトリック教会では聖餐を聖体拝受まで高め、そこにキリストが意味した以上の意味を加え、信徒たちを繋ぎ止めてきました。信徒たちは聖体拝受を必要以上に崇め、また畏れ、信仰生活の中心にしてきたのです。その必要以上の畏れの伝統が、プロテスタント教会の中にも継承され、先入観となって聖書の正しい読み方を妨げてきたのです。


 
 

5.       表現方法を取り違えて解釈する

 

 カトリック教会が聖体拝受の教理を作り上げたのは、必ずしも、聖書に記された記述によってではないと考えられます。なぜならば、新約聖書が書かれ、それが正典として認められる前に、聖餐の習慣は当時の諸教会に広く浸透していたからです。当然、その聖餐についての考え方も、パウロを始めとする使徒たちが教えたものだけではなかったでしょう。文書に拠らず、口伝えによって、あるいは他の教会で行われているのを参考に、聖餐を行っていた場合もたくさんあったことでしょう。中には、いささか迷信的な要素が混入したものもあり得ました。カトリック教会にはそのようなものが入り込む余地が、充分にあり得たのです。

 

ただ聖書だけから論じると、たとえキリストが「これは私のからだ、これは私の血である」とおっしゃったとしても、それを文字通りあるいは字義通りに受け取るのには、無理があります。なぜなら、キリストは同じ表現法、つまり修辞法を用いて、「私は門である」、「パンである」、「良い羊飼いである」、「世の光である」ともお語りになっているからです。キリストが文字通りの門である受け取る人はいません。字義通りのパンであるとも考えません。それらは表現方法であって、象徴的にお話になったものだからです。ですから、パンを取り上げて「これは私のからだである」と言われ、ぶどう酒を取り上げて「これは私の血である」とおっしゃっても、それは文字通りに受け取られるべきものではなく、象徴的な表現だと理解するほうが正しいのです。

 

 カトリック教会に反旗を翻してプロテスタント教会を起こしたルターは、教会の権威に代えて聖書の権威を掲げましたが、この聖餐の理解に関して言うならば、「聖書によって」間違いを犯して、カトリック教会の習慣に倣ってしまいました。ルターは、キリストのお言葉を字義通り受け取って、パンはキリストの体であると言って譲らず、ぶどう酒はキリストの血であると主張して止まなかったのです。

 

 すでに幾度か触れてきましたが、聖書に用いられている表現が文字通りの意味なのか、あるいは象徴的な意味なのか注意深く判断しなければなりません。文字通りの意味で用いられている言葉を象徴的に理解したり、象徴的な意味で用いられている表現を字義通りに解釈したりしてはならないのです。自分の神学的伝統に乗って、なんでも字義通りに解釈しなければ気がすまない人たちがいる一方で、自分たちの教会のやり方に倣って、なんでも象徴的にあるいは「霊的」に解釈して、勝手な主張をしている人たちもいるのです。あるいは好きなように、あちらは字義通り、こちらは象徴的にとやっている人も少なくありません。

 

 日本では修辞学という学びはあまり一般的ではありません。譬え、隠喩、引喩、例話、比喩など、実際はけっこう修辞法が使われているのですが、普通はいちいち厳格な定義をしているわけではありません。そのため、それらについて細かく述べることも出来ませんが、聖書には、キリストのお話の一部のように、あえて分かりにくくするために、修辞法が用いられている場合もあります。ただ、ほとんどの場合、常識を持って注意深く読めば意味が分かるものです。大切なのは、常識を外れた読み方を避けることです。常識を外れて象徴的に読まなければならない場合は、常識通り読むと意味が通じない場合、あるいは聖書の他の部分の教えが、これは明らかに象徴的に読むべきだという根拠になっている部分です。簡単な例を挙げると、神の手、神の顔、神の目、神の耳、神が歩まれる音などという表現は、みな象徴的に、擬人法として読み取らなければなりません。文字通り神に顔があり、目があると考えてはならないのです。理由は、聖書の他の場所で、神は霊的な存在であられ、肉体をお持ちにならないことが、明確に教えられているからです。

   

おわりに

 

 この小文で私は、教会に聖餐式のやり方を変えろと言っているのではありません。そのようなことを言っても、保守的で伝統を重んじる教会という強大な構造物を、揺るがすこともひび割れを起こすこともできないと、百も承知しています。

 

ただ聖書に立つ信仰を自称し、聖書的であることを錦の御旗にしている、プロテスタント教会の福音派と言われるグループに属する、自分の仲間たちには呼びかけたいのです。こんな聖書の読み方をし続けていることを、恥ずかしいとはお思いになりませんか?もう少し常識的で客観的な目をもって、聖書を読む努力をしてください。ひとりでも多くの教職や信徒が、本当に聖書的な理解を持ち、聖書にのっとった行動を取って欲しいと願うのです。問題は聖餐に限ったことではありません。

 

老境に差し掛かった先輩の信徒が、つぶやいているのを聞いたことがあります。「いやー。聖書というのは内容が深く、難しい書物ですね。牧師の説教を聴いていますと、あのような単純と思える聖書の記述から、よくもまあ、あれほどいろいろな内容を掘り出して、お話できると感心してしまいます。とてもとても、並みの信徒たちにはできません」 牧師が神学や形式の伝統に囚われて、アクロバットのような無理やりな解釈をするものですから、常識的にしか聖書を読めない信徒が、あきらめてしまっているのです。

 

教会の信仰と行いの多くの分野が、伝統という重圧に負けて、よじれ、曲がっているのです。私たちに必要なことは、伝統という先入観も横に置いて、色眼鏡をはずした聖書の読み方をすることです。同じ読むのでもより良い読み方をして、より正しく深い理解に到達し、神様の素晴らしい祝福をもっともっと味わって欲しいからです。それをこの聖餐の問題で具体的にお話したのです。

  
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2012年10月12日

やってはいけない聖書の読み方 (1)


      

「あなたもあなたの家族も救われます」

  

 ある教会の婦人会をのぞいてみたとき、一人のメンバーが話をしていました。「うちの主人は頑固で、なかなか私の言うことに耳を傾けないのよ。『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』という聖書のお約束を信じて、もう二十年も主人の救いのために祈り続けているんだけど、まだ、祈りが足りないみたい・・・」

 

 他の教会の集会の中での証を聞きました。「『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』というお言葉を信じて、ずっとやって来ましたが、主人はキリスト教にはまったく無関心です。日曜日には私が礼拝会に来ることを知っているくせに、いつも疲れたとい言って九時か十時にならないと起きてきません。もう間に合わなくなるから、何とかして欲しいのですが・・・・・しょうがないから、朝ご飯の準備だけでも簡単にして、食卓において出かけてくるんです。このままでは、いつ救われるのかわかりません。みなさん。我が家の宿六のためにもお祈りください」

 

 事情は異なるとはいえ、多くのクリスチャンたちがこの聖書の言葉を自分に与えられた約束と信じて、これにしがみついているようです。「早くこの約束を果たしてください」と必死に訴えるのはかまいませんが、それは正しい聖書の理解の仕方ではなく、良い信仰のあり方でもありません。

 


1.だれが語ったのか


 

 アンモナイトの化石を採集するのが趣味だった小学校二年生のころ、近所の小父さんが言ったものです。「直径三寸以上のやつ見つけたら、百円で買ってやる」

 

 私はそれから血眼になって、大きなアンモナイトの化石を探し始めました。日雇いの賃金が二百五十四円、いわゆるニコヨンの時代でしたから、子どもにとって百円は大変なお金でした。(敗戦後しばらくして日雇いの最低賃金は二百五十四円と決められていた時代がありました。そこから、出稼ぎのことをニコヨンと呼んでいたのです)数ヶ月も過ぎて、とうとう四寸近い見事な化石を見つけたのですが、約束した小父さんはすでに、私の知らない遠いところに引っ越したあとでした。

 

それでまだ居候をしていた小父さんの弟に、「お兄ちゃん小父さんが、百円で買ってくれると言ったんです。ちい小父さん、百円で買ってくれませんか」と聞いてみたのですが、化石なんぞに全く興味を持っていなかった彼は、相手にもしてくれませんでした。

 

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言ったのは、使徒たちであって神様ではありません。それなのに、この言葉を「神様の約束」として受け取って「神様に訴える」のは、ちょっとばかり行き過ぎといわなければなりません。

 

 普通この言葉はパウロが語ったものと思われていますが、聖書をよく読んでみると、必ずしもパウロが語ったものでもないようです。パウロと同伴者のシラスが語ったことになっています。二人そろってユニズンで発声したのでもないでしょうから、たぶん、パウロとシラスが同じ意味のことをそれぞれの言葉で語ったのです。しかも、このような出来事の記述は、当然、もっともっと長い会話を要約したものですから、彼らが語った言葉の正確な記録でもありません。それでもこのような状態を、日本語でも「異口同音に」というのですから、聖書の記述に間違いはないわけです。

 

 たしかに聖書の理解の仕方にはいろいろあって、モーセやダビデを始めとする旧約時代の聖徒たちが語ったことを、神様が語ったかのように受け取っても良い場合があります。たとえば、預言者エリヤが四百人のバアルの預言者と四百五十人のアシェラの預言者、そして大勢の群集を前にして語った言葉が、それに当たります。エリヤは言いました。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え」

 

この言葉も、あくまでもある特別な状況下でのエリヤの言葉であって、正確な意味では神の言葉ではありません。しかしその言葉には、神の普遍的なみ思いが述べられていることが、他の多くの聖書の教えから容易に推測できます。そこで、この言葉をあたかも神の言葉であるかのように説教で用い、「いつまでも二つのものの間で思い迷っているのか。今日、あなた方が仕えるべき方を選びなさい」と説教できるのです。また、信仰の歩みと世の歩み方との板ばさみになって思い悩む信徒たちが、この言葉を神様のみ言葉として受け取って敢然と立ち上がり、信仰の歩みを始めるのも誤りではないのです。

 

ところが、パウロとシラスが語った言葉には、聖書の多くの教えや記述を持っても、神の普遍的なみ思いが述べられているは言えないのです。この言葉を信徒たちに示して、「『あなたがイエス様を信じたら、あなたもあなたの家族も救われます』と、神様は約束してくださっていますから、それを信じていきましょうね」と指導することは出来ません。信徒たちが勝手にその聖書の言葉をよすがとして生きるのは、まぁ、許してあげてもいいのですが、正確には間違っているのです。

 

同じパウロの言葉でも、普遍性を持った神のみ思いが、直接的な教えとして書かれている場合は、霊感を受けた神の言葉として受け取って良いのです。実際、パウロの書簡の大部分はそのようなものです。「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」という、ピリピ人への手紙第二章四節も、「喜ぶものと共に喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」という、ローマ人への手紙十二章十五節も、そのまま神のお言葉として受け取っていいのです。

 

ただ、ピリピの獄吏に語った言葉は、大先生、大使徒のパウロたちが語った言葉でも、霊感を受けていたのはありません。その言葉に普遍性があったわけでもありません。それはあくまでも、あの特殊な事情の下で、ピリピの町の獄吏という「特定の個人」に向けて語られた、使徒たちの言葉なのです。



 

2. だれに語られたのか  


 

 この言葉は、ピリピの町の看守をしていた一人の男に対して、ある特殊な事情の下に語られたものです。それらの事実を無視して、二十世紀も後の日本人クリスチャンに、これを神の言葉として適用することは出来ません。

 

 この出来事は、グレコローマン文化にあったマケドニア地方の、ピリピという小都市で起こりました。約束の言葉をもらったのは、ローマの官憲からも信頼され、市の拘置所の看守という、それなりの身分と立場を認められた仕事をしていた人物でした。当然、家族や親族の中でも単に一家の長というだけではなく、公的地位に相応しい尊敬を集め、また権力を持っていました。また「彼の家族」は、現代の私たち日本人の言う「家族」とは、質においても量においても異なっていました。

 

 核家族などといわれる現代日本の家族とは違い、彼の時代、彼の文化の家族は、親子兄弟姉妹のつながりが非常に強いものでした。父親の権威はほとんど絶対に近く、まさに家長だったのです。父親の決定はすなわち、家族の決定でした。それは単に直系の家族だけではなく、多分、彼の地位や名誉から推し量ると、彼の権威は親族にまで及んでいたことでしょう。それだけではなく、屋敷の中に住む使用人とその家族はもちろん、外から通ってきている使用人も、ある意味で家族として考えられていたかも知れません。ここで「あなたの家族」といわれている「家族」とは、そのようなものだったのです。

 

 息子は父親に反発して家に寄り付かない。娘は父親を無視して言うことも聞かない。妻は夫がいることも忘れたかのように、自分の関心事に熱中している。親戚との付き合いはお葬式のときくらいというような、現代の日本の家族の中の家長とはまったく違うのです。そのような強い家族の絆を前提にした文化の中に生きている「家長」、一家、一族の主人に対して語られたのがこの言葉なのです。

 

 また、パウロとシラスが語りかけた相手は「驚くべき出来事」、驚嘆するような出来事を体験したばかりの人間です。まだ熱が冷めやらず、湯気が出ている状態でした。それは単に大地震だけではなく、鎖が切れ枷も壊れてしまったということだけでもありません。パウロとシラスが厳しい迫害を恐れる様子も見せず、激しい痛みに不平ももらしたり弱音を吐いたりもせず、牢獄の中で平安を保って賛美の歌を歌い続けていたという事実、さらには、鎖が切れ枷も壊れ牢獄の扉までも開いてしまっても、彼らが逃げ出さないでそのまま残っていたという、普通ではあり得ない事などを含むものでした。

 

 これほど信じられないような出来事を、同時に見せられた彼は強い恐れと慄きにかられ、自分の救いを考えただけではなく、家族の救いをも思い巡らせたことでしょう。何の躊躇もなく使用人を含めた家族全員を集め、自分の体験、見たこと聞いたことすべてを語ろうとしたことでしょう。興奮して、熱心に、情熱をこめて、真剣に、目を輝かせ、身振り手振りをまじえて語ることになったでしょう。パウロもシラスも、そのようになることを簡単に想像できたはずです。

 

看守が体験した救いも、いま私たちが体験している救いも、本質的にはおなじものです。しかし当人たちにとってのインパクトは、まったく異なっていました。つまりこの言葉は、ある特殊な事情の下に限定されたものであって、普遍性を持つものではないのです。

 

 もしも私たちが、救いの素晴らしさを本当に実感として理解していたならば、つまり、教理を受け入れてクリスチャンになっただとか、神学の理解を通してキリスト教になったという信仰では無く、もっとキリストご自身を知る体験的な信仰を持っていたならば、少しばかり様子は異なったことでしょう。驚愕の体験の後パウロとシラスの言葉を聴いた看守のように、驚きと喜びをもって、躊躇せず大胆に、だれ彼かまわず積極的に、証をしていたはずです。そうしたら、あなたの家族も救われますという言葉が、成就する可能性も高くなるでしょう。

 
 

3.いつどこで語られたのか


 

 この言葉が語られたのは二千年も昔のマケドニアであって、グレコローマンのなかの小都市でした。ですから、当然、この言葉を語ったパウロとシラスは、その文化とか実状というものを背景に、たとえ無意識のうちであっても確実な前提として語ったはずです。ふたりとも、二千年も後の日本人が自分たちのこの言葉を盾にとって、神様に訴えるなどということは想像すらしていませんでした。

 

 フィリピンの北部に、イロカノ族という大きな部族が住んでいて、彼らなりの独特の文化を持っています。最近はメディアの発達などの影響で、地方色とか部族固有の文化が失われてきていますが、少し前まではかなり独特なものもありました。

 

「うちのメス豚はとっても健康でたくさんの子を産んだ。その子たちも親の性質を受け継いで、みな子だくさんで、その上子育てがうまい」

 

 そのイロカノ族の小さな部落で、お百姓さんたちがたくさん集まる中、真っ黒に日焼けした男が言いました。でもこれは彼が飼っている豚の話をしているのではありません。彼の娘を見初めて結婚を申し込もうと、隣村の若者が仲人になってくれる人に付き添われてやってきたとき、親族一同が聞き耳を立てる中、なぞかけのように彼が語った話です。この場合の健康なメス豚は、見初められた娘の母親。つまり話している男の妻。たくさん生まれた仔豚は娘の兄弟姉妹たちです。だから、若者が見初めた娘も、健康でたくさんの子を生むことが出来る立派な娘で、子育てもうまいに違いないと、娘の値段を吊り上げているのです。

 

 娘を欲しい若者と仲人に立つ男は、この父親の言葉を注意深く聴き、彼を満足させるような答えをしなければなりません。

 

 「うちの田んぼは広くはありませんが、とてもよく肥えていて、毎年たくさんの収穫があります。畑も村中の者が羨むほど、毎年多くの実りがあります。その他、バナナも、アボカドも、カサバも、ココナッツも実によく取れています。だから我が家では、家畜でさえ食料にこと欠くことはありません。私の家では、山羊も鶏も水牛も、とてもよく肥え健康です」

 

 と、まあ、そのような会話が交わされて、娘の嫁入りが決まったものなのです。その当時のその地域のその文化背景があって、言葉というものは初めて本当の意味を持つのです。だから、当時のイロカノ族の習慣を知らない今の日本人が、豚を豚と解釈してはならず、豚の子たちを仔豚だと思い込んではならないのです。

 

 聖書の出来事は、あくまでもその時代と文化と事情の中で起こったことであり、そこで語られた言葉は、その限られた中での意味を持つものです。限っているその枠をはずして、普遍化してはならないのです。ただ普遍化できるような要因がある場合、つまりその言葉が他の聖書の明白な教えによって、普遍的な内容を持つものとして認められる場合だけ、そうすることが出来るのです。いま取り上げているこの言葉の中で普遍的な意味を持つのは、「主イエスを信じる人は救われる」という部分だけで、後は、特殊な事情に拘束されるものです。

 

 二千年も昔のマケドニアでは、当然、家族に対する家長の権威は大きく、影響力は絶大でした。当時の社会構成から考えても、彼が、甦られたイエスを救い主として信じるという出来事は、周囲の人々にはまさに激震といえるほどの出来事で、家族全員を巻き込んだ重大な話題になったはずです。宗教を変えるということは、現代社会でも容易ではない場合が多いのですが、当時のマケドニア地方ではまさに深刻な問題で、その家に属する者たちはみな、真剣に考え話し合ったことでしょう。家長が宗教を変えたならば、家族が今までどおりの宗教を持ち続けることも、また困難なことだったために、自分たちの身に起ころうとしている変化を予想して、大きな期待と不安に包まれたはずです。

 

パウロとシラスはそのような社会背景と、看守の家の中の地位と権威を知った上で、「あなたもあなたの家族も救われます」と語ったのです。現代の日本人の父親に向かって語ったのではなく、ましてや、家族の中であまり権威も尊敬も得ていない母親や、夫を「宿六」と呼び、夫の休日に朝飯の準備もろくにしない妻にでもありません。ばらばらの家族の中で、家に寄り付かない息子でも、自分のことだけ考えて身勝手な振る舞いばかりしている娘にでもないのです。

 

 信仰による救いは、本人にのみ与えられるのが聖書の教えです。あなたが信じてもあなたの家族は救われないのです。しかし、あなたが信じることによって、その影響が家族に及び、結果として家族も救われることになるのです。それは私たちの牧師も信徒も良く心得ていると思います。間違いは、この言葉が現代日本とはまったく異なった文化の中で、現代の日本の家長とはまったく異なって、絶大の権威と影響力を持った家長に向かって語られたという事実を無視して、自分にも語られていると考えてしまうことです。

 

 このパウロの言葉を、自分にたいする神様の約束と信じて神様に訴える人は、たとえ、当時の家長が持っていたほどの権威と影響力は無理だとしても、信頼できる夫として、尊敬できる父として、あるいは優しい母として、素敵な妻として、家族との絆をしっかりと結びとめる努力をしてほしいものです。たとえ、家族の中ではもっとも権威のない子どもたちであっても、ただ自己主張を繰り返し、反発してばかりいないで、親の言うことに耳を傾け、尊敬と感謝を持って親との信頼関係を強めようと励んでほしいと思います。それが出来たら、「あなたの家族も救われます」という言葉が、いくらかでも現実味のあるものになるはずです。父親も母親も、素直で優しい子どもの話や意見には、耳を傾けるものです。

  

4. 私たちにいまできること

 

幸い神様は、私たちの信仰のあり方が正しくないからと言って祈りを無視し、聖書の理解が誤っているからと言って、訴えを退けられるお方ではありません。神様は信仰、すなわち信頼にお答えくださるのであって、私たちがどれだけ正しく理解し、いかに正確な把握をしているかを、天秤にかけられるのではありません。ですから、熱心に祈ることに異議を唱えているのではありません。神様は使徒の働きの記述とは関係なく、熱心な祈りにお応えくださることでしょう。

 

私が牧師を務める教会で、昨年、八十八歳の男性がイエス様を救い主と信じて、洗礼を受けました。奥様とお嬢さんのクリスチャン生活を長いこと見ていながら、信仰にはまったく無関心だったようです。ただ足腰が弱くなり、目もまったく見えなくなって、施設での生活を余儀なくされてから、忽然と信仰心に目覚めたようです。「私の夫は信仰にはまったく無関心で、イエス様を信じるなんてあり得ない」と妻は思い、「お父さんは、この世のことばかり考えていて、救いだとか永遠だとか言う話にはまったく乗ってこないから」と、娘はあきらめていたところがあったようです。

 

でも彼は、夫としてまた父として、二人の毎日をじっと見ていたのです。そこに、人間としての信頼関係以上の、共に生きていた夫婦の繋がりがあり、慈しみ合ってきた父娘の心の重なりがあって、同じ信仰に進むことが出来たのです。妻も娘も夫と父の救いのために祈ったことでしょう。でも、それはパウロとシラスの言葉を言質に取った祈りではなく、神様の助けと憐れみを期待しての祈りだったのです。それに神様は応えてくださったのです。

 

老年になってから未信者の妻を亡くした、クリスチャン男性の失望のうめきを聞いたことがあります。「『主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます』というみ言葉を信じてきたのに、とうとう妻は救われないままに逝ってしまいました。三人の子どもたちも、まだ救われていません。神様は約束を反故にされたのでしょうか」

 

神様は約束を反故にはなさっていません。約束しておられないのですから。さらにこの男性は若いころは仕事に忙しく、ほとんど家庭を顧みない人でした。充分な金を家に入れておけば、夫としての役割を果たしていると思い込み、経済的になに一つ不自由させない生活をさせることが、子どもたちへの愛情だと言い張っていたのです。定年になってからも、自分の趣味の農作業三昧を楽しむために、妻とはほとんど別居に近い生活をしていました。

 

確かに正義感も強く、曲がったことが嫌い。自然を大切にし、美にあこがれる素敵なところをたくさん持った人でした。でも、家庭を疎かにしていたのです。厳しいことを言えば、妻に離婚されず、子どもたちに家を出られなかっただけでも、ありがたいと思わなければならない生き方だったのです。夫としての義務も父親としての務めも正しく果たさず、家族の絆を限りなく細くしておいて、自分がイエス様を信じたから、家族にも救いが及ぶようにと望み、また信じるのは、あまりにも身勝手です。

 

パウロとシラスは、社会的にも精神的にも切っても切れない紐で、固く結ばれている家族というものを前提にして、「あなたの家族も救われます」と語ったのです。

 

ですから、いま私たちに出来ることは、神様を信じて祈ることです。つまり神様に信頼を置いて、願い続けることです。自分と家族との交わり、繋がり、信頼、尊敬の度合いを高め、深めることが出来るように、助け導いてくださいと熱心に訴え続けることです。

 

その上で、今まで軽んじてきた家族を大切にすることです。家族に喜ばれ、受け入れられ、感謝され、信頼され、尊敬されるような生き方、語り方、考え方が出来るように努力するのです。祈らないで努力してはなりません。かならず、祈りながら、頼りながら努力するのです。すると、少しずつそのような生活が出来るように変化していきます。そして、あなたの救いが家族に及んでいくことになるのです。

 

おわりに

 

 たとえ私たちが間違った聖書の読み方をし、誤った理解を持っていても、ある程度、神様は許してくださいます。神様に対する信仰が問われるのであって、聖書知識の正しさや理解の正確さが問われるのではないからです。しかし、誤った聖書の読み方をし、その結果、間違った理解をしていると、そのような読み方をまた他のところでくり返し、さらに間違った理解を重ねていくことになります。それはやがて、信仰の道を踏み外すことにも繋がり、まったく非聖書的理解、非聖書的生活へと続くことにもなりかねません。

 

 正しい聖書の読み方をしっかりと身に付けることが大切です。

 

 

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2011年06月22日

キリストの教えを理解するコツ

   
 キリストの教えを理解するコツ

 


 まじめに聖書を読んでいると、「アレッ」と思うような記事や出来事に遭遇します。特に、キリストの教えや行動を読むと、「ッ!」と「ッ!?」の連続です。キリストは、人々の注意を引くために、あるいは強烈な印象を与えて覚えさせるために、あえてそのような言い方や行動を選ばれたようです。それが誤解されて、十字架の死を招く原因のひとつにもなったほどです。その点をあらかじめ理解して読むのがコツです。

 

 キリストの教えの特徴のひとつは、譬(たと)えが非常に多いことです。特に一般の聴衆に向かっては、ほとんど譬えでしか語られていません。譬えを用いる目的は、まず、教えを分かり易く、記憶にも残るようにすることです。そのよい例が、マタイの福音書の7章の最後の部分、いわゆる山上の垂訓の締めくくりの譬えです。岩の上に家を建てた賢い人と、砂の上に家を建てた愚かな人が、見事に対比されています。教えが単純化されて分かり易い上に、とても良く記憶に残ります。

 

 譬えの目的の第二は、あえて一部の人にしか分からないようにすることです。たくさんの人々が聞いていても、理解できるのはその中の選ばれた一部だけになります。このような譬えの良い例は、マタイの福音書の13章に記されている、種まきの譬えや毒麦の譬えです。これらの場合は、12人の弟子たちでさえその意味が分からず、後でひそかにキリストから説明を受けて、初めて理解しています。理解した後は、強く印象に残ったはずです。

 

 今聖書を読む私たちも、初心者ならば譬えの第一の目的が当てはまります。だいぶ聖書の教えやキリストの教えに馴染んできた人ならば、第二の目的の枠内に入るでしょう。それでもなお理解できず、キリストの説明の部分を読んだり、聖書を良く知っている人に尋ねたりして、初めて分かるということになります。

 

 ただ、譬えを読むときには注意しなければならないことがあります。それは、譬えのあまり細かいところまで、これはどういう意味だろう、この言葉には何か裏の意味はないだろうか、この登場人物は誰を指しているのだろうと、詮索しないことです。譬えの中には、かなり細かいところまで類似していることもありますが、たいていの場合は、大まかな意味や基本的事柄を明確に表し、印象深く、記憶されやすいようにするものですから、その点をしっかりとわきまえればよいのです。

 

 例を挙げて見ましょう。マタイの福音書5章、山上の垂訓の中に、良く知られた「あなた方は、地の塩です」、「あなた方は。世の光です」という教えがあります。これは、厳密には「譬え」と分類されるべきではないかもしれませんが、普通の日本語ではあまり細かい分類はありませんので、一応、譬えとして考えて見ましょう。

 

 ここで言われていることは、「あなた方は大切な存在であり、役立つものなのだから、あなた方の良いところ、優れているところを充分に発揮して、有意義な生き方をしなさい」ということです。ところがしばしば陥る間違いは、塩の効力、有益性、あるいは性質などに細かく入り込んでしまうことです。

 

「塩は腐れを防止する。だからクリスチャンも社会の腐敗を止めるものである」とか、「塩は味付ける。クリスチャンも社会を味付けるものである」という程度なら、まだ我慢できますが、「塩は人体に必須である。だからクリスチャンも」とか、「塩は塩素とナトリウムという二つの元素が一つになってできているから、クリスチャンも」などとなると、明らかに行きすぎです。キリストがこの教えをなさった当時の人々は、そのようなことは知らずに生きていたのですから、そこに現代の知識を持ち込むと、聖書が語っていないこと、キリストが意味していなかったことを、読み込む結果になってしまいます

 

 光も大切である。しかし光は見えてこそ役に立つというのが、キリストのおっしゃったポイントだと思います。だから神を信じているあなた方は、自分の信仰を隠したりせず、堂々と生きなさいということでしょう。そこに現代の知識を持ち込んで、光には異なった波長がるとか、光には殺菌効果があるなどと言い出すのは間違っています。そのようなことは、キリストのお話を聞いていた当時の人々には、まったく理解されなかったはずだからです。

 

譬えというのは話法、レトリックのひとつですが、ほかにも色々なレトリックがあります。キリストの用いられたレトリックは多彩で、キリストに対してはおかしな言い方になりますが、まさに言葉の達人です。

 

キリストはよく、「私は・・・・である」という言い方をしておられますが、それを文字通り受け取る人はあまりいないと思います。「私は門である」「私はぶどうの木である」「私は良い羊飼いである」「私は道である」などというものです。ごく常識的なセンスをもってこれを聞くと、まず、キリストが本当に、文字通りの門だなどと思う人はいません。

 

同じようなレトリックを用いて、キリストはパンを取り上げて、「これは私のからだです」とおっしゃり、ぶどう酒を指して「これは私の血です」とおっしゃったことがあります。有名な聖餐をお定めになったときのお言葉です。これはすこしばかり、捻(ひね)られてはいますが、レトリックであって、字義通り受け取ってはならないものです。ところが、この言葉を文字通りに受け取って、パンが文字通りキリストの体に変わるとか、ぶどう酒が字義通りにキリストの血に変化すると主張する人たちがいます。カトリック教会はそのような教えに立って独特の教理を作り出し、それを非常に大切にしていますし、宗教改革で有名なマルチン・ルターも同じ主張をして、ほかのプロテスタントの人々との交わりを拒否したのです。

 

このようなレトリックは、おかしな神秘主義的な宗教感覚を捨てて、常識をもって平易な解釈をするということを心がけるなら、たいていは分かるものです。また、自分の主義主張を聖書の中に見つけ出そうとしたり、先入観として自分の教会の教えを頭に持ちながら聖書を読もうとしたりしなければ、案外簡単に分かるものです。

 

ところで、キリストがお話になった中で最も難解というか、意味が分からないとされているもののひとつが、ルカの福音書の16章に記述されています。「不正な富を用いて友人を作りなさい」という教えです。ご存じのない方は、ぜひ聖書を開いて、まずこの物語を読んで見てください。お分かりのように、これも譬えのひとつです。

 

この譬えは確かに難解といえるでしょう。特に、「悪いことは悪い」とう、厳しい倫理的な生き方を主張するクリスチャンたちは、つまり、ピューリタン的で儒教的日本人クリスチャンの多くは、キリストにまで、彼らの信念である「絶対の正しさ」を要求しますので、非常に難解になります。まるで、キリストが不正を行うことを奨励しているように聞こえるからです。

 

でも、キリストがレトリックの達人(?)であったことを思い起こしましょう。この譬えの教えを理解するのが困難なのは、譬えのなかに、さらに一流のレトリックが用いられているからです。あたかも不正を正当化し、それを推奨するような譬えは、キリストを絶対に聖く正しい、神の子、救い主と考えている人たちには、びっくりマーク(!)とはてなマーク(?)が、10ほどもならぶほど強烈な印象となって残ります。その効果を高めるためのレトリックなのです。

 

譬えを理解するための基本は、大まかな筋、あるいは基本に目を留め、細かな物事の解釈に拘泥しないことです。ですから、ここで借りていた油がなにを意味するか、小麦とは何のことかと詮索するのは、間違っていることはもうお分かりだと思います。ですから、ここでキリストが強調なさったことは、「抜け目がない」ほど賢く真剣に取り組んで、失敗を挽回することの大切さであることに、気付くべきなのです。不正な手段を使うことを推奨なさったのではなく、賢さと真剣さをお教えになったのです。

 

そうすると、「永遠の住まいに迎えられる」という意味も、普通、クリスチャンたちが考える永遠のいのちを得るとか、天に備えられている住まいに入ることができる」という、神学的な理解を持ち込むべきではなく、この場に限って用いられた、意味を強調するためのレトリックであることが見えてきます。

 

キリストに従おうとする者は、ともすれば素直さ、正しさ、清潔さ、潔白さを大切にするあまり、仕事をする上での賢さ、熱心さ、真剣さに欠けるところがあります。そこで、神の仕事に用いられる人になるためには、賢さ、真剣さを身に付けなければならないことをお教えになったのです。ほかのところでは「鳩のように素直で、蛇のように賢くなりなさい」と、教えられているとおりです。

 

ここでも、鳩は素直であるとは限らないとか、蛇は動物の中で賢いほうではないなどと、揚げ足取りをしてはなりません。キリストは、当時の人たちが抱いていた、それぞれの動物に対するイメージを用いになったのであって、生物学的事実に基づいてお話されたのではないからです。

  
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2011年04月27日

おかしな聖書の読み方



2.聖書は百科事典ではありません

 

 「聖書にはどんなことでも書いてある」とか、「どんな問題でも、聖書が触れていないものはない」などと言う人がいます。聖書と百科事典を取り違えているようです。聖書には書いてあることは書いてあるし、書いていないことは書いていないのです。当たり前の話なのですが。

 


 料理の本を開いて、音楽の勉強をしようという人はいません。ダイエットの本を開いて高層建築について調べるのだという人もいません。当たり前の話なのです。でも、聖書を読んで、地質学や生物学や科学を論じようとする人たちは、たくさんいます。聖書はそのような目的のために書かれた本ではないのですが。

 


 私たちの信じるところでは、聖書は間違いのない神の言葉です。神の霊感を受けて書かれていて、私たちの信仰と生活のための誤りない指針です。でも、聖書はどんな目的のために書かれたのかを、理解しなければなりません。水泳を教えるために書かれたのか、野球を教えるために書かれたのか、地球の生い立ちと成り立ちを教えるために書かれたのか、天地創造の経過を順序正しく教えるために書かれたのかということです。

 


 聖書の個々の書物を書いた人が、書くときに持っていたそれぞれの目的を知ることは重要です。でもその背後で、聖書の著者に霊感を与えて書かせてくださった神のもくろみ、書かれたものを聖書の中に加えてくださった神の意図を理解することが、もっと大切です。聖書全体に流れる、神の意図、目的こそ最も重要なのです。

 


 自然科学に興味のある人ならば、天地創造の物語が、果たして現代科学の教えるところと一致しているか、興味深い詮索の的になり得ます。だから、神が天地創造の物語を聖書に加えてくださった目的を理解しないと、とんでもない迷路に陥ってしまうわけです。恐竜はいたのかどうか、いたのなら、天地創造の物語のどの部分に挿入されるべきか、さらにはカーボン年代測定がどうの進化論がどうのと、ややこしい迷路に陥ってしまうのです。

 


 はっきりしておかなければならないのは、聖書は、そこから自分が学びたいことを学ぶ本ではありません。著者である神が、人間に伝えたいと願って書かせ、人間に贈られた書物です。神が聖書を書かせられた意図、神の目的をしっかりと把握しておかなければなりません。読む人が何を勉強したいかではなく、書いた方が何を伝えたいかが問題なのです。

 


 残念ながら、歴史的に見ても、この点で教会は大きな間違いを犯してきました。聖書の学びが始まったころ、教会ではギリシャ的な物事の考え方が主流になっていました。ギリシャ的なものの考え方は、自分が知りたいことを知る努力をして、それを組織的にまとめ上げることです。たとえば、組織神学という学問がありますが、これは、教会ではとても大切な学問で、たしかに非常に役立つものです。ところがその反面、これはギリシャ的な感覚で、自分が何を知りたいかということを聖書から調べて、まとめ上げた学問であって、必ずしも、神が聖書を通して伝えたいと願っておられることを、忠実に学ぶものではないのです。自分たちが知りたい事柄について、聖書を調べたものであるために、神が本当に伝えたいと願っておられることが触れられていなかったり、軽く扱われていたりするわけです。

 


 聖書を読むとき、私たちは、自分が何を知りたいかではなく、聖書の著者である神が、何を伝えようとしておられるかを大切にしたいものです。神様が聖書を与えてくださった目的は、人間に対する神の救いのご計画と、その計画の遂行、そしてその救いの適用を示すことでした。その中で、真の神とはどのようなお方かを教え、人間の本来の姿と生き方を示し、神と人との関係はどうあるべきかを語っています。それから、人間がなぜ救いを必要としているかを教え、神の救いを得るためにはどのようにしたら良いのかも示されています。その上に、人間の輝く未来が教えられて、大きな希望を持てるようにしてくださっています。

 


 もう少し整えて言うと、聖書は、人間が礼拝すべき正しい神とはどのような方かを示し、その神が準備してくださった救いについて教え、その救いを得るためにはどうすべきかを伝え、その救いを得た人間の生き方を説き、その救いがもたらす輝きに満ちた未来の約束を啓示するために、与えられたのです。聖書はそれらのことを教えるという、太い主旨に沿って書かれていて、それ以外のことは、たまたまそれに触れられたということであったり、主旨を伝え伝えるために用いられた話や出来事だったりしたに過ぎません。

 


 たとえば、ルツ記を読んでもエステル記を読んでみても、神とはどのような方であるかとか、人間が神に対してどのような態度をとるべきであるかとか、神の救いの計画とはどのようなものであるか、などということについてはまったく触れられていません。ところが、聖書の太い主旨、遠大なテーマというものを考察しながら読むと、ルツ記にもエステル記にも、神の救いを準備していく歴史過程に起こった、重要な出来事として大きな価値を持つものとなるのです。ですから、ルツ記の著者自身も、もエステル記の著者本人も、まったく気づかないまま、聖書の真の著者である聖霊のテーマ、神の意図に沿って書かされていたのだということがわかります。

 


 同じことが、たとえば創世記の天地創造の記事に付いても言えるのです。創世記の著者が、天地創造の物語を書いたとき、神からの直接の啓示によって記したのか、誰かほかの人や、人々を通して与えられた知識を記録したのかは、不明です。ただ、創世記の著者は、天地創造の物語がそこに記されているとおりであったと、信じていたに違いありません。天地はそこに書かれているような順番で、6日間で造られたのだと信じていたことでしょう。神様は7日目に本当にお休みになったと信じていたとしても、不思議ではありません。それでも良かったのです。

 


  神様にとって、そのようなことはどうでも良いことだったからです。神様はあの天地創造の物語を通して、天地創造のいきさつや順序を教えようとなさったのではなく、ご自分が、当時の世界の人々が信じ拝んでいた偶像の神々、多神論の神々とはまったく異なる、天地万物をお造りになった唯一絶対の方であるということを、明らかにお示しになりたかったのです。それさえ明確になれば、それでよかったのです。

 

 
  天地創造の物語には、ほかに二つの重要な点があると考えられます。それは、まず、人間があらゆる動物とは異なり、神の姿に似せて造られたという事実を教え、神と人間の特別な関係を示唆したこと。次に、天地万物の創造を6日間という中に押し込めて、7日目には神は休んだという話を作り上げ、それを理由にして、人間も6日間仕事をして7日目には休まなければならないという「理屈」を造ったことです。

 

 
  神が聖書を与えてくださった目的、理由というものを理解しないで聖書を読むと、この天地創造の物語の一字一句が間違いのない神の言葉だと主張して、6日間で天地の創造が行われた、しかもあのような順番で行われたと言い張ることになります。創世記の天地創造の物語は、必ずしも科学的事実ではありません。しかしそれは一字一句真実を告げるものなのです。真実と事実の区別が付かない人は、それを嘘というかもしれません。

 


  この天地創造の物語は、一字一句誤りのない神の言葉です。しかし、それは現代の科学知識と一致するという意味ではないのです。そのようなことは神の「もくろみ」の中には入っていないのです。神がもくろまれたことは、長い間エジプトで奴隷生活を強いられ、自分の生活リズムというものを管理することができなかったイスラエル人たちが、きちっとした生活をするために、6日働いて7日目は休むという、人間の肉体と精神の健康のために、もっともふさわしいリズムを教えるためだったのです。

 

 
  ですから、人々が単純な団体生活から複雑な社会生活へ移行してきたとき、安息日を守ることに困難が生じました。そのときイエス様は、神に休むことなどありえないとおっしゃり、ご自分もまた安息日にも働き続けるのだと主張して、安息日の掟をわざわざ意図的に幾度もお破りになっています。(ヨハネ
517)人が安息日のためにあるのではなく、安息日が人のためにあるのであると、安息日の正しい解釈をお与えになるためです。モーセが安息日の律法を与えた後、14世紀ほども経ってからのことです。人間のより良い生活のために与えられた法律は、人間の生活環境が変われば変わるのが当然なのです。

 

 つまり、神が6日間働いて7日目にはお休みになったという創世記の記事は、一字一句神の誤りのない言葉でありながら、科学的事実ではないとおっしゃっているのです。あの聖書の箇所は、字義通りに解釈すべき性質のものではなく、神の目的に沿った、つまり本当の神は、あらゆる偶像、多神教の神々とは異なった万物の創造者であり、人間が礼拝するにふさわしい唯一の神であるという、事実を伝えるための表現方法として、あるいは、人間が、規律を持った生活をしなければならないという事実を、厳しく教えるための表現手段として、読み取らなければならないものなのです。現代人の多くが、多くのまじめなクリスチャンたちも含めて、一字一句誤りがないという言葉の意味を取り違えて、聖書を科学の教科書でもあるかのように、科学的事実と付き合わせるから迷路に迷い込んでしまうのです。

 


 端的に言うと、創世記に書かれているように、太陽は地球が造られた後に造られたと信じていても、神の救いを受けることができます。そのようには信じていなくても、同じように救われます。神がすべての動植物を、いま見ているとおりのものとして、直接お造りになったと信じていても救われますし、単細胞動物から人間まで進化を重ねさせたと信じていても救われます。あるいは、神の創造の過程に何らかの進化があったと信じている人も、心配はありません。救われるのです。神はそのようなことを問題にしておられないのです。

 


 繰り返しますが、聖書を通して神が人間にお伝えになりたかったことは、神は万物の創造者であり、人間が礼拝するにふさわしい唯一の方であること。人間は神に似せて造られたこと。人間は罪を犯したけれど、神の愛によって救いの道が準備されたこと。誰でも、神の愛に信頼しておすがりすれば、神の救いを得ることができること。その救いは永遠の輝く希望をもたらすことなどです。聖書は、神が救いを明らかに教えようとして、お与え下さった本です。

 


  聖書は自然科学の本ではありません。百科事典でもありません。聖書の大きなテーマを知った上で、聖書を読むにふさわしい読み方をしたいものです。


                                                                       つづく






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2011年04月26日

おかしな聖書の読み方


 

1. 一年に一度の聖書通読


 

 おかしな聖書の読み方というべきか、間違った聖書の読み方といったほうが良いのか、とにかく、せっかく聖書を読みながら、正しくない読み方をしているために、ずいぶん損をしている人たちがいます。そのおかしな読み方のなかでも、教会によって指導され、牧師によって推奨されているのが、「一年に一度の聖書通読」です。


 

 聖書という本はとても分厚く、これを通読するのは並大抵ではありません。ところが、どこの教会にも、毎年、聖書を一回通読するという「立派なクリスチャン」が一人くらいいらっしゃるようです。「すごいなぁ!」と感動すると同時に、私などは、つい、「よっぽど暇なんだな」などと思ってしまうのです。


 

ほんとうのところ多くの教会では、この「年間聖書通読」が、賞賛を受けるほど素晴らしいこととされています。牧師たちは、わざわざ「年間聖書通読」のための日課表などを準備して、そっと信徒たちのお尻をたたいています。毎年、「今年聖書を通読した人」を表彰する教会もたくさんあります。なにか、プロテスタント教会の聖書中心主義が、ちょっとだけ間違って適用されたのではないかと思うのは、ひねくれ牧師の私だけでしょうか。 

 


 でも一年に一度聖書を通読することに、それほど意義があるのでしょうか?
聖書は、その教えを理解し、その上に立って生きることが大切なのであって、読むこと自体に意義があるのではないはずです。もちろん、読まなくては理解も何も始まらないのはわかります。「積読」(つんどく)よりは、「年間通読」のほうがずっといいのは当然です。でも、毎年一回通読するというのは、忍耐力を養い、あきらめない強い意志を持つための訓練という以外に、あまり益はないように思います。「プロテスタント式苦行」と言ったら、しかられるでしょうか。


 

 聖書を読むことは、それを理解することの前提として大切です。理解するということはそれに立って生きるという前提で、大切です。でも、何が何でも読み通すという考えはいただけません。もちろん、最初は理解できなくても、読み進むうちにだんだん理解できるようになるというのも事実ですが、それでも、理解できるようになることが前提なのです。「年間聖書通読」の強調には、聖書を理解するというもっと大切なこと、聖書の教えに立つというさらに重要なことが、おざなりにされているように思えてならないのです。

 

「年間聖書通読」には、わかってもわからなくても、とにかく先を急いで読むといった感覚が強く出ています。もっとゆっくり、落ち着いて、神様のお言葉を拝聴するという気持ちをもって、時間をかけて読むことが大切です。聖書を書かせてくださった神様が、今、共にいらっしゃる事実に気づき、厳粛な思いで読むことが大切です。聖書を書いた人に霊感を与え、聖書を単なる書物以上の「神の言葉」としてくださった聖霊が、読む私たちに理解力を与えようと、共にいてくださることを感じ、その聖霊の助けを祈り求めながら読むことが肝心です。

 


 聖書を読む上でもっとも大切なのは、神のみ前で、神のみ言葉を読むという感覚です。畏れを持って拝読することです。聖書を読むということは、絶対に大切なことです。クリスチャンにとっては生死にかかわることです。でも、「年間聖書通読」はむしろ悪い習慣です。それはこのもっとも大切なことを忘れさせる方法だからです。

 


「年間聖書通読」を避けるために、「聖書音読」を試してみませんか?
もちろん、ひとの迷惑にならないようにですが。ゆっくり落ち着いて、しっかりと声に出して読むのです。「年間聖書通読」、つまり、たいていの場合は黙読で読み飛ばしてしまうところを、時間をかけて、確認しながら読むのです。

 


 それから、ひとつの本、つまり、創世記だったら創世記、使徒の働きだったら使徒の働き、あるいはピリピ人への手紙ならピリピ人への手紙を音読し終わったら、次の本に進まないで、もう一度同じ本を読み返してみませんか?
こんどは、「この本は何のために、どんな理由で、どういう目的で書かれているのだろ?」などと考えながら読んでみましょう。今度は音読しなくてもよいでしょう。

 


 そうして読み終わったら、もう一度はじめにもどって、その本を読み返すのです。こんどは、この本を書いた人物は、どのようにして書いた目的を遂行しようとしたか、どのように理論を発展させたかをたどり、それはどれほど成功したかなどに的を絞って読んでみましょう。そして、その過程で、聖霊が理解を与えてくださいますようにと、きちっと祈り、黙想するのです。そうすると、聖書がとてもよくわかるようになります。よくわかると楽しくなります。忍耐を養うための「年間聖書通読」ではなく、喜びを持って拝読することになります。

 


 その上で、神様がこの本を聖書の一部として加えてくださり、21世紀に生きている私たちにまで、読ませてくださっている目的は何かと、考えを巡らせるのです。読んで理解したことを、数千年前の書物の理解に終わらせず、今の世界に生きている自分の、クリスチャン生活に生かして行くのです。聖書を書かせてくださった聖霊が、いま、聖書の教えに立って生きようとする自分を、助けてくださるように祈り、それを期待して生きるのです。


                                つづく







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2011年02月22日

聖書の読み方(3)


 

聖書を読むとき、単に面白い物語だとか、興味深い歴史だとか、忠実に伝えられてきた古代文書だとかいうような読み方ではなく、「今読んでいる自分に語りかけているもの」として読むことが大切です。数千年前に聖書が書かれたとき、それらを直接書いた人たちには思いもよらなかったことだとしても、彼らの心を動かして書かせてくださった神は、21世紀になってから読む人たちをも、始めから念頭に置いておられたのです。つまり、聖書は、21世紀に生きる人々に向けても書かれているのです。


 

ただし聖書は、あくまでもそれが書かれた時代に生きていた人たち、その当時の人々を第一の対象として書かれていることを忘れてはなりません。その当時の言葉、文化、習慣、世界観、政治意識、社会感覚、科学的知識を背景に、彼らが直面する問題について、彼らにわかり易く書かれているのです。ですから現代の私たちが、そこに自分たちの民主主義の理念を持ち込んだり、なにごとにつけても金銭感覚で動く現代資本主義の習慣を持ち込んだり、グローバリズムの世界観や政治意識を持ち込んだり、波風が起きないように上手に世渡りをする社会常識や、素朴な情緒や文学的な表現の中に科学知識を持ち込んだりしては、正しい読み方ができなくなってしまうのです。


 

たとえば、ここに、現代日本語の意味をそのまま持ち込んでしまった悪い例があります。日本語聖書のほとんどは、つい最近まで「ライ病」という訳語を用いていました。翻訳に携わった人たちは、この言葉に付随する社会的要因をあまり深く考えずに、もっとも原語の意味に近いと思われた「ライ病」を訳語として選択しただけの事ですが、それを読んだ日本人は、日本の歴史と文化の中のライ病のイメージと、差別意識などを聖書の中に持ち込んで、捻じ曲がった理解をすることになってしまいました。(最近の聖書では、原語をそのまま音訳して、「ツァラアト」となっていますが、説明がなければわかりません)


 

聖書が「ライ病」と翻訳した病気は、現代医学では「ライ病」ではなく、カビによって引き起こされる、伝染性の強い皮膚病であったようで、着物や壁などにも発生したことが記されています。そしてその病気のカテゴリーの中に、症状に似たところもある、ライ病も含まれていたと考えられるわけです。


 

このように、聖書が書かれた当時の事情を考慮して読むことが大切ですが、聖書が書かれた当時の事情など、現代のわたしたちにはあまりよく理解できないために、本格的にそれをしようとすると、かなり困難です。そこで、せめて、自分たちの感覚をそのまま持ち込んで直ちに判断してしまわないように気をつけ、ちょっと余裕を持って考え、最終判断を控えて置く知恵が大切になるわけです。

 


 聖書に記されている教えや戒め、あるいは命令や律法などは、人間の生き方を示したものです。ですから、いわば人間という神の製品のマニュアルです。ところがこのマニュアルは、新車を買ったときについてくるマニュアルとはいささか異なっているのです。まだ降ろしたての新車で、故障したことなどない前提で書かれている、「ハウツウ」の指導書ではないからです。かえって、散々悪路で使い込まれ、無理を強いられ、あっちに「ガタ」がきて、こっちに傷が付き、パイプは油漏れを起こし、オリジナルのボルトはとうの昔に失せてまって、臨時に取り付けられた粗悪なボルトが錆びて残っている。ロックピンの代わりに針金が曲げて差し込まれ、右と左ではサイズの違うタイヤが嵌っているというありさまの、フィリピン山岳地を走っている車のための、指導書に近いのです。

 


 無傷の人間に、いかに問題なく、働き遊び食べ人付き合いをし、家庭を作り子どもを育て幸せに生きるべきかを教えているのではないのです。人間の理想的な生き方が教えられているのではなく、こじれにこじれ、よじれによじれた人間関係の中で、痛み、苦しみ、涙を流し、悪戦苦闘している人間に対して、そのような中で、いかにしてより良く生きるべきかが示されているのです。自分の弱さと欠点、罪と欲の力に打ち負かされている人間に、希望を棄てず、神の助けを期待して生きることを教えているのです。


 

 聖書の戒めには、たとえば、「神が聖であるように、あなた方も聖でなければならない」というように、人間の生きるべき理想的な姿を教えているものも、あるにはあるのですが、大部分は、不完全な社会で、弱さを担い、罪を負い、泥まみれになりながらもいじらしく、一所懸命に生きようとする人間に対して、神がそっと寄り添って与えてくださった、道しるべなのです。


 

 時代背景や社会状況、あるいは当時の人間の理解力などに配慮をせずに旧約聖書を読むと、ただ厳しさや非人道的と思えるようなことばかりに目が付くのですが、注意深く読むと神の律法の中に溢れている、神の思いやり、神の情けに気付くのです。

 


 よく話題にされることですが、旧約聖書は「目には目を歯には歯を」という原則で貫かれています。この原則は、聖書よりもかなり古いハムラビ法典にも記されているものです。この原則がどのような経緯を通って、神の原則的立法として旧約聖書に記載されたのかは不明ですが、神は非常に古い昔から様々な方法で、人間にこの原則をお教えになっていたことがわかります。


 

 現代世界に生きる多くの人たちは、この「目には目を歯には歯を」という律法を、「復讐を正当化するより低い倫理」であるかのように考えていますが、まったくの間違いです。むしろ、際限のない復讐、怒りの応酬、憎しみの輪廻を断ち切るための教えなのです。人間はともすれば、「指には腕を腕には命を」と憎悪の輪を幾重にも被せて、復讐に走ってしまうものです。「目には目を」という原則は、それを止めたものであり、また悪は罰せられなければならないという、極めて基本的な原則を教えたものなのです。


 

 もちろんその原則の具体的適用に当たっても、旧約聖書には様々な指導が記され、複雑な人間社会に対する配慮を示しています。本当のところ、旧約聖書に記されている社会的弱者に対する思いやりの法律は、現代の日本の法律にも勝るとも劣らないものです。

 

 

    

 

 
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2011年02月21日

聖書を読む・小さき者へ


 (インフルエンザ・ウイルスに好かれてしまい、10日ほど仕事が出来ませんでした!!!)



小さき者へ
  


 聖書を読むと、旧約聖書に現れている神の姿と新約聖書で教えられている神の姿に、大きな違いがあるように感じることがあります。旧約聖書の神は、イスラエルという民族、あるいは国家全体をお取り扱いになり、厳しさや峻烈さが目に付きます。ところが新約聖書に教え
られている神は、一人ひとりの人間に心を寄せ、小さな者、弱い者に目をとめてくださる、優しさに溢れたお方です。 でもそのような感覚は、聖書を深く読まないままで抱いてしまう誤りです。今回はもう少し公平な目で聖書を読んで、神様の本当のみ姿を見、神様のお心を私たちの心としたいと思います。  


T. 旧約聖書の神  


 
 旧約聖書に姿を現してくださった神は、民族、国家、人類、歴史を取り扱われる主、人類を創造し、その救いを計画し、実行しておられるお方です。人類全体の歴史を取り扱い、その中でイスラエルという民族を選び、救いのための器としてくださいました。旧約聖書で目立つのは、イスラエル国家を取り扱い、動かしておられる神、また、イスラエルのために、エジプト、アッシリア、バビロニア、ペルシヤ、ギリシヤ、ローマなどという大帝国を次々と興し、牛耳り、用い、滅ぼして行かれる巨大な神です。大きなものに目を止め、大きなものを動かすために、大きな人間を用いておられる神です。その神の圧倒的な巨大さと力の下に、私たち、どこにでも転がっているような小さな人間は、取るに足らない虫けらほどにもならないと思えてしまいます。 
 

 ところが、少しばかり注意深く旧約聖書を読むと、実はこの大きな神、人類や民族や国家や歴史を取り扱っておられる神が、小さな人間ひとりひとりに心を用いていてくださる方であること、特に、その人間たちにさえ無視されがちな社会的弱者に、特別な関心を払い、厳しい社会のなかでも彼らが生きることができるように、配慮してくださっていることがわかるのです。ちなみに、以下の聖書箇所を読んで見てください。そこに現れている、弱い者に対する神様のご配慮は、現代日本社会、現代日本の法律に比べても、まったく遜色がないばかりか、その基本的精神においては遥かに優れています。出エジプト記222127231112、レビ記1913162527、申命記241722
 
 

 何年も前から厚生省は、条件の厳しさからあまりなり手のない看護士や介護士を増やしたいと考え、外国人を連れてきて訓練をして免状を与えようとしてきました。まず、フィリピンに目を付け、フィリピン人看護士を連れてこようと計画したのですが、数百人の看護士を日本で働けるようにする見返りに、日本の産業廃棄物をフィリピンに投棄するという交渉をしたのです。これに腹を立てたフィリピン議会は、日本の提案を蹴ってしまいました。
 
 

 それで厚生省はインドネシア人を連れてきて、実施訓練を施し、日本の介護免状を取らせるプログラムを始めました。昨日のニュースによると、430人ほどのインドネシア人が3年間そのプログラムで学び、合格者はたったの3人だということでした。このプログラムは始めから無理だと分かっていたのに、今まで放置したままだからです。何しろ、日本に連れてこられたインドネシア人は、3年間、日本の病院や施設で働きながら勉強し、日本人が受けると同じ試験を、日本語で受けなければならないのです。3年後にこの試験に受からなければ、インドネア人は帰国しなければならないという、無慈悲なプログラムです。インドネシア人は、介護の働きをしながら、まさに猛烈に勉強をしなければなりません。400人以上の中から合格した3人は、非常に優秀だと言わなければなりません。厚生省の取り扱いに見られる日本人や日本社会は、旧約聖書に記された社会的弱者にたいする律法や精神に比べて、ずっと見劣りのするものです。
 



 U. 新約聖書の神   


 イエス様や弟子たちの教えを通して見えてくる新約聖書の神は、実に優しい神です。弱い者、小さな者に寄り添ってくださる神です。社会の片隅で見捨てられたように生きている人々に、哀れみの目を注ぎ、手を差し伸べてくださる神です。イエス様ご自身がその様な神を如実に示す方として、市井の中に生きてくださいました。旧約の大きな恐ろしい神は、実は、新約の愛と憐れみに満ちた神なのです。旧約の時代には民族や国家や歴史という話の中で、隠れて見えなかった神の姿が、イエス様の日常の姿の中に明らかに見えるようになったのです。
  
 

 間違ってはなりません。新約聖書の神も旧約聖書の神も同じ神、絶対に変わることのない神なのです。「旧約の神は厳しい神、新約の神は優しい神」という理解や感覚は間違っているのです。新約聖書の神もまた、人類全体を見、人類全体を取り扱っておられる、非常に厳しく峻厳な神なのですが、それが前面に出ていないだけです。しかし、少しばかり注意をすると、使徒の働きに記されている福音の伝播と拡大、異邦人の救いの神学の発展などは、まさに神が全人類の救いのためにお働きになっておられる、明らかな証拠です。福音が、ローマ帝国の力を利用し、グレコローマンの文化を用いて世界に広められ、神の人類の救いの計画は着々と進められたのです。
 
 

 その間、キリスト誕生と救いの基本の設定のために用いられたイスラエルは、国家としては完全に滅ぼされ、民族としても離散してしまいました。そしてその背後に、私たちの神がおられたのです。イスラエル民族は、キリストが予めお話になった通りに、紀元70年にローマ帝国との戦いに敗れ、国家としては完全に滅亡してしまいました。イスラエル民族はその後、通称ユダヤ人として世界に広まり、民族としてのアイデンティフィケーションを持ち続けましたが、驚くべきことに、19世紀近くも経過した1947年に至って、国連によって認められて国家の再興を果たすことになりました。その間、ナチスによる迫害のために、600万人のユダヤ人が殺害されたことは、多くの人が知っている通りです。この奇跡としか表現できない出来事は、旧新約聖書を通して語られている預言の成就であり、明らかな神のお取り扱いなのです。
  


V. 大きな神のみ手の中の小さな私たち   


 私たちは小さな者に過ぎません。しかし大きな神は、私たち小さな者をないがしろになさいません。返って、小さな者だからこそ、目を止めてくださるのです。
 


 神はこれからも、非常に大きなことを次々と行ってくださいます。そして最後は、悪魔を滅ぼし、悪魔の支配下にあったこの今の世界を造り変え、まったく新しい世界、「新天新地」にしてくださいます。それは人間の想像力の限界を遥かに超えた、壮大なお働きです。でも、それほど大きな働きの中でも、神は、小さな私たち一人ひとりをお忘れになることはなく、み手の隙間からこぼし、落としてしまうこともないのです。
 
 そのような神を、私たちは自分たちがお仕えする神としたのです。ですから私たちは、大きな揺るがない安心の中に生きることができるのです。そしてまた私たちは、小さな者を愛し、彼らをお救いになろうとする神に仕えているのです。私たちも神の小さな者に対する思いやりの気持ちを持ち続け、一人でも多くの小さな者たちを、永遠のみ国に連れて行きたいものです。



 
 神は、今のこの世を、直ちに完全な世界にはしてくださいません。神のみ心の中の、「時」があるのです。また、いま傷み苦しんでいる小さな者たちを直ちに救おうと、奇跡のみ手を伸べてくださることも滅多にありません。大きな神の救いの計画があるのです。しかしその中で、神に仕える小さな私たちが互いに愛し合い、助け合い、さらに傷んでいる者、弱っている者に、手を差し伸べることを望んでおられるのです。神は、愛する子たちが互いに愛し合って生きる姿を、ご覧になりたいのです。 







 
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2011年01月31日

聖書の読み方 (2) 


 

「聖書を読むときは、自分に宛てられた神様の手紙として読むのです」と教えられることがあります。それはデボーショナル・リ−ディング(黙想的な読み方)とか、スピリチュアル・リーディング(霊的な読み方)などと呼ばれる読み方で、それなりに役に立つ読み方ですが、一番良い読み方ではありません。


 

そのような読み方をするだけだったり、そのような読み方を第一にしたりすると、自分の生活に役に立つ部分や、自分たちのクリスチャン信仰にとって、益になる部分だけを探して読むことになり、聖書が本当に言おうとしていることに、気付かないでしまうことが多くなります。でももっと大きな弱点は、時代背景や書かれた事情、あるいは想定された読者のことを無視してしまうことによって、聖書を正しく理解しないままに終わってしまうことです。


 

 たとえば、「女は教会では黙っていなさい」と、命じられているところがあります。それをそのまま受け取ってしまうと、現代の日本女性はみな反発してしまうでしょう、実際のところ、多くの伝統的教会は女性の発言を認めません。教会の通常の集会でも、会議でも、女性の発言は禁じられ、当然、女性の牧師や伝道者の存在は許されません。聖書を間違って読んでしまった結果です。


 

 でも、そのように書かれている聖書の部分が、いつの時代、どのような文化背景で、女性の社会的地位がどのようなものであった中で、どういう目的で書かれたのかが分かると、ただ一律的に女性の発言を認めないなどということは、あり得なくなるのです。


 

 女性は長い髪にしなければならないとか、髪を編んではならないだとかいう戒めも、あくまでも、当時の文化や習慣を背景にした教えであって、いつの時代でも、どのような文化習慣の中でも共通する、普遍的な教えではありません。これらの教えの土台となっている原則は、女性は女性らしい慎み深い生活をするということのようですが、その原則の適用は、文化と習慣によってまったく異なるのです。


 

聖書の教えは、聖書が書かれた時代と状況に合わせて、原則の適用として書かれている場合がほとんどなのです。しかもその適応は、しばしば、人間の弱さと罪深さに対する神様の妥協として書かれています。つまり、神様の本心ではない教えや戒めが書かれているのです。


 

 旧約聖書では離婚も一夫多妻も許され、そのための規則さえ定められていました。でも、それは神の本心ではなかったのです。イエス様は、人々が弱いから神様がそれをお許しになったのであって、本来はそうではないのだとお教えになりました。つまり、離婚の許容は、神様の妥協なのです。父親の本心は、息子が友人とサッカーをやって思いっきり走り回る姿を見たいのですが、その息子はインフルエンザの高熱から冷めたばかりです。そこで、「コラー! 無理するなぁ! 少し休んでおけぇ!」となるのです。弱い息子に対する親父の妥協です。


 

 同じようなことが、女性の立場に関する教えにもあると考えられます。神様は女性と男性が神のみ前に平等である事を教えていますが、実際の生活の上では、とても平等とはいえないほど、女性に対して厳しい取り決めになっています。女性の地位や立場が低く見られ、女性は低いという前提で成り立っている社会の中で、神はあえて真っ向から女性の立場のために、戦ってはおられないのです。かえって、女性が男性と平等であるという原則は示しながらも、そのような社会の中で、女性がより良く受け入れられるように、気を配ってくださっているのです。

 


 奴隷制度についても同様です。人権をまったく無視した奴隷制度に、神が賛成するはずがないのですが、社会の成り立ちの中に、奴隷制度がしっかりと組み込まれている実情で、ただ奴隷制に反対を唱えるだけでは、物事が解決しないことをご存知なのです。現在の資本主義の自由経済が、酷い不平等を生み出す悪いシステムである事を神はご存知ですが、それに真っ向から反対しても物事は解決しないのと同じです。そういうわけで、神は奴隷制度の中でも、より良く生きる道を教えておられるのです。


 

 聖書は、ただ表面の教えや戒律を理解して自分たちに当てはめるのではなく、その戒律が与えられた背景、理由、人々、実情などを知った上で、そこにある原則、あるいはできるだけ原則に近い教えを見いだして、それを自分たちに適用するのです。


 

ところが、これは原則だと思えるようなものですら、実は時と場所、文化と習慣、あるいは特殊事情に対する適応としての、戒めや教えであることが多いのです。たとえば、旧約聖書の中でもっとも大切な、「あなたの隣人を愛しなさい」という戒めは、あたかも普遍的な原則、すなわち、時と場所と状況を超えて、すべての人間に適応されるべき教えであると考えられています。実際多くの牧師たちはそのように教えているようですが、そうではないのです。なぜなら、この戒めが記されているレビ記1918節の前後を読むと明らかなように、この戒めは、基本的にイスラエルという民族の中だけを想定して、与えられているからです。牧師やクリスチャンたちがよく言うように、隣人とは自分以外のすべての人であるという理解は、少なくても、レビ記の戒めからは出てこないのです。



  「
隣人を愛せ」というレビ記の戒めが、イスラエル民族の間だけに限って与えられたものだという事実が、「敵を憎め」という言い伝えを産むことになりました。「敵を憎め」という教えはあくまでも人々の言い伝えであって、聖書の教えではありません。ところが旧約聖書全体を見ると、イスラエル民族に敵対する者を憎むのは、わずかの例外を除くと、当然のことのように取り扱われています。詩篇に残されているイスラエル人たちの歌などには、敵に対する憎しみが隠されることなく表現されています。
 

これは、やがてそこから救い主が生まれる、民族としてのイスラエルを、天地創造の神を礼拝する民として、特別に保たなければならないという事情の中で、神がお許しになったことと考えなければなりません。ですから、時と場所という実情の中で、神が人間に妥協しておられる戒めなのです。


 

それに対してキリストは、より高い倫理、より高い戒律をお与えになったのです。それが、「敵を愛する」という教えです。キリストも、隣人を愛するという戒めが、限定つきの戒めであったことは、当然理解しておられました。その限定が必要であったことを、認めておられるのです。しかしキリストは、新たな時代、新たな神の時代区分に入るときに当たって、その限定を取り除くより高い戒律を与え、心の革命をお求めになったのです。多くの牧師やクリスチャンたちは、このキリストの新しい倫理をそのまま旧約聖書に持ち込み、「隣人を愛することは普遍的教えである」と考えてしまうわけです。

 


 こうして考えると、聖書を正しく読むのは大変な作業です。これではとても聖書を読む気になれないと言われそうです。でも、ぜひ読んでください。読まないことが一番よくないことです。そして、無理に理解しようとか、解釈しようとか考えないことです。まず常識的に、素直に読むことです。


 
「古い古い本」であることを忘れずに読んでください。しかし、決して古びてしまうことがない、常に「新しい本」であると考えて読んでください。様々な教えや戒めや出来事などには、古い時代の特殊性という制限がありますが、それらの背後には必ず、現代のわたしたちにも大切な普遍的な原則がある事を理解してください。その普遍的な原則こそ、私たちが聖書から読み取るべきものです。

                            つづく





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2011年01月25日

聖書の読み方 (1)

 

 

 聖書はとても素晴らしい本です。でも、読み方を間違うと、とんでもなく間違った理解をしてしまいます。聖書の素晴らしさをできるだけ味わうために、聖書の読み方の基本について、説明いたします。聖書の読み方というのは、実は、それだけで大変複雑で難しい学問なのですが、できるだけやさしくお話いたしましょう。

 


T. 誰に宛てて書かれたか

 


 どんな書物でも、読者が想定されています。日記でも、いつか自分が読み返すことを前提としています。他の誰にも読ませない自分だけのものならば、心の秘密をそのまま表現することもできます。でも日記の形を取っていながら、いつか誰かに読んでもらいたいなどという淡い下心を持つと、いくらかでも自分を飾りたくなったりします。

 


 小説でさえ女性読者か、男性読者か、純文学志向の読者か大衆娯楽小説愛好者向けのものかで、ずいぶん違います。幼稚園児向けの絵本なら、それなりに書かれていますし、同じような内容、同じような主題、同じような物語でも、対象によって異なるのです。数学の問題集でも、読む相手が中学生か高校生かでまったく違います。ましてや、料理の本に音楽のことは書かれていません。

 


 聖書を読むときに大切なのは、この書物は、誰に向けて書かれたものかをまず理解して、それを前提にして読むことです。多くのクリスチャンたちは、「聖書はあなたに与えられた神様の手紙だ」と教えられて、あたかも、初めから自分という人間に宛てて書かれているかのような読み方をしていますが、それは正しい読み方ではありません。大きな意味で、あるいは深い意味で、聖書を「自分に与えられた書物」として読むことは大切ですが、そこに一足飛びに行ってしまうと、大きな間違いに陥ってしまいます。

 


 現代人が聖書を読むときは、常識をもって、これは
21世紀の世界に生きている自分に宛てて書かれた書物ではなく、数千年も昔の人々に対して書かれたものであることを、しっかり確認して読むことです。その上で、数千年も前の人々に向かって書かれていながら、現代に生きる自分にも適用できる教えがたくさんあり、その教えを見つけ出して生かすことこそ、大切であると知るべきです。神は数千年前にその当時の人々のために聖書を与えてくださったのです。それにもかかわらず、ただ数年、あるいは数十年の価値しかもっていない書物ではなく、数千年も後の私たちが読んでも、その中から大切な原則を見つけ出すことができる書物として、そのような意図をも含めて書かせてくださったということなのです。

 


 聖書がそれほど古いものである事をよく理解した上で読むと、かぐや姫の物語とH2型のロケットの話を、混同させるのと同じ様なことはしないはずなのですが、実際には、聖書を読んでいる人たちのあいだに、結構そのような間違いがあるのです。最初に聖書が宛てられた人たち、まず、第一の読者と想定されたのは、その聖書が書かれた当時の人々であって、現代的な科学知識や高度な技術を持った、「現代の私たち」という人間ではないことを、肝に銘じておくのが大切です。

 

 聖書のそれぞれの書物は、それぞれの時代と文化と状況の中に生きる、異なった人々へ向けてかかれたものです。そこに書かれている、勧めも、教えも、命令もすべて、それぞれの特殊事情の中で与えられたものであり、それを何の考慮もなしに、いまの時代の日本に生きている自分や、自分と共に生きている人たちに当てはめるのは間違っているわけです。たとえばそれが命令ならば、そこに書かれている命令の背後にある原則、土台となっているより普遍的な理念というようなものを見つけ出して、自分たちに適用するのです。
 


 ちょっと卑近な例を用いましょう。聖書の中でももっとも昔に書かれた部分に、排泄をするときには土に穴を掘って行い、後は土をかけておくようにという命令が書かれています。これは
3千年以上も前の、遊牧に近い生活をしていた人々に与えられた命令ですから、現代の日本で、都会生活をしている人はそのまま自分に適用することはできません。どこか、ものすごく田舎か未開の土地に行ったときには、思い出すのがいいでしょう。すると、そこには時代と場所を越えて共通の理念というか、基本的考え方があることが分かります。

 


 この命令の基本は、他の人の迷惑にならないようすることです。その当時の人々の状況に向けて与えられた命令は、そのままでは現代の私たちの日常生活に何の価値もありません。しかし、その原則的考え方、「他人の迷惑になることをしない」ということは、現在の私たちの日常生活においても原則として通じるものであり、実にたくさんの事柄に適用が可能です。そう理解すると、神は当時の人々の日常の排泄のことを通して、現代に生きる私たちに非常に大切なことを教えていることが分かるのです。それが、古い古い書物である聖書の現代人に対する語りかけなのです。

 


 特に聖書というのは一冊の本ではなく、
66冊の本を一つにとじたものです。そこで、それぞれの本の、想定された読者を知ることが大切になります。66冊のうちの39冊は紀元前、つまり、キリストがお生まれまれになる前に書かれたもので、旧約聖書と呼ばれています。古いほうはキリスト誕生前(BC1400年前後、新しいものでも(BC450年くらいも前に書かれていたと考えられます。キリストがお生まれになってから書かれた部分は新約聖書と呼ばれ、紀元一世紀の中頃から終わり近くまでに書かれた、27の異なった文書をまとめたものです。それらの書物が、それぞれ異なった時代と環境と事情と必要の中に生きていた、異なった人々に与えられたのです。それぞれの背景を知り、最初に想定された読者を知ることは、聖書を読み理解する上でとても重要なのです。


 

とはいえ、現代に生きるふつうの私たちが、聖書の中の異なった書物の、それぞれの背景や事情を知り、最初の読者になった人々を知るのは簡単ではありません。ただ、聖書に書かれていることをすべてそのまま、直接自分に当てはめて「神の言葉」として読むのではなく、まず、第一の読者が想定されていたという前提で、注意深く読むと、独りよがりな誤りに陥ることが少なくなるのです。この記事、この命令、この教えは、これを最初に与えられた人に、どのような意味を持っていたのだろうと、わずかな時間でも、立ち止まって思い巡らせることによって、より正しい理解ができてくるのです。



                             つづく






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2010年09月30日

聖書を読むぞー (43)        ヤコブ〜 



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     17. ヤコブの手紙   




   
この手紙はヤコブと呼ばれる人物が、ユダヤ人クリスチャンに宛てて書いたものです。新約聖書にはヤコブという名の人物が4人記されていますが、この手紙を書いたヤコブは、イエス・キリストの弟のヤコブであったと考えられます。もちろん、キリストは聖霊によって宿ったということで、父ヨセフと血のつながりがあったわけではありませんが、キリストが生まれた後に、マリやとヨセフの間には少なくても4人の弟と複数の妹が生まれています。ヤコブはその弟たちの一人で、キリストが死んで甦ってから、キリストの弟子の一団に加わりました。
 



   ヤコブは非常に優秀な人物だったらしく、たちまち誕生間もない教会の中心的存在となり、弟子たちの多くが伝道のために外回りをしていたころ、エルサレム教会に留まってまとめ役となっていました。 キリスト教がユダヤ教の一分派という殻を打ち破って、世界的な宗教となっていくための大きな契機となったのが、使徒の働きの15章に記録されている会議ですが、(エルサレムで行なわれたためにエルサレム会議と呼ばれています) ヤコブはそこで議長としての役割を果たしています。
 



   この手紙が書かれたとき、ユダヤ人クリスチャンの間には、新しい福音理解に対する行き過ぎた考えが広まっていたと考えられます。それは、人が救われるのは行いによるのではなく信仰によるのであるから、信仰さえ持っていれば正しい行いなどどうでも良いというものでした。それで、以前は厳しい戒律を守って生きていた彼らの日常生活が、たぶん、時計の振り子のように反対に振れて、いろいろ極端な乱れが生じてきたわけです。それに対して、救いをもたらす正しい信仰には、当然、正しい生き方、正しい行為がともなうとさとし、その正しい生き方を具体的に、実際的に教えたのがこのヤコブの手紙です。これは信仰を強調したパウロの手紙と比べると、互いに相反する教えではなく、かえって互いに補い合うものであることに気付きます。正しい信仰と正しい行いは、完全に一致するものなのです。
 



   また当時、外国に寄留していたユダヤ人クリスチャンたちには、迫害が広まっていたのか、かなり厳しい現実があったようです。そこでその厳しい試みを、かえって喜びをもって乗り越えるように励ますのも、この手紙の目的だったようです。
  







    18. ペテロの手紙 T、U 
 




  
これらは、キリストの弟子のあいだで中心的存在だった、使徒ペテロによって書かれたものです。この手紙が書かれたのは、5章13節によるとバビロンということですが、ペテロがバビロンに行ったという歴史的証拠がないことから、たぶん、当時のクリスチャンたちの習慣に従って、象徴的な意味でローマをバビロンと呼んだと考えられます。この呼び方は、黙示録に明らかです。(参照・黙14:8) また、あて先は1章の1節に記されていますが、これらの地方は、現在のトルコの黒海に近い地域とエーゲ海に近い地域です。ペテロはその地域に生きていたクリスチャンたちにこの手紙を書いたのですが、とくにそこに離散して寄留していた、ユダヤ人クリスチャンたちを念頭においていたと思われます。
 



   ペテロが第一の手紙を書いた理由は、当時のクリスチャンたちがかなり激しい迫害の中にあったことです。まだローマ帝国による組織的な迫害には間がありましたが、すでにさまざまな理由による地域的な迫害が、そこここに起こっていた時期です。ペテロはキリストの救いがいかに喜びに満ちたものであり、希望にあふれたものであるかを強調し、それを思い起こさせることによって、彼らを慰め励ましたいと願ったのです。
 



   第二の手紙を書いた理由は、故意に、間違った教えを持ち込む偽教師が、当時の教会を荒らしまわっていたためです。これは、パウロがコロサイ人への手紙を書いた理由と同じでした。グノーシス的な考え方を持ったギリシヤ哲学が、本物の神であると同時に本物の人間であったキリストの本性を、仮想の世界に陥れようとしていたのです。それでペテロ第二の手紙は、第一の手紙と少しばかり趣がことなり、文体も異なっています。第一の手紙は落ち着いて、しっかりと書かれ、ギリシヤ語も整っていますが、第二の手紙は、危険な教えの蔓延を防ぐために緊急を要したらしく、あまり上手ではないギリシヤ語が用いられています。ペテロはもともと田舎のユダヤ人ですから、ギリシヤ語は知ってはいても、流暢に充分に使いこなすだけの力量はなかったのでしょう。




※※※※※※※※※ ちょっとした話  ※※※※※※※※
※※※※※※※※※※ グノーシス ※※※※※※※※※


  初期のキリスト教に悪影響を及ぼしたギリシヤ哲学で、基本的に、世
界を物質と霊とに分けて考える二元論です。その発達段階によっていろ
いろな考え方がありましたが、当時の教会には、キリストは実際に肉体
を取った神ではなく、単にそのように見える姿で、仮に現われただけであ
るという教えで入り込み、そこから、弟子たちが教えていたキリストの本
質的姿を歪曲し、キリストの十字架の意義も、救いの意味も変えてしま
おうとしていました。教会の歴史の初期、ユダヤの律法主義の次に教会
に入り込もうとしていた、非常に危険な誤った教えです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※






     19. ヨハネの手紙 T、U、V   



   これらの手紙は、ヨハネの福音書を書いたヨハネの手になるものです。これらの手紙のうちの第一は公的な性格を持った手紙、すなわち、広く一般のクリスチャンに宛てた手紙でもっとも長く、第二第三は個人へ宛てた手紙で短いものです。当然、第一の手紙が内容的にもっとも深く、信仰の奥義が記されていますが、第二と第三からは、ヨハネの個人的性格などがよく読み取れます。
 



   第一の手紙は、あまり手紙の体裁を整えておらず、あたかも短い論文のような文章ですが、当時、ヨハネが親しくしていたエペソ周辺のクリスチャンたちに宛てて、書かれたものだと思われます。手紙の目的はそのころ蔓延していた危険な教えから、クリスチャンたちを守ることでした。グノーシス的な教えがいろいろな形で教会に入り込もうとしていたのです。第一世紀もいよいよ終わりに近づこうとする、紀元90年ころのことです。
 



   ただしヨハネは、グノーシス哲学を真っ向から排斥するような書き方をせず、むしろ、しっかりとしたクリスチャン生活をするために、誤った教えをする人々に気をつけるように教え、自分の執筆の理由を三つ挙げています。それらの第一は、読者の「喜びが完全なものとなるため」、(1:4) 第二は読者が「罪を犯さなくなるため」、(2:1) 第三は読者が「永遠のいのちを持っていることをよくわからせるため」でした。クリスチャンたちの中にも、クリスチャンであることの素晴らしさを理解しておらず、永遠のいのちをもっていることを自覚していない人々がいたことがわかります。
 



   この手紙は、内容的にも、用いられている言葉や言い回しにおいても、ヨハネの福音書と共通しているところがたくさんありますが、老年になったヨハネの深い洞察と、霊的成長がよく現われています。特にヨハネは若かった頃、キリストと行動を共にし、もっともキリストに愛されていたと「自負」できるほど近くで仕えたのですが、一方では、怒りっぽくてすぐカッとなる性質だったらしく、キリストから「ボアネルゲ」、すなわち「雷の子」というあだ名をもらったほどの人物でした。それが、愛の使徒といわれるほどになり、愛の手紙と呼ばれるこの手紙を書くようになったのです。




   
第二の手紙は、第一の手紙と同じ頃、同じような問題をより実情に合わせて取り扱ったものです。当時の教会には、グノーシス哲学に影響されてキリストが神であることを否定する、偽教師たちが巡回していたらしく、ヨハネは、そのような人物を受け入れないように忠告しています。



   
第三の手紙も忠告の手紙ですが、当時の教会には間違った教えを広めようとする人々だけではなく、素行の悪い人たちも、クリスチャンたちの親切さや寛容さを利用して、横行していたようです。そのような人物の一人が問題を起していたために、忠実なクリスチャンたちの注意を促しています。 






 
     20. ユダの手紙  




  
この手紙を書いたのはヤコブの兄弟のユダであると自己紹介されていますが、これはキリストの弟で、ヤコブの手紙を書いたヤコブの兄弟ということです。さきに述べたように、キリストはヨセフとマリヤの間の子ではなく、聖霊によってみごもったのですが、キリスト誕生後、ヨセフとマリヤの間には少なくても4人の男の子たちが生まれました。そのうちの一人が、初代の教会の中心人物となるヤコブであり、もう一人がこの手紙を書いたユダです。キリストの弟たちは、キリストが生きている間は彼を信じることができず、キリストの死と復活のあと、遅ればせながら、弟子となったのです。




   
ユダの手紙は多くの点でペテロ第二の手紙に似ています。ただペテロは、「偽教師が現われるようになります」と、未来系で語って警告しているのに対して、ユダの手紙は、「ある人々が、ひそかに忍び込んできたからです」と過去の事実として語っています。ペテロの手紙が紀元60年の初めに書かれたのに対して、ユダの手紙は紀元70年から80年にかけて書かれたものだと思われます。ユダはこれらの偽教師たちの教えと本姓を暴いて、読者に警告を与えたのです。                






 
    21. ヨハネの黙示録   




  
この書物は聖書の中でもっとも悪用されてきたものです。多くの悪意を持った人々がこれを用いて、人を騙し、利用し、混乱と迷いの中に陥れてきたのです。現代でさえも、自分たちの利益のために、この書物を好き勝手に悪用する人々が後を立ちません。一般の書店に立ち寄ると、必ず、この本を悪用して書かれた書籍が数種類は見つかります。
 



   この書は紀元90年過ぎに、キリストの弟子の一人だったヨハネ、ヨハネの福音書やヨハネの手紙を書いたヨハネが書いたものです。全聖書の中でもっとも遅く書かれていて、聖書の締めくくりの書とも言うべきものです。当時、クリスチャンたちは非常に厳しい迫害の中にいました。ヨハネもまた、迫害の中、エーゲ海の小島、パトモスに流されていたものと思われます。そのような厳しい状況であったため、ヨハネは書きたい事柄をあえてわかりにくい表現や言葉で記し、たとえ、クリスチャンを迫害する人々の目に触れたとしても、理解できないようにしたのです。あるいは、そのような状況にあるクリスチャンを励まし勇気付けるために、神が、分かりやすい内容の事柄をあえてわかりにくい啓示で教え、ヨハネにそのまま書き止めさせてくださったのです。
 



   そういうわけで、ヨハネの黙示録は伏せ文学、あるいは隠し文学となっているのです。そのため、よほど注意して読まなければ、内容を正しく理解することができません。また、正しい読み方をしたとしても、いくつもの可能な読み方があって、どれかひとつを選ぶのが困難になるのです。ましてや、当時の時代背景や、クリスチャンの生活をよく理解できていない、21世紀の異国人である私たちが、それを一度や二度読んで把握できる代物ではありません。 また何度も繰り返して読み、時間をかけて学んだとしても、こうだと断定することができない事柄がほとんどです。
 



  そのために、黙示録に書かれていることについて、こうだと断定するような書き方をしている書物や人物に遭遇したら、まず、疑ってかからなければなりません。黙示録に関しては、このように理解できるしあのようにも解釈できると、いくつもの可能性を示しておかなければならないことが多いのです。それでいて、黙示録にはとても重要なことが記されているために、可能性があるいくつもの理解の仕方を知っておくことが大切なのです。
 



   基本的に、黙示録の読み方には3つの立場があります。ひとつは、ここに記されていることはすべて、ヨハネの時代にすでに起こったことがら、あるいは起こりつつあったものごとを、あのような象徴や隠喩や比喩をたくさん用いて書き記したのだという考え方です。もうひとつは、すべてこれから起こること、未来についての預言であるという考え方です。最後はこの二つをあわせた考え方で、ヨハネの時代に起こっていた事柄を記すと同時に、やがて起こることについても記していると理解するものです。それらの考え方によって、解釈が大きく異なってきます。
 



   個人的に、筆者は第三の立場がもっとも妥当ではないかと考えていますが、断定は禁物です。ただ、単なる歴史の記録ではないということは明らかだと思います。ですから、黙示録に記されている事柄は、まず、当時すでに始まっていた激しい迫害の事実などを取り扱って、これに負けないで行くように励ますものであったと考えるのが、妥当だと思います。またそれと同時に、やがて起ろうとしている様々な事柄にも注意を促し、突如として思いがけないことが起こったかのように、クリスチャンたちが慌てふためくことがないよう心備えをさせたと考えるのがよいでしょう。その上で、最後まで耐え忍ぶものに与えられる輝く未来、栄光に富んだ未来に、希望を持たせようとしたのです。
 



   そのような理解に立って読むと、この書物には数多くの預言が含まれています。その預言もまた、象徴的な比喩や隠喩、あるいは物語で記されているために、断定的な言い方はできません。やはりこうも考えられる、そのようにも理解できるというのが最善です。




   
とはいえこの書物の最後の部分は、明らかに、聖書の書き出しである創世記の天地創造の記録に対応するものであり、著者ヨハネは間違いなく創世記の記事を思い浮かべながら書き記したことでしょう。創世記で創造されたこの自然界とそこに住む人間を、堕落と混乱に陥れた悪魔が滅ぼされ、さらにこの天地も滅ぼされた上で、新しい天と新しい地が創造されると語られています。新しい天と地は完全な調和の世界ですが、それがあまりに素晴らしく、私たち人間の体験と表現の限界を超えているために、大変面白いというか、おかしな表現が続きます。たとえば、「ガラスのように透き通った純金」などというものが、やがて作られる新しい天と新しい地という次元では、実在するのかどうかもわかりませんが、そのようにしか表現できない素晴らしさだということなのでしょう。


 
    
そして、そこに入ることができた人々の、すなわち、神の救いの完成を自分の身に受けた人々の、至福の生活が約束されています。そこでは、神ご自身が人間の目から涙をまったく拭いとって下さり、もはや死も、悲しみも、叫びも、痛みもなくなるというのです。先のものが、すべて過ぎ去ってすべてが新しくされるからです。新しい天と地、すなわち完全な神の支配である神の国に入れられた人々は、完全な肉体と完全な心を与えられて永遠に生きるのです。何にも妨げられることなく神の愛を受け、何にも妨げられることなく神を賛美し、さらに何にも妨げられることなく、人と人とが互いに愛し合いながら永遠に生きるのです。聖書が教える永遠のいのちは、ただ、無限の時間を生きる「長さの問題」だけではなく、終わりない時間を最高の喜びを持って生きる、「質の問題」でもあるのです。



  
こうして聖書は、明るい希望、大きな希望の光をともして閉じられているのです。聖書は天地の創造という、私たちの理解を超え、想像さえも及ばない物語で始まり、さらにその天地の滅びと新しい天と地の創造の約束という、言葉を超えた超絶の世界で終わる、これ以上に壮大な物語を書くことは不可能な、まさに形容さえも不可能な書物なのです。                       



                           
 終わり  

 晴れ晴れよくここまで読んでくださいました。ずいぶん

忍耐が必要だったと思います。でも、これであなた

もだいぶ聖書についてお分かりになったと思います。

ただし、聖書は実際に読んでみて初めて、その本当

の良さがわかるものです。どうか、聖書を読み続け

てください。そして、この文も思い出し、ときどき読

み返して参考にしていただければ、とても幸いです。



晴れ疑問や質問、コメントは、missionofg@ybb.ne.jp

へお寄せください。できるだけお答えいたします。






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聖書を読むぞー (42)        テモテ〜




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    13. テモテへの手紙T、U




  
テモテというのは使徒パウロの弟子で、ギリシヤ人の父とユダヤ人の母を持った青年でした。早くからクリスチャンだった母親の影響で、幼いときからクリスチャン信仰を持っていたのですが、パウロが第二回目の伝道旅行のおり、現在のトルコ南部にあたるルステラという町に立ち寄ったときに見出されて、パウロの弟子となりました。テモテには少し気弱なところがありましたがが、とても素直で優秀な青年でした。始めのうちはパウロと行動を共にして伝道旅行に加わって訓練を受けていましたが、しばらくするとパウロを離れ、パウロの代理として教会を指導するようになっていきました。言うならば現代の牧師のような働きをしたわけです。 



   パウロがこの手紙を書いたのは、福音伝道のために迫害されて、いちどローマの牢獄に囚われてから釈放され、 かつて伝道で旅行した地域を再び訪れようとしていたときのことと推測されます。使徒の働きが書き終えられた後の出来事であるため、使徒の働きには載っていません。 当時、弟子のテモテはパウロの信任を受けて、エペソの教会の指導者として活躍していたと思われます。パウロは自分が関わった多くの教会のことを気にかけ、一人ひとりの信徒のために祈っていたようですが、弟子のテモテにはことさら心を砕き、牧師として教会を管理指導して行けるように具体的な手ほどきの手紙を書きました。それがこれらの手紙です。



   
パウロが特に心を使ったのは、なにかにつけて年寄りたちが重んじられる世界で若輩のテモテが軽んじられないように、あらゆる点で指導者としてふさわしく鍛えあげることでした。そのために、幼いときから培われた信仰をさらに生かし、神から与えられた様々な能力を有効に用いて仕事をするようにと勧め、励ましています。肉体的にも少しひ弱なところがあったテモテの健康にまで思いやりをみせる、パウロの人となりが伺われます。 



   第二の手紙は、再びローマの牢獄に囚われて自分の人生の終わりが目の前に迫っていること、すなわちローマの官憲による死刑の執行が近づいていることを、強く自覚しながら書いたものですが、嘆きや悲しみは一切なく、テモテに対する思いやりの中にも、彼の強烈な信仰と確信、使命感、さらにその使命を達成した充実感があふれています。パウロは言いました。「私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです」 私たちも死を前にして、このように言い切ることができる人生を送りたいと、思わずにはおれません。テモテがパウロの一行に加わった出来事は、使徒の働きの16章1節から5節に記されています。 






 
14. テトスへの手紙    




  テトスはパウロのもう一人の弟子ですが、使徒の働きの中には彼の名前は出てきません。ただ、パウロの手紙の中には、いくども彼の名前が記されていて、彼について少しばかり知ることができます。彼はどうやら、パウロの第一回目の伝道旅行のおりにキリストを信じた異邦人であり、その後、しばしばパウロと行動を共にしていました。ただ、彼は異邦人であったために、旧約聖書の知識には乏しく、パウロの弟子となったとしても、すぐさま福音宣教の働きで活躍するわけには行かなかったようです。それを補うためには、かなりの期間が必要だったことでしょう。当時の教会には、たとえ異邦人の地域でも必ず数人のユダヤ人信徒がいたようで、少なくても、彼らと同等の旧約聖書の知識がなければ、信頼されて働くことができなかったことでしょう。
 



   ただし、しばらくたつと、テモテと同じような働きができるようになり、パウロの厚い信頼を勝ち取り、パウロの代理の働きを務めていたようです。特にこの手紙が書かれた当時、テトスはエーゲ海に浮かぶクレテ島とその周辺の教会のために、牧師のような役割を負っていたことがわかっています。パウロはこの手紙で指導者としての心得を教えて励まし、さらには当時教会に忍び込もうとしていた偽教師たちに対する処置の仕方などを教えています。
 





 
   15.  ピレモンへの手紙    




  この手紙は残されているパウロの手紙の中ではもっとも短いもので、わずか一章しかありません。しかし、この手紙の背景を知ると、非常に豊かな内容の手紙であることがわかります。
 



   ピレモンという人物はパウロの働きを通してクリスチャンになった人物で、たぶん、エペソの近くのコロサイという町に住んでいて、自分の家を開放して教会の集まりに用いていました。彼は大変裕福で、多くの奴隷を抱えていました。ところがあるとき、奴隷の一人でオネシモという青年が彼のところから逃亡してしまいました。どうやら、行きがけの駄賃として何かを盗み出してもいたようです。ところがその青年が、こともあろうに遠い都のローマまで逃亡して、偶然と言えば偶然、神の導きと言えば神の導き、囚われて自宅軟禁になっていたパウロと知り合うのです。
 



   青年オネシモは、囚われの身のパウロが語るキリストの福音を聞き、悔い改めてクリスチャンになったばかりでなく、年老いてなにかと不自由になったパウロの手足となって仕えるほどになったのです。パウロは彼を非常に愛し、「牢獄で生んだわが子」、「私の心そのもの」という表現さえ用いています。ところが、やがてオネシモがしっかりとしたクリスチャンに成長したとき、パウロが指導したのは、彼がその下から逃亡した所有者ピレモンのところに帰るという困難なことでした。
 




   パウロはオネシモを自分のところに置き、今までのように世話係として用いることもできました。他の土地に行って新しい人生を歩むように指導することもできたはずです。しかし、あえてもっとも困難な道を、そして、本当にクリスチャンらしい道を歩ませようとしたのです。逃亡奴隷がもとの主人のもとに帰るのは、現代の私たちには想像もつかないほど困難な選択でした。





※※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※ 
※※※※※※※※   聖書と奴隷制度   ※※※※※※※※


  奴隷制度は、聖書が書かれる以前から、社会制度として定着していま
した。ですから、聖書が教えた制度、あるいは聖書が定めた制度ではあ
りません。ただし、聖書が許容した制度ということはできます。聖書はそれ
ぞれ、書かれた当時の社会にあって、神を信じる人々がどのように生きる
べきかを記した書物ですから、奴隷制度を廃止すべきだとか、反対運動を
起して悪い社会と戦うべきだというような、極端な原則論は出てきません。
そのかわり、奴隷制度という悪い制度の中に生きていながら、神を信じる
者がいかに良心的に生きることができるかを教えているのです。旧約聖書
と新約聖書に一貫して流れている考え方は、奴隷を同じ人間とみなして、
優しく接するということです。とくに、新約聖書になると、それがより明確に
なっています。


   しばらく前に、一夫多妻制度で社会が構成されていた社会に入った宣
教師が、一夫多妻は罪であると断じて糾弾し、クリスチャンになった男性に
は、最初の妻以外の妻を離婚するように強要したことがありました。それは
たちまち、地域社会に崩壊の危機をもたらしてしまいました。離婚された女
は生活の糧を失い、生きていくことができなくなってしまったのです。


    奴隷制度も同じです。それを取り除くことには社会の変化と人間の考え
方の変化が前提であり、長い期間が必要なのです。そこで、ピレモンへの
手紙の中でも、パウロは奴隷制度をぶち壊せといわずに、奴隷制度の中で、
もっとも大切な生き方を探したのです。パウロは、オネシモを奴隷としてでは
なく、愛する兄弟として受け入れるようにとピレモンをさとし、そうするべき理
由を挙げているのです。パウロのほかの書簡でも奴隷に対する取り扱いが
記されていますが、そこでも、奴隷としてではなく、愛する兄弟として取り扱
うというのが基本でした。それが、やがてクリスチャンの世界では奴隷を持
たない方向に進み、奴隷制度の廃止につながって行ったのです。



    ただし大航海時代に始まった近代の奴隷制度、アフリカの黒人たちを捕
らえて奴隷にした「キリスト教国」の蛮行は、まさに恥ずべき行為です。これ
を止めさせるにいたったのも、クリスチャン精神の高揚ですが(有名なアメイ
ジング・グレイスという歌が、ここで光を放ちました)、いわゆるキリスト教国
の蛮行は、この奴隷制度や植民地主義を始めとして、随分たくさんあります。
筆者が「キリスト教は大嫌い」と言うのも、そのあたりに理由があります。キ
リスト教は、本来聖書の教えを土台に築きあげられたはずですが、長い歴
史の中で、たくさんの不純物が紛れ込んでしまったのです。筆者は、キリス
ト教のなかった日本という国が素晴らしいと思います。いろいろ問題があると
は言え、聖書の教えをほとんど知らないまま、ここまで立派にやってきたの
です。西欧のいわゆるキリスト教国は、長い間聖書の教えを持っていながら、
悲しいことにあの程度のところでとどまり、とんでもないことをやり続けて来た
のです。筆者の心からの願いは、日本人が西洋人のキリスト教を持ち込んだ
りせずに、聖書の教え、キリストの教えを知りその教えに立つことです。 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※  



   たとえ、ピレモンがパウロの指導を受けたクリスチャンであったとしても、また、個人的にはいまや同じ神を信じ、同じ救いを受けた人間になったオネシモを赦し、受け入れたいと願ったとしても、当時の社会通念から考えて、それは容易なことではありませんでした。なぜなら、ピレモンにはピレモンの社会的立場があり、同じように奴隷をたくさん抱えた人々との付き合いがあります。ピレモンが逃亡奴隷を簡単に赦し受け入れたとなると、それは大きな波紋を呼ぶからです。当時の逃亡奴隷に対する処罰は非常に厳しいのもで、死刑も含まれていました。それによって社会の秩序と産業が守られていたのです。奴隷制度は当時の社会にしっかりと組み込まれていて、単に個人的問題で終わるものではありませんでした。社会的秩序を個人的都合で簡単に破ることはできなかったのです。 



  オネシモがピレモンの下に帰ると非常な困難が待ち構えていることは、当然、パウロにもオネシモ自身にも良くわかっていました。しかし、パウロの判断は、オネシモをピレモンの下に送り返すことであり、オネシモもそれに同意して従ったのです。そこで、パウロはこの手紙を書いてオネシモ本人に持たせ、ピレモンがあえて難しい判断と決意をしてオネシモを赦して受け入れ、パウロを喜ばせてくれるように、言葉を選んで説得しようとしたわけです。
 



   パウロは言っています。「以前のオネシモは、その「役立つもの」という名前の意味に反して、まったく役立たずであったが、今は本当のオネシモになって私のために役立つものになってくれている。そうして、あなたにも大いに役立つものになるでしょう」 



   この手紙を受け取ったピレモンは、オネシモを受け入れたに違いありません。たんに帰還した逃亡奴隷としてではなく、キリストによって新しい人間にされ、同じ救いを体験した、愛する兄弟としてです。福音を信じ、神の力を信じていたパウロは、その力がオネシモを変えたことを信じていました。だからオネシモに、あえて困難でも正しい道を歩ませたのです。オネシモも途中で逃亡しようとすればいくらでもできたはずですが、それをせず、ピレモンの下に帰っているのです。これは聖書全体から見ると小さなことですが、クリスチャン精神を見事に実現している物語です。
 



   なお、このとき、オネシモはもう一人の弟子であったテキコと一緒にピレモンの下に行ったことがわかっています。そしてテキコは、パウロのもうひとつの手紙を所持していました。それがコロサイ人への手紙でした。コロサイ人の手紙の4章7節以降にそのことが記されています。
 







 
     16. ヘブル人への手紙   




   
この手紙はユダヤ人クリスチャンへ宛てて書かれているところから、ヘブル人への手紙と名づけられています。新約聖書のなかで、これだけが著者のわからない書物です。ただ、書かれている内容や用いられているギリシヤ語の質の高さ、さらに論理の明快さなどから、使徒パウロにも劣らないほどの明晰な頭脳の持ち主で、しかも非常に深い霊的洞察を持ったユダヤ人が著者だったと思われます。手紙全体のととのった論旨は、パウロのものよりよほどしっかりしています。パウロの場合はみな口述筆記をさせていたために、論旨がまとまらなかったり、飛躍したりしていることがあるわけです。
 



   手紙の内容は高度に神学的で、旧約聖書、特にユダヤ人の神殿祭儀の定めごとを記したレビ記の裏打ちがなければ、とても理解できません。この手紙は、イエス・キリストこそレビ記に定められた様々な規定を完成する方であることを示しています。レビ記に定められた宗教的規定は、それだけで完全なものではなく、あくまでも、やがておいでになる救いの完成者であるキリストを指し示す雛形、あるいは、やがて現われる実体の影に過ぎないことを教え、それが指し示す実体こそイエス・キリストであると論じています。
 



   とくに、毎日毎日大量にささげられていた動物の犠牲は、完全な犠牲であるキリストを指し示すだけであり、完全な犠牲であるキリストが十字架でささげられた今は、もう繰り返してささげられる必要はないことが強調されています。完全な犠牲はただ一度だけささげられるだけで充分であり、旧約時代の犠牲のように繰り返しささげられる必要はないのです。また同時に、キリストは完全な大祭司であることが明らかにされています。神と人との間に立って務めをするように定められていた、旧約時代の大祭司の務めは完全なものではなく、あくまでも、やがて現われる完全な大祭司の、完全な務めの前ぶれ、雛形にすぎなかったのです。
 



   キリストは、数え切れないほど殺され、ささげられた、旧約時代の動物の犠牲が指し示した本物の犠牲であり、キリストが流した血は、それらの動物の血が指し示していたものなのです。そしてキリストは、それらの動物の犠牲を携えて神にとりなしをしたすべての祭司の完成であり、人間より価値が劣る動物の血ではなく、ご自分の尊い血を携えて神にとりなしをしてくださる、大祭司となってくださったのです。従っていま、わたしたちにキリスト以外の祭司はいっさい不要だということです。いまも、キリストは永遠の祭司として、神と人の間に立ち、人間のためにとりなしをしていてくださるからです。
 



   ヘブル人への手紙の著者はさらに、大祭司としてのキリストは、人間の弱さや痛み、あるいは悲しみや苦しみを自ら体験してくださった大祭司であると語っています。ただ高い位におられる強い方として、低く弱い人々を見下すようなとりなし手ではなく、神に訴え出る人間に心からの同情をもって、とりなしをしてくださると方であると説明しているのです。またこの手紙は、ヨハネの福音書と同じように、キリストを天地万物の創造主として描いています。万物の創造主である子なる神が、弱く悲しい存在になってしまった人間のために、痛みを共にしてとりなしをしてくださるというのが、ヘブル人への手紙が描き出す福音なのです。
   









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聖書を読むぞー (41)       コリント〜 )



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   7. コリント人への手紙 T、U   




  コリントにある教会へ宛てて書かれたこの手紙は、2通あわせるとローマ人への手紙よりも長く、使徒パウロのこの教会への思い入れがわかります。パウロは少なくてももう一通の手紙をこの教会に向けて書いていますが、今は失われています。




   
コリントという町は、すぐ隣のアテネとならぶローマ帝国指折りの大都市で、立地条件を生かして国際商業都市として大変繁栄し、世界中の様々な人々が集まる人種のるつぼだっただけではなく、当時盛んだった様々な宗教の中心地でもありました。そのため、それらの宗教的慣習が人々の間に深く浸透し、人々の生活を支配していましたが、特に問題だったのは、アフロディトと呼ばれる女神を祀る神殿で行われていた売春行為でした。この神殿は、現在でもアクロポリス(小高い丘)の上に巨大な遺跡として残っています。当時の宗教の多くは、農業や牧畜を生業としている人々の宗教であったため、生産や増殖にかかわる豊穣の神々を祀っていましたが、アフロディト崇拝はそれらの中でも広くいきわたり、その神殿行事では豊穣に関わる性的儀式が重んじられたために、大勢の神殿娼婦たちが集まり、一説によると、パウロの当時のパルテノン神殿には、その類の女性が3000人ほどもいたと言われています。そこで、「コリント」という言葉は単に都市の名前としてではなく、性的に奔放な、みだらな振る舞いという意味でも用いられたほどです。



   
このような土地をパウロは数度にわたって訪れ、あるときは1年半も滞在して、福音を語り、教会を建て、信徒たちを教え訓練していましたが、異教の悪習慣にどっぷりと浸って何の違和感も持っていなかった彼らを、正しいクリスチャン生活に導くのは容易なことではありませんでした。パウロが他の土地でも福音を語り教会を建てようとしてコリントを離れると、コリントのクリスチャンたちはたちまちパウロが教えた教えから遠ざかり、様々な間違った習慣を教会の中に持ち込んできてしまったのです。 



   その一方で、ギリシヤ哲学の背景をもってやたらと禁欲的な態度を推奨する人々もいたらしく、教会は混乱に陥り、正しいクリスチャン信仰と生活を教えたパウロを中傷さえ始めたのです。そのような悲しい有様を、旅をしてきたまじめなクリスチャンたちから伝え聞いたパウロは、コリントのクリスチャンたちを叱り、励まし、教え、また慰め、正しい信仰と生活に立ち返るよう導こうとして手紙を書きました。それがコリント人への手紙なのです。従ってこの手紙には非常に厳しい言葉があるかと思うと、やさしい慰めのことばがあるといった、かなり感情的な文章になっています。
 



    第一の手紙でパウロが論じたことは主に、@ 教会の中に現われ始めた分裂の傾向に対する教え、A 異教の悪習慣である性的奔放さに対する戒め、 B 異教の神々に奉げた食べ物の取り扱いについての勧め、C 秩序ある教会の集会のあり方についての教え、 D 復活を否定する教えに対する反論などです。
 



   第二の手紙でパウロが取り扱った問題は、パウロの使徒としての資質に疑いを挟む人々への弁明が主なものであり、パウロの使徒としての個人的な姿が一番良く表されていると共に、パウロの感情が吐露されています。また弁明の中では、クリスチャンのあるべき姿、クリスチャンの集合体である教会のあるべき姿、特に互いに助け合うあり方、あるいは、教会の使命などについて触れられています。                                               
 



   パウロのコリントでの働きについては、使徒の働きの18章1〜18節に記されています。
 






 
   8. ガラテヤ人への手紙   



   パウロが書いたこの手紙は比較的短いものですが、キリスト教の歴史あるいは世界の歴史に、これほど大きな影響と変化をもたらしたものもありません。この書こそ、ユダヤ教の中の小さな一派に過ぎなかった宗教、言うならばユダヤ教イエス派とも言うべきキリスト教を、世界宗教に姿を変えさせた書であり、カトリック教会の専制君主的独裁宗教に終止符を打たせた書、暗黒時代の中世に終わりを告げさせ近代世界の幕開けをもたらした書物です。人々を無知な世界に閉じ込めていたカトリックの支配は、この書物を読んでその内容に啓示の光を見た一人の修道士、マルチン・ルターの出現によって政治的にも精神的にも崩壊して行ったのです。




    
ガラテヤ人への手紙は、ガラテヤという場所がどこであったかという理解の相違によって、その解釈のしかたに微妙な差をもたらします。ガラテヤ人という人々がどのような人々で、当時どのような状況にいたかということが、手紙の内容理解に深みをもたらすからです。筆者は一応「南ガラテヤ説」という立場から話を進めます。その方がガラテヤ書の理解に深みが出、初期のキリスト教歴史にはっきりとした道筋が見えると思われるためです。



   
使徒パウロは、回心後しばらく、祈りと学びのために人里離れたところで隠遁生活に近い日々を送ったようですが、そこで、幼少のときから彼が受けてきたパリサイ派の学びとはまったく違う、新しい啓示を神から受けたのです。彼の著作からうかがうと、それは非常に奥深い啓示で多岐に渡るものでしたが、福音はユダヤ人優先ではなく、万民に平等に与えられているということが中心でした。そのために、外国人もユダヤ人になる必要がなく、ユダヤ人になるための儀式である割礼も受ける必要がないというものでした。パウロ自身が、この教えを先輩の使徒たちや他の信徒たちから学び取ったものではなく、あくまでも神からの直接の啓示として受け取ったと語っているように、当時の使徒たちを初め、多くのクリスチャンたちには、まったく驚嘆するような教えだったのです。とは言え、使徒をはじめとするキリストの弟子たちは、おぼろげではありましたが、すでにキリストの教えや行動の中に、また、その後の教会の発展の中での聖霊の導きの中に、パウロが受けた啓示と同じ方向性のある教えをうけていたのです。そこで彼らは意外に早く、パウロの語る新しい教えを受け入れることができたわけです。



   
パウロは、神から受けた異邦人のための使徒という使命に立って、異邦人の地を広く旅行し、福音を語り、教会を設立して行きました。彼が最初に行った地方がガラテヤと呼ばれる、ローマの行政区で、現在のトルコの南部地域でした。もともとガラテヤ人と呼ばれる人々が住んでいたのは、黒海に近い北部だったのですが、ローマの支配に移ったとき、行政区として南部も組み入れられてガラテヤと呼ばれるようになったものです。(ガラテヤ人への手紙は北部のガラテヤ人へ宛てて書かれたと考えるのを、「北ガラテヤ説」といいます) 



   パウロはその第一回目の伝道旅行で、ガラテヤ行政区の南部の町々を回り教会を設立して行きました。それらの町々には多くのユダヤ人たちが居留していたので、比較的かんたんに回心者たちを得ることができました。また、彼らの中に指導者を見つけることも困難ではありませんでした。当時、ユダヤ人独特の「会堂」という宗教組織がいたるところにあり、そこで宗教教育や生活指導あるいは助け合いなどに経験をつんでいた人々がいたからです。パウロは、そのような人々を生まれたばかりの教会の「長老」として任命し、次の町に旅立つことができました。異邦人の町々でしたので、回心者たちの中には当然異邦人たちも加わっていましたが、当初はさほど多くはなかっただろうと思われます。それでも、異なった文化背景の人々が新しい共同体を作り上げるのは、容易なことではありませんでした。




   
特にガラテヤで問題になったのは、パウロが去った後、まだ福音の理解に乏しかった初期のユダヤ人クリスチャンたちが、当時、本部のような役割をしていたエルサレム教会からやってきて、パウロが教えた福音とは異なったことを教え始めたことでした。彼らは、当時のユダヤ人クリスチャンの大多数が考えていたように、異邦人が神の救いを受けてクリスチャンになるためには、まず、ユダヤ人にならなければならないと教え、割礼を実行しはじめていたのです。パウロから長老として任命されていたとは言え、クリスチャンとなってまだ間もないガラテヤの教会の指導者たちは、自分たちが長年受けてきたユダヤ人教育に照らし合わせて、パウロの言うことよりもエルサレムから来た、たぶん、パウロより年季の入ったユダヤ主義クリスチャンたちの言うことを、正しいと信じてしまったのです。 



   旅行から戻っていてそのニュースを聞いたパウロは、そのままに放っておいてはとんでもないことになると、急遽、激しい手紙を書いたのです。それがガラテヤ人への手紙です。ですからこの手紙にはパウロの気迫と論争的な気概があふれています。手紙全体にわたって記されていることは、パウロが教えた教えの正しさの論証です。まず、パウロは自分の教えは先輩たちから教えられたことではなく、神からの直接啓示によることを説明し、彼の教えには神の権威があることを示しました。その上で、彼は、人間が救われるのは割礼を受けてユダヤ人になるという行為によるのではなく、神の救いのみ業を信頼する信仰によるのであると、改めて説き進めたのです。また、割礼を受けるということは旧約聖書の律法に定められたことであるために、神の救いをいただくのは、律法を守ることによってではなく、律法を守ることができないと悟って、神のあわれみにすがることによると教えたのです。 パウロがガラテヤ地方で働いたようすは、使徒の働き13章と14章に記されています。




   
このパウロの教えが、およそ1500年近くもたって、マルチン・ルターを奮い立たせたわけです。当時のカトリック教会は、聖ペテロ大寺院を建設する資金集めのために免罪符を発行し、だれでもお金を払うならば救われると教えていたばかりか、聖書の教えではない煉獄という教えを勝手に作り上げ、煉獄に行って苦しんでいる人も、誰かがその人のためにお金を払うならば天国に行けるというとんでもない教えを広めて、無知な人々から搾取していました。これに対し、一介の修道士に過ぎなかったルターが疑問の声を上げたのです。



   
当時のカトリック教会は聖書をほとんど無視していましたので、パウロが教えた行いによらない救いなどということにはまったく頓着せず、人は神の前に功績を積むことによって救われると教え、特に教会のために金品をささげることを、もっと尊い功績のひとつとかぞえていたために、免罪符などと言う奇天烈な発想が出てきたのです。ルターが上げた疑問の声は、カトリック教会の権威との大論争に発展し、ルターはついに教皇から破門されてしまいます。これによって、カトリック教会に属さない教会が生まれるにいたったのです。そのことにより、ヨーロッパ全土に理性を持って物事を考える風潮がさらに広がり、近代ヨーロッパを作り上げていく基礎作りをすることになりました。 

 




   9. エペソ人への手紙 
 



   この手紙は使徒パウロがアジア(現在のトルコのエーゲ海に面した地域)最大の都市、エペソとその周辺の教会に宛てて書いたものです。当時のエペソは非常に繁栄し50万人超えたかと思われる人口を抱えていました。パウロは異邦人伝道の方策として、エペソを非常に重要な都市と考え、ここに二年半ほども滞在して働きを続けました。その結果、エペソはもちろんのことアジア全体に福音が伝えられ、多くの都市に教会が設立されていました。
 



  一方、エペソの町は豊穣の女神アルテミスを祀る宗教の中心地で、その宗教に関連した商売で生業を立てている人々も少なくありませんでした。そのために、パウロに対する迫害は激しく、大きな暴動さえ起こりました。その有様は使徒の働き19章に記されています。女神アルテミスの「ご神体」は、たくさんの乳房を持った女性の姿に見える隕石であったといわれています。
 



   エペソ書の中心主題は教会であり、教会とは何か、教会はどうあるべきかということが論じられています。それは、ある程度成長したクリスチャンを想定しているということで、ローマ人への手紙や、コリント人への手紙、あるいはガラテヤ人への手紙などよりも、一歩進んだというか、一段と高度な教えとなっています。ローマ人への手紙も、ガラテヤ人への手紙もかなり難解なものですが、クリスチャンの教えあるいは神学としては基本的なもので、土台ともいえます。す。ところがエペソ人への手紙は、その土台の上に建てられた美しい建築物なのです。
 



  エペソ人への手紙はまず、教会が突然現われたものでも、偶然にできたものでもなく、また人間が創案したものでもなく、天地創造以前から神のみ旨の中、ご計画の中にあったものであることを教えています。それからこの教会は、ユダヤ人だけではなく、天下のあらゆる民族、あらゆる種類の人々が、キリストの新しい命と愛とによって力づけられ、人種、文化、男女、貧富などの一切の差別を乗り越えて構成する共同体であると説いています。そしてこの共同体は、キリストが天にお帰りになった後のこの地上でキリストの働きを推し進めるところから、キリストの体と呼ばれるものであることなどを教えています。 パウロのエペソでの活躍の様子は、使徒の働き19章に記されています。また、20章17節から38節にも関連記事が出ています。
  






   10. ピリピ人への手紙
   




   この手紙はふつう、喜びの手紙と呼ばれています。その中には著者パウロの喜びがあふれていて、読者たちにも喜ぶことが勧められているからです。この手紙はパウロがいくどか牢獄に閉じ込められた中で、もうすぐ牢から解放されるという背景で書かれていたために、自然に喜びがあふれたのだろうと思われますが、ピリピの教会の信徒たちが、何かにつけてパウロを思いやり、贈り物を届けたりしていたことへの感謝もあふれています。
 



  そのような中でパウロが特に気をつけて、ピリピの教会の信徒たちに書き送ったのは、お互いに思い上がることなく謙遜になることによって、教会の中の一致を保ちなさいということです。その謙遜の手本として、パウロは神と等しい姿であられたのに、人を救うために、低く弱い人間の姿をとって人間の世界に宿り、十字架の死にまで従順であられたキリストを見習うように教えています。




  
ピリピという町はギリシヤのマケドニヤ地方の都市で、アレキサンダー大王の父の名にちなんでつけられたものです。パウロのピリピでの働きは、使徒の働きの16章11節から40節までに記されています。 





 
   11. コロサイ人への手紙   



   コロサイという町はエペソの近くにあり、パウロが2年半近くもエペソに滞在して活動したことによって、パウロの教えを受けた人々がコロサイでも福音を語り、そこに教会を建てたものと思われます。パウロ自身がコロサイを訪れたという記録はありません。しかしパウロは、自分が建てた教会の娘教会として、この教会の成長にも気を配っていたのです。
 



   パウロがエペソを離れて5、6年たつと、コロサイの教会には間違ったギリシヤ思想が入り込み、パウロが教えたキリストの福音が、捻じ曲げられてしまいう恐れがあったようです。そのことを伝え聞いたパウロは、当時、ローマで囚われの身となっていたために、この手紙を書き送って間違いを正そうとしたようです。パウロが手紙の中で「騙しごとの哲学」と非難した教えは、どうやら、グノーシスという哲学の流れに乗ったものだったと思われます。この教えによると、キリストが人間の姿をとって人間の間に住まわれた神ではなくなってしまうために、パウロは容赦なくこれを厳しく論駁したのです。
 


 
 



   12.テサロニケ人への手紙 T、U 
  




   テサロニケはピリピに近いマケドニヤの都市で、当時ローマの属州マケドニヤの首都として栄えていました。テサロニケという名は、アレキサンダー大王の異母妹にちなんでつけられたといわれています。
 



   パウロは第二回目の伝道旅行のおりにこの町を訪ね、3週間にわたって福音を伝え、教会を設立しました。しかし激しい迫害のために、充分に福音の内容を教えることができるだけの期間、留まることはできなかったことが、パウロの心残りであったようです。そこで、テサロニケでの働きの足りなさを補うために、これらの手紙を書いたと思われます。
 



   第一の手紙でパウロは、クリスチャン生活の基本について語り聞かせています。第二の手紙では二つの励ましをしています。第一は、すでに迫害に遭遇し始めた信徒たちを励ますことです。第二は、再臨を見ずして死んでしまった人たちのために、嘆き悲しんでいる信徒たちを励ますことです。パウロは彼らに正しい再臨と信徒の復活について教え、慰めはげましています。




※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※※※※※※ キリストの再臨  ※※※※※※※※※

 キリストの再臨とは、キリストが再び肉体を持った姿でこの世界に戻
って
きて、王としてこの世界を治め、平和で豊かな世界を作ってくださ
るという教えです。初期
のクリスチャンたちはこの再臨を熱心に待ち望
んでいたため、再臨を見ないで死んだクリスチャンたちのために嘆き
悲しんだのです。



 クリスマスのときのキリストは、神の栄光と権威を棄てて人となった方
として現われ、人の身代わりとなって傷つき倒れ、神の救いの道を開い
てくださいました。その姿には王としての力も権威もありませんでした。
ところが再臨のキリストは、力強い王として敵を滅ぼし、この世を支配す
るために来てくださいます。旧約聖書の救い主の出現の預言では、この
再臨のときのキリストの姿が強調され、クリスマスの「へりくだった」キリ
ストの姿については、イザヤ書53章などでわずかに触れられているだ
けで、あまり多くが語られていません。そのためにユダヤ人たちは、宗主
国ローマの圧制から救ってくださる、軍事的、政治的救い主を期待して、
弱々しくしく映ったキリストを偽者だと思い込んで、十字架につけてしまっ
たのです。またクリスマスのキリスト、つまり第一降臨のキリストは、ひと
りの赤ちゃんとしてこの世に出現しましたが、第二降臨のキリストは、甦
って天にお帰りになったときと同じ姿で戻って来てくださいます。(参照・
使徒の働き1章11節)


  この再臨の約束については、新約聖書全体にわたって400回ほども
記されていますが、詳しく調べてみますと、二つの区分があることがわか
ります。第一はテサロニケ人への手紙で触れられているもので、キリスト
が空中まで来てくださり、まず、キリストを信じて死んで行った人たちを甦
らせてご自分のもとに引き上げ、それから生きているクリスチャンたちをも
引上げてくださる再臨です。ふつうこれを空中再臨と呼んでいます。



  第二はそれからしばらくして起こることで、キリストが甦らせた人々と生
きたまま天に引き上げた人々、それから天のみ使いたちを引き連れて、
この世を治めるためにおいでくださる再臨です。これは空中再臨に対比
されて地上再臨と呼ばれ、旧約聖書が主に預言したものです。


 
 なおこの再臨にはいろいろな解釈の仕方があり、細部については様々
な理解の不一致があります。「明日は雨が降るだろう」という単純なことば
でも、いくとおりもの解釈の仕方があります。「明日」を強調した理解。「雨」
を強調した理解、「降る」を強調した理解、期待を込めて語られた場合、心
配そうに語られた場合などなどです。ましてや膨大な言葉を費やして、そ
こで触れここで語るような形で教えられている再臨について、異なった理
解が出てくるのは当然です。私たちは、自分たちの理解を絶対とする独
断に陥らずに、他の理解の可能性をも認め、再臨に対する期待を持ち続
けるべきなのです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




   再臨のとき、厳密に言うと空中再臨のとき、パウロの教えによると、それまでに死んでいたクリスチャンたちは甦らされて、空中まで引き上げられ、キリストに会うのです。そのとき、彼らはすべてキリストの姿に似るものとして作りかえられます。あちこちと痛んで不自由だった体、病気で正常に働かなかった体が、傷もしみもない完全な体に作り変えられ、罪の影響のために、憎んだりねたんだり良からぬことをたくらんだりしていた心も、キリストの心のように美しい心に変えられるのです。だから、キリストの再臨を待てずに死んだクリスチャンのために、嘆き悲しむことはないのです。このときの感動、喜び、興奮を、パウロはコリント人への第一の手紙15章で語っています。テサロニケにおけるパウロの活動は、使徒の働き17章1〜9に記されています。





※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※※※※※※※ 再臨余談  ※※※※※※※※※
 

   再臨については、使徒パウロもたびたび触れ、希望をもって待ち続け
るようにと熱心に勧めています。ところがそのパウロも、再臨を見ること
はできませんでした。自分がもう世を去るときが来たと、テモテへの第
二の手紙で語ったとき、彼はすでに再臨に期待をおいていなかったよう
です。ただしそれは、再臨を信じられなくなったのではなく、自分も、再
臨が来る前に処刑されると悟っていたからです。再臨は新約聖書の教
えの中でも、最も重要なものです。そして現代のクリスチャンも、再臨を
待ち続けています。それでときおり、狂信的なクリスチャンや偽者のクリ
スチャンが現れて、何年の何月何日に再臨があるなどと言い出すので
す。ものみの塔(エホバの証者)という偽者のキリスト教団体などは、そ
のようなことを何回もくり返してはいつも予測が外れ、人騒がせをしてき
ました。



 ところでおもしろいことに、この再臨の教えはキリストの弟子トマスによ
ってインドに伝えられ、仏教に影響を与えて弥勒信仰という形となったと
いわれています。釈迦の誕生は紀元前800年から200年と推測され、
人によって随分差があります。そして最初の仏教経典が書かれたのが
紀元後200年ころですから、短くて400年ほど、長ければ1000年ほ
ども、時代にずれがあります。お釈迦様の実在を認めたとしても、その
長い期間、みな口伝えで伝えられて来たのですから、もともとの釈迦の
教えがどれほど正確に残ったかは不明です。


   弥勒信仰によると、釈迦は入滅後56億7000万年たつと(5億6700
万年との説もある)弥勒菩薩に姿をかえて、再びこの世に来てくださるこ
とになっていますが、気の遠くなるような年数です。キリストの教えでは、
いつかわからない日、盗人が押し入るように突如として現れるから、油
断せずに待っていなさいとなっていて、決定的にちがいます。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 





 

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聖書を読むぞー (40)        ヨハネ〜





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    4. ヨハネの福音書  



  マタイとマルコとルカは、基本的に同じような観点からキリストの生涯と教えを記しているために、共観福音書と呼ばれていますが、ヨハネだけはかなり異なった視点から同じ主題を取り扱っていますので、第四福音書と呼ばれています。この書にも著者名は記されていませんが、あらゆる証拠から判断して、キリストの12弟子の一人、使徒ヨハネだったとわかります。




    
ヨハネがこの福音書を書き残した理由は、読者たちが、イエスを神の子救い主であると信じ、命をえるためでした。彼自身が書き記している通りです。(21:31) ヨハネがこの書を書いたのは、実際にキリストを見たことがある人はほとんどいなくなった、1世紀の終わりに近い頃だったと思われます。当時、キリストの生涯や教えについての話を聞いたり、断片的にはかなり出回っていた福音書的な記録物語を読んだりして、心の中ではキリストを敬い、受け入れていた人たちもかなりの数に上ったことでしょう。しかし彼らは自分の信仰や知識に、確信を持つことができないでいたようです。そこでヨハネは、そのような人たちに一段と深い福音理解、一歩踏み出したキリスト理解をこめて、キリストの物語と教えを記し、彼らの信仰に確実な決意をもたらそうとしたのです。 



   したがって、ヨハネの福音書は他の福音書より強い神学的な骨組み、あるいは内容を持っています。たとえばキリストの生涯にしても、他の福音書のように、単純に誕生前後のいきさつから入ることはせずに、まず、永遠の昔から時を超え空間を超えて存在し、あらゆるものを創造し、また存在させた方としてのキリスト、誕生以前に第二格の神、ことばとして存在していたキリストを描き出しています。創世記には、「神」が「ことば」をもって天地を創造されたと、記されていますが、ヨハネの福音書では、「ことば」であるキリストこそが、天地を創造された方であると教えられているのです。




   
さらにこの「ことば」であるキリストは、光としてこの世においでになったのに、おいでになる前の「はじめから」この世におられたと言われています。ふつうは、見えない姿でこの世にいてくださったと言いますが、現代流で言うと、異なる次元でこの世にいてくださったとでも言えるでしょうか。このように、ヨハネの福音書には、単に非常に高尚な宗教家としてのキリストや、奇跡や癒しを行ってその「神的力」を認められたキリスト、あるいは父なる神に従いきって十字架で死んだキリストだけではなく、永遠の昔から神として存在し、この地球上にもいてくださったキリスト、次元を超え、人の姿をとってこの世に来てくださったキリストが、描き出されているのです。 



   ヨハネによると、三格一体の神の第二格の方が、光として、人間の姿をとって、ご自分の世界であるこの世に来てくださいました。ところが、この世は彼を拒絶しました。彼は人々に苦しめられ、裏切られ、十字架で悲惨な死を迎えたのです。その打ちひしがれた姿は、とても救い主とは思えません。しかし、彼を受け入れた人、すなわち彼を信じた人は、光の子となり、永遠のいのちを持つのです。 
 



   また他の福音書にも言えることですが、ヨハネの福音書では特にそれが顕著なのが、キリストの最後の場面に非常に多くを費やしているということです。キリスト教の二つの重要な儀式のうちのひとつである、聖餐式の制定やその神学的意味も、ヨハネの福音書独特の掘り下げをしています。このようなヨハネ独特の取り扱いが他にもいくつもあるために、この福音書を読みこなすには相当の神学的素地を必要とします。ところがその一方で、非常に分かりやすく書かれているために、初めて読む人にも、「なるほど」とうなずくことができるところがたくさんあります。
 


 
   この福音書には、鍵となるようなことばがいくつもありますが、特に大切なふたつだけ紹介しておきましょう。
 



  @ 「いのち」あるいは「永遠のいのち」 

 創造者であるキリストが、すべての命の源です。いのちはそれ自体では有限のものであり、ただ、無限の神に依存することで無限のものとなります。ここには仏教的ないのちの思想や、進化論的ないのちの思想、あるいはアニミズム的な命の感覚はありません。キリストがいのちであり、すべてのいのちはそのキリストによって造られ、キリストに依存することによって存在するのです。永遠のいのちとは、たんに永遠に、時間的に無限に続くいのちという意味だけではありません。その上に、質的な完全さを意味しています。喜びと平安に満ち、痛みも苦しみも、悲しみもない、完全ないのちという意味です。




  
A 「上から」あるいは「新しく」  
 
   「上から」ということばと「新しく」ということばは、原語のギリシヤ語では同じです。上からという意味と新しくという意味を含んだことばです。従って、前後の意味にあわせて、あるところでは上から、他のところでは新しくと訳されています。これはこの罪に汚れた地上の世界、罪によって破壊された古い世界に対し、罪の及ばない神の支配にある次元、やがてこの世界を一新する力を意味しています。




   
この福音書を書いたヨハネは、ヨハネの手紙を書いたヨハネと同一人物です。そのうち、一般のクリスチャンたちを対象に書かれた第一の手紙には、ヨハネの福音書と同じ思想、同じことばがそこここに見られ、互いに、注解書のような役割を果たしています。 





 
     5. 使徒の働き  




   この書物は、すでに述べたようにルカの福音書の続巻で、キリストの昇天から始まって福音伝道が進展して異邦人世界に及び、さらに、異邦人伝道という特別な使命を負っていた使徒パウロが、ついに当時の世界の中心であったローマに達したところまで記されています。




   使徒の働きは、この書によってだけ知ることができる重要なことが、たくさん記録されているためにとても大切です。ここでは、それらの中でも大切な三点を挙げておきましょう。



  
@     キリストの復活の物語以降の弟子たちの姿と、弟子たちの共同体である教会の誕生、またその初期の歴史を知ることができる。

  
もしも使徒の働きがなければ、私たちはキリストの死と復活の後、何がどのようになって教会が建てられ、どのような背景で新約聖書が書かれるようになったのか、まったく知ることができません。それでは新約聖書全体の理解に支障をきたします。特に、新約聖書の大部分を占め、神学的に非常に重要なパウロの書簡は、すべて使徒の働きに記録されている期間の中で書かれているために、使徒の働きの学びは、パウロ書簡の学びの前提条件のようなものとなります。



 A 教会の成長と発展、福音の伝播の歴史を知ることができる。
  
  初代の教会の実際の姿とその活動の様子がわかり、現代の教会の鏡とすることができます。また、キリストの福音がどのように理解され、どのような変化をたどったのかが鮮明にわかります。キリストの福音は、当初、ユダヤ人優先主義というか、ユダヤ人に限られたものとして理解され、異邦人の救いは例外的なものであると考えられていました。そのために、異邦人が救われるためにはまずユダヤ人にならなければならないと思われていたのです。しかしそれが、すべての民族すべての国民に対して平等の福音であると、正しく理解されるようになり、世界的広がりを持つようになって行ったいきさつが良くわかります。そういう意味では第15章がもっとも大切な章となります。
 


  B    
三格一体の神の第三格である聖霊と、そのお働きについて具体的に知ることができる。

  聖霊   のお働きについては、キリストの教えや弟子たちが記した書簡などからも、かなり理解することができます。しかし使徒の働きは、別名「聖霊の働き」と言われるほどで、そこには、さまざまな聖霊のお働きが具体的に記録されています。それで聖霊について、またそのお働きについて、他では不可能な学びができるのです。聖霊という言葉に注意して読んでみることです。 



  使徒の働きは大きく二つに分けることができます。ひとつはペテロを中心とした弟子たちの活動の記録で、1章から12章までです。もうひとつはパウロを中心とした弟子たちの活動の記録で、13章から28章までです。あるいは教会の地域的な発展という観点から3つに分けてみることもできます。最初はエルサレムという小さな町を中心とした働きで、1章から7章までです。次がより広い異邦人を中心とした働きに移行する中間的な働きで、8章から12章までです。それから、福音が本格的に異邦人世界にもたらされる働きで13章以降です。
 





 
    6. ローマ人への手紙  




    この書は使徒パウロがローマにある教会に宛てて書いたものです。パウロが教会に宛てて書いた手紙の中では、唯一、自分が建てたのではない教会に宛てたものです。また他の手紙が、教会の実際の必要に応じて書かれた、いわば具体的問題への応急的な内容を持ったものであるのに対して、ローマ人への手紙は、誰か他の人たちが建てた教会へ宛てた、挨拶的な意味合いが強いものです。そのために、具体的問題に対応する緊急な必要がなかったことから、福音の性質を深い神学的な洞察でゆっくりと取り扱った重厚な内容になっています。その内容の重厚さあるいは深遠さのために、この書を読みこなすのは並大抵なことではありません。とはいえこの手紙は、現代学者たちが好む神学の論文のようなものではなく、あくまでも、誕生間もない当時の教会全体に必要とされていた神学的な命題、あるいは具体的問題について語ったものです。




  
パウロがこの手紙を書いた頃、ローマは人口100万を超える大都市で、ローマ帝国の中心でした。そこにはかなり多くのユダヤ人たちも住んでいたようで、過ぎ越しの祭りなどのユダヤの祭りの時にはエルサレムに上る人たちがたくさんいました。たぶん、そのような人たちがエルサレムで福音を聞き、キリストを信じてローマに戻って、信じたことを語り続けたのでしょう。また、他の土地の異邦人教会から旅をしてきたクリスチャンたちもいたことでしょう。そのような人たちがいたるところで家の集会を持ち、交わりを保っていたのです。ローマに限ったことではありませんが、当時の教会は、ひとつの町にひとつの建物を建てて定期的に集まる、現代の教会のようなものではなく、個人の住宅などに集まっていたたくさんの小さな集会を総合して、ローマにある教会と呼んでいたのです。 



   深遠なローマ人への手紙を読むのは、相当聖書になじんだ人でも容易なことではありませんが、もっとも基本的な思想は、「福音は普遍的である」ということです。初期のクリスチャンたちは、ほとんど純粋といえるほど、ユダヤ人に限られていました。しかし数十年たつと、多くの異邦人、すなわち外国人たちが加わってきました。ユダヤ人たちはごく当たり前のように、自分たちの民族的優越感を持ち続けていました。自分たちは神に選ばれた民族であり、神の祝福はユダヤ人に与えられると信じていたのです。彼らにとっては、キリストの救いも、基本的にユダヤ人に限られていたものであり、もし外国人が神の救いにあずかりたいならば、まず正式にユダヤ人となるべきだと考えられていました。正式にユダヤ人になるためには様々な条件がありましたが、端的にまとめると、ユダヤ教を受け入れ、そのしるしとして、割礼という言葉に集約された儀式を受けることでした。ですから、ユダヤ人クリスチャンたちは、外国人がキリストを信じた場合、まず、割礼を受けるように主張したのです。



   
それに対して使徒パウロは、ユダヤ人の優越意識はまちがっており、神のみ前にはユダヤ人も異邦人も男も女もなく、すべての人間は同等であると教えたのです。そこで神の救いという祝福にも、ユダヤ人の優先順位などはなく、ユダヤ人も異邦人もまったく同じ条件でいただくことができると説明しました。その条件とはキリストを救い主として信じることです。つまり、イエスという一人の人物を、旧約聖書で預言されていた救い主であると認め、そのキリストに信頼することです。そこで、神の救いを受けるためにまずユダヤ人にならなければならないという理屈は成立せず、ユダヤ人になるための儀式である割礼も不必要であると諭したのです。この使徒パウロの深い洞察に満ちた教えをさらに発展させてまとめた言葉が、「信仰による救い」です。クリスチャンではない人たちがキリスト教を揶揄して言う、「信じる者はみな救われん」という言葉もここから出たものです。つまり、キリストの救いを獲得するためには必要なのは、ただキリストの購いというみ業に信頼することであり、一切の行い、業績、功徳あるいは犠牲などを必要としないという意味なのです。パウロはこの教えを、単なる理論的帰結や学びの結果として得たのではなく、神からの直接の教え、すなわち啓示として得たと主張しています。それはまた旧約聖書のハバクク書が語る、「正しい人は信仰によって生きる」と言う言葉の深い理解です。




※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※ 
※※※※※※※※※   割礼?  ※※※※※※※※※
 

  日本ではなじみのない風習ですが、諸外国では今でもごく一般的
で、
特に、砂漠地帯に暮らす民族の間では広く行われています。ふ
つうは幼少時
に行われますが、男性性器の包皮を切り取ってしまう
ことです。イスラエルでは、生まれてすぐにこの割礼をほどこすことが、
神からの命令として守られ、イスラエル人であることの証となっていま
した。そこで外国人がイスラエル人になろうとするときは、この割礼を
受けなければなりませんでした。ただし、割礼だけが条件だったので
はありません。割礼に代表される様々な規定があったわけで、女性に
は割礼の代わりに、他の規定が定められていました。新約聖書が割
礼を問題として取り上げているときは、割礼に代表される様々な掟と
いう意味です。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



   このようにして使徒パウロは、ユダヤ人の宗教であるユダヤ教の小さな一派という枠から福音を解放し、普遍的な宗教、全世界的な信仰へと飛躍させたのです。ローマ人への手紙はそのようなパウロの教えを、かなり広い視野から語り聞かせるものです。そういうわけで、多くの神学者たちは、この書物こそ聖書の中でもっとも神学的内容に富んでおり、キリスト教の真髄が記されていると考えているわけです。パウロのこのような理解が初期のキリスト教会の中で、全員に受け入れられるようになったいきさつは、使徒の働きの15章に詳しく記されています。 



   また、ユダヤ人と異邦人が交じり合って存在していた当時の教会には、当然、文化の衝突、人種の衝突、生活習慣の衝突などがあり、同じ神の救いを信じる人々とはいえ、様々な問題が表面化していました。そのような実情にもパウロは心を使って、真の一致を保つためにはどうしたら良いのかということを論じています。 



   ローマ人への手紙を理解するためには、その中で用いられている大切で独特な言葉を、いくつか理解しなければなりません。ここでは詳しく説明できませんが、大意だけをまとめておきます。




  
@ 「義」 この言葉は三つの意味で用いられています。第一は、神さまの聖い性質から現われてくる正しさです。神さまが正しい方であるというのはキリスト教信仰の基本です。第二は神さまと人間との正しい関係です。それは人間の努力によって作り上げられるものではなく、神の側から、キリストの購いのみ業を通して作り上げてくださるものです。第三は、神との正しい関係に入った人たちが生きる正しい社会生活で、日常の人間関係の中で現されます。パウロがローマ人への手紙で特に強調しているのは第二であり、どのようにしたら、人間は神の前に正しくありえるかという問題です。パウロは、それは人間の努力では絶対に不可能であり、神の一方的な救い、キリストの十字架のみ業に信頼することによって与えられるものであると説明しています。



  
A 「律法」 この言葉はもともとモーセを通して与えられた様々な戒律を意味していましたが、広く、モーセの五書、さらには旧約聖書全体を意味することもありました。ローマ人への手紙の中でも同じような意味で用いられていますが、旧約聖書に示された正しい神の、正しい要求という意味合いが強く出ています。ユダヤ人たちの理解によると、人間はこの律法をこと細かく守ることによって神に「義」と認められ、神の救いと祝福を受けることができるはずでした。ところがパウロは、「律法を守ることによっては絶対に神から義と認められることはない。なぜなら人間は、律法を完全に守ることなど決してできないからである」と教えました。律法の本当の目的は、人間がそれをこと細かく守ることではなく、神の要求のスタンダードの高さを示すことだったのです。その律法によって、人間が神の要求にはとうてい到達し得ない存在、つまり、罪人にすぎず、神の憐れみの救いを必要としていると悟り、神が提供する救いを感謝して受けることができるために与えられたのです。パウロの出現によって初めて、律法の本来の目的が理解されたのです。



 
B 「行いと信仰」 行いというのは、律法を守り、神の義を獲得しようとする人間の努力を意味し、信仰とは、行いによっては絶対に神の義を獲得することは不可能だと知って、神が提供してくださる救いを受け取る心の行為を言います。信仰とは、キリストが私たちの罪の身代わりに死に、ご自分の義を私たちに与えてくださるという、罪の転嫁と義の転嫁、あるいは罪と義の交換ともいえる救いを感謝して受け入れ、それを行って下さった神を信頼することです。一切の行いを否定し、ただ神の救いを信頼することです。



  
C 「肉」 この言葉は、体とか人間、あるいは生まれながらの人間の弱い性質という意味でも用いられていますが、特に重要なのは、これは神の救いを受けていない人間の罪の性質を意味していることです。神の救いを受けた人間は、神の聖い霊、すなわち聖霊の力によってこの肉の性質と戦い、次第に聖霊に導かれる生き方をするようになりますが、この世界に生きる限りは、この肉の性質と戦い続けることになります。



  
D 「霊」 この言葉は、神の第三格である聖霊を意味することがある一方、「肉」に対抗することができる力としても用いられています。神の救いにあずかり、罪の束縛から解放されて、新しくされた人間の性質、あるいは聖霊によって励まされて、正しいことができるようにされた人間の性質を現しています。



 
E 「罪」 神の義の標準あるいは要求に到達し得ない、人間の性質のことです。犯罪ではなく、その犯罪の原因となる、人間の性質です。したがって、すべての人間は罪をもったもの、すなわち罪人であるということになります。罪は神の義の性質に反するために、罪を持ったまま神に近づくことができません。しかし、キリストの身代わりの死を通して、私たちの罪は罰せられたのです。それで私たちは、罪の正当な刑罰を受けたものとして、つまり、罪の代価の支払いを済ませたものとして、神の前に出ることができるのです。




※※※※※※※  ちょっとした話  ※※※※※※※※
※※※※※※  使徒パウロについて ※※※※※※※
 
 
   キリストにはたくさんの弟子がいましたが、その中から、特に12
人が選ばれて、使徒という名前を与えられました。もともとは「使命
を与えられて遣わされる」という意味でした。この12人が初代の教
会の中心となりましたが、なかでもペテロが指導的な役割を負って
いました。しばらくたつと彼ら以外にも使徒と呼ばれる人たちが現
われました。その代表が使徒パウロです。


   パウロは、生前のキリスト会に会ったことはないと思われますが、
厳格なユダヤ教徒としてパリサイ派の高等教育を受けていました。
それで、キリストを救い主と信じる人々が増え始めることに危機感
を抱き、この「異端」を壊滅しようと激しい迫害を始めました。ところ
がその迫害旅行のさなかに、甦られたキリストに出会うという強烈
な体験をして回心し、キリストの弟子となります。


 その後彼は、神からの特別の任命を受けて異邦人のための使徒
となり、その使命にふさわしく、神からの啓示によって異邦人のため
の新しい福音理解を与えられます。この啓示が、ユダヤ人にならな
くても神の救いにあずかることができるということだったのです。それ
をパウロはユダヤ人になるための割礼を受けるという行為に集約し
て論じ、そのような行為によらない「信仰による救い」という、キリスト
教の中心的神学をまとめ上げました。パウロは新約聖書の中で12
の書簡を書き、キリストの教えを体系的にまとめて、キリストを信じる
信仰を世界の信仰にした人物です。紀元65年前後に、ローマで殉
教したと伝えられています

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 



使徒パウロがローマ人への手紙を書いたのは、まだ自分ではローマに行っていなかったときですが、その後、彼がローマに向かって旅をする様子とローマでの囚われの生活の様子は、使徒の働きの27章と28章に記されています。

  




posted by ms at 13:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 聖書通読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

聖書を読むぞー (39)       マタイの福音書




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B. 新約聖書

 
   1. マタイの福音書    




   この福音書は早くから、キリストの12人の弟子の一人だったマタイによって書かれたと、言い伝えられてきました。確かに内容を細かく調べてみると、マタイによって書かれたと考えるのが一番良いと判断される記述がたくさんあります。そこでこの福音書には著者の名が示されていないにも拘わらず、昔からマタイの福音書と呼ばれてきました。




 
マタイのヘブル語の名前はレビで、他の福音書の記述ではレビと呼ばれています。ところがマタイの福音書だけはマタイと呼んでいます。彼自身、「神の賜物」という意味のこの名前が気に入っていたのでしょう。それは、使徒パウロがユダヤ名のサウロ(大きい)からローマ名のパウロ(小さい)に変えて、これを愛したのに似ています。マタイは自分の不名誉な過去を隠さず、あえて収税人マタイと明記しています。 



   マタイの福音書が新約聖書の最初におかれたのは、実に適切でした。マタイがこの福音書で明らかにしようとしたのは、旧約聖書で約束され待ち望まれていた救い主が、イエスであるということだったからです。この福音書は、旧約と新約の橋渡しの役割を果たしていると言えるのです。初めて聖書を読む人たちの出鼻をくじく第1章のカタカナ名の羅列も、当時のユダヤ人にとっては非常に大切であり、橋渡しの橋の手すりのようなものでした。彼らは救い主、すなわちキリストを熱心に待ち望んでいましたが、その救い主はダビデ王の家系から生まれると、旧約聖書に予言されていたからです。マタイはまず、イエスこそ旧約聖書で約束されていたダビデの子、キリストであることをはっきりと示すために、あえてあの長い系図を載せたのです。
 



   そういうわけでマタイの福音書は、ユダヤ人たちに向けて書かれたキリストの生涯と働きと教えの記録であることがわかります。そこここに、読者がユダヤ人であることを意識した記述がありますが、特に、旧約聖書からの引用が非常に多いだけでなく、しばしばイエスの行動が旧約聖書で予言されていたことの成就であると説明され、十字架の死や甦りまでも旧約聖書の予言の遂行として記録されているのが特徴です。旧約聖書をあまり知らない異邦人(外国人)には、おおよそ意味のない記述であっても、ユダヤ人にとっては、イエスと言う人物が救い主キリストであるという、強烈な主張を読まされることであり、またもっとも効果的な証明を見せられることだったのです。
 



   この福音書はまた、ユダヤ人独特の歴史記録の方法を取っています。それは、普通の歴史書を読み慣れている私たちには少々わかりにくいのですが、物事を記録するのに、必ずしも時間の経過に従ってではなく、出来事の内容が類似したものをひとつにまとめて、あたかも同時に起こったことであるかのように記していく方法です。ですから、たとえば、有名な山上の垂訓といわれる一連の教えは、(5章〜7章)必ずしも同じ時にあれだけの教えがまとめて語られたのではなく、異なった時に、いろいろな場所で教えられた同類の教えが、ひとつにまとめられたものなのです。 それでいて、全体的には時間の経過にそって記録が進められています。注意深く読むと、マタイは五つの叙述的な記録と五つの説教の記録を交互に残しているのがわかります。このあたりは、現代の私たちの歴史記録と同じ方法を取っている、ルカの福音書と比べてみると分かります。なんとなく、ルカの福音書のほうがすっきりと読みやすい感じがするのは、そんなわけもあるかと思います。
 



   キリストの弟子となる前のマタイは、当時のユダヤ人社会では最も軽蔑され嫌悪される、収税人という職業についていました。収税人は、まさにヘビやサソリ、あるいはゴキブリやカメムシのように嫌われていましたが、それなりに高い能力を必要とする職業でもありました。お金に関することや計算、細かい記録などはお手の物だったのでしょう。マタイの福音書には、そのような著者の細かいところに注意が及ぶ性格が良く現れています。
 



※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※
※※※※※※※※※ 収税人? ※※※※※※※※※


  福音書の中では「収税人」は売春婦や強盗などと同じように、
憎むべき罪人として取り扱われています。実際、当時の人々は収
税人を蛇蝎(ヘビとサソリ)のように嫌っていました。ユダヤ人が非
常に愛国的であったにもかかわらず、数百年にわたって、さまざま
な外国の植民地として苦しんできた歴史に由来します。収税人は、
当時の宗主国ローマの手先となって、同胞のユダヤ人から税金を
取り立て、ローマに納めていたのです。ですから、愛国的なユダヤ
人にとってはまさに売国奴、非国民、犬畜生にも劣る輩だったの
です。しかも収税人の多くはローマの権威をかさに着て、不正な取
立てを行い、私服を肥やしていました。まさに「トラの威を借る狐」
だったのです。一方キリストは、そのような収税人を受け入れ、彼
らの友となって行きました。それは、多くの売春婦や強盗たちと同
じように、彼らこそ自分が罪人であるということを痛いほど知り、神
の救いを受け入れる心の準備ができていたからです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 



 

   ですからマタイは、キリストの弟子たちのなかでもユニークな気持ちで弟子になったひとりです。彼はまさに、「丈夫な人に医者はいらない。いるのは病人である。私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」という、キリストのお言葉によって弟子に加えられた人物なのです。自分は惨めな罪人で救い主が必要だと常日頃から感じていたので、たとえば、ペテロやヨハネやヤコブのように、「俺はひとかどの男だ」などと思い上がることがなかったのです。



   
マタイの福音書にはさまざまな特徴がありますが、ここで大切なことをひとつだけ明らかにしておきましょう。それはマタイが「天国」という言葉をたくさん使い、天国についてのキリストの教えをもっとも多く残していることです。他の福音書は同じ記述を残した場合でも「神の国」という表現を用いています。ユダヤ人に向けて書いたマタイは、ユダヤ人が非常に神を畏れ敬うことから、普通「神」という言葉を避け、代わりに「天」という言葉を用いたところから、その習慣に従ったのです。



  
 「天国」あるいは「神の国」は、キリストの教えの中核をなすもので、すべての教えの背後にはこの天国の思想があります。ですから、マタイだけではなく、新約聖書の著者はみな、この天国の思想を受け継いで書いているのです。この天国は、正しい人が死んだら行くところ、星のかなたにある極楽のような場所という意味ではありません。もちろん、この世で結ばれなかった二人が心中をしたら結ばれる場所でもありません。「神」の代わりに「天」が用いられただけなのです。 



   また「国」という言葉も、本来、私たちがふつうに使っている「国」という意味とは異なっています。国境があるひとつの政治的まとまりのある地域ではなく、「支配」とか「統治」という意味でした。したがって、天国とは「神の統治」あるいは「神の支配」という意味です。その神の支配の中に、永遠の命も、新しい天と地も、この世界も、罪人の刑罰も含まれるのです。旧約聖書が予言したイスラエルの回復も、キリストの明確な教えによって明らかにされたところによると、この神の支配の現われ、神の国の実現のひとつなのです。(拙著「神の国」参照)




   
またマタイの福音書の後半には、世の終わりの教え、いわゆる終末の教えがなり長く記されていますが、それもまた旧約聖書の予言と関わるものですが、神の国の理解をもって始めて正しく理解できるものです。ですから、マタイの福音書をはじめとして「天国」あるいは「神の国」という言葉が出てきたら、「神の支配」と読み替えてみると、意味が取りやすくなります。  




     2. マルコの福音書   



   新約聖書の2番目におかれているこの福音書にも、著者の名は記されていません。しかし古くから、この福音書の著者はイエス・キリストに従っていた金持ちの夫人たちの一人、マリヤの息子のマルコだったと考えられています。福音書の記事の特徴もその理解を裏付けています。マルコはキリストの在世当時、まだ若者に過ぎなかったためにキリストの弟子としては選ばれていませんが、キリストの姿を自分の目で見、その教えを自分の耳で聞いた人物です。
 



   マルコはまた、使徒の働きに出てくる裕福なレビ人バルナバの甥であることがわかっていますので、レビ人であり、当時のローマの傀儡政権であった大祭司の一族とも関係があったと考えられています。また、彼はバルナバとパウロが異邦人伝道に出かけるときに助手として同行しますが、途中で働きを放棄して帰ってしまいました。多くの学者たちは、マルコがまだ経験不足の甘ったれた若者で、異邦人伝道の厳しさから逃げ出したのだと考えていますが、筆者の見解ではまったく違います。マルコはこの伝道旅行の時には立派な大人であり、パウロと同年と考えるべきです。彼が途中で棄権したのは、むしろ、袂を分かったと理解すべきです。
 



   マルコはレビ人のエリートで、当然、ユダヤ教のサドカイ学派の教育を受けた、強烈な愛国主義者であり、ユダヤ人中心主義、神殿中心主義者でした。ところがパウロは、何かにつけサドカイ派と争っていたパリサイ派のエリート教育を受けていた愛国主義者でしたが、普遍的福音という神からの啓示を受けて、マルコが固く信じていた神殿中心主義を退けただけではなく、ユダヤ人の誇りとして持っていたユダヤ人中心主義さえ否定したのです。それで、彼は我慢ができなくなったのでしょう。随分後になって、マルコはパウロが教える教えの正しさを理解し、福音の普遍性を受け入れ、正しいクリスチャン信仰に入ってきたために、パウロからも、再び同労者として認められています。
 



   またマルコは、使徒の中でも中心的な人物だったペテロに随伴していたことも知られていますので、キリストの生涯と教えの記録を残すにはふさわしい人物でした。マルコの文章の特徴は簡潔であることで、彼の福音書は四つの福音書の中では一番短いものです。ただし、彼が記録したひとつひとつの物語はマタイほどには整理されておらず、むしろ長めになっています。ただ、全体の進み具合が簡潔で、「すぐに」あるいは「直ちに」という意味の言葉が随所に置かれたり、過去の出来事を現在形で表現する方法がとられていたり、きびきびとしたキリストの行動が強調されています。そこである人たちは、これはてきぱきとした行動を愛するローマ人の気質に合うと判断して、たぶん、ローマ人読者を念頭において書かれたのだと考えます。ありえないことではありません。
 



   ある人たちは、マルコの福音書の短さや、マタイとルカの記録がマルコの記録を参考にしたと考えられなくもないことから、これが福音書の中では最初に書かれたものだと言いますが、確実なことは不明です。 
 



   マルコの福音書も、神の国を主題として書かれていますが、ユダヤ人の習慣に気を使う必要がなかったために、天国という言い回しは用いずに、はっきりと神の国と言い切っています。マルコもまた、イエスという人物が旧約聖書の予言で語られている救い主、すなわちキリストであることをさまざまなやり方で説得しようとしていますが、その方法はマタイの場合とは少しばかり異なっています。



※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※
※※※※※※※  パリサイ人    ※※※※※※※


 

   先に簡単に触れましたが、福音書を読む上でとても大
切ですので、少しくわしく説明しましょう。


  
イエス・キリストの時代のイスラエル人は、みなユダヤ教信
者でした。 ユダヤ人とユダヤ
教徒は同じ意味だったのです。
(現在のイスラエルでもほとんど同様です)でもそのユダヤ教
の中にも、いくつかの派がありました。そのうちで、もっとも有
力だったのがサドカイ派とパリサイ派で、聖書の中にもしばし
ば登場します。
 


   サドカイ派とはたぶんこの派の創設者、 あるいはこの派の
人々が尊敬してやまない人物に
ちなんでつけられた名前らし
く、主に祭司階級の人々が所属していたエリート派で、実質
的に
大祭司がそれを支配していたようです。彼らはイスラエル
人の宗教生活の中心であった神殿に関わる仕事をはじめ、さ
まざまな分野で指導者でしたが、宗主国ローマから民衆を支
配する実権を与えられ、傀儡政権となっていました。彼らもま
た祖国イスラエルの独立復興を心から願ってはいましたが、ど
うしてもローマの顔色を伺い、下手な騒ぎを起さず、平穏無事
であることを願う傾向が強かったのです。もしも本物の救い主
が登場したならば、当然、ローマを裏切ってもそちら側につく
覚悟はあったとしても、怪しげな「救い主」には非常に強い警
戒心を持っていました。中途半端な暴動などが起こるとたちま
ちローマ軍に制圧され、独立はますます困難になるからです。


   そこで、田舎者に過ぎなかったイエスという男がキリストであ
ると主張して登場したとき、彼らは半信半疑、疑心暗鬼で、さ
まざまな方法でイエスを試み、はたして本物の救い主なのか
どうか判断しようとしたのです。その結果、彼らはイエスを偽の
救い主と判断してしまったわけです。もちろん、イエスが彼らの
偽善性を鋭く暴いたことや、民衆の間でイエスの人気が高まり、
サドカイ派の影響力にもかげりが出始めるほどだったことなど
が、彼らの怒りを掻立てたことも大きな要因でした。 


    またサドカイ派は唯物論的な傾向を持ち、霊や天使、あるい
は復活などを信じていませんでしたので、キリストや彼の弟子
たちの教えに鋭く対立をしました。そのようなことからサドカイ
派は、もっとも強烈にキリストを迫害する集団となって行ったの
です。

  
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

   3. ルカの福音書   



   ルカの福音書にも著者名は明記されていませんが、あらゆる証拠と状況の判断から、ルカが書いたことは間違いがありません。ルカは聖書記者としては唯一の非イスラエル人、つまり異邦人です。しかもルカは言うならば第2世代のクリスチャンで、生前のキリストに会ったことはないために、彼の記録はすべて、間接的な情報によるものです。ところが彼の記録がもっとも詳しく、他の福音書では触れられていないことが、たくさん記されています。彼の綿密で注意深い情報収集と編纂能力の賜物といえます。
 



   ルカの福音書よりも先に、キリストの生涯や教えを記した断片的な文書が多数出回っていたことはルカ自身が福音書の最初の部分で語っているとおりです。ただ、まとまったもので広く読まれていたといえば、たぶんマルコの福音書だけだったでしょう。あるいはマタイの福音書がすでに記されていたかもしれませんが、まだ、さほど広くは行き渡っていなかったと推測されます。当時は、キリストの姿を自分の目で見、その教えを直接聞いた人々の数がだんだん少なくなっていた頃でした。そのために、口伝えによる不確かな情報が行き交うようになっていたらしく、信徒たちの確実な信仰形成のためにも、未信者への伝道のためにも、正確なキリストの言行録が必要とされるようになっていました。また、キリスト昇天後の弟子たちの活動と福音の伝播の記録も、その歴史の背後の神学的要因とともに、はっきりと残しておく必要に迫られるようになっていたのです。 



   その大役を果たそうとしたのがルカだったというわけです。たとえ生身のキリストに会ったことはなくても、ルカはキリストを直接知っている多くの人々と親交を持つことができましたし、さまざまな資料も集めることができる立場にいたようです。また使徒パウロの弟子として、彼からの情報と神学的教えを受け、単に歴史的に正確な書物ではなく、神学的にも太い柱を持った書物を書き上げることができたのです。


 


   ただ、理解しておかなければならないのは、ルカにしてもマタイにしても、あるいはマルコにしても、単に出来事の正確な記録を羅列したわけではないことです。それぞれのやり方で、その当時許されていた方法で編纂し、あるところは単純化し、あるところは強調し自分の言いたいことを言っているのです。彼らは21世紀に生きている私たちを想定して、私たちに受け入れられやすい方法でこれらの記録を残したのではなく、彼らの時代の人々に、彼らの時代のやり方で書き記したのです。たとえばマタイは、キリストの系図を記すときに、正確さよりも単純さや覚えやすさを優先して、14代14代14代と区切って記しています。本当は14代X3というものではなかったのです。現代流の考え方では不正確、あるいは嘘ですが、当時のものの考え方では許されていた、あるいはむしろ普通だったのです。面白いことにルカが記したキリストの系図は、マタイの系図と随分異なっています。これも、当時許されていた方法で、マリヤ側の系図を書いたと考えられます。ヨセフの父と訳されている言葉は、当時、ヨセフの義父とも理解できた言葉だからです。日本語でも、「ちち」と言うとき、「父」も「義父」もあるのですから、いくらか理解できそうです。




※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※ 
※※※※※※※※  パリサイ人    ※※※※※※※※



   これも先に説明しましたが、キリストの生涯と働きを理解す
るのに非常に大切ですので、もうす
こし加えておきます。


   キリストの時代のユダヤ教には、サドカイ
派に対抗するパリサイ
派という強い派がありました。この派はサドカイ派のような身分
的なエリート集団ではなく、一般庶民からなる派でした。当時の
ユダヤの議会(70人で構成されていたために、70人を意味する
サンヘドリンとよばれていました)はこの二つの派が牛耳ってい
ました。数の上ではパリサイ派が勝っていたようですが、政治的
実権は、ローマの傀儡(かいらい)としてサドカイ派が握っていま
した。


 パリサイ派の人々は、非常に厳格な宗教戒律をもって、それを
守ることを自分たちの存在の理由と誇りにしていました。彼らは
聖書の戒律だけでは満足できず、それに加えて、日常生活の隅々
にまで及ぶ、細かい定めごとを作ってそれを守ろうとしました。そ
してそれらを守ることができない人々を見下していたのです。パ
リサイとは「分ける」という言葉から派生した言葉で、「俺たちは
他の連中とは違うんだ」という意識が、その名前にもありありで
した。


 
    キリストは、そのようなパリサイ人の考え方と態度を非常に厳
しく叱責し、欺瞞と偽善と高ぶりを暴露して行ったのです。一般
的に言って、パリサイ派の人々は確かに立派な人たちでした。と
ころが、自分自身を正しい人間であると判断して誇ることこそ、
神がもっとも憎まれる行為であり、罪人を救うキリストの救いを拒
む原因だったのです。キリストは、そのような彼らが自分の偽善性
に気づき、悔い改めることができるように、あえて、きつい言葉を
もって彼らに語ったわけです。それがキリストに対する彼らの嫌悪
と憎しみのもととなり、キリストの死へとつながって行ったのです。


 偉大な使徒パウロはこのパリサイ派の高度な教育を受けた人
物でした。パリサイ派の自己義と欺瞞こそ、キリストの激しい叱責
の原因となりましたが、彼らの神学的立場は、基本的にキリストの
立場と同じでした。したがってパリサイ派の人々は、サドカイ派の
人たちより容易に、キリストの弟子になることができた一面がある
のです。事実キリストの在世当時から、パリサイ派の人たちが数人、
キリストの弟子となっています。

※※※※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※※


   ルカの著作は上巻と下巻に分かれていて、上巻がルカの福音書であり、下巻は使徒の働きであることについてはすでに述べたとおりです。ルカは上巻の福音書において、イエスと言う歴史上の人物が、旧約聖書で予言され、待ち望まれてきた救い主であることを明らかにしています。しかし彼の関心はそこで終わっていません。その救い主が、実は、狭いユダヤの民族主義に留まらず、むしろユダヤ人を通して出現した、全世界、全民族の救い主であることを強烈に主張します。ルカはその主張を表立った神学的議論ではなく、教会の発展と福音の伝播の歴史物語を通しておこなったのです。もちろん、他の福音書記者たちも、キリストを全世界の救い主と認めて福音書を書いていますが、ルカのように明確な神学的主張をもって書ききってはいないのです。



  
また、ルカの福音書と使徒の働きで強く打ち出されているのは、神の第三格者である聖霊の役割と働きです。キリストの生涯を記録した部分では、当然、聖霊のお働きは背後の目立たない形で記されています。ところが使徒の働きでは、それが前面に押し出されています。ある人たちは、「使徒の働き」という名よりも、「聖霊の働き」という名のほうがふさわしいと考えているほどです。 



   ルカの福音書と使徒の働きは、両書の導入の部分でわかるように、テオピロと呼ばれる身分の高い人物に宛てて書かれたものです。ただし内容からいうと、一人の人物ではなく、大勢の読者を前提として書かれたことが明白です。いまでも、多くの読者を想定して書いていながら、ある特定の人物に捧げるという書き方をすることがめずらしくありませんが、当時はそれがごく普通だったのです。また宛名のテオピロという名前が、「神を愛する」という意味であることから、はじめから一人の人物ではなく、クリスチャン一般を想定したのだと言う意見もあります。ただ、テオピロという名は当時ごく普通の名であり、やはり、クリスチャンになりかけていたか、キリストの生涯と教え、そして福音の伝播にかなりの興味を持っていた人物と考えるのが自然です。その人物が、閣下と呼ばれるほどの高い地位にいて、それ以後の教会の発展にも、かなりの影響を及ぼすと考えられたのでしょう。この文書はクリスチャンたちを教え励ます力を持っていますが、まだクリスチャンになっていない人々への説得力も備えていますので、ルカはその両方を念頭において記述したと思われます。
 



   ルカの記述は、ギリシヤ人としての生まれや医者としての教育に関わるのか、正確なギリシヤ語による配慮の行き届いた記録となっています。またギリシヤ的な記述法になっているため、現代の私たちには読みやすい文書です。ところで、「聖ルカ」と名づけられた病院が世界中にありますが、これは医者であったルカにちなんでつけられた名前です。杏林病院と言うのが中国の昔物語から来ているのと似ています。ただし、東京にあるのは「聖路加病院」と漢字で書かれているために、「セイロカ病院」と間違って呼ばれることが多いようですが・・・・。
  







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聖書を読むぞー (38)       ホセア書




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   26. ホセア書   



  この預言の書物は、紀元前755年から725年ころに北朝イスラエルで預言活動をした、ホセアという人物の生活と預言を記したものです、ホセア本人によって書かれたものと考えられています。ホセアの預言にも、神からの直接与えられた言葉の預言と、神に命じられてホセアが象徴的な行動で示した預言があります。その両方の預言がひとつに織りなされて、北朝イスラエルと南朝ユダに対する厳しい宣告となっています。




   
ホセア書には書かれた背景や、物語の説明がほとんど記されていないために、正確に理解することが困難であり、いくつかの解釈がありますが、以下のように考えるのがもっとも可能性が高いと思われます。



   
ホセアの預言は、イスラエルとユダが神を裏切って行くにもかかわらず、神はどこまでも彼らを見捨てないで愛し続けるということを語っています。ホセアはまず、神に命じられた通りに、ゴメルという子持ちの淫乱な女性と結婚しこれを愛しますが、ゴメルはホセアの真摯な愛をもてあそび、他の男のところに走って落ちぶれ、奴隷となってしまいます。ところがホセアは、またも神に命じられたままにこのゴメルを買い戻し、再び自分の妻とするのです。神に告げられたとおりに行った、ホセアのこの一連の行動は、イスラエルの背信を許し受け入れる神の愛を、象徴的に示しているわけです。神の命令とは言え、ホセアの切なさが読むものの胸に迫ります。当時のイスラエルは、バアルという豊穣の神、作物を豊かに実らせるという神を信じる信仰に流れ、それにまつわるさまざまな悪い風習、たとえば奔放な性生活、あるいは子供を豊穣のための犠牲として殺すような行為に、染まって行ったのです。  



   ホセア書は、神の忍耐深さ、愛の強さを教えています。聖書の神は、人間の少々の間違いや失敗を取り上げて、お見捨てになる神ではないのです。
 





 
  27. ヨエル書   




   この預言の書物は、ヨエルという人物によって書かれたものです。たぶん紀元前9世紀の後半に活躍したと思われますが、ヨエル書にも他の聖書の記述にも、ヨエルの年代を特定する資料がないために、正確なところは不明です。ただ、ヨエルの預言の内容は明快です。




  
ヨエルの預言の主題のひとつは「いなご」です。イナゴの被害は、現代でも中近東をはじめいろいろな地域で見られますが、昔から、非常に甚大な被害を及ぼすものとし恐れられてきました。旧約聖書の時代にも、イナゴの被害はもっとも恐れられていた天災のひとつでした。この天災が、ヨエルの時代の南朝ユダ王国を襲ったのです。ところがヨエルはこれを単なる天災とは考えず、ユダの人々の背信に対する神の警告として受け止め、天災が再び襲って来ることがないように、悔い改めを迫ったのです。



   ヨエルの預言には、もうひとつ「主の日」という主題があります。これは先の「いなご」の天災と関連したもので、「主の裁きの日」、あるいは「神が絶対の権威をもって人間の歴史に介入される日」という意味です。ヨエルはこの「主の日」をヨエルの時代からすぐ後のこととして描きながら、さらに主題を展開して、世界の終末的出来事としての神の裁きについても語っています。ですから、現代の私たちから見ると、「主の日」はすでに到来したものでありながら、さらにこれからやって来るものとなります。   





  28. アモス書 
   




   アモスは紀元前760年ころに活躍した預言者です。もともとは南のユダ王国の出身で羊飼いをしていたようですが、神の召しを受けてイスラエルに対する預言者となりました。アモスの時代は比較的穏やかな情勢で、人々はある程度の繁栄を楽しみ、宗教的にもそれなりに熱心に礼拝を守り、ささげものをし、謙遜さを保っていたようです。ところが、そのような外面的な信仰深さと謙遜さの裏には、悪がはびこっていたのです。とくに上層部の人々の正義感が腐れ、貧しいもの、弱いものが忘れられ、見捨てられていました。つまり、信仰が世俗化して真の精神が忘れ去られていたのです。このような状態に対して、アモスは神からのメッセージとして、まるで切りかかるような鋭い言葉を語りました。それがアモス書として記録されたのです。
 





 
  29.  オバデヤ書   




   オバデヤという人物が一体どのような人物で、いつどこで活躍したかは特定ができません。ただ、いろいろな事柄を考え合わせると、たぶんユダの王ヨラムの治世に(紀元前848〜841)預言者としての働きをしたと考えるのが、一番ありそうなことと思われます。オバデヤ書は旧約聖書の中でもっとも短い書物で、たった1章だけです。




   オバデヤの預言は、イスラエルの敵であったエドムに対する裁きと滅亡、そしてユダの人々が彼らの土地を占領するという予告です。エドム人というのはアブラハムの孫であったヤコブの兄、エソウの子孫であり、大国になったことはありませんでしたが、イスラエルの根強い敵対者としてたびたび歴史に登場します。オバデヤの時代からはるか後のキリストの時代にさえ、ユダヤを治めていたヘロデ王は、このエドム人の血を引くイドマヤ人であったことが知られています。 



   オバデヤ書の内容はエドム人の滅亡ですが、エドム人に対して語られた預言ではなく、ユダの人々を励ますために書かれたものであると考えられます。旧約聖書の預言は、たとえ他の民族について語っていても、必ず、イスラエル民族のために語られているものだからです。
 





 
  30.  ヨナ書   




   この書物は預言書の中に加えられていますが、実際の預言はわずか一行に満たない短いものしか記されていません。内容はむしろ、ヨナという人物の神への反抗記録とも言うべきもので、その記録の背後に流れる、人類に対する神の憐れみが主題です。ついでながらヨナとは「鳩」という意味で、イスラエルではどこにでもいた人の名であり、キリスト時代にもこの名が付いた人物はたくさんいたようです。ギリシヤ語で書かれた新約聖書では、ギリシヤ化された「ヨハネ」という名前になっています。ヨハネの福音書を書いたヨハネも、普段はヨナと呼ばれていたのでしょう。




  
ヨナ書に記されている出来事は、まず間違いなく紀元前760年前後、アッシリヤ王国が力を弱めていたアシュル・ダン三世の治世のときと考えられます。ヨナが生活していたイスラエルでは、ヤロブアム2世の時代(列王記U14:25)でした。



   
ヨナ書は一読すると忘れられない書物になります。なにしろ、大の大人が巨大な魚に飲み込まれ、三日三晩その腹の中で過ごすのですから。子供たちにも人気の書物です。普通は、「神さまの命令に背いて逃げ出しても、やっぱり、神さまに従わなければならなくなった、おバカさんのヨナさん」という話で理解されてしまうのですが、ヨナ書の伝えようとしていることはもっともっと深いものです。



  
すでにいく度か触れていますが、アッシリヤはイスラエルの脅威であり、たびたびイスラエルを侵略し、ついには、イスラエルを壊滅させてしまう強国でした。そのような脅威の敵国の首都に乗り込み、その罪を糾弾し、神の裁きを語れというのがヨナにたいする神の命令でした。普通の人物ならば、狂喜したかもしれません。敵国の首都が滅ぼされる。それは自分の国の救いにつながるからです。たとえ敵国の心臓部に殴りこみをかけるような預言をし、自分の命を危険にさらすことになったとしても、愛国的なイスラエル人にとってはまさに本望です。



   
ところがヨナはさっさと逃亡を図って、ニネベとは反対方向のタルシシ(現在のスペインと思われる)へ逃れようと船に乗るのです。国を愛していなかったからでも腰抜けの弱虫だったからでもありません。ヨナは、身を張って神様と言い争っていたのです。それが、4章で明らかになります。ヨナは、神様が憐れみに富み、怒るに遅い方であり、たとえ「私のまえに上って来る悪のために彼らを滅ぼすと」おっしゃっても、人々が罪を悔い改めるならば、必ず彼らをお許しになると知っていたのです。そのために、自分がニネベに行って迫りくる裁きについて予告をするならば、ニネベの町が悔い改めて滅ぼされることがなくなってしまうのを嫌ったのです。ヨナは敵国の首都が滅ぼされることを心の底から願い、そのために命を賭けて神さまとかけ引きをするわけです。 



   ヨナ書はなかなか文学的な書物で、すっきりした余韻を残します。神様がこの書物を通してお語りになろうとしたことは、神さまの愛と救いの普遍性です。イスラエル民族は、確かに神の選びの民族でした。でも、イスラエル民族の救いのために選ばれたのではありません。あくまでも、世界中のすべての民族の救いのために用いられる器として、選ばれたのです。ところがイスラエルの人々は選ばれたことを誇って過激なまでに愛国的になり、排他的になっていきました。そこで神さまはヨナの物語を通して、ご自分の愛と救いはイスラエルだけに留まるものではないことを、お示しになったのです。
 



   そこまで理解すると、ヨナという人物は、たんに神さまに反抗しただけの愚かな人間ではないことがわかります。神さまのご性質を深く理解し、ニネベを滅ぼすというお言葉には裏があると喝破しただけではなく、徹底した愛国者として、負けると知っていながら身をもって神と言い争い、見事にすっきりと完全敗北をするのです。
 



   ヨナの出来事からおよそ40年後の紀元前721年、ヨナが愛してやまなかったイスラエルは、ヨナが行って預言したニネベを首都とするアッシリヤに、完全に滅ぼされ消滅してしまうのです。またそのアッシリヤも、ヨナの予言から150年ほどに後、首都ニネベともどもバビロンによって完全に滅ぼされてしまいます。そのアッシリヤの滅亡を火のような言葉で予言したのが、後に述べるオバデヤです。たぶん、ヨナはオバデヤの役割を果たしたかったのでしょう。そしてバビロンはペルシャによって滅ぼされ、ペルシャはギリシヤに滅ぼされ、ギリシヤもまたローマに滅ぼされ、キリストの時代へと移っていくのです。ヨナ書を読むと、まさに歴史を支配しておられる神様が見えてきます。
 





 
  31. ミカ書  




   ミカ書は、紀元前730年代から690年代、イザヤとほとんど同時代、あるいはわずかに後といえる頃に活動した、ミカという人物によって書かれたものです。ミカはホセアやアモスと同様に南朝ユダの人間ですが、ユダへの預言とともに、まだ存続していた北朝イスラエルに対しても預言をしたものです。




   ミカの時代は非常に不安定な政治情勢にありました。強大になったアッシリヤが、次々と諸国諸部族を征服し、イスラエルへも押し寄せようとしていました。ミカは、このアッシリヤが、神に反逆し続けるイスラエルに対する神の裁きの道具であることを語りつげます。事実アッシリヤは紀元前722年にイスラエルを陥落させ、続いてユダにも触手を伸ばし続け、ついに701年にはユダを侵略して46の町々を陥落させ、ユダの王ヒゼキヤをエルサレムに閉じ込めてしまいます。そのような中でミカは、ユダに対しても神の裁きを預言するのです。ミカが取り上げたイスラエルとユダの罪は、指導者たちの内政の腐敗、一般民衆の宗教面での堕落です。神はそのような罪を決して見逃すことはないことが語られています。


   ただしミカの預言は、厳しい神の裁きで終わってはいません。神の哀れみが神の民を回復させることを力強く語っています。それはまた、終末的な人類の回復にも関係付けられ、救い主の誕生が予言され、誕生する場所が指定されています。(5:2) この救い主の誕生と場所の指定の予言は、キリストが誕生したときの物語の中に取り上げられて、有名なクリスマス物語の一部となっています。(マタイの福音書2:1〜12 





 
  32. ナホム書   




   ナホム書は紀元前600年代の中頃に、預言者ナホムによって書かれたと思われます。ナホムの預言は、アッシリヤの首都ニネベの陥落とアッシリヤの滅亡に関わるものです。アッシリヤの首都ニネベは、ナホムの時代より150年ほど前、一度は神の裁きの宣告を受けましたが、神のあわれみのゆえに滅亡を免れていました。そのとき神に用いられて活躍したのは、ヨナという預言者でした。その後アッシリヤは、かたくなに罪を犯し続けるイスラエルに対する、神の裁きの道具として用いられ、紀元前721年、イスラエルを完全に滅ぼしてしまったのです。
 



   そのアッシリヤに対して、ナホムは再び滅びの予言をしたのです。アッシリヤの残虐性は古代帝国の中でも最悪でした。そのようなアッシリヤに対して神は、ヨナの物語で示されたように忍耐に忍耐を続けておられましたが、ついに義の裁きを下さなければならなくなりました。ナホムが語ったのは、「復讐する神」です。(1:2) これは人間の怒りに任せた復讐ではなく、正しい裁きを下すという意味の復讐です。神は人間と違います。怒りのゆえの行き過ぎや、誤った判断による不正な復讐が入る余地がないものです。ナホムは、およそ200年にわたってユダヤ民族脅かし続けたアッシリヤに対する神の厳しい裁きを予告し、ユダに慰めを与えたのです。ナホム書が現代の私たちに対して語るメッセージは、正義を持って公正に裁きを行われる神が歴史を支配しておられるということで、ヨナ書と同じです。




  
事実、アッシリヤ帝国の隆盛は短いものでした。占領した領土があまりにも広大であったために、周辺のさまざまな民族や国家との紛争が絶えず、帝国を悩まし続けました。ニネベは、紀元前612年、ナホムの予言の通りに陥落し、帝国はその2年後に滅んでしまったのです。アッシリヤの滅亡のために用いられたのはメディヤとバビロンの同盟軍でした。この後、バビロンはメディヤを滅ぼし、世界を征服する一大帝国となり、アッシリヤに代わって南朝ユダの脅威となっていきます。 





 
  33. ハバクク書  




   ハバククという預言者によって記された予言の書物ですが、この人物がいつどこでどのような活動をしていたか、一切不明です。ただ書かれている内容をよく検討して言えるのは、彼は南朝ユダがまさに末期症状を露呈していた紀元前600年頃に、この書物を書いたとおもわれることです。



   
ハバククは、腐敗に腐敗を重ねるユダの状態に、神さまはこのような悪を見過ごしにされるのかと、神に問いかけます。それに対し神は、ご自分に反逆し続けるユダを、カルデヤ人(バビロン人)を用いて必ず罰するとお答えになります。ところが問題はこのバビロンがさらに邪悪な人々であるということです。それでハバククはさらに重ねて神に問いかけます。なぜそのような人間たちが、神の道具として用いられるのでしょう。これに対して神は、直接的には答えにならないような答えをおあたえになります。その答えの中心が、本書の命題である「正しい人はその信仰によって生きる」という言葉です。



  
人間の目に見えることは、理解のできないこと、不条理なこと、理不尽なこと、解決のつかないことばかりです。ところが神の前に正しいと認められる人は、そのような目に見えるものだけを見て、腹を立てたり、嘆いたり、惑わされたりせずに、それらすべての物事の背後にある悪の力を見、さらにその裏におられる神を認め、その神が最終的にすべての事柄を支配しておられることを信じ、その信仰によって生きるのです。

 

   この答えを理解したハバククは、神にそむくユダに下される災いについて確信をもって予言し、祈りと感謝を捧げるのです。




   
ところで、「正しい人は信仰によって生きる」という言葉は、新約の時代になってから使徒パウロによってさらに深く理解され、クリスチャン信仰の中心的命題として発展させられて行く事になります。ハバククという預言者については何も知らないクリスチャンも、「正しい人は信仰によって生きる」という言葉と、その新約聖書的意味だけは知っているはずです。あるいはハバククどころか、キリスト教に対する知識もほとんど持ち合わせていない人までも、「ただ信ぜよ。信ずる者は救われん」という言葉は知っているようです。

 



 
  34. ゼパニヤ書  



  この書を書いたゼパニヤについても、知られていることはわずかです。ゼパニヤ書の詳しい学びからわかることは、この書物はたぶん、ニネベの陥落(前612)以前、おそらく紀元前630年ころであることがわかります。
 



   ゼパニヤは三つのことについて預言しています。第一はエルサレムに対する預言で、主の裁きの警告と悔い改めの勧告です。第二は周辺諸国の滅亡の予言とユダへの警告です。第三は主の日の救いについての予言です。第一と第二はゼパニヤのすぐ後に起こることに対する予言ですが、第三はそこから関連付けられて語られていながら、終末的な救い、最終的救いについてのものです。このテーマは新約聖書に引き継がれて、使徒パウロによって細かく教えられ、使徒ヨハネによって待ち望むべき希望として語られています。それは、現在の私たちが待ち望んでいるものです。
 





 
  35. ハガイ書   




   ハガイ書から始まる三つの預言書は、旧約聖書の最後におかれていますが、歴史的に言うと、エズラ記とネヘミヤ記の時代に入ります。紀元前586年、ユダはバビロンによって完全に滅ぼされてしまい、多くの人々は捕囚となって連れ去られてしまいました。しかしそのバビロンもメディヤとペルシャの連合軍に滅ぼされ、その後メディヤがペルシャに敗北したことによって、ペルシャが新しい帝国として世界を支配するようになり、ユダの人々はそのままペルシャの捕囚となったのです。ところがペルシャ帝国の初代の王クロスは寛大な政策のひとつとして、ユダの人々に故郷にかえって神殿を建築する許可を与え、その資金まで出したのです。紀元前538年のことです。




   
ユダの人々は大喜びをしたのは当然ですが、すべての人が帰郷したのではありません。ユダの人々の中にはすでに捕囚の土地で成功して根付き、そこを動きたくないものもたくさんいました。ですから、故郷に帰り神殿を建てようとしたのは、ことさら祖国復興に熱心な人々と、成功して根付くことができなかったために、このチャンスにと賭けて出た人たちだったと思われます。チャンスに賭けて出るような人々は帰郷して神殿建築しようとしても、周囲の民族の敵対をはじめとする困難に出会うと、すぐにくじけてしまったのです。



   
エズラ記やネヘミヤ記で述べられているように、神殿建設は困難に継ぐ困難で、着手してから完成まで、16年間の中断をも含めて22年から23年ほども費やしてしまいました。ハガイが預言者として活動したのは、知られている限り、その神殿が完成する5年ほど前、ペルシャのダリヨス王の治世の第2年、紀元前520年の後半の3ヶ月間だけです。エズラが語ったことはただひとつ、神殿建築を励まし、それを完成させることでした。さまざまな困難な中で、人々の神殿建築の情熱はともすれば萎えてしまいそうでした。また、自分たちの生活にかまけて神殿建築に対して冷淡になったり、無関心になったりするものも少なくなかったようです。その結果、彼らは神の祝福も失って行ったのです。



   
それでもハガイの叱咤激励の甲斐があって、神殿建築は徐々に進み、完成を予測することができるまでになったようです。その希望の中で、ハガイは主の日の終末的救いを垣間見せてくれています。 





 
  36.  ゼカリヤ書   




   ゼカリヤ書は預言者ゼカリヤの言葉を記したものです。ゼカリヤはハガイとほとんど同時に預言者としての活動を開始し、ハガイより少し長く、2年間ほど続けています。ペルシャの王ダリヨスの治世の第2年、すなわち紀元前520年から、治世の第4年、518年までのことです。




   
ゼカリヤの預言の内容は、もっぱら神殿の完成を目指したハガイとは異なり、神殿建築が完了して新しい時代が始まるという期待と共に、適切な指導を求める声が上がったことに対する答えです。ただし、神殿建築の完了によってもたらされると期待されていた事態の好転は実現せず、かえって、早くも人々の中に悪い兆しが現れ始めます。それにもかかわらず、ゼカリヤは神の誠実さと約束は変わらないことを語り、未来への希望を掲げ続けました。そしてその希望を発展させ、メシヤによる終末的救いにまで言及しています。 






 
  38. マラキ書   




   旧約聖書最後のマラキ書は、エズラとネヘミヤによる一種の宗教改革よりも少し前に書かれたものと考えられます。神殿の再建は、紀元前515年に終わりました。ハガイとゼカリヤの励ましを受けて完成した神殿ではありましたが、人々が望んだような良い結果をもたらすことはありませんでした。多くの人々があいも変わらず貧困にあえいでいる中、富裕層の人々は自分たちの利益だけを追求し、富のためにはもともとのユダヤ人の妻を離婚して、異邦人の女を娶ることさえしていたほどでした。




   
このような状況の下で、多くの人々が「なぜこのようなことになるのか」と、神に対する不信をあらわにする中、心ある者たちまでもが、不信仰なものたちが栄え正しい人々が貧困の中に取り残される現実に、思い悩んでいたのです。そのような矛盾に対してマラキ書は答えを与えています。端的に言うと、問題は神にあるのではなく、人間の信仰の資質にあるということです。彼らの信仰がうわべだけの形式的なものに流れてしまっていたのです。



   マラキは、神がこのような状態をみすてて置かれることはなく、必ず正しい裁きを行ってくださるということを語り、それが主の日という終末の裁きと救いの予言にいたります。




   
ただしミカの預言は、厳しい神の裁きで終わってはいません。神の哀れみが神の民を回復させることを力強く語っています。それはまた、終末的な人類の回復にも関係付けられ、救い主の誕生が予言され、誕生する場所が指定されています。(5:2) この救い主の誕生と場所の指定の予言は、キリストが誕生したときの物語の中に取り上げられて、有名なクリスマス物語の一部となっています。(マタイの福音書2:1〜12  





☆☆☆☆☆ 聖書の背景となった文化 ☆☆☆☆☆

  

          (9) ローマ文明  


  ローマは、紀元前8世紀ころ、現在のイタリア半島中部、ローマ市の
周辺に居住した複数の民族からなる都市国家として歴史に登場しまし
た。一応、紀元前753年が建国の年とされています。その後、ギリシ
ヤの勢力範囲の中ではありましたが地中海沿岸に勢力をのばし、ギリ
シヤが弱体化し始めるといくたびかこれと戦い、ついに紀元前64年に
完全にギリシヤを滅ぼして、世界の新しい覇者となりました。はじめは
共和制の元老院政治を採っていましたが、やがてユリウス・カエザルの
出現により、徐々に帝政に移行して行きました。キリストが生まれたの
はこの帝政ローマが生まれて間もなく、最初の皇帝アウグストスの治
世のことでした。


 新約聖書が書かれたのはこの帝政ローマの時代であるため、そこに
は様々なかたちで、ローマの影響がありました。特にローマの植民地
政策が、キリストの裁判と処刑に強く影響していました。ローマは比較
的寛大な植民地政策を採り、植民地に対してかなりの自治権を認めて
いましたが、ユダヤには軍隊を駐留させて総督を置く一方で、王も任命
し、さらには祭司階級のサドカイ人を傀儡政権として立てて操りながら、
民衆の側からの代表も入れるサンヘドリンと呼ばれる議会も認めていま
した(サンヘドリンとは70を意味し、議会の人数が70人だったためにそ
のように呼ばれました) キリストが処刑された主な理由は、ローマとの
軋轢をできるだけ少なくしておきたい傀儡政権に、有害無益な民衆の
扇動者、偽の救い主とみなされたためです。


  ローマは軍事と交通、あるいはグレコローマンという共通文化で、当
時の世界をひとつにまとめたことにより、まったく意図しなかったこととは
いえ、生まれたばかりのキリスト教を世界宗教として発展させる基盤を
作りました。初代のクリスチャンたちがいたるところに旅行し、福音を語り
教会を建てあげ、新約聖書をまとめることができたのは、ローマの安定
した統治があったからです。「歴史の背後に神の手がある」とはこういう
ことでしょう。
 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




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2010年09月29日

聖書を読むぞー (37)      エゼキエル書〜




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    24. エゼキエル書    



  エゼキエルは紀元前597年、ユダ王国がバビロンによって侵略され、王エホヤキンを始め多くの人々がバビロンに捕囚として連れ去られたとき、その捕囚の一人としてバビロンに渡った青年でした。彼はその5年後、預言者として神の召しを受けて預言を始めました。この書物は、数十年にわたって神がエゼキエルを通してお語りになったことを、エゼキエル自身が忠実に記した書物です。
 



   エゼキエルが活動を始める少しまえから、ユダの国では泣き預言者エレミヤがユダの滅亡を預言していました。ネブカデネザルによってユダが侵略され、国の多くの者たちが抑留されたあともエレミヤはなおもユダに残り、ユダの人々に厳しい言葉を語り続けましたが、エゼキエルは同じユダの滅亡を連れて行かれたバビロンの地で預言しました。エゼキエルの預言の特徴は、ユダの滅亡だけではなく、ユダの回復も明瞭に語っていることです。 



   当時のユダの状況はエレミヤ書の項で説明したように、北のバビロンと南のエジプト、そして近隣のいくつかの小国の間にあって揺れていました。ユダの国は、ネブカデネザルに率いられたバビロン軍に敗れ、有力者の多くは捕囚として引かれて行きましたが、国自体は完全に崩壊したのではなく、征服したバビロンによって傀儡政権が立てられ、存続がゆるされていました。このことに胸をなでおろした残されたユダの人々は、北王国が完全に滅ぼされ、いま自分たちも危機のなかにいるという現実を忘れてしまいました。かえって北王国が完全に滅んだのは、完全に滅ぶことはなかった自分たちよりも罪が重かったからであると考えたのです。さらに、捕囚として引かれて行った人々は罪人であって、自分たちは正しい人間だからユダの地に残されたのだと、身勝手な思い違いをしていたのです。
 



   そのような状況にあって、バビロンにいたエゼキエルは、北朝イスラエルよりもさらに極悪な南朝ユダの罪を責め、その滅亡を預言する一方、バビロンに抑留された人々による真実のイスラエル(ユダ王国)の復興を預言し、希望を与えるのです。エゼキエルの預言の目的はユダの滅亡にあるのではなく、ユダの王国の復興によるイスラエル民族の回復、神の約束による希望にあると理解すべきです。そしてエゼキエルとエレミヤが預言した、エルサレムの崩壊によるユダ王国の滅亡は、紀元前588年、ネブカデネザルの攻略によるエルサレムの崩壊によって成就しました。エゼキエルはその崩壊の報告をバビロンで受けたのですが、捕囚の帰還とエルサレムの再建を見ることなく世を去ったと思われます。
 



  エゼキエル書は、大きく二つに区分することができます。

 
   A
. 神の裁きとしてのエルサレムの崩壊   1:1〜32:32
 
   B
. エルサレムの回復の希望   33:1〜48:35 



   エゼキエル書に記された預言は、おもに三つの啓示方法で与えられました。第一は超自然的な幻によるもの、第二は神がエゼキエルにお命じになった象徴的行動とその説明、第三は直接あたえられた神の言葉です。これらの三つの啓示方法は他の預言書にも現れていますが、エゼキエル書では特に顕著です。
 




 
    25. ダニエル書   



   ダニエル書はある意味で独特です。聖書の中で唯一、アラム語で書かれている部分が大量にあり、およそ半分に及ぶからです。旧約聖書はこのダニエル書と、エズラ記のわずかな部分を除いてはすべてヘブル語で書かれ、新約聖書はすべてギリシヤ語で書かれているのです。なぜ、アラム語が使われたということは、想像の域が出ません。




   
ただダニエルも、捕囚の一人としてバビロンに連れて行かれ、そこで預言活動をしたために、アラム語が使われたのでしょう。バビロンはまもなくペルシャに滅ぼされ、ダニエルをはじめユダヤ人たちはそのままペルシャの支配下に入ることになりました。そのペルシャの公用語がアラム語だったからです。このペルシャの支配下での生活以降、ユダヤ人の多くはアラム語を使用するようになり、キリストやキリストの弟子たちもまた、アラム語化したヘブル語を話していたのです。



   
ダニエルはエゼキエルよりも少し若く、捕囚の中の優秀な青年として他の数人と共に取り立てられて、バビロンの王の近くで働くようにされましたが、ペルシャの時代になるとそのままペルシャの王宮でも働くようになった、とても珍しいというか数奇な人生を歩んだ人物です。そのあたりのことはダニエル書の前半でスリリングな信仰冒険談として、詳しく語られています。 



   ダニエルがバビロンに捕囚となったのは、ネブカデネザルが最初にエルサレムを攻略して傀儡政権を残したときで、紀元前605年のことと考えられ、第二回目のエルサレム攻略のときに捕囚となったエゼキエルよりも8年ほど早かったと計算されます。少年としてバビロンに渡ったダニエルはその後およそ70年間、ペルシャの王クロスがユダヤ人たちのエルサレム帰還を許した、紀元前536年まで活躍したと考えられます。したがって、ダニエルの生涯はまさに、70年間のバビロン捕囚とぴったりと重なり合うものです。ダニエル書は、たぶんダニエルの活動の最後の時期、紀元前540年以降に書かれたのではないかと思われます。
 



   ダニエル書は、大きく二つに区分することができます。

  
    A
. 歴史記述  1:1〜6:28
  
    B
. 預言   7:1〜12:13 

  

   歴史記述の部分においては、神がすべてのものを支配しておられることが力強く語られています。当時、バビロンに捕囚となり、そのまま継続してペルシャの支配に置かれたユダヤ人たちが、ともすればその惨めな状況の中で、失望落胆しがちになりました。あるいは周囲の異教に取り込まれて行きそうになりました。しかしダニエル書は、イスラエルの神はバビロンもペルシャも支配し、彼らを用いて歴史の流れを定めておられるのだということを思い起こさせ、この神にこそ信頼すべきであることを叫んだのです。
 

 

   特筆すべきは、ダニエルが活躍した70年間の捕囚時代を経たユダヤ人は、その後徹底して、ただ天と地をお造りになった唯一の神だけを礼拝するようになったことです。それまではどれほど厳しい警告と裁きを受けても、周辺の民族の偶像礼拝を取り入れて神に反逆し続けていたユダヤ人は、このときを境に、民族として、かたくななまでに厳格な一神教を保持するようになったのです。
 



   ここで、聖書の話に興味を持つ人が陥りやすい危険について、をもう一度、注意を促しておきましょう。ダニエル書には、かなり象徴的な幻などによる預言が記されているために、非常に多くの人々が勝手気ままに用いています。その多くは興味本位であるだけではなく、金儲けのための悪用です。ですから、一般の書店で、ダニエル書や黙示録の言葉がたくさん引用されているような書籍を見つけたならば、信用しないことが大切です。そのほとんど、まず100パーセント近くは、信頼の置けない怪しげな書物です。キリスト教関係の書籍とうたわれていても、ほとんどは信頼に足りないものです。まじめな学問的な態度を持った正常な頭脳の持ち主であるクリスチャンが書いたものが、もしも、仮にその中に含まれているとしたら、ダニエルの予言にしても黙示録の予言にしても、決して断定的な解釈はせず、このようにも理解できるし、あのようにも解釈が可能だという言い方になっているはずです。
 



   とにかく、ダニエルの預言には未来に対する予言が、象徴的な言葉で多く含まれているために、興味本位の人々が悪用するわけです。ダニエルの予言には、ダニエルの時代に起こっていたことと共に、その直後のギリシヤの世界統一とローマの世界支配、その後の世界の情勢などが含まれると共に、それらと重ねあわされたような形で私たちの時代よりさらに後に起こる、いわゆる終末の予言が含まれています。ダニエル書は自分勝手な世界観や来世観をもって、これを都合よく利用しようという魂胆で読んではなりません。まじめで専門的な学びをしている人ほど、注意深く、断定的な言い方は避けるものです。これらの予言に興味のある方は、出所の確かな、確実なクリスチャン書籍を求めることです。そうすると、決して自分の理解が唯一ではなく、こうも考えられるし、違うように解釈することも可能だと述べられているはずです。そういうわけで、ひとつの解釈にとらわれず、複数の可能な解釈を知っておくことが大切です。
 



☆☆☆☆☆ 聖書の背景となった文化 ☆☆☆☆☆


          (8)ギリシヤ文明 


 
ギリシヤ文明は紀元前2500年前後の、小アジアとエーゲ海沿岸
にまで遡ることができます。その地域のさまざまな民族が、覇権を争
いながら、影響力を地中海沿岸全体に広めていったのですが、聖書と
かかわりを持つようになったのは、マケドニヤ出身のアレキサンダーが
ギリシヤ全体の統治者となり、続いてペルシャ帝国を打ち破って(BC
331)インドにまで侵入し、ギリシヤ帝国大王として世界の覇者となっ
たときからです。ところが、旧約聖書はこのアレキサンダーの出現の少
し前で閉じられていますので、旧約聖書にはギリシヤ帝国やアレキサ
ンダーの記録はありません。ただダニエル書には、このギリシヤ帝国
とアレキサンダーを指していると判る預言が記されています。また、エ
ステル記の背後には、このギリシヤの存在が隠れています。


   ギリシヤ文明が影響を与えたのはむしろ新約聖書の時代になってか
らです。ギリシヤ帝国は旧約聖書と新約聖書の間の空白期間に(これ
を普通、中間時代と呼んでいます)絶頂期を迎えましたが、アレキサン
ダーがわずか31歳で他界したために帝国が分裂して弱体化した上、
興隆してきたローマ軍に相次いで敗れ、ついに紀元前64年には完全
に敗北して滅亡してしまいました。


   ところが、軍事的には敗北したギリシヤではありましたが、文化にお
いては完全にローマを支配することになりました。哲学、絵画、彫刻、
建築、言語、文学、さらには通商経済にいたるまで、ギリシヤ文化がロ
ーマ帝国を席巻したのです。聖書の設立に関して言えば、新約聖書が
記されたローマ帝国の時代、帝国で一般に使われていたのがローマの
言葉であるラテン語ではなく、ギリシヤ語だったということが決定的に
重要です。愛国的なユダヤ人でさえ、ほとんどの者がギリシヤ語を理解
して用いていたほどなのです。新約聖書全体が、「コイネー」と呼ばれる
やさしい口語体のギリシヤ語で書かれているのには、そういうわけがあ
るのです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



   また、先にイザヤ書について記したことと同じですが、神の超自然的な介入などを信じられない人々は、予言自体を信じません。そのために、ダニエル書のギリシヤについての予言が見事に成就していることから考えて、これはむしろギリシヤの時代の後期に、予言が成就したように装って書いたものに相違ないと言っている人たちも、たくさんいる事を知っておくといいでしょう。彼らの言い分に従うと、ダニエル書の予言は、予言の形で書いた歴史書になってしまいます。 






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聖書を読むぞー (36)      エレミヤ書〜




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    22. エレミヤ書   



  この書物は、紀元前627年からおよそ50年にわたって、南朝ユダで活躍した預言者エレミヤの預言を記したものです。イザヤから110年あまり後のことです。このころになると、イザヤが活動していた当時の北の強国アッシリヤがすっかり衰え、代わりにバビロンが台頭してきていました。事実、エレミヤが神の召命を受けてから2年ほどすると、アッシリヤはバビロンとの戦いにも敗れ、もはやユダを脅かすことも出来なくなってしまいました。そのために、弱小国ユダはつかの間の自由と独立を享受することができたのです。
 



  しかし、その平穏も長くは続きませんでした。たちまち南のエジプトがユダ王国と周辺の部族に触手を伸ばしてきたかと思うと、北の覇者バビロンも隙をうかがうようになって来ました。そのような不安定な中でエレミヤは、祖国の救いを預言する代わりに、神に告げられたように滅亡を預言し続けるのです。当然、エレミヤは「非国民」「売国奴」のレッテルを貼られ、嫌われ、憎まれ、排斥されるようになってしまいます。人々はエレミヤの預言を受け入れなかっただけではありません。「神は必ずユダ王国をお守りになるのだから、心配してはならない」という、まったく反対の預言をする偽預言者たちまで現れて、人々の人気を集めだしたのです。しかも、その偽預言者たちの言葉のとおりに、ユダ王国はいくつもの危機を乗り越えて、存続し続けたのです。




   
そのために、ユダの人々の罪を責め、王国の滅亡を告げるエレミヤの預言は、いく度も外れたと言われるようになり、ついには偽預言者と断じられ、処刑されそうにさえなるのです。神の哀れみと忍耐がユダ王国の滅亡を遅らせていたために、エレミヤは神に裏切られる形になってしまったのです。人々は「本物の偽預言者」の安易な慰めと励ましによって、自分たちの背信の罪を軽く見過ごし、ますます堕落を加速させて行きました。真の愛国者であったエレミヤは、自分こそ神の守りと助けを預言し、ユダの人々に「安心せよ」と語りたかったにもかかわらず、彼らの罪を糾弾し、王国の滅亡を告げなければならなかったのです。



  
ユダ王国は南のエジプト、北の新興勢力のバビロン、そして東側で力を付け始めたメディヤに囲まれながら、たとえつかの間であったとしても、偽預言者たちが預言したように平穏を楽しみながら、まるで坂道を転げ落ちるように滅亡に向かって進んで行ったのです。神に背き、滅びに向かって転げながら、まったくそれに気づこうとしないユダ王国のために、エレミヤはしばしば涙を流しました。いま私たちが、彼のことを憂国の預言者、涙の預言者と呼ぶのはそのためです。



   
紀元前605年になると、バビロンはエジプトを破り、パレスチナとその周辺をエジプトから奪って支配下に置くようになりました。弱小国のユダはバビロンを恐れ、進んで貢物を納めて恭順のそぶりを見せるのですが、601年にもう一度バビロンとエジプトの戦いがあって、今度はエジプトが勝ってバビロンの王ネブカデネザルが負傷して帰国すると、ユダ王国の人々は王も民もエレミヤの度重なる警告に反して、エジプトに多大の期待を寄せるようになっていきます。結局彼らは、エジプトの支援を信じてバビロンへ貢物を送ることを止めてしまいました。



   
それから2年後の紀元前599年、傷が癒えたネブカデネザルは軍を整え、ユダ王国の北東に位置する諸国へ進撃し、これらを征服して略奪をほしいままにし、貢物を取り立てて行きました。年を越して598年になると、ネブカデネザルはさらに西に向かい、ユダ王国を攻め立てました。明らかに、貢物を送ることをやめてバビロンを裏切ったユダに報復するためでした。このときも、ユダの人々はエジプトからの救援を期待していましたが、エジプトは最後まで腰を上げることがありませんでした。このもっとも大きな危機に当たって、エレミヤが預言した通りになったのです。バビロンに反旗を翻したユダの王エホヤキムは、ネブカデネザル王がバビロンから出陣したときに不慮の死を遂げていますが、たぶん、側近に暗殺されたのではないかと思われます。バビロンに反逆した王を殺して、ネブカデネザルの怒りを和らげようとしたのかもしれません。しかし、ネブカデネザルの怒りはおさまらず、597年のはじめついにエルサレムを攻略し、エホヤキムについで王となったエホヤキンを捕らえ、捕虜としてバビロンに連れ去ってしまいました。



  
このときネブカデネザルはユダの王だけではなく、すべての有力者たち、すなわち身分の高い者、学者、技術者などを、根こそぎバビロンに連れ去りました。その中には後に出てくる、ダニエルとその3人の友人やエゼキエルなども含まれていました。列王記の記録によると総勢10,000人、エレミヤによると3,023人の人々が捕囚となっています。また、1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは3,000人と言っています。列王記とエレミヤの記録の違いは、エレミヤが特に身分の高い者たちだけを数えたか、無事にバビロンまで到着したものを数えたためだと考えられます。どちらにしても、女子供を入れるともっともっと多くの者だったに違いありません。これが70年にわたるバビロン捕囚の始まりです。



  
またネブカデネザルはこのとき、ゼデキアを傀儡政権の王として、絶対の忠誠を約束させてユダに残して行きました。ところがこのゼデキアを始め残された人々は、ユダ王国が完全な壊滅を免れ、まだ王国として存在できたことに胸をなでおろし、バビロンはたいしたことないと間違った感覚を持ってしまいました。彼らはエレミヤの預言に耳を貸さず、エジプトに期待を寄せ続けたのです。捕囚としてバビロンに連れ去られた人々の間にさえ偽預言者が起こり、エジプトが助けてくれるから希望を失うなと預言する始末でした。怒ったネブカデネザルが、これらの預言者を処刑したほどです。



   
前589年になると、傀儡政権の王として任命されたユダ王ゼデキアは、ついに周囲のエドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンなどの諸国諸部族と図って、バビロンへの反乱を企てます。あるいはこのとき、エジプトからの支援の約束があったのかも知れません。このときもエレミヤは、ゼデキアを始めユダの人々の激しい憎しみと迫害を受けながら、エジプトへのはかない期待をくじく預言をし続けました。



 
反乱の企てを聞いたネブカデネザルは、紀元前588年、ユダを攻め、町々を攻略し、再びエルサレムを包囲してしまいます。ところがこのとき、ユダの人々が狂喜するニュースがもたらされます。ついにエジプトが救援に来るというのです。ネブカデネザルは、エジプト軍を迎え撃つためにエルサレムをはじめとした町々の包囲網を、解かなければならなくなりました。これを見たユダの人々はますます楽観的になり、エジプトへの期待を募らせ、とうとうエジプトに頼ることに反対し続けたエレミヤを捕らえ、投獄してしまったのです。

 

   ところが、期待のエジプトはバビロン軍に撃退されて退却し、ネブカデネザルはまたもエルサレムを包囲し、兵糧攻め作戦をとりました。エルサレムはよく耐え持ちこたえましたが、ついに、紀元前586年の7月、城壁が落ち、ここに抵抗は終焉を迎えます。ゼデキア王はわずかの手勢と共に夜陰に逃れ出ますが、すぐに捕らえられてしまいます。ネブカデネザルの怒りはすさまじく、ゼデキアは自分の子供たちが目の前で処刑されるのを見せられた上、両目をえぐり出され、鎖につながれてバビロンに引き行かれ、そこで惨めに死んでしまいます。


 

  
このときのバビロン軍の攻撃はものすごく、エルサレムだけではなく、周辺の町々のほとんどはその後数世紀にわたって再建が不可能なほど破壊されてしまいました。ユダの多くの人々は戦死し、他の者は餓死し、外国に逃れたものもいました。残された者の多くもバビロンに引いて行かれ、わずかの貧しい者たちだけがユダの地に留まることとなりました。このとき、エジプトに頼ることを止めるように預言し続けたために親バビロンと思われていたエレミヤは、バビロンの親衛隊長だったネブダルアダンによって、バビロンに来て手厚いもてなしを受けるように勧められたのですが、エレミヤはそれを断り、自分を迫害し続けている人々と共にユダの地に残ることを選びました。エレミヤは親バビロンだったのではなく、ただ、神の言葉を語り続けただけだからです。



   
こうしてユダの国はバビロンの州のひとつとなり、バビロンの支配を受けることになるのですが、残された人々はまだエジプトに期待し続けます。そのような時、近隣のアモン人が起した反乱に驚いたユダの人々は、こぞってエジプトに逃走したのです。このとき、彼らは無理やりにエレミヤをエジプトに連れて行きました。その途中でエレミヤは、バビロンがここまで攻めてくると、またもや預言をするのですが、その預言は紀元前568年に成就されています。



  
この預言の後のエレミヤの足跡をたどることはできません。おそらく、エジプトにおいて客死したのだと思われます。



   
エレミヤ書は、このような実情の中で書き記されたエレミヤの預言と、彼の働きを記したものです、全般的に見ると、エレミヤは悲劇の預言者でした。意に反して、愛する祖国の繁栄ではなく滅亡を預言し続けなければなりませんでした。しかもその預言は、短期間で見るとしばしばはずれて偽預言者のレッテルを貼られて、いわば神に裏切られたようなかたちで迫害され続けました。そして最後には悲劇的な死を迎えるのです。しかもエレミヤは毅然とした鋼鉄の意志の人ではなく、涙の人だったのです。 



   ただ、エレミヤの生涯の中にも、いくらか明るい陽が当たっていたときもあります。それは、ユダ王国でもっとも善良だったヨシヤが、宗教改革ともいえる働きをはじめ、神殿の中からモーセの律法が発見されたことによって、さらにその改革が徹底的に進められていた時代でした。この改革によって、制度的には偶像礼拝が取り除かれ、表面的には天地創造の神があがめられるようになっていました。(参照・列王記U22〜23章、歴代誌U34〜45章) ただ、鋭い霊的な目を持っていた預言者エレミヤは、そのような皮相的改革では満足できなかったようです。うわべの宗教的謙遜の奥に隠れた、取り除くことができない心の奥底の罪を厳しく見極め、心で泣きながらこれを責めて立てていくのです。
 



   エレミヤ書の多くは、彼の書記であったバラクに口述筆記させたものです。始めのころに書かれた預言は神殿や王の前で読まれたのですが、王はその内容に憤り、小刀で切り裂いては暖炉の火に投げ込み燃やしてしまいました。そこで、それらの預言の言葉は再び書き記されたのです。
 



   エレミヤ書も多くは詩歌の形式で書かれていますが、散文の部分も多く、かなりの部分がエレミヤの活動の記録となっています。その活動記録の前後関係をそろえるのはたやすいことではありませんが、エレミヤの生涯と当時のユダ国とバビロンとの関係を、かなり詳しく知ることができます。またこのころになると、聖書だけではなく、バビロン側の記録や発掘されたオストラカの記録文書、あるいは歴史家たちの文書が残っており、聖書と比較して学ぶことによってさまざまな背景が理解されるようになっています。
 




 
    23. 哀歌    



   哀歌はしばしばエレミヤ哀歌と呼ばれ、古くからエレミヤが書いたと言われてきましたが、確実なところは不明です。 ただ哀歌は、エレミヤ時代に起こったエルサレムの崩壊と荒廃、すなわちユダ王国の滅亡を悲しみ歌ったもので、エレミヤか、彼と同時代の人の作であることは間違いないようです。またこの歌は単に国家が滅亡してしまったことを嘆くのではなく、その原因となったユダの人々の罪、神への反逆を見据えて悔い改めを呼びかけるものです。ユダの滅亡は明らかに、神への背信に対する刑罰だったからです。この哀歌にはユダの復興については述べられていません。ただただ、ひたすらに神の哀れみを願う信仰が表現されています。
 



   哀歌は、原語のヘブル語ではいろいろな文学的技巧が駆使されていて、とても味わいの深いものだということですが、残念ながら翻訳ではそれをうまく表現することはできません。またタイトルは日本語では「哀歌」となっていますが、英語では「Lamentation=嘆き」となっています。もともとのヘブル語では、1章1節の出だしの言葉「ああ」がタイトルになっています。なにか、そのほうが訴えるところがありますね。あえて分析してみると、1、2、4章は国民的挽歌とでも言うべきもので、3章は個人的な嘆きの歌。5章は民族的な嘆きの歌と理解することができます。
  





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聖書を読むぞー (35)    イザヤ書〜




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      21. イザヤ書    



  イザヤ書は、創世記と並んでもっとも厳しい批判を浴びてきた書物です。批判の理由は、それだけこの書物の内容が際立っているためです。批判の主なものは、この書物はイザヤが書いたものではない。少なくても、第二のイザヤあるいは第三のイザヤといわれる隠れた著者がいて、彼らはずっと後代になってからイザヤを装い、出来事が起こってしまってから、あたかも予言が成就したかのように書き加えたのだというものです。
 



  しかしこのような批判は、はじめから神の超自然の介入を信じられない人の立場であり、素直に読むならば、あらゆる面から見て、やはりイザヤという一人の人物が書いたものであると考えるのが、もっとも理にかなっています。イザヤは多くの預言者たち、すなわち、神の言葉を取りついで語る人たちの中でも特に顕著な働きをした人物で、非常に多くの預言をしましたが、中にはたくさんの予言、つまり未来に対する予告も含まれていたのです。
 



   またイザヤ書は、現在の聖書の信頼性を大いに高めた書物として知られています。先にも触れましたが、20世紀最大の考古学的発見として話題になった、いわゆる死海写本と呼ばれる大量の古文書の中に、イザヤ書の写本が完全な形で含まれていたのです。科学的な年代測定をしてみると、これらは紀元前1〜2世紀に作成されたものだということがわかりました。このとき、神の奇跡的介入を信じることができず、すべてを自然の法則の原理によって理解しようとする人たちは、当然、現在私たちが手にしているイザヤ書と当時のイザヤ書の間には多くのギャップ、あるいは相違点があると考え、自分たちの考え方の正しさの証拠となると大きな期待をしたのです。ところが、結局明らかになったことは、まったく逆の事実だったのです。紀元前1〜2世紀の写本は、現在私たちが手にしているイザヤ書とほとんど完全に一致していたのです。それが、当時まで盛んだった聖書批判の声を小さくし、聖書に対する信頼性を大きく高めることになったわけです。
 



  イザヤ書の際立った大切さは、それが非常に神学的であること、取り扱っている範囲がイスラエルやユダとその周辺に限定されず、かなり遠方の諸国諸部族にも及んでいること、世の始まりから世の終わりまでという長い期間を扱っていること、そして正確な予言が多いこと、その上キリストの出現と働き、身代わりの死、人間の救い、最終的な完全な救いまでを語っていることなどによるものです。
 



 イザヤは紀元前740年ころ、預言者として神の召命を受け、およそ60年間にわたって活動を続けました。彼が召命を受けたときは、二つに分裂したイスラエル国家がまだ二つとも存続していた時代であり、両王朝ともに非常に複雑で危機的な政治情勢の中にありました。イスラエル民族が定住したカナンは、古代から北のメソポタミア文明と南のエジプト文明の狭間にあり、地理的に非常に重要な位置を占めていたために、常に政治的軍事的紛争に悩まされてきました。イザヤの時代も例外ではなく、北のアッシリヤと南のエジプトという二つの大国の脅威にさらされ揺れ動いていました。ある者は北のアッシリヤと同盟を結ぶべきだと主張し、他の者は南のエジプトと協定を結ぶことこそ得策だと叫び、残りの者たちは、周辺の小国や民族が一致団結して列強の脅威を跳ね返すべきだと秘かに画策していました。そのような中で、イザヤはどこの国にも組しない独立独歩の行き方こそ、ユダ王国のとるべき道であると叫び続けました。




   
ところが、ユダの歴代の悪王たちの中にあって珍しく善良な王であった、ヒゼキヤだけは彼の叫びに耳を傾けますが、ほかの者たちは王も民もこぞってイザヤを無視してしまうのです。北朝のイスラエルは周辺の部族や小国と同盟を結び、北のアッシリヤの脅威に対して戦いますが、結局、紀元前721年に完全にアッシリヤに滅ぼされ、人々は殺され、残った者も諸国に離散してしまいました。それを見たユダの人々はますます、どこかの国と同盟を結ぶことを考えるようになったのです。神の選びの民であったユダにとって、どの国にも頼らずに独立を保つべきだというイザヤの預言は、全能の神に信頼するということの表現だったのですが、すでに神に対する信仰を失っていたユダの人々にとっては、まったく愚かなことに聞こえたのです。神の助けを信じられない人々にとって、二つの大国の脅威に挟まれた弱小国の政策としては、どこかと連合する以外に道がないと思われたのです。ユダ王朝は迷いに迷って、結局、エジプトと同盟を結ぼうとしてうまく行かず、それから百数十年後、アッシリヤに代わって強大な帝国となったバビロンに滅ぼされてしまいます。




※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※ 
※※※※※※  バビロンとバビロニア   ※※※※※※ 


   聖書は一貫してバビロンという言葉を用いていますが、一般的には
バビロニヤという言葉のほうが多く用いられています。現代の理解に
従うと、バビロンというのはひとつの都市の名前で、バビロニヤという
のはその都市と周辺の町々から発展した国家であるということになり
ます。ただしこのような分け方は、後のギリシヤ時代に取り入れられた
もので、ギリシヤが興隆する前に書かれた旧約聖書は、すべて「バビ
ロン」と呼んでいます。そこでこの文章でも聖書の呼び方にしたがって、
「バビロン」と統一しています。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※




そのような激しい戦いと激動の歴史の中にあって、イザヤは民族の滅亡と再興、捕囚と解放を預言するのです。イザヤはユダ王国が滅ぼされ、民族が捕囚となることを預言しましたが、それだけにとどまらず、民族の解放とユダ王国の再興を預言し、希望を与えたのです。イザヤが行った民族解放の預言には、4つの面があります。まず、イザヤが民族解放の預言のイメージを得た、モーセによるエジプトの奴隷状態からの解放です。イザヤは神から与えられた民族解放についての啓示を、エジプトからの解放という史実をもって理解し、そのイメージをもってやがて来る解放を告げたのです。




   
つぎに多分、彼自身がその意味を理解して語ったユダ民族の解放です。彼はその解放がクロスという人物によってもたらされると予言しています。3つ目は、彼自身の中でも、おぼろげにしか理解できていなかったかもしれないことです。それは、ユダヤ民族の中から起こりながら民族の壁を超えてすべての民族にもたらされる、罪の縄目からの解放と罪の刑罰である滅びからの救いです。イザヤは、このための救い主がインマヌエルとして生まれると予言し、(インマヌエル=神われらと共にいます) さらにこの救い主が、どのようにして人類に救いをもたらすのかを予言しています。端的に言うと、この救い主がすべての人の罪を負って死ぬということでした。この予言は、キリストの誕生と働き、そして死と蘇りによって成就したのです。 



   4つ目は完全な解放です。これは、3つ目の全人類の救いを完成させるもので、最終的な解放として世の終わりにもたらされる解放です。イザヤ自身もこの預言の意味を理解してはいなかったことでしょう。それはあまりにも壮大であり、またはるか未来の出来事であり、それから700年以上も後に与えられた新約聖書の明確な教えを受けずして、それを理解することは不可能だからです。ただイザヤ自身は、この4番目の解放を3番目の解放と関連付けて理解したに違いありません。現在の私たちから見るならば、1番目のモーセによる解放は、紀元前1450年前後、2番目のクロスによる解放は紀元前538年ころ、インマヌエルとして生まれた救い主による罪からの解放は、キリストが十字架で死んだ紀元30年です。そして4番目の完全な救いは、私たちの時代から見ても、まだ未来の出来事であり、今、私たちが待ち望んでいる解放です。新約聖書の言葉を用いるならば、完全な神の国の到来、新天新地の創造に当たります。




  
イザヤの預言は、「主がこのように言われる」と直接人々に語りかける預言と、象徴的行動による預言がありました。象徴的行為による預言は、エレミヤやエゼキエルをはじめとして幾人もの預言者たちが行っていますが、イザヤの場合は、神に告げられたように3年間にわたって裸で生活し、ユダ王国が他民族に侵略され略奪され丸裸にされることへの警告としたのです。また彼は、ユダ王国が遭遇しなければならない出来事を告げるために、自分の二人の息子に非常に変わった名前をつけ、人々の注意を引こうとしました。彼の息子の存在が預言となり、息子の名前が呼ばれるたびに、ユダの運命が告げられていたのです。 



   長男に付けられた名前は、「残された者は帰ってくる」という意味の、「シェアル・ヤシュブ」です。これは、ユダ王国が滅ぼされ人々は捕囚となるが、生き残った者たちはやがて帰ってくること予告するものでした。次男の名は「マヘル・シャラル・ハシュ・ハズ」で、「略奪品は直ちに取り去られる」という意味でした。これは、ユダ王国が戦いに破れ略奪されることを、重ねて警告するものでした。
 



   聖書を読むとき、全般的に言えることですが、イザヤ書において特に気を付けなければならないのは、文章の形式です。日本語の聖書でも、イザヤ書を読むとすぐ気づくのは、大部分が詩の形式で書かれていることです。ところが、ヘブル語文章には詩と散文の見分けが困難だという特徴があるために、日本語の聖書でも、翻訳によってはある部分を詩の形に訳し、ほかの翻訳では散文の形式に訳しているということがあります。ためしに、異なった翻訳を比較してみるとすぐにわかります。
 



   また、これもヘブル語原典の特徴なのですが、(ギリシヤ語原典もおおむね同じ) すべての文章が大文字で書かれ、しかも、単語と単語の間にスペースがなく、句点も読点もつかず、行を変えることも段落を付けて文章に区切りを付けることもなく、さらに引用や会話を示す括弧もなく、とにかく、紙面いっぱいに大文字がぎっしりと並ぶのです。これを間違いなく読み解いて翻訳するのは、並大抵のことではありません。日本語でも、すべてカタカナで単語と単語の間にスペースもおかず、句点も句読点も付けず書かれていると、読み解くのは容易ではありません。ためしに、昭和初期の次の文章を読んでみてください。「テフテフテフテフナノハニトマレナノハガアイタラサクラニトマレサクラノハナノハナカラハナヘトマレヨアソベヨアソベヨトマレ」。 なじみの深い単純な文章ですが、結構大変でしょう? これが難解な文章になって紙面にびっしり並ぶのです。




   
現代の私たちの聖書には、読みやすくするようにいろいろな工夫が加えられているわけです。その工夫は、霊感を受けた聖書には入っていなかったのです。すでに述べたことですが、聖書の書名の多くや、章、節の区切り、さらに段落やパラグラフ、すべては後代の人が便利さを考えて加えたものなのです。そこで、聖書を読むとき、特にイザヤ書を読むときなどは、この章の区切りを無視して読むことも大切になります。章や節は、印刷機が発明され、聖書が印刷され始めたとき、写植の校正に便利なように印刷屋が付けたもので、聖書の専門家や学者が付けたものではありません。ですからイザヤ書にも、本来次の章に移してはならないところで移されている場合がいくつもあるのです。これを知らないで、現在の翻訳聖書の章が初めから付いていたと勘違いして読むと、大きな間違いに陥るわけです。ただしこの印刷屋さん。並々ならぬ人物です。多くの場合、非常にしっかりと章分けしています。並の牧師では太刀打ちできないすばらしい仕事です。  






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聖書を読むぞー (34)     詩篇〜



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    17. 詩篇    



   詩篇は150編の歌集です。 日本語では「詩編」となっていますが、原語のヘブル語聖書では、「賛美歌集」という意味です。英語では「Psalms」となっていますが、これは楽器の伴奏がある歌という意味です。従ってこの詩編は単なる詩集ではなく歌集であり、イスラエルの人々が神殿の礼拝やお祭りなどで、器楽の演奏を伴って、神に向かってみんなで歌った歌の歌詞であることがわかります。



  
歌の中には、モーセが作った古いものも含まれていますが、ほとんどは、ダビデ王の時代から捕囚から帰ったエズラやネヘミヤの時代にいたる、700年ほどの間に作られたものです。モーセの歌として挙げられているのは一つだけで、あとは、ダビデ王、アサフ、コラの子たち、ソロモンなどの歌として記されています。ただし、この誰々によるというそれぞれの詩の冒頭の説明の部分は、あとで編集した人物が書き加えたものであって、「霊感された聖書」には含まれないものです。それは、たとえばモーセの5書のそれぞれについている名前は、最初に一巻だったときには当然ついていなかったものが、後で分けられたときに付けられた表題であって、霊感されたものではないのと同じです。



  
またある詩の冒頭には、その詩(歌)がどのようなときに歌われたか、あるいはどのような楽器に合わせて歌ったかなども記されていますが、これも後の編集で加えられた説明で、霊感を受けた部分、つまり、最初からあった部分ではありません。さらには、当時歌われていたいろいろな歌のメロディに合わせて歌うという指示も残されていますが、これも編集者が記したものでしょう。ある詩の冒頭の説明には意味がどうしてもわからない、つまり翻訳のしようがない言葉もいくつかあり、原語の発音に近いカタカナで残されています。「マスキール」や「ミクタム」がその代表的なものです。



  
現在の詩篇は5部に分かれていますが、これは70人訳聖書に従ったもので、編集の途上で他にもいろいろなわけ方がありました。これも原典にはなかったものであり、便宜上のものに過ぎません。日本語の翻訳では知りようがありませんが、この70人訳が用いた編集は、用いられている神の名によって区分されています。1篇から41編までは、「ヤハウェ」、42編から89編までは「エローヒム」そして90編から150編までは再び「ヤハウェ」に戻っています。



  
詩篇に残されている歌詞には、日本語や英語の詩ほど韻(rhyme)が多く用いられてはいない代わりに、対比法や並行法などの手法が非常に多く使われています。対比法と言うのは、前の節の言葉と反対の意味の言葉や相反する思想を持ってきて対比することによって、意味を強調する方法です。たとえば第1編を例に取ると、「主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる」というような言い方がそれに当ります。並行法は、前の節の言葉と似た意味の言葉と思想、あるいは表現を持ってきて、全体の意味を強めるやり方です。同じく第1篇を例に取ると、「なぜ国々は騒ぎ立ち、国々はむなしくつぶやくのか」や、「天の御座についておられる方は笑う。主はその者どもをあざけられる」などがそれです。



   中には日本の数え歌のような感覚で、ヘブル語の22のアルファベットとおなじ数、あるいはその倍数の区切りを持ち、それぞれがアルファベット順の頭文字を持つ言葉で始まり、全体がつながって行く形式のものもありますが、これは翻訳のしようもありません。



   
詩篇に収められている歌の多くは、魂の叫びです。その多くは歎きの歌と呼べるものです。しかしそれは歎きだけでは終わりません。個人の歎きや民族的な嘆きが、激しい口調で神に訴えられるところから始まりますが、その言葉はすぐに神に対する信頼と感謝の言葉、そして賛美へと変わって行きます。これらの歌が数百年にわたって歌い続けられたということは、多くの人々の感動と共感を呼んだからに違いありません。まったく状況は異なっているとはいえ、おなじ歌が長い間歌われ続ける背後には、必ず多くの人の共感があるからです。日本でも10年ほど前までは、「赤とんぼ」が最も多くの日本人に愛されている歌と言われていましたが、このところは、「川の流れのように」へ変わってきたということです。自然の破壊と都市化が進んだいま、赤とんぼに共感を覚える人は少なくなっているのでしょう。時代が変わってしまい、「負われて見た」が「追われてみた」と理解されるようになってしまいました。イスラエルの人々は一つの民族として、おなじ体験と感覚をもって、これらの歌を数百年にわたって愛し続けたのです。



   
さらに、当時のイスラエルの人々とまったく異なった世界に住み、異なった体験を持っていた世界中の多くの人たちも、共感をもってこれらの歌を読むことが出来ました。彼らはこの歌がどのようなメロディで歌われたのか、どのような楽器が用いられたのかも知りませんが、魂からほとばしり出るそれらの歌詞に共感したのです。現代でも詩篇を愛し、毎日これを読んでいる人たちがたくさんいます。



   
詩篇の大切な側面は、これが新約聖書で100回以上の直接引用を含め、400回ほども引用されていることです。その多くは詩篇の中に預言的な意味を見出し、たとえばキリストの神性や死、甦りなどが詩篇の中に予め告げられていたと、理解されていることです。詩篇に収められている歌を書いた人々が理解していたかどうかは別として、神は彼らを通して、キリストの生涯と働きについて語っておられたのです。 





 
   18. 箴言    



   この書物は、さまざまな格言を集めてまとめたものです。そのうちの多くは、イスラエルの歴史の中でも最も知恵に満ちていたといわれる、ソロモン王が記したものですが、他にも作者たちがいたことがわかっています。当時のイスラエルには、このような箴言を語ることができる知恵ある人々がいて、国や町を治めていたのです。
 



   箴言を読む場合、知っておいた方が良い問題があります。それは、翻訳の元になるヘブル語の写本自体が、かなり損傷されていて意味が曖昧なところがあること、また、箴言の格言的な言い回しや、当時のヘブル語についての理解がまだまだ不充分なために、翻訳者の理解の仕方によってずいぶん異なってしまうことです。「あら捜し的」な興味をお持ちならば、異なった翻訳を読み比べるのも悪くありません。もしも聖書全体の翻訳の質がこの程度だったとすると、翻訳された聖書の信頼性はとても低くなってしまうと言えるでしょう。私たちが聖書を誤りのない神の言葉と認めるのは、翻訳されたものではなく、最初に書かれたもの、すなわち原本であることを思い出しておいてください。 



   もしも翻訳された箴言が、それほど信頼が置けないものだとすると、いま手に入れることができる聖書全体の、信頼に関わるのではないかと思われるかも知れませんが、そうではないのです。箴言に含まれている教えは、まだ神の教えが充分に示されていなかった、旧約時代のより低い理解を前提とした現世的処世訓であって、その教えのほとんどは聖書全体の神学に影響を及ぼすほどの、高度な内容ではないためです。処世訓とはそのような性質のものです。そのために、箴言の翻訳の質の低さが問題になることはほとんどありません。現在は、より高度な新約聖書の教えの光に照らしながら、この箴言を読むことができるのですからなおさらのことです。
 



   箴言の背景となっている旧約時代のイスラエル人の考え方は、全能の神の存在と、その神が、善人には良いものをもって報い、悪人には悪いものによって報いてくださるというものでした。すでにヨブ記で触れたように、この考え方自体は決して間違ってはいないのですが、それだけではまったく不充分なものです。この世界にあっては、悪人が栄え続け、善人が苦しんだまま死んで行くことがたくさんあるからです。
 



  善人には良いものを、悪人には悪いものをもって報いてくださるという教えは、新約聖書ではっきりと示された永遠の命、永遠の神の国という理解があって、初めてその教えの意味が理解できるからです。キリストご自身の教えによっても明白なように、神の正しい裁きと取り扱いは、今のこの世界で遂行されるものではなく、永遠の次元において完全に行なわれるのです。ですから、箴言に記されているような現世的な処世訓だけを取り上げて、神の教えを理解してはならないのです。
 



   神の啓示、あるいは神が人間に与えてくださった教えは、人間の歴史に準じ、人間の理解力に応じて段階的に行なわれました。ですから、すべての教えが現代人に同等の価値を持つものではありません。それはスポーツの練習を例に取るとわかることでしょう。それぞれのスポーツには、上達に応じたトレーニングがあります。高度なトレーニングを初心者に与えてはなりませんし、熟練した者を、いつまでも初心者の練習に留めておいてもなりません。
 



   神様は、人間の理解力とそのときの文化背景のなかで、教えをお与えになったのです。そこで、箴言に記された教えを、そのまま現代に持ってくるのではなく、その時代背景で理解し、そこから原則を見つけ、その原則を現代の私たちに適用するという、「手間ひま」をかけなければならないのです。そうすると、箴言の現世的処世訓が、黄金色の光を放って現代にも通用するようになってきます。これは、旧約聖書の教えのほとんどすべてに言えることです。なぜなら、新約聖書の完結をもって、神の霊感による啓示は終了しているからです。新約聖書の高度な教えに照らしてこそ、旧約聖書の意味がわかることが多いからです。
  





     19. 伝道者の書 
   



   この書物は、出だしの文章がソロモン王を連想させるところから、昔からソロモンによって書かれたと考えられてきました。そのように考えると、内容にも一段と説得力があるように思われます。しかし、さまざまな学問的な研究によって、これはもっと後代の人によって書かれたと考えられるようになっています。用いられている言葉が後代のものであること、また書かれている事柄の背景が後代のものらしいということによります。
 



   伝道者の書を理解するのは、並大抵のことではありません。短い言葉の一つひとつには、ハッと思わせられたり心を打たれたりするものがたくさんあります。ところが、全体の統一や、結局著者は何を言おうとしているのかと言うことになると、ハタと困惑してしまいます。そうとう高度な内容か、はたまた気がふれた人間のたわごとかと、読み分けるのが困難です。
 



   ただ、何回もくり返して読むことによって、だんだん見えてくることでしょう。これは矛盾だらけの言葉の中に、統一した強烈な主張をもった書物です。それは、神を認めないで生きる人生は空しいということです。著者は王という地位にふさわしく、快楽にも、事業にも、政治権力にも、哲学的追求にも、ふつうの人には想像もできないほど、とことん突っ込んだ体験を重ねた上で、ことごとく風を捕らえるようにむなしいと言い、空の空、空の空。すべては空であると言い切ります。日本人の言う「諸行無常」より、さらに徹底的に虚無的な言葉です。




   
重ねて言いますが、注意しなければならないことは、著者が「ことごとくむなしい」という結論を述べるまでのさまざまな言葉は、迷える人間の叫びの連続であるということです。それらの言葉を全体から切り離して、「聖書の言葉」、すなわち「神の言葉」として用いると、とんでもないことを聖書に言わせることになります。彼が言おうとしたことは、人生とは不可解であり、人の知恵をもってはこれを極めることができず、人の知識をもって正しい生き方などというものを示すことができない。ただ、すべてのことは神のみ手の内にあり、神を認めて生きることが人の生きるべき道であるということです。彼は最後に言います。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」  





 
    20. 雅歌    



   この書物のヘブル語のタイトルは「歌の中の歌」で、もっとも美しい歌という意味です。これを一読したたいていの人は、こんな書物が聖書に含まれていることに驚くことでしょう。かなり官能的な表現に満ちた恋愛歌だからです。しかし、この書は昔から聖書の一部として大切に取り扱われ、これを聖書から取り除こうと試みた人も例外的に少ないのも事実です。
 



   キリストが出現する以前のユダヤ人たちは、この歌を、神の人間に対する愛をこのような言葉で表現したものとして、全体を比喩的に理解しようとしました。そのような伝統を受け継いだ初期のクリスチャンたちの多くも、これは教会に対するキリストの愛を比喩的に歌ったものであると考えました。ただしそのような考え方に基づいた解釈になると、比喩の探索に際限なく時間を費やすことになり、本来の歌の意味が損なわれてしまいます。
 



   むしろこれは、人間の男女の官能的愛を素直に表現したものとして理解するのが良いでしょう。神は人間の性愛を、不潔なものとして嫌っておられると考えてはなりません。むしろ、神の美しい創造の大切な一端であり、尊重されなければならないものと理解すべきです。性愛が汚れたもの、あるいは罪深いものと考えられるようになったのは、人間が堕落してしまったためです。堕落した人間にとっては、性愛が人間性の奥深くに澱んでもっとも制御しにくい欲望となり、しばしば人間生活や社会秩序を破壊してきたためです。
 



   ただし、雅歌の性愛の表現には、当時の文化が反映されていることを知らなければなりません。このような表現が、現代の日本のクリスチャンたちの間で、日常的に用いられていいかどうかは別の問題です。ただ、セックスが氾濫する今の世界は、ある意味で、行き過ぎた性の抑制がもたらした結果でもあることを知り、性愛は本来美しいものであるという事実を認めることは大切です。聖書が戒めているのは、間違った性愛の表現、誤った性行動であり、性愛そのものではないのです。
 



   雅歌が歌っているのは、人間の本来の性愛の美しさ、おおらかな人間の姿です。たとえば、長いあいだ作者と考えられてきたソロモン王が、はたして常に清潔な性生活をしていたかどうかは別の話です。700人の妻と300人の側室を持っていたということですから、たとえその多くが政略のためであったとしても、現代の私たちからするとかなり乱れていたことでしょう。むしろ、ご苦労様とでもいうべきでしょうか。ところが神は、そのような人物のそのような素直な表現を、人間賛歌の歌として聖書に含めてくださったのです。果てしなく下等動物から進化し続けて来た人間の賛歌ではなく、神に造られたものとしての人間の賛歌です。
  





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聖書を読むぞー (33)        ネヘミヤ〜



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 14. ネヘミヤ記    



  ネヘミヤはエズラより10数年遅れて、おなじアルタシャスタ王によってエルサレムに遣わされた、ユダヤ人の指導者でした。ネヘミヤはエズラと共に働いたこともありますが、その月日はあまり多くはなかったようです。また、エズラの働きが神殿再建にかかわる働きと宗教改革だったのに比べ、ネヘミヤの働きは、エルサレムの城壁の修復と神殿礼拝の再興でした。
 



  クロス王による解放と神殿建築着手からすでに90年ほども経過し、神殿完成からでさえ70年も経っているのに、神殿礼拝は正しく行なわれておらず、ユダヤの人々は常に外敵に脅かされ、神殿があったエルサレムの町も城壁が崩され、荒れ放題になっていました。そのことを聞いたネヘミヤはアルタシャスタ王に願い出て、王の許可と資金援助を受けて、城壁の修復のために立ち上がったのです。ネヘミヤは当時、ペルシャの王の給仕長という高い位の役人だったため、容易に王に願い出ることができたのです。




   
ネヘミヤは行政的な力と軍事的能力を発揮し、周囲の民族の敵対を始めとした幾多の困難と妨害を乗り越えてエルサレムの城壁の修復をおえ、周囲の人々に妨げられることなく神殿礼拝が出来るようにしました。その上で彼は、神殿礼拝に必要なさまざまな用具や規定、あるいは役職を定めて神殿礼拝を再興させ、ユダヤ民族を強固にしていくことに貢献しました。彼はまた、先に神殿再建のために働いていたエズラと協力して、人々にモーセの律法を学ばせ、それを適用することによって宗教改革をなし遂げ、信仰の純粋さを取り戻す働きに成功します。



  このエズラとネヘミヤの働きが、その後のユダヤ教の性質を決定したともいえます。すなわち徹底した唯一神信仰と、安息日厳守を始めとした律法の遵守、異邦人との峻別などです。それらが、四百数十年を経たキリストの時代には、いささか行き過ぎた姿で形骸化し、キリストの厳しい警告を受けるようになったわけです。



 
 ネヘミヤ記は大きく二つに分けることができます。  

   A.   城壁の修復    1:1〜6:19

 
   B.   信仰の修復    7:1〜13:31 
  





  15. エステル記   
 



  エステル記は、当時、世界最大最強であったペルシャ帝国の第4代目の王、アハシュエロス(ギリシヤ名クセルクセス一世)の治世に生きた、エステルという美しく聡明な女性の物語です。ただし、物語自体は少しも美しくなくまさにグロテスクですが、読み方によると、徳川の大奥にも勝る大ペルシャ帝国の後宮を舞台にした絢爛豪華な話です。このような一見はなはだ俗っぽい歴史物語の背後にも、人類の救いのためのご計画を着々と進めておられる、神様のみ手があったという点において非常に大切な書物です。
 



   エステル記全体が一つの物語となっているために、現代の私たちにも読みやすい書物ですが、理解しやすいように、少しばかり、歴史的背景を説明しておきましょう。まず、アハシュエロス王は紀元前486年に王となり、465年まで20年と少しの間ペルシャを治めました。エステルの物語は彼の治世の3年目、464年頃に始まっています。
 



  当時ユダヤ民族は、いわゆるバビロン捕囚として、国土を失って生きていました。ユダヤ民族を捕囚としたバビロンはすでにペルシャに滅ぼされていましたから、ペルシャの捕囚ですが、習慣的にバビロン捕囚と言っているものです。ユダヤ民族の不従順を打ち直すために、神が備えられた民族は、バビロンにしてもペルシャにしても、さらにこの後に続くギリシヤにしても、ローマにしても、非常に寛大でまた寛容な帝国でした。神は、ユダヤ民族から救い主を誕生させるまでは、彼らを滅ぼし尽くしてしまうほど、厳しく罰することがなかったのです。そこでユダヤ人たちは、抑留されていたとはいえ優遇されて、ある程度の繁栄を楽しんでいました。特に優秀な者は、王や王家に重用され、重大な役職を与えられていたのです。
 



   ところで、アハシュエロスは180日に及ぶ大宴会を催したと記録されていますが、このような宴会は国王の権威を示し国家の繁栄を謳歌するために、ペルシャではいくどか開かれていたようです。またそのような宴会と平行して、さまざまな会議が開かれていたことも知られており、歴史的事実に照らし合わせると、このとき王は、ギリシヤとの戦いについて話し合っていたと考えられ、たんなる酒池肉林(池のような酒と林の木のように並びたてられた肉)の乱痴気騒ぎだったわけではありません。しかし終りの7日間は、重要会議から解放された、無礼講の酒宴だったと思われます。
 



   このとき王は、王妃ワシュティの美しさを誇ってみせびらかしたいと、彼女に宴会に出てくるように命じるのですが、断られてしまいました。ユダヤ人の歴史書によると、酔って上機嫌になった王は、王妃が王冠だけをかぶって全裸で出て来るように命じたということです。しかし王妃は、他人に肌を見せないペルシャの女性の習慣を守って、これを拒絶したのです。真偽のほどは不明ですがありえないことではないようです。また、王妃と言ってもたくさんの王妃の中のひとりに過ぎなかったうえ、他に側室もたくさんいたことが知られています。そのため、たとえ酔った勢いであっても、王は虚勢を張って、寵愛していた彼女を退ける決定をしてしまったわけです。
 



   ところが歴史記録によると、どうやらアハシュエロス王は、この後ギリシヤとの一戦に破れてしまったようです。失望して帰国したとき、彼は優しく美しかった王妃ワシュティを想うのですが、どうすることもできませんでした。一度正式に決定したことは、たとえ王であってもそれを破ることができないというのが、ペルシャ帝国の法律だったからです。他の王妃や側室では心に慰めを感じられなくなっていた王は、しかたなく国中の美女を集めてコンテストを行い、最も美しい女性を王妃として迎え入れることにしたのです。そこで登場するのが、ユダヤ人の美女エステルです。エステルは非常に謙遜で無欲な女性として、誰からも愛されたようですが、たちまち王の寵愛を一身に受けるようになりました。神は彼女を用いてユダヤ民族を滅亡からお救いになったのです。
 



   エステル記は、今にも地上から抹消されそうになっていた、まさに風前の灯のユダヤ民族が、エステルと養父のモルデカイの働きによって、危機を脱出した事実を伝えるものです。執筆の目的は、「プリムの祭り」の(いわれを説明し、それを民族的行事として定着させるためだったと思われます。神はエステルとモルデカイを通して、ユダヤ民族を滅亡から救いだしてくださったという事実を、国民全体がいつまでも記憶に止めるために、祭りが定められたのです。このプリムの祭りは、現在のイスラエルでも「過ぎ越しの祭り」と「(仮庵(かりいお))の祭り」と共に、重要な祭りとして毎年盛大に祝われています。
 



  エステル記の倫理は、現在の私たちの倫理からするとどうかと思うところが少なくないのですが、あくまでも紀元前5世紀の、異邦人国家の中の出来事であったことを知らなければなりません。神はそれぞれの文化と実情のなかで最善にお働きになるのです。あの時代のあの実情の中に、民主主義や人道主義を持ち込んで、女性の権利を声高に叫んだとしてもらちが開きません。
 




     16.  ヨブ記   



  
聖書の中で最も難解な書物の一つと言われるとおり、何の指導書もないままこれを読んで、すぐに理解できる人はまずいないことでしょう。ですから一度読んで、さっぱりわからなくても、失望しないでください。導入部分である最初の2章は叙述的な物語で簡単です。また締めくくり部分である42章の後半も簡単です。しかし、ヨブ記の大部分は詩の形式で書かれた論争で、その論争の筋を追うのも、内容を理解するのも容易ではありません。  



   ユダヤ人たちは伝統的に、この書物の著者はモーセであると言い伝えてきましたが、正確には不明です。多分、モーセの時代からソロモンの時代に至る、数百年の間に生きていた誰かということになるでしょう。用いられている言葉、思想、内容、背景など、あらゆることを考察しても、特定は困難です。物語自体は、アブラハムの時代、あるいはそれよりももっと昔に生きていた、ヨブという一人の人物の、神との格闘を描いたものです。




   
物語の時代と書かれた年代には、大きな隔たりがありますので、これは口で語り伝えられて来た物語が、誰かによってまとめられ記録されたということになります。ただ膨大な量ですし、事細かな言葉のやり取りまで正確に語り伝えられてきたとは考えられませんので、伝えられた大まかな物語の筋に、後代の著者が肉付けをして書いたのだと考えるのが妥当でしょう。聖書が神の霊感を受けた誤りのない書物であるという意味は、そこに書き記されていることが歴史的事実であったかどうかを問うことではありません。それが創作であっても歴史的事実であっても、神が伝えたいことを誤りなく伝えているかどうかということにかかわるのです。もちろん、論争のすべてがまさにその通りに語られたのだと考えることも可能です。モーセが天地創造の出来事を書き記したときのように、すべて、神の霊によって教えられたということもあり得ます。しかし、そのような超自然の方法を考えるよりも、自然に起りうる方法を受け入れるほうがよいでしょう。



   
そういう意味では、ヨブ記の物語すべてが創作であったとしても、霊感を受けた神の言葉としてのヨブ記の価値が落ちるわけではありません。神はそのような物語を通して、極めて高度な哲学的、宗教的人生観をお教えになったと理解すればよいことです。ただし、聖書の中には創作物語が他に存在しないことから、ヨブ記も創作ではなく事実を基にして肉付けをしたものと理解するのが良いでしょう。ヨブが実在の人物だったとしても、彼はイスラエル民族発祥以前の人間だったと思われます。 



   では、ヨブ記の内容に入ってみましょう。この書は、家族と財産のすべてと健康までも奪われた、ヨブという一人の人物の苦しみから始まり、それが、なぜ正しい者が理不尽に苦しまなければならないのかと言う人生論の問題に発展し、さらにその問いと祈りに耳を傾けず、沈黙を守り通される神に対するヨブの、激しい憤りと挑戦とも思える、鋭い言葉の訴えへと突き進んで行きます。そしてヨブの激情がまさに頂点に達したとき、突然神が沈黙を破ってお答になるのです。
 



   その神のお答えが、またふるっています。それはヨブの疑問と訴えに対する答えでも慰めでもなく、砕けた言葉で言うと、「愚か者よ。なにもわきまえないお前が、どうして天地万物を造った私と言い争うのか」と言う、叱責の言葉なのです。それでヨブはますますたけり狂ったかと言うと、そうではなく、「はい。まことにその通りでございます。私は愚かなことを申しました」と、神の前に降参するのです。すると神は彼を祝福し、以前にもまして豊かな生活を営むようにしてくださったのです。
 



   このような全体の流れに、何人かの脇役が登場して、物語の筋を盛り上げ、ヨブの訴えをさらに先鋭化させていきます。特にヨブと論争した3人の友人は、人間が苦しみを受けるのは、自分の罪の結果なのだから、ヨブは自分の苦しみの原因となっている罪を認め、悔い改めなければならないと、言葉を変え表現を変えて説き続けるのです。ところがヨブは、自分はこのような苦しみを受けるに相当するような罪を犯していないと、主張し続けて譲りません。
 



   ヨブと3人の友人の論争が果てしなく続く中で、ヨブは自分の正しさを神に訴え、正しい者が苦しまなければならない理不尽さを、「なぜ?どうして?」と問いつめるのです。ところが神はまったくこれにお答えにならず、沈黙したままなのです。ヨブは家族と財産を失い、妻の無理解に苦しみ、ひどい病に痛み、さらにははなはだしく自分を誤解している友人たちの、的外れの慰めと悔い改めの勧めにひどく悩み、生きることが疎ましくなり、生まれてきた日を呪うまでになってしまいます。最終的には、ヨブの苦しみは財産や家族を失ったことから移って、自分がどんなに訴えても神はお答えくださらないということに至るのです。



※※※※※※※
 ちょっとした話 ※※※※※※※※
※※※※※※※ 世界三大悪妻  ※※※※※※※※


  苦しむヨブに向かって「神を呪って死になさい」と言ったヨブの妻は、
世界3大悪妻の一人と数えられています。あとの二人はソクラテスの
妻と、イギリスの伝道者で、メソジス
ト運動の指導者だった、ジョン・
ウエスレーの妻と言うことになっています。誰がそのように言い出し
たのかは知りませんが、ずいぶんいい加減だとも思いますね。世の
中に大悪妻が3人いたとするなら、1,000人くらいの大悪夫もいた
はずです。


  ヨブの妻にしても、「呪って死になさい」と言ったと翻訳されているの
は、少々可哀そうに思います。英語でも、たいていはそのように翻訳
されていますので、翻訳者に女性蔑視があったわけではないと思い
ますが・・・・。原語では、「一言申し上げて死になさい」となっています。
この表現が、「呪う」という意味なのかどうか、専門外の私にはわかり
ませんが、何となく、ちょっときつすぎる翻訳であると・・・・感じないわ
けでもありません。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



   神がお答にならない限り、自分の人生のあらゆる問題には答えがないと、ヨブは知っていたからです。そのような、神との葛藤、あるいは神との格闘の中で、ヨブはまさに究極的な悟りにまで至ります。彼は、解決不可能な悩みと痛みを負った人間と、絶対に超絶しておられる神との間の隔たりは埋めがたく、人間にはどうすることも出来ないことを強烈に感じたのです。そしてその体験の中で、彼は、人間には神との間の隔たりを埋め、仲立ちとなり、とりなしをしてくださる方が必要だと悟り、神はそのような方を必ず準備してくださると信じたのです。それは、やがてお生まれになる神と人との間の完全な仲保者、キリストを思い浮かばせるものでした。彼は言いました。「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高いところにおられます。」「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」  



  ヨブと3人の友人の論争が果てしなく続くことに業をにやした、4人目の友人が彼らの中に割って入ります。彼は、3人の友人の律法主義的な理解の行き過ぎをたしなめると共に、ヨブの限界を超えるほどの激しい言葉をたしなめ、ある意味で仲保者的な役割を果たそうとします。しかし彼の仲立ちが功を奏する前に、突然、神は天からお答になるのです。「愚か者よ!」
 



   ここでヨブがまったく神に反論せず、完全に平伏したのは、ただ神がお答えくださったという一事によります。ヨブは全能者の前では自分がいかに小さく愚かであるかと言うことを、充分に理解していたのです。ですから、議論の余地はまったくなかったわけです。神がお答えくださったというそのことだけで、ヨブは納得し、満足したのです。
 



   読者として注意しなければならないのは、まず、ヨブの訴えの正当性についてです。ヨブは自分の正しさを主張し続けますが、彼は自分には罪がまったくないと言っているのではなく、このような苦しみを負わなければならないような罪は、犯した覚えがないと訴えているのです。
 



   次に、3人の友人たちの間違いの罪についてです。3人の主張は基本的に正しいのです。神は正しい者を祝福し、罪ある者を罰するという理解は、旧約聖書では当然ですし、新約聖書においてもそれを基本としているのです。彼らの犯した間違いは、その基本的理解を例外なく、機械的にすべての状況に適用しようとしたことです。それにより、勧善懲悪の哲学の機械的な押し付けになってしまったのです。世の中はもっともっと複雑なのです。




   
さらに、結末の部分で、結局勧善懲悪、因果応報的な物語に逆戻りしているかのように読める点です。ヨブ記が書かれた時代の人々は、まだ、永遠の命や来世と言うものに対する理解がおぼろげでした。そのために、やはり、正しい者はこの世でも正当な報いを得なければ、物語の決着がつけられなかったのです。旧約の時代でももっと後になれば、事情は変わっていたことでしょう。また、キリストの教えが広く知られる新約の時代になると、永遠の命と言うものが明確になり、たとえこの世界では報いを受けられなくても、永遠において大きな報いを得るのだということが、読者一般にも理解できるようになっていましたので、その時代にヨブが生きていたならば、きっと、異なった結論になっていたことでしょう。神は、あくまでも、その当時の文化の中に人を生かし、その当時の読者の理解を第一において、聖書を書かせておられるからです。






 
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聖書を読むぞー (32)        列王記〜



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 10. 列王記 T、U   



   列王記はダビデ王の晩年から、エルサレム陥落後のエホヤキンの晩年にいたるまでの、イスラエルとユダの王たちの歴史を記していますが、もともとは一巻の書物でした。年代にすると、およそ紀元前960年から560年までのことです。ただし、この歴史の年代を正確に計算することは、先にも述べた理由で、現在の私たちには不可能です。出来事のいきさつや内容についてはあまり問題にされず、年表だけを正確に覚えさせられた世界史や日本史の勉強に慣れている私たちには、いささか理解困難なところですが、聖書が大切にしているのは年代よりも出来事であることに気付くのが大切です。




  
列王記を書いたのは、預言者エレミヤであるという意見も強いようですが、断定することはできません。たぶん彼も含めて、彼の時代に生きていた敬虔な信仰者が書いた、あるいは編集したと考えるのが良いでしょう。これだけ長い時代のことを、一人の人物の記憶に頼ることはできませんので、当然、さまざまな歴史資料に頼っていました。列王記自身がそのうちの三つを記していることで明らかです。 



  列王記の記述を一言で表すならば、イスラエルの衰退と滅亡の歴史です。列挙される王たちのほとんどは、神をないがしろにして偶像礼拝に走り、国家を廃頽に導いた張本人です。それらの中にあって、神に忠実だったわずかな王たちの信仰が、国家の急激な衰退を少しばかり遅らせたとも言えますが、いずれにしろ、焼け石に水の状態でした。ダビデ王の治世で頂点を迎えたイスラエルの繁栄は、すでに彼の治世の後半にはほころびを見せ、彼の後継者であった息子のソロモン王の治世は、うわべの絢爛を裏切ってすでに腐敗の始まりでした。ソロモンが死ぬとすぐに王国は北と南に分裂しますが、その後は破滅を競うかのように両王国ともに腐敗に腐敗を重ね、神を裏切り続けます。
 



  その結果、大きいほうの北朝イスラエルは721年にアッシリヤによって滅ぼされ、小さかったユダも586年、バビロンによる捕囚の憂き目を忍ぶことになります。士師の時代からダビデの時代に至るまでイスラエルを悩まし続けたペリシテ人は、ダビデとの戦いの後は勢力を失い、いくどか局地的紛争を起しただけに止まり、もっと強大なアッシリヤ帝国やバビロン帝国、あるいはエジプトやペルシャ帝国といった国々が、神の懲らしめの道具として用いられるようになっていました。




  
この当時活躍した預言者たちの表現を借りると、イスラエルは姦淫の罪を犯し続ける淫乱の姉として描かれ、その罪のためにアッシリヤに滅ぼされてしまいました。(余談ですが、このとき国を失って逃亡したイスラエル人たちが、隠れたイスラエル人として世界中に散在して現代に至っているという考え方が、研究者たちの間に根強く残っています。日本人の中にも、明らかにイスラエル人としての形跡が残っていると主張する人たちも少なくありません) ユダは、姉が姦淫の罪のために裁きを受けて滅んだことを知りながら、さらに姦淫の罪を重ね続けた姉以上に淫乱な妹として描かれています。夫である神を捨てて、他の神々に走った両王国の罪がそのような表現で語られているのです。 



※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※ 
※※※※※※  ソロモンの財宝  ※※※※※※※


 少し道草をして、頭を休めましょう。・・・・・昔から「ソロモンの財宝」
と言われる物語があります。ソロモン王の財宝がどこかに隠されてい
るというのです。日本では四国にあるという話も、まことしやかに囁か
れています。イスラエルは、歴史上の大帝国に比べるとごく小さなも
のでしたが、神の祝福を受けたダビデ王とソロモン王の時代の裕福
さは、他に例を見ないものでした。ちなみにソロモンが所有していた
金はおよそ5,000トン、銀は60,000トンと計算した人がいます。
そのほか、山ほどの宝石類もあったことでしょう。これらの宝が、イス
ラエルがアッシリヤに滅ぼされたとき、あるいはユダがバビロンに滅
ぼされたとき、どこかに運び出されて隠されたというのです。


  赤城山に隠された徳川の埋蔵金なるものが、360〜400万両と
言われています。お金の計算に弱い筆者には良くわかりませんが、
経済危機の徳川幕府が隠していた金よりも、絢爛豪華なソロモンが
残した金のほうが、断然多いように思うのですが・・・・・・?


 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 




   列王記の記述が教える大切なことは、神の誠実さです。イスラエル民族の不忠実さ、反逆と忘恩にもかかわらず、最期までご自分の約束を守り通す神の誠実さが光っています。神の誠実さは約束した相手に対する誠実さというよりも、約束したご自分への誠実さと言えます。自分自身に対する誠実さ、すなわちご自分の聖さと言う性質につながるもので、神には裏切るということがありえないのです。短い時間の範囲で見ると、神は人間の不忠実さや反逆に応じて報いて、計画を変えておられるかのように思いがちですが、長い目で歴史を見ると、人間の不忠実さや罪に関わりなく、ご自分の約束をお守りになっていることがわかります。                                           




   
列王記はまた、王たちの活動と共に、多くの預言者たちの活躍を記しています。また直接の記述はなくても、預言者たちが残した「預言書」の背景を示すものとして大切です。この時代には、祭司の働きが少しずつ重要性を失い、代わりに預言者の活動が重要性を増すようになり、「預言書」の著者たちの活動はこの時代に集中しているからです。それぞれの預言者が活躍した時代や事情が、この列王記や次に続く歴代誌によってわかることが多く、とても役立ちます。



   
とくに、エリヤとエリシャという二人の偉大な預言者の活動の記録は、預言者の働きがどのようなものであったかを示す、良い見本です。エリヤとエリシャは偉大な預言者でしたが、彼らの残した書物はありません。一方、イザヤやエレミヤは長い書物を残しましたが、具体的な活動の様子はあまり詳しく記録されていません。



   
列王記は次のように区分けすることが出来ます。
 
 
   A
.  ソロモンの生涯T T 1:1〜11:43 
 
   B
.  王位の継承(1)  T 12:1〜16:34
 
   C
.  エリヤとエリシャの生涯と働き  T 17:1〜U 10:36 
 
   D.  王位の継承(2)  U 11:1〜U 25:30 
  




  
12. 歴代誌 T、U  



  歴代誌は、サムエル記や列王記と並行する部分が多い歴史記録です。ただし列王記よりも範囲が広く、歴代誌独特の人物の取り扱い方や歴史の見方があり、新約聖書の4つの福音書が同じようにキリストの生涯と教えを記録しているのに、それぞれ独自の見方と強調点を持っているのに似ています。
 



   歴代誌の最初の9章は、現代の私たちには何の意味もないような系図と、カタカナの名前の羅列です。しかも数百年の系図ではなく、人類の祖アダムからイスラエルの最初の王サウルに至るまでの壮大な系図です。ただし無意味に思える9章も、この書を読んだイスラエル人にとっては、非常に大きな意味があったのです。系図の重要性は、イスラエル人の文化と物の考え方を知らなければ、とても理解できるものではありません。系図を重要視する文化は他にもたくさんありますが、おしなべて言えることは、自分が誰であるかをはっきりさせたいという欲求、英語でいうならば、アイデンティフィケーションを持ちたいという欲求によるものです。自分がどこの馬の骨か分からないものではないということを、出自をはっきりさせることによって示して安心するわけです。現代の日本では、むしろ、仏壇を中心とした親族付き合いの中にそれを見出しているかのように思えますが、イスラエルでは、自分が民族の祖父アブラハムまでたどることができる、紛れもないイスラエル人であるという事実を大切にし、ついには神に至る系図を持っていると言うことを誇りにしていたのです。
 



   また歴代誌は、おもにダビデと彼の子孫である南朝の王たちを取り扱っていて、サウル王の生涯や北朝の王たちについては、ダビデと南朝の王たちとの関係においてだけ取り上げられています。そしてこの書は、バビロンに捕囚となっていたユダが、バビロンを滅ぼしたペルシャのクロス王によって帰還を許されるまで、つまり列王記より少し後の出来事まで取り扱っていますので、この時、帰還を許されたユダヤ人たちを励ますために書かれたものと思われます。とはいえ、ただ自分たちの歴史を美化して愛国心を育てる物語ではなく、まさに多くの失敗を重ねて神に逆らったにもかかわらず、神の誠実さのゆえに約束の地に帰還させられ、神殿の再建を許されたという恵みの事実を思い起こさせるための記録でした。とくに、衰退していた祭司たちの働きにもう一度目を向けさせる目的があったようです。帰還を許されたユダヤ人たちは、国家再興の目玉として神殿の再建を行なっていましたが、神殿には祭司たちの働きが絶対に必要だったからです。
 




☆☆☆☆☆ 聖書の背景となった文化 ☆☆☆☆☆

     
          (7)新バビロン文明 
 


  バビロンはシュメール文化が花開いていたとき、すでにそ
の南に存在していました。それが紀元前2000年頃から力を
つけ、古代バビロン文明を築きます。アブラハムが生まれ育っ
たのは、この古代バビロンのウルという町であったといわれて
います。その後、進入してきたヒッタイトに敗れて力を失い、
小さな勢力として存続し続けますが、紀元前800年頃から再
び力をつけ、紀元前612年には隣のメディヤ国と連合でアッ
シリヤに勝利し、さらにメディヤを敗北させることによって、新
バビロン帝国を築いて当時の世界を治めます。バビロンが、
南朝ユダの背信に対する神の懲罰の道具として用いられたと
きの王はネブカデネザルといいました。バビロンはユダを滅ぼ
し、多くの民を捕囚として引き連れて行きました。ところがその
バビロンも、紀元前539年にペルシャに敗北し、世界の表舞
台から姿を消します。しかし、バビロンはさまざまな姿で存続
し続け、現在のイラクの中に生きているといわれています。し
ばらく前に、イラクのサダム・フセインが自分はバビロン王ネブ
カデネザルであると言ったのは、そういう背景があるからです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



  歴代誌の著者は、ふつう神殿再建の中心人物で、エズラ記を書いたエズラではないかと考えられていますが、その確率は高いでしょう。非常に真面目に調査をして綿密な記録を残す、学者的な性格が現れています。この書物の中には、これが書かれるために調べられた資料の名前がそこここに記されていますが、その数は16にも上ります。同一資料の中の異なった部分が、違う名前で挙げられていることもあり得ますが、当時のイスラエル民族の記録熱も伺われる、おもしろい事実です。ちなみに、エズラが活躍したのは紀元前450年前後で、このころの日本はまだ有史以前です。一応、神話では神武天皇が即位して日本国を建設したのが紀元前660年ですが、確実に実在したと考えられている天皇の出現は、早くてもそれから1200年ほども後のことだと考えられています。中国から文字が入ってくるまでの日本では、記録を残すことができなかったために、確実なことは何も言えないのです。
 



   歴代誌は以下のように大きく区分けすることが出来るでしょう。
  

  A.  アダムからサウルまでの系図    T 1:1〜9:44 

 
  B.  ダビデの生涯    T 10:1〜29:30 

 
  C.  ソロモンの生涯    U 1:1〜9:31

 
  D.  ソロモン後の歴代の王たち    U 10:1〜36:23 
  


 
  13.  エズラ記    



   エズラ記と次のネヘミヤ記は、おなじ時代の良く似た出来事を取り扱っているために、一つにまとめられていた時期がありましたが、現代は二つの書物として別々に扱われています。エズラ記は、祭司階級の出身で律法学者でもあった、エズラと言う人物が紀元前440頃に書き記したものです。律法学者とは、モーセの律法をはじめとする旧約聖書を書き写す専門家のことです。彼らはただ書き写すだけではなく、熱心に聖書を学び、一般民衆を教えていました。
 



  エズラ記は、歴代誌の終わりの部分とほとんど同じ言葉で始まりますので、歴代誌の続きと考えて読むと良いでしょう。時代で言うと、ペルシャの王クロスがユダの人々を解放して、神殿の再建を許したとき、すなわち紀元前538年頃に始まり、エズラによるユダの人々の宗教改革とも言える悔い改めが起った440年頃までの、およそ100年間の出来事が記されています。
 



   この記録は、大きく二つに分けることができます。第一部は、クロス王による解放と神殿の再建にかかわるものです。背教の罪のためにバビロンに捕囚となったユダの人々は、多くの預言者たちを通して、再び故郷に帰ることができると約束された通りに、クロス王の解放を受けて故郷に戻り、さまざまな困難を克服して荒れ果てた神殿を再建し、真の神の礼拝を取り戻します。このときのユダヤ人の指導者はゼルバベルと呼ばれる人物です。エズラ記では、ゼルバベルというヘブル名のほかに、ペルシャ名のシェシュバツァルも使われているために、少しばかり混乱するかもしれません。(ゼルバベルはシェシュバツアルの甥とするなど、他の説もあります)
 



   ペルシャの王クロスがユダヤ人を解放することは、預言者イザヤが200年ほども前に預言していたことですが、まさに不思議と言うほかはありません。南朝ユダを滅ぼして抑留したバビロンが、その後ペルシャに敗北したために、ユダはそのままペルシャのもとで捕囚生活をすることになってしまいました。ところがペルシャの王クロスは、ユダを解放して優遇する政策を取ったのです。彼の政策の裏には、さまざまな要因があったことが伺われますが、パレスチナは古代民族の通商と交通にとって非常に重要な地域であり、多くの部族が入り組んで複雑な社会を形成していたことが絡んでいたと考えられます。たぶんクロスは、ユダ民族を帰還させてパレスチナを統治させることによって、地域の安定化を狙ったのではないかと思われます。
 



※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※
※※※※※※※   聖書の人名  ※※※※※※※



  聖書には数え切れないほどの人名が出てきます。とても覚え
られるものではありません。アダムとエバ、ノアと彼の3人の子ど
もセム、ハム、ヤペテ、アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブ
とレアとラケル、それからヤコブの12人の子供たち、そして、モ
ーセとアロンなどなど、重要な人物だけでも大変です。その上、
同一人物であるはずなのに著しく異なった名前で呼ばれている
ことがあります。


 
   それは、@当時の人々が、民族と言葉が入り混じった中で生
きていたために、異なった言語に応じて、複数の名前を持ってい
たものが多かったこと。A成長の途中で、改名をした場合もあるこ
となどによります。また、翻訳によって名前が異なるのも、@聖書
に書かれている名前の発音に応じて、そのまま日本語にするか、
一般の歴史で知られている名前に翻訳するか、A昔から使用さ
れていた日本語聖書が訳出した名前をそのまま使用するか、よ
り本来の発音に近いものに直すかなどによるのです。
たとえば、  


   たとえば、エズラ記からエステル記に至るまでの名前は、ヘブ
ル語の名前か、ペルシャ語の名前か、それがギリシヤ語に訳さ
れた名前か、はたまた、一般の歴史で慣用されている名前をとる
かで、まったく異なってしまいます。そこで、翻訳の原則によって、
日本名が似ても似つかないものになることがあるのです。名前の
翻訳は一般の文書でも非常に難しく、昔から、「ギヨルテとは俺の
ことかとゲーテ言い」という戯れ文があるほどです。


   旧約聖書のヘブル語でヨシュアと呼ばれる名は、新約聖書の
ギリシヤ語ではイエス・キリストのイエスとなります。ミリアムはマ
リヤ、ハンナはアンナ、ヨナはヨハネとなります。このヨハネ、英語
ではジョン、スペイン語ではホアン、それから、イヨーハン、フアン、
ヨハンとさまざまに変化します。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




   第二部は、エズラの指導のもとに行なわれた宗教改革です。エズラはクロスの5代後のペルシャ王アルタシャスタ(ギリシヤ名はアルタクセルクセス)によってエルサレムに送られ、神殿礼拝の徹底を命じられました。クロスの最初の解放から、およそ80年も後の紀元前458年のことです。ユダヤ人たちはすでに神殿礼拝を取り戻したとはいえ、まだまだ敵対する周辺の部族が多く、情勢は不安定で神殿礼拝もままならない状態が続いていたのです。アルタシャスタはクロスと同じように、帝国の繁栄のためにはこの地域の治安回復を不可欠と考えたのでしょう。そこでアルタシャスタは、さらに多くのユダヤ人を故郷に戻し、彼らを優遇して神殿礼拝の徹底を図ることで、それを成し遂げようとしたのだと思われます。エズラ記だけを読むと、ペルシャの王たちはあたかも天地をお造りになった神を礼拝しているかのように勘違いしそうなほどですが、ペルシャ王たちの宗教は、他宗教に寛容なゾロアスター教であったことが物語の背景にあったのです。




☆☆☆☆ 聖書の背景となった文化 ☆☆☆☆

 
          (7)ペルシャ文明 


  ペルシャとは今のイランであり、紀元前数千年から、その土地に
存在していた民族です。メソポタミアの近くでありながら少しばかり
外れていますので、普通メソポタミア文明には含まれません。とは
いえ、長いメソポタミア文明の中ではメソポタミアの支配者に統治
されていたこともあります。ペルシャが力を持ち始めたのは紀元前
600年代で、同539年にバビロンを攻め落とし、メソポタミアを中心
として東はインドのインダス川流域、西は現在のトルコとエジプトに
いたる、広大な地域の支配者となりました。聖書ではエステル記、
ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ
書などがこのペルシャを背景としています。ペルシャはゾロアスター
教という寛容な宗教を背景として、寛大な統治を行いましたが、紀
元前331年、アレキサンダー大王が率いるギリシヤ軍に敗北し、
翌年に完全に崩壊してしまいます。ただし、ペルシャ民族はその後
もさまざまな姿で存続し、現在のイランに至っています。現在のイラ
ン国民の大部分は、イスラム教徒となっています


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



ユダがバビロンの捕囚になったとき、バビロンに捕え移された人々の多くは知識階級で、裕福で有力な者たちでした。異邦の地バビロンに移されてからは、当然、神殿での礼拝ができなくなったために、彼らは小さな集団を作って律法を学び、子どもを教育し、相互援助を行い、非公式ながらも神を礼拝する形を、すこしずつ作りあげていました。それが、人々に徹底した信仰を持たせるのに大いに力があったと考えられます。特に、ダニエルやエゼキエルなどの活躍、さらにはエステル記に記されたような出来事もあって、(後述) それまでのイスラエルとユダの罪の根源であった偶像礼拝がだんだん姿を消し、かなり徹底した唯一神信仰が打ち立てられて行ったということを知っておくと、理解が増すことでしょう。その異郷で発展した小さな信仰集団の形式が、「会堂」という組織に発展して、それがキリストの時代には一般的になっていたのだろうと思われます。

 


  一方、捕囚としてバビロンに引かれて行くのを免れた貧しい人々の多くは、困難な状況を生き延びるためには、周辺の人々と雑婚して行かなければなりませんでした。そのために、ゼルバベルに導かれた同胞が戻って来て神殿の再建を始めようとしたとき、非常に難しい立場に追い込まれました。純粋なユダヤ人にとって、神殿再建は民族復興のシンボルでもよすがでもあったのですが、雑婚によって周辺の人々と共に生きることを選んだ人々にとっては、これが新たな軋轢の種となり脅威となったからです。そしてまた、パレスチナにいたさまざまな部族民にとっては、まさに存亡の危機となったのです。
 



  ですから神殿再建の事業は、順調に進むはずがありませんでした。これらの人々の度重なる妨害によって大幅に遅れ、神殿が完成したのはクロス王の治世から3代目、ダリヨスの時代になってからのことでした。それは、ソロモンが建てた絢爛豪華な神殿には比べようもない小さなものでしたが、それでも建築に20年以上もかかったのです。そしてまた、たとえ神殿が再建されたとしても、まだ解決されなければならない問題が残っていました。人々はまだまだ純粋な神信仰には戻ることができずに、少しでも気を許すと、神殿礼拝そのものがすさんで行ったのです。
 



   そこで、アルタシャスタ王が改めて、エズラを指導者としたユダヤ人の一団をパレスチナに送り、ユダヤ民族を強固にすることによって、再び地域の安定化を図ろうとしたわけです。エズラはユダヤ人たちの脆弱さが信仰の不徹底にあると判断し、それは周辺民族との雑婚によるものであると考え、これを禁止しただけではなく、すでに雑婚をしていた者たちには離婚を強いて、徹底して民族の血筋の純粋性を守ろうとしました。それはモーセの律法の厳格な適用でした。ただしこれは、主にバビロン(実際はペルシャ)から帰還したユダヤ人に対するもので、数も限られていました。目的は民族の血の純粋性に重点があったのではなく、信仰の純粋性にあったことも大切です。ユダヤ人の最大の欠点は、周辺民族と雑婚したことによって彼らの偶像礼拝までも受け入れ、自分たちの神をないがしろにしてしまったことだからです。
 



   このエズラの宗教改革はかなりの成功を収め、人々の悔い改めを呼び起こしました。ユダヤ人が民族として、徹底した一神教信仰へと導かれたのは、このときのことでした。ただし、このような厳しさだけを見て誤解してはなりません。ユダヤ人はまた、非常に寛容なところも持っていたのです。天地創造の神を信じる信仰を明確に表明し、正式な儀式にのっとってそれを告白した場合、たとえ他の民族に属する人間であっても、自分たちとおなじユダヤ人と認めて、差別なしに受け入れることができたからです。
 



   すでに述べましたが、エズラ記は大きく二つに分けることができます。
 

   A.   神殿の再建    1:1〜6:22


   B.   エズラの宗教改革    7:1〜10:44 






 
  
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聖書を読むぞー (31)        




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  9.  サムエル記T、U  


  サムエル記は、イスラエルの歴史の中でも最も偉大な人物のひとりであったサムエルと、そのサムエルが任命した二人の王、サウルとダビデの生涯と働きを記したもので、もともとは一巻の書物でした。サムエルが活躍したのは士師の時代の最後から王制の始まりにかけてであり、紀元前1,000年より少し前のころです。士師記の中に士師として挙げられてはいませんが、あらゆる条件から、彼こそ最大最後の士師と言える人物でした。彼は、武器らしいものは一振りの刀さえ持たない人でしたが、彼が任命した二人の王たちをはるかに凌ぐ権威を持っていたのです。
 


  サムエルはまた、士師記、ルツ記、サムエル記を書いた人物ではないかと考える人たちもいますが、確かなことは不明です。サムエル記Tの28章にはサムエル自身の死が記されていますから、それ以降は彼が書いたはずはありません。むしろサムエル記は、多くの人々が書いた文書が編纂されたものと考えた方が良さそうです。またサムエル記の内容は、写本によって幾分異なっていて、どの写本を翻訳の底本とするかによって日本語の聖書も異なってきます。(写本、底本などについてはすでに説明したとおりです) 興味のある方には、口語訳聖書と新改訳聖書を比べてみることをお勧めします。違いがわかればたいしたものです。二人で読み比べるのが、良い方法です。少し意地悪をして、異なっている箇所はお教えしませんが・・・・・・・。 


   サムエルはまた、士師としてイスラエルを治めただけではなく、幼いときから祭司としての働きを教えられ、人々のために神へのとりなしをする大切さを知る一方で、早くから、神の言葉をとりつぐ預言者としての自覚をもって働きを続けました。彼の預言者としての資質は、モーセの後継者ヨシュアにもなかったもので、ある意味では、モーセさえ超えていました。預言者の養成所のようなものまで作って、その後のイスラエルの歴史の中で長く続く、預言者の働きの礎を築いているからです。全体からすると、彼はまさに、モーセに匹敵するような偉大な人物だったといえます。



※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※
※※※※※※ ダビデと石投げ器  ※※※※※※


   サムエル記にはたくさんの出来事が記されていますが、な
かでも、ペリシテ軍の巨人ゴリアテと戦うダビデの物語が有名
です。この物語を知らない人でも、これを題材にしたミケランジ
ェロのダビデ像(聖ペテロ寺院にあります)はご存知のことでし
ょう。 芸術性はともかく、筆者はベルニーニという人による同じ
場面のダビデ象のほう好きです。石投げ器に石をつめてゴリア
テに向けて投げ打とうとしている、まさにその一瞬が見事に表
現されています。石投げ器と言うのは、皮ひもの真ん中に石を
挟む部分を作った簡単な道具です。 石を挟んで両端を持ち、
勢いよく振り回して狙を定めてひもの片端を離すと、手で投げ
るよりもよほど強く投げられるということです。手なれると命中
率も高く、時速120〜130マイルにもなるそうです。大リーグ
でも100マイル(時速160km) 投手は滅多に出ないほどで
すから、大変なものです。これをまともに額にくらったのでは、さ
しもの巨人ゴリアテも耐えられなかったでしょう。ちなみにゴリ
アテの身長は、270cm〜290cmと計算されます。ペリシテ
民族の中には、手足の指が6本あった巨人がたくさんいたなど
遺伝的に奇形な人々がかなりいたようです。これだけ大きいと、
俊敏な動作は苦手で、ダビデの石投げ器の格好の餌食となっ
てしまったわけです。まさに牛若丸よりも、おみごと!

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



  
サムエルの時代には、いろいろな面で大きな歴史的変化が現れ始めました。まず、カナンの地の先住民たちの多くがすでに力を失っていましたので、イスラエルは、以前のように彼らと苦しい戦いをすることが少なくなりました。その一方でイスラエルの人々は、征服した先住民たちと雑婚を進めたために、多くの異民族の血が流れ込んだと同時に、異民族の宗教までも移入されてきたのです。モーセの律法が異民族との婚姻を禁止したのは、異民族の低級な土着信仰がイスラエル民族の中に流入することによって、真の神を信じる信仰が衰退してしまわないようにという配慮だったのですが、それが、まったく忘れ去られてしまいました。イスラエルにとっては、それが後々までも非常に大きなとげとなったのです。



   
またカナンに定住したイスラエルは、それまでの遊牧を中心とした社会から、農耕を中心とした社会へと移行して行きました。すると、以前には小さかった富の偏りが大きくなり、富める者と貧しい者との格差が生まれ、富める家系と貧しい家系が分かれていきました。サムエルの時代には、それがかなりはっきりと現れ、社会構成が大きく変化してきていたのです。   



   さらに、士師記の時代に起こったイスラエルの危機は、全イスラエルの危機と言うよりも、地域的な、あるいは部族的な危機だったのに比べ、サムエルの時代は全イスラエルの危機となっていました。それは、イスラエル人と時を同じくしてカナンに入ってきたペリシテ人が勢力を増し、イスラエル全体の脅威となって来たためです。サムエルがまだ若かったころ、このペリシテ人のためにイスラエルは唯一の礼拝場所であった幕屋を失い、神の臨在の象徴となってきた「契約の箱」さえ奪われてしまったのです。それらの出来事は、イスラエル全部族統一の力、すなわち国家建設の望みへとつながって行きました。それがさまざまな出来事を巻き込みながら、サムエルによる初代の王サウルの任命と、第二代の王ダビデの任命へと至るのです。
 



   サムエルが主人公なのは、サムエル記Tの前半だけで、その後はサムエルによって任命されたイスラエルの初代の王サウルと、第2代目のダビデの物語へと続きます。サウルはベニヤミン族という、イスラエルの部族ではレビ族に次いで小さな部族に属する若者でしたが、非常に大柄な美しい青年で、素直な性質の持ち主でした。ただ、気弱なところがあったり、神に対する信頼と忠誠が足りなかったりで、残念ながら王としての資質には欠け、間もなくサムエルに(すなわち神に)退けられてしまいます。そして、羊飼いをしていた8人兄弟の末っ子のダビデという少年が選び出され、サムエルによって王としての任命を受けるのです。
 



   しかし、サウル王はすぐに王座を退いたのではありません。若いダビデを側近として召抱えて大切にしながら、王位を奪われることに疑心暗鬼となり、ダビデを亡き者にしようとさまざまな画策を弄して、長い争いへ入っていくのです。その争いは、サウルから見るとまさに醜いものでしたが、ダビデの側から見ると非常に美しい物語でした。ダビデは最後の最後まで、王として油注がれたサウルを尊敬し大切に扱っただけでなく、サウルの死後、サウルの家系の者たちにさえ最大の恩恵を与えようとしたほどです。その物語の中に、ダビデというイスラエル最大の王の人となりが、表現されています。



☆☆☆☆☆ 聖書の背景となった文化 ☆☆☆☆☆


          (5)ペリシテ人  

 聖書によるとエジプトから発生した民族ですが、エーゲ海近辺に本拠
を持つ海洋民族として発展したようです。早くから鉄器を用いていたこと
から、たぶん現在のトルコで繁栄したヒッタイト民族と深い関係があった
と思われます。鉄器の製造法は、ヒッタイト民族の門外不出の秘密とさ
れていたからです。彼らはイスラエルが約束の地カナンに入域する直前
にカナンに入り、イスラエル民族の最大の敵となり、師士の時代からダ
ビデの時代まで、イスラエルを苦しめ続けました。ダビデ王によって最終
的に敗北させられてからは、表立った敵対はほとんどできなくなりました
が、その影響力、特に彼らがもたらしたバアルとアシュタロテ信仰は、長
い間イスラエル民族の棘となりました。カナンの地の現在の名前「パレス
チナ」はペリシテ人の地という意味です。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



  長年ダビデを殺害しようと追い回していたサウルは、ペリシテ人との戦いで、3人の息子と共に悲劇的な最後を迎えます。これによって王位は完全にダビデにわたり、ダビデの治世が始まります。ダビデは先住民族だけではなく、イスラエルの最大の脅威であったペリシテ人に対しても、ついに決定的な勝利を勝ち取り、(サムエル記U5:25) イスラエルにかつてないほどの繁栄をもたらしました。そのことのために、ダビデは後々までも、イスラエル最大の王として人々の尊敬を集めただけでなく、やがて救い主がこの家系から起こされ、再びダビデの時代の独立と繁栄が取り戻されるという預言によって、イスラエルの希望の象徴ともなっていくのです。
 



   ダビデは確かに素晴らしい信仰の持ち主であり、卓越した王でした。しかし、数々の弱さを持った人間でもあったのです。そのためにさまざまな出来事が起こりました。中でも、沐浴する人妻バテシバの美しさに負けて彼女を召しいれ、策略をもって夫を殺害してしまったことは、彼の人生最大の汚点です。しかしまた、その罪を預言者に指摘されたときの、彼の素直な悔い改めは見事なもので、現代に至るまで、神を信じる者の模範となっています。また彼が、多数の妻とそばめと子どもを持ったこともあって、しっかりとした家庭教育ができませんでした。そのため彼の生涯の後半は、醜い家族の争いから発展する国家的紛争、いわゆるお家騒動に巻き込まれてしまいます。イスラエル国家が繁栄の頂点にあったときから、すでに、北朝イスラエルと南朝ユダという分裂国家の兆しが現れていたのです。
 



   ともすればダビデは、偉大な人物だったと理想化して描かれることが多いのですが、聖書の素直な読み方からはちょっと違うダビデ像が浮かび上がります。確かに彼の神に対する信仰と、素直な性格は賞賛に値しますが、世界の歴史に現れてくる偉大な人間に、肩を並べるほどではないように思えます。彼の戦略家としての能力、戦術家としての統率力、王としての治世力と、家族の中での指導力、さらに自己制御や倫理、どれをとっても一流とは言えません。たとえば徳川家康の生涯と業績を見ると、彼はいろいろな面でダビデに勝る人物だったと判断せざるを得ません。もっとも、徳川家康は400年にも満たない近代の人物であり、ダビデは3000年も昔の人です。単純に比べるほうが間違っているのかも知れません。
 




※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※※※※※ ダビデの信仰と嘘  ※※※※※※※※


  ダビデの素晴らしさは、神に愛される素直で純真な信仰を持っていた
ということに尽きるでしょう。しかしその信仰さえも、絶対に揺るぐことが
ない堅牢な信仰ではなく、恐れ、悩み、悲しみ、不安にさいなまれなが
らも、神を見上げ続ける類のものでした。確かにあるときのダビデは、信
仰のために何者をも恐れない勇者でしたが、他のときには敵を恐れて
逃げ隠れする卑怯な人間だったのです。たとえば、ダビデを敬愛する多
くの「正直なクリスチャン」には耐えられないことですが、彼は嘘つきの
名人でもありました。彼はサウル王から逃れていたとき、卑怯にも敵の
ペリシテ人の「善良な王」を騙して庇護を受けたのを良いことに、「嘘を言
い続け」「騙し続け」て、600人もの共のものと一緒に、1年4ヶ月にわた
って彼らの間に住み続けるのです。彼が常に揺るがない信仰で神を信
頼していたのなら、嘘をつき、騙し続ける必要はなかったことでしょう。そ
の中途半端さが、さらに中途半端でしかありえない私たちを励ますので
す。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 
 

  しかしまさに、ダビデが最高の人間ではなかったところに、素晴らしさがあるように思えるのです。そのように弱く頼りなく、ずるがしこく、さまざまな策を弄する中途半端な人間でありながら、神に対する信仰、神にすがりつく純粋さだけは誰にも負けない最高のものだったのです。それが、ダビデを偉大にしたのです。たとえば、まだ成人にも達していなかったとき、彼はペリシテの大勇士ゴリアテと戦って、見事勝利を収めました。彼の武器は、見たところ石投げ器一つでしたが、実は、見えない強力な武器があったのです。それは神を信じる信仰です。彼はゴリアテに向かって叫びました。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来る。私は、お前がなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」 



   ダビデの物語は、偉大な英雄の物語としてではなく、弱く愚かなひとりの人間の信仰の物語として読むべきものなのでしょう。もしも私たちが、現代的なヒューマニスティックな目をもち、「人権」などを論じる心を持って読むならば、とても耐えられる物語ではありません。ダビデによって人生を台無しにされた多くの人々には涙が流れます。ところがその弱い人間を用い、その愚かな人間を通して、神は人類の救いに向けての準備を整えてくださったのです。ダビデの物語だけでなく、イスラエルの歴史全体
が、弱い人間を用いて救いの働きを遂行してくださる、神の誠実さを語り伝える物語なのです。



 
 サムエル記は非常に長い書物ですが、次のように区分けすることができるでしょう。 

 
A.      最後の士師サムエル   T 1:1〜7:1

 
B.      サムエルとサウル王   T 7:2〜15:35 

 
C.      サウル王とダビデ  T 16:1〜U 1:27

 
D.      ダビデ王国   U 2:1〜8:18

 
E.       ダビデ王位の継承紛争   U 9:1〜20:25

 
F.       ダビデの治世に起こった物語の挿入と治世の最後   U 21:1〜24:25 




☆☆☆☆ 聖書の背景となった文化 ☆☆☆☆


           (6)アッシリヤ文明  

 
メソポタミアでシュメール文化が栄えた頃、すでにアッシリヤはそ
の北部に足場を築いていました。古代バビロン文明が衰退し、ヒッ
タイト文明も滅んだ後台頭したのがこのアッシリヤです。これは人類
初の帝国といわれる巨大国家となり、エジプトを含む非常に広い地
域を領土としました。聖書では不従順な北朝イスラエルを懲らしめる
神の鞭とて用いられています。預言者ヨナの物語はこのアッシリヤ
の首都ニネベに関するものです。また、ナホムが滅亡を予言したの
もこのアッシリヤです。アッシリヤの戦争上手と残虐性は非常に有
名ですが、神はそのあまりにも残虐な彼らを許しておくことはできず、
ついに、紀元前609年、完全に滅ぼしてしまわれたのです。しかし
アッシリヤが残した文明は、その後のバビロンやペルシャに引き継
がれていきました。 





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2010年09月28日

聖書を読むぞー (30)        師士記〜


猫ハートたち(複数ハート) この文章を(1)から順番にお読みになり たい方 猫ハートたち(複数ハート)

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  7.士師記  
 



  いま「士師」という日本語はあるのでしょうか。多分、漢文から来たのだと思いますが、古くからの日本語に良い訳語が見つからないために、こんな難しい言葉になったのだと思います。士師記の本文の中では「さばきづかさ」といわれていますが、これならなんとなくわかる気もしますが、日本の歴史の中には「さばきづかさ」と言うものがありませんでしたから、やはりはっきりしません。
 



  「士師」あるいは「さばきづかさ」とは、イスラエルの歴史の中でまだ王がいなかったころ、秀でた人々の中から神によって選び出され、民族の指導者とされた者たちのことです。あるものは政治的手腕を持ち、あるものは軍事的手腕をもち、またあるものは預言者として力を振るい、民族の危機に当って活躍したものです。士師記の記述はヨシュアの死後から、サムエルの出生直前にまでに及び、12人の士師の働きについて記されています。士師記自体の記述から計算すると、この間およそ410年と言うことになりますが、先に枠内で説明したように聖書の年代や数は、現代の十進法とカレンダーに合わせるのが非常に難しく、350年前後ではないかと思われます。12人の士師のうち半分6人が大士師と呼ばれ、残りの6人が小士師と呼ばれています。



  
ヨシュアの死後、イスラエルは急激に凋落し、神の律法も省みられなくなり、祭司たちもまともに勤めを果たすことが困難になってしまいました。当時、神の律法の書がどこにあったのか定かではありませんが、多分、祭司の誰かが保管していたのでしょう。確かだったのは、それが読まれることも教えられることもなかったことです。そのためもあって、人々はこぞってカナンに残留していた先住民族の神々を礼拝するようになって行きます。その結果、イスラエル民族は神の祝福と守りを失い、残留していた先住民族からの攻撃に悩まされ続け、いくども民族的危機をくぐらなければなりませんでした。そのような危機に当って、神は指導者たちを立てイスラエルをお守りになったのです。 



   ところがその指導者たちのなかにさえ、神の律法をほとんど知らず道徳的にもかなり疑問のある者がいたほどで、イスラエルの廃頽はまさに眼に余るものでした。それにもかかわらず、神はイスラエルを守り通してくださいました。それは、神のアブラハムに対する約束は、単にカナンの地を与えるということではなく、彼の子孫を通してすべての民族が祝福されるということだったからです。約束を果たしてくださるのは、神の誠実さにかかわることです。神はイスラエルが全世界の祝福になることを約束してくださったのですから、その約束が成就されることなく、イスラエルが滅びることはありえなかったのです。



  
士師記を一言であらわす言葉が、士師記の中でくり返されています。それは「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた」という言葉です。(17:6、20:25) 





☆☆☆☆☆ 聖書の背景となった文明  ☆☆☆☆☆☆


            (4) ヒッタイト文明
  


 黒海の北から現在のトルコに移動してきた民族が(インドからという説も
ある)、紀元前1700年頃に国家を設立し、その後、メソポタミアに侵入し、
前1600年頃、古代バビロンを滅ぼして全域を支配しました。モーセが戦
ったエジプトの王は、実はエジプトを侵略してこれを治めた、ヒッタイトだっ
たのではないかと言われています。前1300年を過ぎたころ、エジプトの
ラムセス2世の軍と戦ったことはよく知られています。鉄器を使用し、強力
な軍隊を持っていたため、エジプト側が残した勝利の記録とはうらはらに、
ヒッタイト側の有利に終わったと考えられます。聖書では「ヘテ人」といわ
れていますが、イスラエルとの直接の接触はあまりありません。ただし、
間接的にはさまざまな影響を受けていたと思われます。1200年頃、他
民族との戦いではなく内紛か飢饉、あるいは疫病によって滅んだのでは
ないかと考えられています。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





 8. ルツ記   



  ルツ記は、士師の時代に生きたルツと言う異邦人女性の、信仰と愛、またそれにお答えになった神のお取り扱いが記されている、短い書物です。昔からルツ記は、数ある旧約聖書の物語の中でももっとも美しく、感動的であると言われてきました。原語の文体もとても文学的で、洗練されているということです。たしかに戦いや殺人など、血生臭い物語が多い旧約聖書のなかで、とても牧歌的な心温まる物語です。

 


  短い書物ですので、あえて内容の説明はしませんが、この書物の大切な点は、異邦人で、しかもイスラエル人の夫を失った未亡人が、夫の親族であるボアズという裕福な男に引き取られて結婚したということです。それ自体で美しい出来事ですが、彼女が産んだ男の子がイ、スラエル第二代の王ダビデの祖父になったということが、さらに重要な点でした。ダビデはイスラエルの歴史上最も偉大な王であり、彼の治世のもとで、イスラエルは最も安定し繁栄を楽しんだのです。



※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※
※※※※※※※   落穂ひろい   ※※※※※※※※

  ルツ記の物語の発展には、「落穂拾い」という習慣が重要な役
割を果たしています。「麦畑の所有者は一度刈り取った畑で、こぼ
れ落ちた穂を拾い集めてはいけない。またブドウ畑では二度の収
穫をしてはならない。貧しい孤児や寡婦、あるいは寄留の外国人
が、それらを集めて食べることができるためである」というモーセの
律法が、廃頽した士師の時代にあっても、忠実な人たちの間で守
られていたわけです。



  ところで,ミレーという画家が描いた「落穂拾い」という絵をご存知
でしょうか。は日本でも多くの人に愛されています。です。ミレーが
生きていたのは、ルツの時代から3000年近くも後で、もちろん国
も文化も異なりますが、同じモーセの律法が守られていて、貧しい
人々は裕福な人の畑に行って、落穂を集めることができたらしいの
です。ミレーは当時の貧しい人々の生活をたくさん描いています。
描く人の暖かいまなざしが見えてくるような絵です。彼はルツの物
語をモチーフにしながら、目の前の貧しい人々に眼を注いだのでし
ょう。彼はほかにも、「刈り入れ人の休息(ルツとボアズ)」という有
名な絵も描いています。昔から、聖書の物語は多くの芸術家を感動
させ、たくさんの作品を誕生させてきました。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




   ルツ記を理解するための重要な言葉が、「買い戻し」です。買い戻しという習慣は、現在の私たちにはあまりにも文化的距離がありすぎて、なかなか理解ができないものです。子を持たないまま夫を失った女性が、夫の家系を絶やさないために、夫に近い親族によって子どもを得るように定めていた、モーセの律法にからんでできた習慣です。ですからイスラエルでは、寡婦(やもめ)が子供を持っていなかった場合、夫の兄弟など、もっとも近い親族に土地財産を買い取ってもらうと同時に、自分もその親族によって子どもをもうけ、その子が成人すると、母のもとの夫の家を継がせ、母のもとの夫の所有だった土地を相続させることによって、家系というものを存続させたわけです。日本でも、男の子がいなければ養子を迎えてでも「家」を存続させることがありましたが、「家系」を大切にするという点では同じです。 



   この「買い戻し」という言葉は、聖書ではふつう「贖(あがな)い」と翻訳されているもので、聖書学者たちの中には、ボアズがルツを買い戻して結婚したこと、すなわち「贖って」結婚したことを、キリストの救いの象徴として見る人たちがたくさんいます。そのような人たちが、たくさん聖書の翻訳作業に加わると、この言葉が大切に取り扱われることになります。他の翻訳者たちが省いたり、もっと簡単な言葉でさらっと翻訳したりしているところを、あえてきちっと翻訳するわけです。ためしに、新改訳聖書の翻訳と、口語訳や新共同訳と比べてみるとおわかりになると思います。




※※※※※※※  ちょっとした話  ※※※※※※※※
※※※※※※※ 贖いという言葉 ※※※※※※※※ 


 

  「贖い」は古い日本語ですが、「買う」という意味です。平安時代
の日本語に近いといわれている沖縄方言では、現在でもこの言葉
が普通に使われています。小さな子どもがお菓子を見せて、「これ、
贖ってきた」と言ったのには、筆者も驚いたものです。この言葉が神
の働きとして語られるときは、神がキリストの血潮という代価、あるい
は命という代価をはらって罪人を買い戻し、ご自分の所有としてくだ
さったという意味になります。キリストがわたしたちを贖ってくださった
と言うときは、キリストが十字架で流した血潮を代価として支払って、
わたしたちを滅びの中から救い出してくださったというほどの意味に
なります。誰から買い戻すのかということは、聖書には書かれていま
せん。悪魔という考え方もありますが、死あるいは滅びからと考える
意見のほうが強いようです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



   ルツがダビデ王の先祖のひとりになったという記録には、特別の意味が込められていました。ダビデ王には貧しい異邦人の、しかも未亡人の血が流れているということで、ダビデ王家に属する人々の高ぶりを戒める一方、身分が低く軽蔑されるような人々にも、神のご加護があることを教え励ましました。イスラエル人たちの選民意識、すなわち神に選ばれた特別な民族であるという誇りが、あまりにも強くなったときには、彼らの誇る最大の王でさえ、惨めで小さな異邦人の女性から生まれたという事実を思い起こさせました。新約聖書のキリストの系図の中には、4人の女性の名が出てきますが、ルツはその中のひとりです。そしてそれらの女性のすべてが、何らかの理由で、人に軽んじられ、卑しめられ、のけ者にされる立場にあったにもかかわらず、尊い救い主、キリストの先祖の中にあえて数えあげられていることが大切なのです。



   
現代に生きる私たちには、ルツの存在は信仰と従順の模範であると同時に、神は異邦人や身分の卑しい者を軽んじられないという事実を確認させるものです。また神の救いの普遍性が、つまり、神はすべての民族をわけ隔てなく愛し、公平に救いを与えてくださるという事実が、旧約時代から明らかにされていたということを示すものです。これは旧約聖書のもう一つの珠玉の短編物語、ヨナ書のメッセージに相通ずるものであり、使徒パウロを通して明確に教えられた、福音の普遍性を指し示すものです。(ガラテヤ人への手紙を参照してください)  


 

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聖書を読むぞー (29)        申命記〜 





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   5.  申命記  (民数記に続いて読んでください。ただし、かなり
            くり返しが多いので、最初は31章から読み始め
            るのが良いでしょう)  



  申命記と言う書物の名前は中国語聖書の訳に由来するものらしく、「重ね重ねの命令の記録」という意味です。もともとのヘブル語聖書では、1:1に基づいて、単に「言葉」と呼ばれていたものです。日本語には申命という言葉がないため、一読して意味がわかるものではありませんが、この書物はモーセの説教、あるいは教えを通して与えられた神の命令、神の言葉が記されたもので、旧約聖書の中でも非常に重要な位置を占めています。ですから申命記と言う名前は、その意味から言うとまさにふさわしいものです。
 



  この書には、神から与えられた戒めの中で最も大切であると、キリストもユダヤ人学者もともに考えていた戒めがあります。(マルコの福音書12:28〜34) それは6:45に記されています。また、第二番目に大切な戒めは、直接的にはレビ記19:18に記されていますが、申命記でもその教えの意味するところが存分に取り扱われています。 



   旧約聖書のほとんどすべての書物に共通して言えることですが、この書も、多くの学者たちによって批判されてきました。啓蒙主義的前提に立ち、神の超自然の介入を否定した彼らによると、この書物の律法の内容の高度さから言って、モーセの時代に書かれたと考えるのは不可能であり、せいぜい紀元前10世紀から8世紀のものと判断せざるを得ないということでした。ところが19世紀ら20世紀にわたっての膨大な考古学的発見や、より進展した学びによって、モーセによって書かれたということの真実性が証明されてきました。 



   とくに、モーセの時代にはものを書き記すということがなく、口伝に頼ったに違いないという彼らの主張は、モーセの時代よりも先に書かれたものを含む、さまざまな文書が多量に発掘され続けたことによって、まったくの仮定に過ぎず、何の根拠もないことがはっきりしたのです。石や粘土板、あるいはパピルス、さらにはオストラカなどに、いろいろな文字で記されたいくつもの言語の文書が、まさに膨大な数で発見されさたからです。




   
モーセの時代にはまだ紙がなく、素焼きの粘土板が最も一般的に用いられていましたが、長期保存のためには石が用いられました。さらにまた申命記に書かれた教えの内容も、確かに高度のものではありますが、それに似た教えは、他の同時代の文書でも断片的に発見され、必ずしも申命記だけの特徴ではないこともわかってきました。そこで、多くの学者たちの推測に基づく議論は、聖書の信頼性を失わせる目的だけに行なわれた、非学問的なものであることがわかってきたのです。




※※※※※※※ ちょっとした話  ※※※※※※※
※※※※※※ パピルスとオストラカ  ※※※※※※


  パピルスとは、ナイル川などに生育する植物「パピルス」で作った紙
のことで、現在の「ペーパー」の語源となったものです。オストラカとは
土器の破片で、庶民には一番安価で手に入った紙の代用品でした。
民主主義的な都市国家を築いた古代ギリシヤでは、この陶器の破片
で投票したことが知られています。とくに住民投票で村八分のようなこ
とが行なわれていたことから、村八分のことを英語でオストラシズムと
言うようになりました。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 

   発見された多くの文書の中で最も有名なのは、ハムラビ法典といわれるものです。紀元前19世紀のバビロンの王ハムラビが閃緑岩に刻ませたもので、1901年にイランのスサで発見されました。282条からなる律法が記されていたのですが、発見されたときには、残念ながらすでに一部が損傷していました。有名な「眼には眼を、歯には歯を」という教えは、旧約聖書よりも早く、まずこの法典に出てきます。「眼には眼を」はしばしば間違われて、復讐を薦める教えであると理解されていますが、むしろ、むやみな復讐を止めるための教えです。それは聖書の場合も同じです。



  
ハムラビ法典は現在の日本人の感覚からすると、いろいろと不備な点がありますが、今からおよそ4,000年も前のものであることを考えると、非常に優れた、また進んだ法律だということがわかります。また、このハムラビ法典の実際の運用や判例が、多くの粘土板の記録に残されていますが、ハムラビ法典とは異なる判決なども頻繁に見られるところから、どうやらこの法典は、実際の運用よりもむしろ王の理想を記したもの、所信表明のようなものであると考えられます。



  
ところが、聖書の価値を少しでも低めようとする人たちは、この法典を始めとする出土品を見て、こんどは、聖書はこれらの法典の模倣に過ぎないと言い出しました。確かに聖書にも類似の教えがあり、彼らの主張がもてはやされた時期もありましたが、学びが進むにつれて聖書のユニークさが明らかになり、聖書が模倣に過ぎないという批判は早くも過去のものとなってしまいました。



 
申命記は以下の様に区分することができます。 


  A.  モーセの一連の教え第一   1:1〜4:43 

  B
.  モーセの一連の教え第二   4:44〜26:19

  C
.  モーセの一連の教え第三   27:1〜29:1 

  D
.  モーセの一連の教え第四    29:2〜30:20

  E
.   モーセの一連の教え第五   31:1〜33:29

  F
.   モーセの死   34:1〜34:12   




 6. ヨシュア記   



   ヨシュア記は、モーセの後継者ヨシュアの名前をとって付けられたものです。モーセの死後、ヨシュアがイスラエルの指導者となり、ヨルダン川をわたって約束の地カナンに入るところから始まり、多くの戦いを経てカナンの地を征服し、それを部族ごとに分配して定住した後、ヨシュアの死をもって幕を閉じています。
  

 

   ヨシュア記の最大の価値は、アブラハムに与えられた神の約束が、間違いなく成就したことが記されているところにあります。神の約束は決してたがえられることはないということが、この書物で強く明らかに教えられているのです。約束から成就までのおよそ600年、非常に多くの出来事がありました。人間的な見方をすると、約束成就の望みがまったく絶たれてしまったとしか思えないことも、いくどもありました。イスラエル人たちの中に、約束をおぼえている者など、ひとりもいないと思われるときも続きました。しかし神は誠実な方です。ご自分の約束を忘れたり違えたり、ないがしろにされたりすることはありません。神は約束の通りにアブラハムの子孫に、カナンの地をお与えになったのです。
 



   ヨシュアは、カナンの土地を探った12人の斥候(スパイ)のひとりでした。10人の斥候たちがカナンの先住民を恐れて尻込みし、神の約束に信頼しなかったために40年間も荒野をさ迷うことになったとき、もうひとりの斥候だったカレブとともに、神に信頼して直ちに約束の地に入るべきだと主張した人物です。この不信仰のために、イスラエル人の中でエジプトを出発したとき20歳以上の成人だった者は、すべて荒野で命を落とすことになってしまいましたが、ヨシュアとカレブだけ約束の地に入ることが出来たのです。




  
ヨシュアは早くから勇士として活躍し、モーセの傍らで手助けをしていましたが、モーセの亡き後、イスラエルの指導者として神に任命されて、一生の間忠実に神に仕えました。ところがイスラエルの人々は相も変わらず不信仰、不忠実で、神にそむき、悪を重ねていきました。彼らの最大の悪は、エジプトの奴隷状態から解放してくださった神をないがしろにし、他の神々を慕ったことであり、最大の失敗は、いろいろな理由で、先住民を滅ぼしつくすことができなかったことです。



  
そのためにイスラエルは、以後長いあいだ、先住民たちと戦いを続けなければならなくなっただけでなく、いつも先住民の持ち込む偶像礼拝の誘惑と戦わなければならなくなりました。特にイスラエルの手ごわい敵となったのは、約束の地カナンの別名であるパレスチナの由来となった、ペリシテ人といわれる人々でした。彼らはイスラエル民族とほとんど同時期に北西からカナンに侵攻してきた民族であり、肉体的にもイスラエル人より大きく、文明程度も高く戦いにたけていただけではなく、鉄器を使用していました。それに比べイスラエルはまだ青銅しか知らず、武器らしい武器もわずかしかなかったのです。青銅と鉄器の武器では、槍と刀と弓だけの軍と、鉄砲を持った軍の戦いほどの差がありました。



  
そのうえ、エジプトで奴隷だったイスラエルは、もともと武器も持たず、戦いの訓練も受けたことのない人々でした。40年の間、荒野で敵に勝利し続けてきたのは、ただただ神の助けによるものだったのです。そのために、イスラエルの人々が不信仰になって神を疑い、あるいは罪を犯して神を裏切ったときには、自力で敵を打ち破ることが不可能だったのです。イスラエルの敵は大いにイスラエルを恐れましたが、それはイスラエルが強かったからではなく、イスラエルには戦いに強い神がついていたからです。イスラエル人が神に忠誠を守り、信頼し続けていたならば、間違いなく、カナンの地を完全に征服することができたのです。ペリシテ人の神はもともと豊穣の神であって、戦いの神ではありませんでした。結果として、イスラエルはカナンの地を征服したとはいえ、それらはほとんどが山岳地帯であり、多くの平野部は依然として手付かずのまま残ってしまったのです。



  
ともあれ、イスラエルの人々はカナンを征服し、それをイスラエルの部族にしたがって分割して、住み着くことになりました。ただし先に述べたように、レビ部族はイスラエルの宗教的務めと公務員的な働きをするために、他の部族のようには土地の分配を受けず、自分たちの住む町々と、家畜用のわずかな放牧地が与えられただけでした。また、カナンに入る前に、すでにヨルダン川の東側の土地を与えられていた者も、2部族と半部族がありました。



  
ヨシュア記の主題というか、鍵となる言葉が1:6〜7に記されています。「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこでも、あなたが栄をえるためである。」



  
ヨシュアは最後まで、忠実な信仰者として生きぬきました。このヨシュアの名前、すなわち「神は救い」が、やがてお生まれになった救い主キリストの名前として選ばれたのは、ヨシュアにとっては大いに名誉なことだと思います。イエス・キリストの「イエス」は、ヨシュアのギリシヤ語化した呼び方で、神ご自身がそのように名づけなさいとお命じになった名前だからです。



   
ヨシュア記は大きくつぎのように区分けすることができます。 

   A
.   カナンへの侵攻  1:1〜12:24

   B
.   カナンの地の分割  13:1〜21:45 

   C
.   ヨシュアの晩年と死  22:1〜24:33   
 





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聖書を読むぞー (28)        レビ記〜



 3. レビ記 (初心者には理解不可能に近く、しばらくは読まなくて
               も良い書物です)


  レビと言うのは、イスラエルの12部族のうちで一番小さな部族の名前です。彼らは、イスラエル民族のために宗教的働きや公務員的な働きをするように、神から任命された特別な部族でした。レビ記は、このレビ部族の働きとイスラエル民族の宗教生活について、こと細かく記された書物です。イスラエル人の宗教活動は、まず、神が設定された幕屋(天幕)を中心として行なわれましたので、レビ記は、出エジプト記の後半に記された幕屋にかかわる教えに続いて、幕屋での礼拝の定めごとを取り扱っています。




 

  幕屋と言うのは、イスラエル民族が神を礼拝する場所として、神ご自身が設定してくださったもので、全イスラエルにたった一箇所あるだけでした。一般の人々にとっては、神に定められたこの正式な場所における礼拝のみが、神に受け入れられる礼拝であったために、イスラエル人の宗教活動はすべてこの場所を中心に行なわれることになりました。そのためにこの後何百年間も、人々は神を礼拝するために遠い道のりを旅して、大変な苦労を重ねて幕屋(後には神殿に発展)まで来なければなりませんでした。



   どうして、そのような面倒なことになったのでしょう。たくさん礼拝の場所があればもっと便利だったに違いありません。しかし、そこには深いわけがありました。その根源の理由は、すでに大まかに説明してきたように、礼拝される神が絶対に聖い方で一点の曇りもない方である一方、礼拝する人間はすべて汚れ果てた罪人に過ぎないという、どうしようもない現実です。神の聖さは、人間を近寄らせることが出来ないものです。それは聖書の中で、火にたとえられています。燃え盛る火に近づくものはみな焼け死んでしまいます。罪あるものが不用意に神に近づくと、たちまち神の聖さに打たれて滅びてしまうのです。それは、出エジプト記の中で、モーセがシナイ山において十戒を受け取った物語にも、象徴的に示されています。山全体が火と煙に包まれ、恐ろしい響きがあり、これに近づくものは人であれ獣であれ、みな滅ぼされてしまうと警告されたのです。



   
神が、人をご自分の姿に似せてお造りになったのは、人と交わりを持つことを願われたからです。人が神の祝福を感じ、生かされていることを喜び、感謝と賛美を献げることを、神はお喜びになるのです。そのような人々を神は豊かに祝福し、すべての良いもので満足させようとされたのです。しかし、人が罪を犯してしまってからは、その罪が妨げとなって、人が神のもとに来ることが出来なくなってしまいました。そのために、人は何をしても満たされることがなく、不幸になってしまったのです。そのような状態を、神はとても悲しんでおられるのです。



   
幕屋(神殿)とは、神がお定めになった極めて限定された礼拝の場です。絶対に聖い神が罪に穢れた人間との接触を断ち切ることなく、何とか、人間が神を礼拝し続けることができるようにしてくださった「場」です。そこに付随して与えられたさまざまな規定は、その限られた礼拝を可能とするために必要な事柄でした。幕屋は、聖い神が汚れた人間を滅ぼしてしまうことなく近づいてくださることができるぎりぎりの線であり、汚れた人間が滅びることなく絶対に聖い神ににじり寄ることが出来る、ぎりぎりの線なのです。



   
人々が礼拝する場所は幕屋だけと定められていました。その幕屋の奥深いところには至聖所といわれる小さな部屋があり、そこが神の臨在を象徴する場所と定められていました。この神の臨在の象徴に近づくことができる人は、全イスラエルの中で大祭司と呼ばれるたった一人の人間だけでした。しかも、一年に一度だけです。普段は、大祭司であっても、隣の部屋までしか入ることができなかったのです。一般の祭司たちはそこまでさえ入ることは許されず、中庭の部分でさまざまな仕事をすることができただけでした。



  
祭司たちの仕事の中心は、礼拝のために全国から集まってくる人々のために、神にとりなしをすることでした。一般の人々は、自分で宗教行事をして神の前に出ることはできなかったのです。すべて、祭司にお願いし、祭司たちが仲立ちとならなければなりませんでした。その祭司たちも、直接神の前に出ることはできず、さらに大祭司の仲立ちを必要とし、その大祭司も、年に一度だけ、神の臨在の前に出ることが許されていたわけです。 



   全国から礼拝にやってくる人々はまた、さまざまな願いと必要を抱えていました。それらの願いや必要に応じていろいろなささげ物が定められていましたが、罪ある人々はまず罪の赦しをいただくために、自分の身代わりになって死んでくれる動物を携えてくることになっていました。彼らはそれらのささげ物を規定に従って祭司たちに渡し、祭司たちはまた規定に従ってそれらを取り扱いました。犠牲の動物はすべて幕屋の中庭で殺され、血が注ぎ出され、祭壇に捧げられました。それらすべてが規定どおりに行なわれてはじめて、人々は自分の罪が許され、自分の礼拝が受け入れられたと、喜ぶことができたのです。一般の人々が、神の臨在の前に出ることは絶対にありえなかったのです。



   
一般の祭司たちもまた、彼ら自身のための犠牲の捧げ物をもって礼拝しましたが、彼らも神の臨在の前に出ることはできませんでした。大祭司のとりなしが必要だったのです。大祭司も、自分のための捧げ物を携えて神を礼拝したのですが、神の臨在の前に出ることができたのは、すでに述べたように年に一度だけです。しかも、至聖所での臨在は本当の臨在ではなく、あくまでも臨在の象徴だったのです。それらの厳しい規定、細々とした規定はすべて、罪に汚れた人間が、絶対に聖い神を礼拝するためには、必須の条件でした。それほど、神は聖い方だと言うことです。罪ある人間が、ひょいと出て、礼拝できるような方ではないのです。



   
レビ記という書物は、この聖所にかかわるレビ族の仕事、祭司の役割、さらに聖所の構造、捧げ物の種類、捧げ物の取り扱い方、礼拝に来る人々の義務などが、こと細かく記されているのです。従って、神の絶対の聖さということを理解しないで読むと、まったく退屈な意味不明の事柄の羅列となってしまうわけです。しかしこの書物があればこそ、キリストの十字架の意味が明らかになるという、重要な書物です。新約聖書に記されている多くの教えは、レビ記を理解して初めて良くわかるのです。とくに、キリストの十字架の意味を詳しく説いたヘブル人への手紙は、レビ記なしには理解ができないのです。



   
レビ記に記されていることを大まかに分類すると、以下のようになります。 

 
A.  礼拝の仕方について  1:1〜10:20 
     a.
   ささげ物について  1:1〜7:38
    
b.   祭司と聖所について  8:1〜10:20

 B
.  礼拝する者について  11:1〜27:34      
   a.  けがれを取り除くことについて  11:1〜16:34 
  
   b.  聖さを保つことについて  17:1〜22:33
 
     c.  安息と祭りについて  23:1〜25:55 
 
     d.  祝福と刑罰について  26:1〜26:46
    
e.  誓願のささげ物について  27:1〜27:34 



   イスラエル民族の中で宗教的役割と公務員的な役割を担ったレビ族は、約束の地カナンに入った後、土地の分け前をもらう代わりに、ほかの11部族の神様へのささげ物の中から、必要な分を受け取ることになりました。そのために、彼らの中には裕福な者が増え、特に祭司となった者やその親族たちは、やがて、いわゆるエリート集団を形成するようになっていきました。紆余曲折はありましたが、キリストの時代にはこのエリート集団がサドカイ人と呼ばれ、ローマの傀儡(かいらい)政権としてキリストを迫害する先鋒に立つことになりました。
  




4. 民数紀  (出エジプト記に続いて読んでください。ただし最初
         は、9章までは飛ばして、11章からお読みになるの
         が良いでしょう) 



   この書物の記録は、イスラエル民族がエジプトを脱出してから荒野をさ迷った、40年間のほとんどをカバーしています。39の書物がヘブル語聖書として編纂されたとき、この書物につけられた名は「荒野にて」だったようですが、そのほうがこの書物の内容を良く表しています。民数記という名は、70人訳聖書がつけた「数」とい名を受けついだのですが、民族の人口調査が2回行なわれているためにそう呼ばれたのでしょう。聖書の個々の書物の多くが、最初は名前がついていなかったために、そのようなことが行なわれたわけです。
 


   民数記に記されたさまざまな出来事を通して、私たちが学ぶことができる教えの主なものは、以下の事柄です。



   @ 人間の罪深さ    神は多くの奇跡をもって、イスラエルの人々をエジプトの奴隷状態から解放してくださいました。主なものだけでも、パロを追い詰めた10の災い、追跡してくるエジプトの軍隊を止めた火と雲の柱、二つに分かれた海、天からのパンとたくさんのウズラ、湧き出る水、襲い来る敵の撃退など、まさに枚挙にいとまがありません。それにもかかわらずイスラエルの人々はいくどもくり返して神に逆らい失敗し続けただけでなく、あらゆることで不平不満を並べ立てています。この書には、イスラエル人の愚かさと罪深さが鮮明にしるされているのですが、それはまた、読者を含めた人間そのものの姿であることがわかります。
 



  A 神の誠実さ   人間の罪深さと対比されるのが、神の誠実さです。度重なるイスラエル人たちの不信仰、反逆の罪にもかかわらず、神はイスラエル人たちを約束の地カナンへ、導き上ろうとしてくださいます。それは、どんなことがあってもご自分の約束を守ってくださる、神の性格、誠実さの現れです。イスラエルにカナンの地を与えることは、先祖アブラハムに対する神の約束なのです。また、モーセにも約束されたことなのです。この書の読者は裏切られても、裏切られてもなお、誠実であられる神の姿を読み取らなければなりません。




  B 神の聖さ   この書にはレビ人や祭司に関する規定がまだ続いています。それから、(けが)れについてのさまざまな規定や潔めの規定が続きます。それらは神が完全に聖い方であるために、神に少しでも近づこうとする者は、聖くならなければならないということを教えるものです。しかしすでに説明したように、この教えは、人間が神のように聖くなることができることを教えるのではなく、それができないために神の憐れみにすがらなければならないことを教える、第一歩であることを知らなければなりません。これは、人間の罪を完全に取り除く、神の救いを予感させるものです。



  
C 神の正しさ   この書はまた、神の正しさ、神の正義を教えるものです。正しさあるいは正義は、「聖い」という性質から出てくる行為です。神に対して罪を犯し続けるイスラエルの人々には、必ず神の審判が伴いました。聖い性質の神は、「やあ、やあ」「なあ、なあ」と、曖昧に罪を赦してしまう方ではありません。そのような赦し方は、結局、見逃してしまうことになるからです。神は徹底的に厳しい方であり、罪のもたらす結果は死であることが示されているのです。



 
D 神の救い   ところがこの書にはまた、神は救いの神であることも示されています。神は厳しい裁きをもたらす正しい神であると共に、救いも備えられる優しい神なのです。神は罪に気付き、神を信じその哀れみに頼るものには、救いの道も与えてくださるのです。この神の救いは、神の厳しさに気を取られる読者が、しばしば気付かずに終わってしまうところですので、いくつかの例を挙げておきましょう。モーセのとりなしの祈り、(13〜14章) 青銅の蛇、(21:4〜9) 逃れの町、(35:22〜34) 仲保者の約束(25:7〜13)などがわかりやすいでしょう。





※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※ 
※※※※※※※  予表の雛形   ※※※※※※※


  旧約聖書の中には、やがて神がお送りになろうとしていたキリス
トと、その働きをあらかじめ指し示す出来事、あるいは器物、儀式が
たくさん記されていますが、モーセの5書にはとくに多いことを知って
おくと良いでしょう。初めての読者がそれに気付くことはまずあり得
ないと思いますが、それも神の表現法であり、日本人には馴染みの
ないものだからです。ただ新約聖書を読んでいるうちに、それに関す
る説明や言及がいくども出てきて、初めて気付かされることになりま
す。日本にはそれを表す適当な言葉もありませんが、一応、「予表
の雛形」と言っておきましょう。英語では「type」と呼び、「typology」と
いう学門になっています。「類型」「類型学」と翻訳されることが多い
ようです。


    
いくつか実例を挙げてみると、民数記に出てくる青銅の蛇は、十
字架にかかったキリストを予表する雛形です。モーセに打たれて水
を出した岩は、打たれて命を与えるキリストを予表する雛形です。エ
ジプト出立の折、殺されてその血を鴨居に塗られた小羊は、殺され
て血を流してくださったキリストを指し示すものです。また、その血を
鴨居に塗る行為は信仰の行為であり、その信仰の行為をみて滅び
が通り過ぎることは、キリストを信じて、心にキリストの血を塗り、罪
赦され神の裁きを免れることを意味するものです。また、出エジプト
の物語全体が、クリスチャンたちの罪の奴隷からの救いと、約束の
地カナン、すなわち天のみ国への旅として語られています。そこから
通俗的な適用が行なわれ、約束の地に入る直前に渡ったヨルダン
川は、死を意味すると考えられるようになりました。「深い川」などと
いう表現もここから生まれています。(日本でも古くから「三途の川」
という表現があり、それが仏教に取り込まれて、三途の川の渡し賃
として死者に6文銭を持たせるという風習になりましたが、面白い類
似です)。


   ただし、このような雛形を探し出すのには細心の注意深さが必要で
す。ただ似かよった出来事を見つけ出しては、雛形にしてしまっていた
のでは単なるこじ付けになってしまい、真面目な聖書の学びにはふさ
わしくないものです。ヘブル人的表現方法を知らない私たちは、新約
聖書が挙げているものだけで満足しておくのが無難といえます。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※




   民数記でもう一つ特筆すべき出来事は、イスラエル人が40年間も荒野で旅を続けるはめになった、いきさつです。本来エジプトとカナンの地は、数週間で旅ができる距離でした。成人男子だけで60万人ほどの大集団であっても、数ヶ月あれば充分に行き着くはずでした。ところが実際には40年もかかっているのです。なぜそのようなことになったのでしょう。それはイスラエルの人々が、神がお語りになったことを信じなかったためです。(1314章) 再三にわたるイスラエル人の不信仰、不従順のために、神はご計画をまっすぐに実行することが出来ず、遠回りをしなければならないことがいくどもくり返されたのです。言い換えるなら、神は人間の弱さにお付き合いをされたのです。しかしこの40年間を、神は無駄にすることなく、イスラエルの人々の教育のために費やしてくださいました。いま民数記を読む私たちも、神は私たちの人生の失敗も間違いも、恥も屈辱も用いて教育し、永遠のみ国に入らせてくださると確信させられるのです。



  民数記は大体以下のように区分することができます。

 
 A.  シナイにおけるイスラエル  1:1〜10:10 
   B
.  シナイからもモアブまでのイスラエル  10:11〜22:1 
   C
.  モアブでのイスラエル  22:2〜36:13  





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2010年09月27日

聖書を読むぞー (27)



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 2. 出エジプト記
 (創世記に続いて読み続けてください)  


  出エジプト記は、創世記の終わりからおおよそ400年を経たところから始まります。紀元前1500年頃のことです。この書物はタイトルが示しているように、イスラエルの人々がエジプトを脱出する物語を記しています。エジプトに定住したアブラハムの子孫たちは、この400年の間に大きく増加して、成人男子の数だけで60万人程度になり、まさに、「イスラエル民族」となっていたのです。現代の人口の数え方でいうと、200万人から300万人にも及んだかもしれません。しかし、彼らの生活は惨めでした。エジプトに定住したころにあったエジプト国家は、北方から移ってきたほかの民族に滅ぼされ、名前は同じエジプトでも、実質上異なった民族の国家になっていたのです。イスラエルの人々は、自分たちの歴史も、エジプトに住んでいた理由も知らされないまま、奴隷として苦役を課せられていました。
 




※※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※※※※※ 旧約聖書の数字と年代 l※※※※※※※


  旧約聖書に出てくる大きな数字、たとえばイスラエル民族の人口な
どは、現代の私たちが正確
に理解するのは非常に困難です。それは
現代のように「0」
という概念がなく、十進法がなかったために起こって
くる問題です。
とくに大きな数を表すためには、現代の私たちの数え方
とはまったく異なった
方法が取られていましたので、記録された数字
をどのように理解すべきかに、意見の隔たりがあります。出エジプト時
代のイスラエル民族の成人男性の数を60万と数えるのも、多分、もっ
ともそれらしいと考えられる方法で割り出したもので、ほかにも理解の
仕方がいくつかあり、それによると、総人口はずっと少なくなります。


  また年代や年齢の数え方にも混乱があります。それは聖書の記者た
ちが、それぞれ、現代の私たちのカレンダーとは異なる複数のカレンダ
ーを用いていたり、年号が変わったときの元年を、当時の習慣に従って
決めていたりしたためです。またイスラエル人の歴史記録の方法が、現
代の私たちの方法とはまったく異なるためにも混乱が起きています。た
とえば、重要な出来事をまずまとめて記し、その中の細かいことは後で
別に記すなどと言う方法は、なかなかか理解できないものです。あるい
は歴史の出来事や人物を省略する方法なども、わたしたちと違うために
理解が困難になっています。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 
 


   その奴隷状態のイスラエルを解放して、カナン(パレスチナ)に導き上ったのがモーセです。カナンは先祖アブラハムに対して、子孫たちに永遠に与えると約束された土地でした。ただし、この出エジプト記の主人公は英雄モーセでも、イスラエル民族でもありません。すべてを采配された神です。モーセは神に用いられた人物に過ぎず、表面上の主人公です。



  
神は奴隷状態のイスラエル民族の中から一人の赤子を選び出し、彼にイスラエル救出の使命を与えて、その使命を遂行できるようにお育てになりました。モーセは、本来ならば赤子のうちに殺されていなければならなかった人物です。それなのに、神の見えない守りと導きによって、エジプトの王子として育てられ、帝王学を学ばせられていました。ところが40歳にして一転、王宮を追われ荒野に放り出され、弱小部族の住む僻地に流浪する身となりました。流れ流れるうちに、偶然出会った田舎娘の父に認められ、その娘と結婚することになりました。先に触れたようにこの義父は、土着の宗教の祭司を務めながら、牧畜をなりわいとしていたようです。こうしてモーセは、義父の家畜の世話をしながら、素朴で慎ましやかな生活を40年も続けます。義父は、たとえ真の神は知らなかったとしても、良心的な知恵に満ちた人物だったようです。そのような波乱の半生を通して、彼は知らず知らずのうちに神からの訓練を受け、人の上に立つ人間となれるように作りあげられて行ったのです。 


☆☆☆☆ 聖書の背景となっている文明 ☆☆☆☆

           (3)エジプト文明  

 メソポタミア文明より少し遅れて、ナイル川流域にエジプト文明が生ま
れました。通商の要所として非常に多くの民族が入り乱れたメソポタミ
アから適度に離れ、比較的安定した歴史を持つことができる一方で、メ
ソポタミアの影響を受け、あるときは支配さえ受けながら、紀元前1世
紀のクレオパトラの死に至るまでの長期にわたって存続しました。だだ
し、エジプトというのはひとつの民族文化ではなく、幾度か支配民族が
入れ替わっています。ただ、「パロ」という王の称号は変わらず残りまし
た。乾燥した砂漠気候のために多くの遺跡が現存し、日本人にもなじみ
の深い文明です。


  聖書には、アブラハムがエジプトに逗留したことに始まり、ひ孫のヨセ
フがエジプトの宰相となり、飢饉のおり、父ヤコブとその一族を迎えて移
住させて、400年間住み着いたこと。また、その後期にはエジプトの奴
隷となって苦しんだものの、神のあわれみによって指導者モーセの働き
を通してそこを脱出し、約束の土地カナンに入ったことなど、イスラエル
民族発祥と深く関わっていたことが記されています。モーセによる出エ
ジプトの次にイスラエル民族がエジプトと関わるのは、南朝ユダがバビ
ロンによって崩壊する直前、ユダの人々がエジプトの支援を期待してこ
れと結託しようとしたときのことです。そのあとは、誕生間もないキリスト
が、当時のユダヤを治めていたヘロデ王の姦計から逃れるために、エジ
プトに連れて行かれてしばらく留まったという出来事があります。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

   やがて羊飼いとしての40年間の終わりころ、彼は神の突然の現われの前に立たされます。彼は羊を追って山に入り、そこで炎に燃えながらも燃え尽きない不思議な柴を見せられます。いぶかって近づく彼に、神は声をおかけになりました。そして、ご自分が「私はある」という神であると自己紹介をしてくださったのです。「私はある」とおっしゃる神は、ご自分がイスラエルの先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブの神であることを告げ、モーセを用いて、イスラエルの人々を乳と蜜の流れる約束の地に導き上ると、改めて約束してくださいました。 



   その後モーセは、兄アロンを伴ってエジプトへ戻り、エジプトの王パロと渡り合います。パロと言うのは王の個人名ではなく、日本で言う天皇と同じく称号です。モーセが渡り合った王がどの王であったかは、はっきりしません。ある人々は、有名なラムセス2世だったと言いますが、少し年代が違うようです。ともかくモーセはかたくななパロと何回も渡り合い、神の奇跡を次々と見せ、ついにパロを屈服させて、イスラエルをエジプトから脱出させることに成功し、一路、神が与えると約束してくださったカナン、「乳と蜜の流れる地」に向かって旅を続けるのです。旅の中でも、イスラエルの人々は幾つもの奇跡を体験し、神が共におられて助けてくださることを学んでいきます。 


    出エジプト記は大きく6つの部分に分けることができます。(分け方はほかにもあります)


 
A.  出エジプトへの準備  モーセの誕生  神からの任命  エジプト
         への派遣  1:1〜4:31 


 B
.  エジプト王パロとの対決  パロのかたくなさと10の災い  5:1
         〜12:32


 C.  エジプト脱出とシナイへの旅  過ぎ越し  渡海  荒野の旅  
         12:33〜18:27

 
 D
.  十戒および付属の律法  19:1〜24:18 

 E
.  幕屋にかかわる規定  25:1〜31:18

 F.  イスラエルの偶像礼拝の罪とモーセのとりなし  32:1〜34:35 

 
 G
.  幕屋の構造と建築   35:1〜40:38 

 

   この出エジプト記には、たくさんの特筆すべき出来事が記されています。いくつかを挙げてみますと、第一は、神がモーセに現れてくださり、自己紹介してくださったことです。すでに触れましたが、このとき神は「私はある」とお語りになりましたが、原語を詳しく調べると、「私はかつてあったもの、今もあるもの、これからもあるもの」という意味があります。これはまさに聖書の神の姿を完璧に言い切った自己紹介です。




   
次に、モーセがパロと渡り合い、エジプトに10の災いをもたらしたことです。これらの災いの多くは、当時のエジプトで礼拝されていたさまざまな神との戦いの意味があったらしく、モーセを遣わした神が、エジプトの神々より力の強い神であることを示すものでした。夜は火の柱、昼には雲の柱が現れたことも、絶えることのない神の臨在(共にいてくださること)と守りを、明らかに示すものでした。イスラエルの人々は、荒野を旅した40年間、常に神の導きと守りの中にあったのです。



   
さらに、神の基本的な律法でありイスラエルの憲法とも呼ぶべき十戒と、それに関連する法律が与えられました。とくに大切なのはそれらの(戒(いまし))めが、唯一の真の神、天地をお造りになった神だけを礼拝し、ほかの神々を礼拝することと、偶像を作ることを禁じている点です、また、第7日目を安息の日として守るべきことと、基本的な倫理が定められ、これらを守るならば神の祝福を受けると教えられている点です。 



   幕屋と呼ばれる天幕について非常に詳しく記されていますが、これは罪に汚れた人間が、罪に汚れたままでも聖い神を礼拝することができるように、方法と場所を定めたものです。その定めはレビ記においてさらに詳しく記されています。幕屋は、絶対に聖いために罪人を寄せ付けることができない神が、何とか人間を守り助け、本来のあるべき礼拝にできるだけ近い礼拝をさせるために、神様の側からぎりぎりの線まで歩み寄ってくだったことを示すものです。



  
ところで、出エジプト記に記されている戒めには、現代の日本人たちに大きな(つまづ)きを与えているものがありますので、説明が必要でしょう。それは十戒の中でも最も重要なもので、この天地創造の神以外の神を礼拝してはいけないと命じられていることと、それに付随して偶像礼拝が禁止されていることです。(20:1〜17) 実際のところ、天地創造の神以外のものを神とすることは、出エジプト記だけではなく、聖書全巻を通していくどもくり返して厳しく禁止されていますし、それを破った場合の罰則も、非常に厳しいものでした。



   多くの欧米の宣教師や、彼らに教えられた国々のクリスチャンたちは、この律法をそのまま自分たちの国の非キリスト教徒に適用して、偶像礼拝は罪であると叫んでいるようですが、大きな間違いです。聖書の教えは正しく、間違っていません。しかし、聖書の読み方と適用の仕方、つまり解釈が間違っているのです。まず重大な間違いは、この律法が理解されるとき、ほとんどの場合、その律法の最初の部分、つまり大前提の部分が無視されていることです。聖書は前後の文脈、前後関係から切り離して読んではならないとお話したことを思い出してください。



   
十戒の直前には、このように記されているのです。「それから神はこれらの言葉をことごとく告げて仰せられた。『わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。』」そしてその後に、「あなたには、私のほかに、ほかの神々があってはならない」と続くのです。ここでイスラエル人たちが、唯一の真の神だけを礼拝するように命じられた理由は、天地をお造りになった神だけが本当の神、唯一の神だからということではありません。一般のイスラエル人にとって、神は唯一であるという事実はなかなか理解できず、ずっと後になってから、少しずつはっきりしてきたことです。イスラエル人がこの神だけを礼拝するように命じられたのは、この神だけが神であり、ほかに神がいないからという理解に基づくのではなく、この神こそ、イスラエルの人々をエジプトから解放して下さった神だからということです。「私はあなたを救った神である、だから私だけを礼拝しなさい」ということです。彼らを救った、解放した、導き上ったという出来事が前提なのです。イスラエル人からすると、救われた恩人(恩神?)だから、この神を礼拝するべきだという感覚です。



  
聖書のほかのところで、神はご自分とイスラエルの関係を夫婦関係にたとえておられます。そのたとえから理解できる神様の心を表現してみると、「たくさんの女性がいる中で、私はあなたを選んだ。あなたはいまや私と結婚したのだ。結婚前の男関係について私は問わない。しかし私と結婚した今は、ほかの男に目を配るのをやめ、私だけを見つめ私だけに忠誠を保ちなさい。ほかの男たちがあなたにどんなにひどい仕打ちをしたか、思い出してみなさい。彼らの手からあなたを救い出したのは私だということを、忘れないでいなさい」ということなのです。



   
したがって、神の助け、神の救いを体験していない一般の日本人、あるいは多くの国の人々に、この律法をそのまま適用することは正しくないのです。すべての人間が宗教意識を持ち、神を礼拝したいという欲求を持つのは、神に似せて造られた人間の本能です。人間が宗教を持つこと自体は罪でも何でもありません。問題は、彼らが真の神の姿を見失っていることです。彼らが真の神を離れた社会にいること自体が罪なのであって、ほかの神を礼拝することが罪なのではありません。彼らの中にまだ神意識が残っていて、神を礼拝したいという本能があるからこそ、真の神の話も理解することができるのです。



   
生まれたばかりの赤ちゃんは、本能で母親の乳を吸います。誰も教えなくてもいいのです。もし赤ちゃんが乳を吸うという本能を持っておらず、ものを飲み込むという本能も持っていなかったら、一体どうして乳を飲むことを教えたらよいのでしょう。神を礼拝したいという本能を持たず、神意識も失った人間がいたとしたら、どのように神を伝え教えることができるでしょう。神は人間のこのような本能を前提として、ご自分を現してくださったのです。その本能を否定するような教えは間違っているのです。赤ちゃんが間違ってお姉ちゃんの指に吸い付いても、お父さんのおっぱいに吸い付いても、だれも怒りはしません。笑ってお母さんのおっぱいを与えてやればいいのです。 



  もちろん、宗教的本能は乳を吸う本能よりはよほど複雑です。でも神は、宗教本能の発露自体を責めてはおられないのです。ただし、イスラエル人に対しては違います。彼らはエジプトを脱出させてもらったからです。たくさんの奇跡を通して救われたのです。たくさんの神体験を通して導き出されてきたのです。神が彼らを特別に取り扱ってくださったことを、たび重ねて目の当たりにしてきたのです。「そのような体験を通ってきたのだから、あなたは・・・・・ほかの誰でもなく、あなたは、私だけを礼拝しなさい」ということなのです。私たち日本人の多くは、この神を体験していません。ですから、ここで言われている「あなた」には該当しないのです。




   
日本人が小さな神々を礼拝していることは、残念なことです。本物のおっぱいではありませんから、乳は出ません。だんだんやせ細ってしまいます。大切なのはそれを責めることではなく、真の神をお伝えすることです。神のことを良く知らなかったイスラエル民族のために書かれた創世記が、「はじめに神は天と地を創造された」という、神の自己紹介の言葉で始まっていることの重大性を思い起こすべきでしょう。まだ神についてのしっかりした理解をもっていなかったモーセに、神は「私はある」とお語りになったことももう一度考えるべきでしょう。日本人には、まず神が明らかに紹介されなければならないのです。 



※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※
※※※※※※  十戒と言う言葉  ※※※※※※

  十戒はクリスチャン以外にも、比較的よく知られている言葉
です。でも、この十戒という言葉そのものは、聖書の中に出て
きません。聖書は「10の言葉」という言い方をしています(出
34:28、申4:13など)。また、このいわゆる十戒が、どこをど
う区切って10の戒めになるのかについても、いろいろな見解
があり、定まってはいません。


   たとえばカトリック教会では、キリストやマリヤや聖徒たちの
偶像を作って礼拝していますので、偶像礼拝について言われ
ているところをすべて第一の戒めに含めることによって、それを
目立たなくする一方、後ろの方の戒めを二つにわけることによ
って、数合わせをしています。筆者が宣教師をしていたフィリピ
ンはカトリック国と呼ばれて、たくさんのカトリック系のラジオや
テレビの放送番組があり、1日に何回も十戒が読み上げられ
ていましたが、偶像礼拝についてはきれいに省かれていて、
一言も触れられていませんでした。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 


 

   とにかく神は、イスラエルの人々がこの戒めを守るならば豊かな祝福を与えると約束され、この戒めを守らないならば、神の祝福は失われてしまうばかりか、厳しい裁きがあると警告をお与えになって、神の選びの民としてしっかり成長するようにと、下地をお作りになったのです。ところがイスラエルの人々は、この神の戒めを守ることができず、それからおよそ1,000年間、神のたび重なる警告と助け、導きと許しにかかわらず、背教につぐ背教、偶像礼拝につぐ偶像礼拝の罪を犯し続けてしまいます。その結果神の祝福を失い、異教の悪い習慣に染まって堕落し、ついには敵国に攻められて国家の滅亡に至ってしまいます。それにもかかわらず、神はそのようなイスラエル民族を見捨てず、捕囚の経験を通らせて、徹底した神信仰に導きいれてくださるのです。  






 

posted by ms at 17:34| Comment(1) | 聖書通読 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

聖書を読むぞー (26)        創世記〜




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A. 旧約聖書  

1. 創世記  (最初に読んでください)  


 創世記という書物は、もともと出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と一巻の書物でした。ただあまりにも長いために、後の時代になって、内容に応じて5つに分けられ、それぞれに書名がつけられたものです。著者は伝統的にモーセの5書と呼ばれてきたように、イスラエルをエジプトから導き出した指導者モーセです。ただし、彼自身の死亡記事など、わずかな部分は、他の誰かが書き加えたものでしょう。また、すべての部分をモーセが実際に筆をとって(筆記用具を持って)書いたと考える必要はありません。ある部分は口述筆記のようにして書かせたことも、充分に考えられるからです。歴史の部分などは他の者に責任を持って書かせたのを、モーセが監修したと考える専門家もいますが、モーセが深くかかわっていたことには疑いの余地がありません。ともあれこの書物は、聖書の中でも最も基本となる重要なものですから、少し時間をかけて紹介します。



※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※
※※※※※    聖書の本当の著者   ※※※※※※※


  ここまで読んでこられて、多分、聖書の著者についての疑問が大
きく
なったのではないかと思います。聖書の著者は40人ほどである
と先に書き
ましたが、本当の著者というか、影の著者は神であると
も書いたためです。


  聖書は直接的にはもちろん人間が書いたものです。ある人たちは、
神からの特別な励ましと導きがあったと感じながら書いています。ほ
かの人たちは、その様なことを感じないまま書いたかもしれません。
でも、どちらにしても、神が人々に書かせてくださったものです。です
から、たとえば天地創造の物語のように、誰も見たことがないはずの
ことが記録されたり、神からの絶対の権威ある命令として、いろいろ
な戒めや導きが書き記されたりしたのです。


  このように、自然の成り行きとしては人間が絶対に知りえないこと
などを、神が示してくださることを「啓示」と言います。また、啓示によ
って知り得たこと、あるいは人に学んだり見聞きしたりしたことを普通
に書く場合でも、間違いなく神の「心」を書き記すことができるようにし
てくださることを、「霊感」と言います。神は啓示と霊感によって、ご自
分の考えや気持ちを人に伝えるために、聖書を書かせてくださったの
です。霊感は、書く人の性格や人格、あるいは背景や教養などを失
わせるものではありません。かえってそのようなものを豊かに反映さ
せながら、神がお伝えになりたいことを間違いなく書きとめさせるので
す。ですから、聖書には間違いがありません。ただしそれを読むとき
に、読む人間の不完全さのために誤解してしまうこともあるのです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 


創世記は多くの意味で始まりについて記したものです。天地の始まり、人間の始まり、結婚の始まり、罪の始まり、救いのプログラムの始まり、家族の始まり、イスラエル民族の始まり、細かく言うともっとあることでしょう。これらはみな大切なことです。しかし、そのようなことに最初に目を奪われていると、もっと大切なことを見落としてしまいます。創世記で最も大切なことは、この書物が物事の始まりについて記したのではなく、神が万物を造り、治めておられる方であるという事実を記し、人間の救いの計画を示したものです。この書物は、「万物の始まりは次のような次第であった」ではなく、「はじめに神は天と地を創造された」という言葉で始まっていることに、もう一度注意しましょう。主語は万物ではなく神です。焦点は、天と地でも万物でもなく、神です。この書物は天と地がどのようにして始まったかを述べているのではなく、神がどのような方であるかを示し、神が何をしてくださったかを教えている書物です。神が聖書の影の著者、本当の著者だとすると、これは神の自己紹介なのです。神は「私こそ天と地を造った者である」と、自分をお示しになったのです。 



  
先にも書きましたが、聖書を初めて読む人の多くはこの創世記の出だしの部分でとても感動するか、ばかばかしくて読む気を失ってしまうかするようです。現代人ならば読む気を失う人のほうが多いでしょうか。あまりにも荒唐無稽な神話か、おとぎばなしに思えてしまうからです。たとえ読み続けたとしても、この出だしの破天荒な内容からして、聖書とはこんなものかと思い違いをしてしまいます。 



  
どのような文章にも書かれた目的があります。聖書は、神が人間に与えてくださる救いを示すために書かれたものです。その最初の部分が創世記であり、創世記は神の自己紹介、すなわち神とはどのような方かという最も大切な点からはじまります。それから人間とは何なのかが教えられ、人間と神との関係はどうあるべきかも示され、人間同士はどうあるべきかが説かれ、人間の日常生活、労働と休息の関係は基本的にどうあるべきか、極めて本質的なことが物語形式で語られているのです。そのようなことを念頭において読まなければ、聖書がわからなくなります。 



  
創世記が書かれたのはおよそ3,500年も昔です。当時の人々も、当然さまざまな神々を信じていましたが、その神々は、猫や蛙、蛇やワシ、あるいは牛や犬などであり、せいぜいどこかが人間より少し優れているだけ、あるいはちょっとだけ不思議な能力をそなえているだけのことでした。あるものはずる賢く災いをもたらして人間と騙しあいを演じ、ほかのものは少しだけ情け深く益をもたらすので祀り上げられていました。当時の多くの民族は農耕と牧畜をなりわいとしていたために、彼らにとっての善神は、作物を豊かに稔らせ家畜を増やしてくれる、豊穣(ほうじょう)の神々、生殖の神々でした。そこで、彼らの礼拝や祭りには、必ずと言って良いほど奔放な性的行為が含まれるようになったのです。豊穣と家畜の繁殖は直ちに性行為に結びつくために、欲望が神聖化され正当化されただけではなく、性行為の恍惚感が、容易に宗教的恍惚感にむすびつけられたわけです。(耕作を主体とした日本の文化にも同じ考え方があり、男女の性器がたくさん祀られています) 天と地を造られた真の神を見失ってしまったこれらの人々に、神が改めてご自分を現そうとされるとき、これらの周囲の神々とはまったく違う絶対の神、全知全能の神であることを鮮明にしなければならなかったのです。



  
 創世記を始めとする5つの書物を書いたモーセは、イスラエル民族をエジプトの奴隷状態から解放するために、指導者となるように神に選び出された人物です。その使命と働きを与えるために、神が初めて彼に現れてくださったときのことです。神はモーセに対して、ご自分が誰であるかをはっきりと示すために、まず、「私はアブラハム、イサク、ヤコブの神である」とおっしゃり、イスラエル民族の先祖たちが拝んでいた特定の「神」であることをお告げになりました。その上で神は、「私は存在する」という、一風変わった自己紹介をしてくださいました。当時、人々の間で使われていた「神」と言う言葉が、真の神の姿とはあまりにもかけ離れた意味であったために、ただ単に、私は「神である」とは言うことができなかったのです。それで神は、ご自分が猫や蛙の姿をした神でも豊穣の神でもなく、始めから何にも頼らず自分自身で存在しておられた方であり、あらゆる存在の源であることを明らかにし、天地創造の神という理解への、予備知識をお与えになったのです。あのような天地創造の物語を記録した人物モーセでさえも、まず、しっかりとした神の概念を持たなければならなかったわけです。



 
 私たちは聖書を読むとき、普通の書物のように読んでしまいます。すると、天地創造の物語も、単なる一つのファンタステックな物語となってしまいます。ところがこの物語は、真の神について何も知らない人々に対して、神がご自分を紹介するために語られたものであり、他のどのような物語とも本質的に違うところがあります。天地創造のときに生きていた人間は一人もおらず、ただ神の啓示によってだけそれを知ることができたからです。聖書の中でも、ほとんどの物語は実際に誰かが見聞きしたことを記したものですが、創世記の最初の数章は、神ご自身しか知ることがなかった話なのです。 



  
そういうわけで創世記は、神とはどのような方なのかを強烈に、また鮮明に伝える、神の自己紹介から始まっています。次に創世記は、人間とは何なのか、どのように生きるべきかを示しています。天地創造の最後の部分となる人間の創造の物語も、人間がどのようにして造られたかと言うことを教える物語ではなく、人間とは何か、どのように生きるべきかを教えたものなのです。神に似せて造られることによって人間は、神を感知し、交わり、礼拝すべき動物とされました。神を敬い、感謝し、賛美し、慕って生きるように造られているのです。聖書の律法の中で最も大切なものが、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、主なる神を愛する」ことであることは、人間がこのように神に似せて造られた事実と関わっているのです。また男と女に造られたことにより、夫婦が人間社会の基本単位となり、性生活を尊び、家庭を造り、社会を形成すべきことが定められました。そこで「自分のように隣人を愛する」という、第二番目に大切な戒めが関わってくるのです。その上で6日間働いて1日休み、その日を神への礼拝とし、家族や隣人との交わりの日とすることで、神を中心とした人間生活の調和が保たれるように、定めてくださったのです。人間が人間同士の社会生活だけではなく、神を礼拝し神に感謝をささげる、霊的な生活によって成り立つようにされているのです。(参照・マタイの福音書22:34〜40) 


  
ところが第3章に進むと、人間が罪に陥った物語が語られます。ここでもかなり象徴的な表現、あるいは擬人法が用いられていますが、人間が「蛇」と表現されている悪魔に騙され、神の戒めを破ってしまったことが記されています。悪魔はまず、神の言葉に疑いを抱かせ、次に神と等しくなるという野望を抱かせ、木の実を食べさせることに成功します。これが神の戒めを破る反逆となり、罪が人間と人間の住む世界に侵入し、完全な調和の中に造られた自然界にも、不調和が生じてくるようになりました。また、人間は神のみ前から追放されてしまいます。 



  
しかし神は、人間を追放する前に、人間には救いが与えられ、悪魔が滅ぼされることを約束してくださったのです。また、人間を追放したのは、人間を憎んで行なったことではなく、人間に救いを与える手段として追放なさったということについては、すでに述べたとおりです。こうして人間は、本来密接に保たれるべきであった神との交わりを絶たれ、神から遠く離れた人間社会を形成していくことになりました。本来、神との交わりの中に生きるように造られているにもかかわらず、神のいない社会を形成した人間は、坂道を転げ落ちるように罪を重ね堕落して行きました。たちまちのうちに、ほとんどの人間は、おぼろげな神意識しか持てない状態となったようです。筆者は日系三世のアメリカ人と親しく付き合っていましたが、血筋は100パーセント日系なのに一言の日本語も話せません。わずか三代で日本の文化をことごとく失ってしまったのです。同じように、神を離れた文化を形成した人間は、わずか数代で、神についての知識をほとんど失ってしまったのです。そしてついに、ノアの大洪水を迎えることになるのです。この洪水で人類はことごとく滅んでしまいました。生き残ったのは、わずかながらの神意識を大切に保って善良に生きたノアの家族8人だけでした。 



  
ところが人間のうちに巣食った罪の力は、ノアの家族をも腐敗させていきます。彼らの子孫が作りあげた社会もまた、全体的に神を知らない社会となり、堕落をくり返し、真の神の姿をまったく見失ってしまいました。そこで人々は、神を見失った心の空しさを満たすために、自分たちが想い描く神々を勝手に作りあげて行ったのです。人間は、もともと神を礼拝するように作られていましたから、神のいない生活では決して満足できず、自分たちで神を作り上げるほかなかったのです。 



   
しかし神はそのような人々の中から、アブラハムと呼ばれる一人の人物を選び出し、彼と彼の子孫を通して、ご自分の人類救済のご計画を実行に移すことにされたのです。アブラハムが生きていたのは、紀元前2,000年ころのチグリス川とユーフラティス川の流域でした。そこには古代から、メソポタミア文明と呼ばれる文明が栄えていましたが、(メソポタミアとは川と川に挟まれたという) 古代メソポタミアのシュメール文明から、古代バビロン文明へと移行しようとしていたときです。アブラハムは多分、周囲の人々とおなじように月の神や農耕の神を拝んでいて、(まこと)の神については知らなかったと思われます。それにもかかわらず、神は彼の真面目な礼拝態度をご覧になり、その中に真の神を正しく信じていくことができる資質をご覧になったのでしょう。神はアブラハムと彼の一族を呼び出し、住み慣れた土地を去らせて、馴染んできた文明と宗教から隔離した上で、折に触れてご自分を現して彼を教育し、真の神を正しい態度で礼拝する民族を造ろうとされたのです。



☆☆☆☆☆☆ 聖書の背景となった文明 ☆☆☆☆☆☆


         (1) メソポタミア文明  


 
現在のイラク、チグリス川とユーフラティス川の流域に、肥沃な土地を
利点として紀元前6,000年前後から栄えた、人類最古の文明のことを
言います。ひとつの民族や国家ではなく、この地域に栄えたさまざまな
民族文化全体の名前で、ふつう、バビロン帝国がペルシャの軍に破れて
滅亡した、紀元前539年頃までを言います。実際、ここには非常に多く
の部族、民族、都市、国家が興亡し、混在混合しながらそれぞれの文明
を謳歌して行きました。それらはあまりにも雑で、ここでは説明することは
できませんが、主なものだけ挙げておきましょう。


  
メソポタミア文明として、残された記録によってはっきりとたどることが
できる最初のものは、シュメール人と呼ばれる民族によって築かれたシ
ュメール文明です。おそらく紀元前3,500年〜2,000年頃に、肥沃な
土地を利用して農耕
文明として栄えたと思われます。


  
次に力を増すのがアッカド民族で、彼らが建てたのが古代バビロン帝
国です。有名なハムラビ法典はこの帝国の王ハムラビによって残されま
した。そのあとに力をつけたのがヒッタイト、それに続いたのがアッシリヤ
帝国です。この帝国はエジプトまでも含めた広大な地域を統治しました。
その統治は残酷極まりないことで有名です。それから、力を失っていたバ
ビロンが再び力を盛り返し、新バビロン帝国となり、この地域の覇者とな
ります。それぞれの帝国は突然出現したのではなく、古くから存在してい
た民族国家や連合国家が力を増したものです。


  
イスラエル民族の祖先アブラハムは、紀元前2,000年頃このメソポ
タミア文明の中のウルという町にいた、たぶんヘブル人と呼ばれるグル
ープの中から神に選び出された人物です。ですから、旧約聖書の物語
は、このメソポタミア文明と切っても切れない関係にあります。
(メソポタ
ミア文明の初期については、年代、民族、人物などに不明なことが多く、
さまざまな見解があります)
 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 
  神は、アブラハムの子孫たちをエジプトに導き入れて、定住させ、「民族」と呼べるまで大きく成長させられました。ところがアブラハムの子孫たちは、神に召しだされた自覚はほとんど持っておらず、天地をお造りになった神だけを礼拝するという意識も希薄でした。そのために周囲の異民族との交流の中で、彼らの偶像礼拝や宗教感覚を自由に取り入れていたことがわかります。たとえば、イスラエル民族の形成に非常に重要な役割を果たしたヨセフも、エジプトの宗教の祭司の娘と結婚しています。いま読もうとしている、この創世記の著者と考えられているモーセでさえも、ミデアンという土地の土着宗教の祭司の娘と結婚しています。出エジプト記に記された神からの律法では、他の宗教を持ち込む危険があるため他民族との結婚は禁止されていますし、ましてや、異教の祭司の娘との結婚などは言語道断だったのですが、その律法が明確に示されるまでは、かなりおおらかだったと理解されます。



 

  創世記は以下のように大きく区分けすることができます。

     A.  天地創造と人類の創造    1:1〜2:25B.  

     B.  罪の浸入からノアの洪水まで    3:1〜10:32 
C.  

     C.  洪水後の人類と救いの計画   11:1〜50:26
a.  

        a.  アブラハムの召しと生涯   12:1〜25:8
b.   

        b.  イサクの生涯   25:9〜28:5 
c.   

          c.    ヤコブの生涯   28:6〜37:35
d.   
 
           d.   ヨセフの生涯   38:36〜50:26
     


 (アブラハムからヨセフにいたる物語は、それぞれ子供たちの物語と重複していますので、上の区分は正確ではありません)



☆☆☆☆☆☆  聖書の背景となった文明 ☆☆☆☆☆☆☆

          (2)シュメール文明   


   メタミア文明に含まれる最初の文明ですが、シュメール人がどこから
来たのかは不明です。肥沃な土地を利用した麦の生産は、現代世界の
どこの麦の生産率より高く、1粒の麦で100粒以上収穫できたと考えら
れます。その豊かな食料を貿易に用い、当時の世界の富を集めていま
した。現在の私たちが1分だとか1時間というときに用いている60進記
法、太陰暦、印鑑の使用、さらに人類最初の文字などがここから発生し
ています。
 

  シュメール文明が残した文書には、さまざまな神話的物語が記され
ていますが、その中には聖書の創世記に記録されている物語と非常に
良く似ているものもあります。そこから、神さまを信じない合理的な学者
たちは、聖書の記者はシュメール文明の物語を拝借したと考えていま
す。しかし、聖書の記述が実際の出来事であったと考える人たちは、聖
書の記録の信憑性をむしろ高めるのがシュメールの記録であると理解し
ています。聖書の記述は実際にあった出来事ですが、神の霊感によっ
て書かれたために間違いなく記録されました。


  一方シュメールの記録は、その出来事を口から耳に伝えていく間に
少しずつ変形し崩れていったものだと判断できます。文字が発明された
のは紀元前2,000年より少し前のことですから、それまでの長いあい
だ、口伝以外に方法がなかったのです。シュメールの北側は古代アッシ
リヤ、南側は古代バビロン、東はペルシャやメディヤ、西はヒッタイトに
取り囲まれていました。







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聖書を読むぞー (25)        通読表2




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今回の分も表になっています。この部分にははいり

きれません。右の案内コラムがなくなるまで、カーソ

ルを下に移動してください。




























































 ヨナ書

  初挑戦!   
 ミカ書 一回目と同じ わからなければ無理をしない挑戦!
 ナホム書
 ハバクク書
 ゼファニヤ書
 ハガイ書
 ゼカリヤ書
 マラキ書
 マタイの福音書 162回目に挑戦 3回目に挑戦 4回目に挑戦5回目に挑戦6回目に挑戦
 マルコの福音書 17
 ルカの福音書 18
 ヨハネの福音書 20
 使徒の働き 19
 ローマ人への手紙    初挑戦!
 コリント人への手紙T    初挑戦!
 コリント人への手紙U
 ガラテヤ人への手紙   初挑戦! 
 エペソ人への手紙初挑戦!
 ピリピ人への手紙初挑戦!
 コロサイ人への手紙初挑戦!
テサロニケ人の手紙TU初挑戦!
テモテへの手紙TU初挑戦!
テトスへの手紙初挑戦!
 ピレモンへの手紙初挑戦!
 ヘブル人への手紙     初挑戦!
 ヤコブの手紙   2   
 ペテロの手紙TU   初挑戦
ヨハネの手紙T   1  
 ヨハネの手紙U V   初挑戦  
 ユダの手紙   初挑戦  
 ヨハネの黙示録     初挑戦
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聖書を読むぞー (24)        通読表1



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 今回の分は表になっていて、この部分にははいりきれま

せん。右の案内コラムがなくなるまで、カーソルを下に移

動してください。





























































一回目の赤い数字は、初めての方が聖書を読み始めるときの、読み順を示しています。

次の分も表ですので、それと一緒にご覧ください。

 書物名1回目2回目3回目  4回目5回目6回目
 創世記 2回目に挑戦3回目に挑戦4回目に挑戦5回目に挑戦6回目に挑戦
 出エジプト 
 レビ記     初挑戦!
 民数記3 (111 順序でくり返し全部読む 1回目の順序でくり返し旧約・新約を同時平行で読む。5回目と同様にくり返し
 申命記431〜)全部読む
 ヨシュア記  1 順序でくり返し
 師士記 
 ルツ記 
 サムエルT 
 サムエルU 
 列王記T 10
 列王記U 11
 歴代誌T  初挑戦!
 歴代誌U  
 エズラ記 14   
 ネヘミヤ記 15
 エステル記 12
 ヨブ記  初挑戦!
 詩篇 時々 
 箴言選択
 伝道者の書選択
 雅歌  初挑戦!
 イザヤ書   初挑戦!
 エレミヤ書
 哀歌   無理せず挑戦
 エゼキエル書
 ダニエル書 13    
 ホセア書  初挑戦!無理せず挑戦
 ヨエル書     
 アモス書
 オバデヤ書

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2010年09月26日

聖書を読むぞー (23)


  

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 第二部


 第一部では、

         聖書について多くのことを学んできました。

                       それらは・・・・
 

               
T. 聖書を遠くから見る
          
           U. 聖書の構成 

           
           V. 旧約聖書と新約聖書の関係

          
           W. 聖書の成り立ち

          
           X. 現在の聖書

          
           Y. 聖書の読み方
   
    

    という6つの項目にまとめられていました
 

                           第二部では、

      聖書そのものにもっと近づいてみましょう。


      
それは・・・・ 

           Z. 聖書各書の紹介
             

   
 という項目でまとめられます。 



   それでは実際に聖書を読み始める前の、最後の段階に入りましょう。聖書を読む前にずいぶんいろいろ学ばされて、遠回りで損をしたような気分かもしれませんが、そうしたほうが結局、聖書を早く理解することができると思います。ここでは旧新約聖書66巻、それぞれの紹介をします。実際に読み始める前に、まず、この紹介を読んでくださると、聖書がわかりやすくなると思います。 


  
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聖書を読むぞー (22)

 



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  天地創造の物語はまた、 人間の原則的な生き方を教えています。それは6日間働いたならば、1日の休日を持つことです。この休日は、労働から解放されて休みを取ることによって、肉体がいつまでも健康であるように定められているのです。またこの日は、神を礼拝し家族と安らぐときです。単に肉体の休息だけではなく、神との霊的な交わりによる、人間の心の奥深くの休息です。さらには家族や近隣の人々と和らぎ親交を持つことによって、潤いを持つべきときです。もちろん社会全体が複雑になった現代では、7日間に1日休むというサイクルや、全員が同時に休むということを、そのまま文字通り守るのは不可能ですが、原則を生かすことは可能です。人間はもともとそのような労働環境に生きるように造られているのです。それを無視して働きすぎたり怠けすぎたりすると、酷使された車や長い間放って置かれた機械のように、無理が起こって壊れてしまうのです。現代病の多くは、この壊れた環境から起こっていると言えます。



 
 ところで、このいわゆる安息日の教えは興味深い教えです。神が第7日目にお休みになったから、人々も7日目には休まなければならないと定められたのです。神がお休みになったということが、安息日の設定の前提条件です。キリストの時代のユダヤ人たちはこの戒めに拘束され、これを絶対の規律として守っていました。「恐れ多くも、神がお休みあそばした大切な日」なのです。ところがキリストは、この大切な安息日を平気で、あるいはあえて意図的に破ってしまわれたのです。当然、人々はキリストを非難し、それを理由にキリストを殺そうとするようになりました。そのときキリストは、人が安息日のためにあるのではなく、安息日が人のためにあると、旧約時代の人々の常識とはまったく反対の教えをして、非難する人々を論駁されました。またキリストは、神がお休みになることなどないのだともお教えになりました、それはとりもなおさず、天地創造の物語が字義通りに理解されるべきではないことをも示しているのです。神がお休みになると言ったのは、神を人に見立てて語る「擬人法」と言う表現方法であって、事実ではないのです。 



  
つまり当時の人々に、7日間に1日の割合で休日を取る原則を教えるために、神が6日間にすべての物を造り、7日目には休まれたという「擬人法」の物語になさったのです。単純な生活を営む当時の人々にとって、天地創造の細々した科学的側面や造られた順番などを正しく覚えこむより、7日目には必ず休み、落ち着いて神を礼拝するのだとしっかり覚えこむことの方が、はるかに大切だったのです。神が物語法でお語りになったのは、それが、筆記することが困難でもっぱら記憶することに頼っていた人々が、印象深く、明確に記憶できるためにもっとも良い方法だったからでしょう。3,500年前の人々には、天地創造の経緯を正しく覚えるよりも、肉体を休め、喜びと感謝をもって神を礼拝し、家族とともに過ごし、地域社会の人々と打ち溶け合って、調和の取れた社会関係を保つことのほうが、ずっとずっと大切だったのです。それは多分、現代人にも同じではないでしょうか? 



※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※
※※※※※※※※ キリスト教徒嘘  ※※※※※※※※


   キリスト教では、嘘をつくことは罪であると考えられていす。
モーセの十戒でも嘘をつくことは禁じられています。それを文化
も状況も超えて原則として適用してしまうのが、アメリカ的なキ
リスト教です。そのようなキリスト教は日本では嫌われます。日
本人は昔から嘘も方便と言って、嘘の効用を認めているからで
す。アメリカ人は、「事実」を最も大切にした生活環境を作ってい
ます。移動性が激しかった社会では、今日出会った人とは二
度と再び会えないことを前提に、事実を基盤にして、商売をし、
付き合いをしなければならなかったからです。


 そのような事実優先は言葉にも表れています。「You are not
going to school today, are you?
」と聞かれると、英語では「No
I am not
」と応えます。アメリカ人は尋ねた人間の気持ちなどあ
まり考えずに、あくまでも事実に基づいて応えます。事実が肯定
的なら「Yes」、否定的なら「No」なのです。それがかえって誤解
を少なくし、良い人間関係を築くことになる場合も少なくありませ
ん。ところが日本語では、その場合、「はい。行きません」と答え
ます。日本人は尋ねた人の心を思いやって、「はい。あなたの考
えておられるとおり、私は行きません」と言うのを縮めて、「はい。
行きません」と答えるのです。


 定着文化の日本人は、長いお付き合いを前提にすべての物事
を進めるために、このように事実に応えるのではなく、尋ねた人
に答えることにななのです。日本人にとって大切なのは人間関
係であって、事実はどうにでもなるのです。


   ですからアメリカ人にとっての嘘は、生活の基盤である「事実」
に反したことを言うことであり、大変悪いことです。「嘘つき」という
のは最大の侮辱になります。アメリカ人に対して、間違っても軽々
しく「嘘つき」などと言ってはなりません。これはアメリカ人に限ら
ず、欧米人の一般的傾向のようです。一方日本人にとっての嘘
は、人間関係を円滑にする油で、「嘘も方便」なのです。ですから、
「うっそ〜!」などと言われても、ちっとも傷つきませんし、「おれは
嘘つきだからなー」などと平気で言う人がたくさんいるわけです。


   そこで「聖書は?」と、調べてみると、日本の文化ほど軽々しく
嘘が認められてはいないのですが、方便としての嘘が時おり登場
します。正しい人が嘘を言っている記事があったり、嘘のゆえに神
に祝福された人さえ出てきたりします。西欧人クリスチャンは認め
たくないかも知れませんが、聖書は、彼らとは少々違う見解を示し
ているわけです。実のところ、イエスさまもまた事実に反したこと、
つまり西欧的には「嘘」を言っておられるのです。どこにそんなこと
が書かれているか? 聖書を読んで見つけてください。


  
そういうわけで、事実を社会生活の基盤として、事実を語ること
を最も大切にする人々にとっては、事実に反して語ることは何がな
んでも「嘘」であり、絶対に悪なのです。そのような思考回路では、
天地創造の物語は文字通りの事実であるか、まったくの嘘である
としか考えられないわけです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

   人間は、6日間働いたら1日休養を取るのがふさわしいように、造られています。新しい車を買うと必ずマニュアルがついてきます。故障させず、長い間安全に使うためにはマニュアルに従って使用することが大切です。何千キロ走ったらオイルを交換してください。タイヤはあまりすり減ったものを使い続けないでくださいと書かれています。無理をすると危険で、壊れてしまいます。安息日の教えは、人間の生き方の基本的マニュアルです。人間も、7日に1日くらいの割合で休息を取り、神を敬い、人を愛するときを持つように造られているのです。それを無視して働きすぎると、オイル切れで走り続ける車のように壊れてしまいます。体が丈夫だからといって無理を長く続けると、今度は精神が傷つき痛んでしまいます。傷つき痛んだ人たちが大勢いる社会は、同じように傷つき傷んでしまいます。そのような社会に生まれ育った人たちは、無理をする前から、傷つき痛んでしまいます。現代の日本社会を思い浮かべてしまいます。安息日の定めは、当時の単純な農耕牧畜文化を前提とした律法であり、現在のような高度に複雑化した社会に生きる人々に、直接適用することは出来ません。しかし原則は、7日に1日程度の休息を取り、神を礼拝し、人々を愛するときを持つことです。現代社会に生きる人々は、その休息の原則をしっかりと保って、自分たちの実情によりよく適用していくことが大切なのです。



7. 律法の目的を理解する



   
聖書にはたくさんの戒め、教え、戒律、あるいは律法といわれるものがあります。これらを一所懸命守ろうと努力している人たちがいます。キリストの時代のユダヤ人たちも、熱心にこれらを守ろうとしていました。とくにパリサイ人たちは、厳格にこれを守ることで有名でした。しっかりと守ることによって、神の祝福を受けると信じて疑わなかったのです。その結果、自分たちは律法を守っているから立派な人間であるという思い込みが生まれ、他の人たちを見下すようになっていました。この高ぶり、誇り、あるいは自己義を、キリストは嫌い厳しく非難されたのです。 



  
もしもこれらの戒律、あるいは教えが、守られることを目的として与えられたのならば、パリサイ人たちは最も素晴らしい人々でした。事実、彼らの道徳的水準は誰にも負けないほど高かったのです。先に、聖書を鏡とすることについてお話しましたが、戒律や教えはまさに鏡なのです。その戒律や教えの曇りのない輝きに自分を照らし、本当の自分の醜い姿を知るべきものです。つまり聖書の戒律は、人々がそれを守ってしっかりした人間になり、良い社会を作るためよりも、人々がそれを守ることができないことを知り、神の標準に届かない者、すなわち罪人であることを悟るためにあるのです。 



  
キリストは「健康な人に医者はいらない。いるのは病人である。私が来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と、お話になりました。本当は、キリストの招きはすべての人を対象としています。しかし、病気であることに気付いていない人は医者に来ようとしないように、自分が罪人であり救いを必要としていることに気付いていない人は、救い主のところには来ようとしません。ですから、少しばかり他の人々より戒律を厳しく守っているからと言って、誇り高ぶり、自分は正しい人間であると勘違いし、他人を見下げるような人間に対し、キリストは厳しい言葉を語られたのです。それも彼らを憎み毛嫌いしたからではありません。彼らが自分の罪に気付くように、愛のゆえに厳しくお語りになったのです。



   あるとき一人の青年がキリストのところに来て尋ねました。「先生。永遠の命を得るためには、どんな良いことをしたら良いのでしょうか。」 この青年は、あらゆる戒律をしっかりと守っていると、自他共に認めるほどの立派な人間でした。ですからその言葉には、「先生。教えてください。そうしたら自分でやり遂げて、自分の力で永遠の命を得て見せます」という、自信がみなぎっていました。他の人々のように、キリストを救い主と認めて、助けを求めに来たのではありません。教えてもらいさえすれば、それで良いと考えていたわけです。だから、先生と呼びかけたのです。 



 
キリストも、この青年がたしかにずば抜けて誠実な人物だと、認めていました。聖書は、キリストが彼を(いつく)しんだと記しているほどです。それにもかかわらず、キリストは彼に非常に厳しい言葉を浴びせられたのです。 「あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」 これを聞いた青年は、顔を曇らせて帰って行きました。多くの財産を持っていたからです。



 
 キリストはなぜ、この青年にそれほど厳しくお語りになったのでしょう。まるで、失望させて追い返したように見えます。それはこの青年が、自分は立派な人間だと考えていたからです。彼の言葉には自信だけではなく、おごりと高ぶりが潜んでいました。彼が永遠の命を得るためには、今までの生半可な善良性で自己満足していたところから、徹底した厳しい倫理基準によって打ち砕かれ、自分の罪深さ、自分の惨めさに気付いてボロボロになる必要があったのです。「先生。教えてください」ではなく、「こんな惨めな私を助けてください」と、キリストのもとに出なおして来なければならなかったのです。彼は、「自分を愛するように隣人を愛して来た」と、自信をもって語っていましたが、実際には愛していなかったことに気付き、神の基準、神の要求には到達できていないことを、知らなければならなかったのです。



   キリストがこの青年に求めたのは、実際に持ち物全部を売り払うことではありませんでした。そこまで彼を追い詰めることによって、彼が隣人を愛することができていない自分に気付き、自分自身にまったく落胆することを期待されたのです。キリストはこの出来事を通し、聖書の倫理的教えの真髄を示してくださったのです。神が与えようとしておられる永遠の命は、自分の努力や力で獲得できるものではありません。自分の善良さや正しさで勝ち取ることができるものでもありません。人間の善良さは神の聖さに届かず、人間の努力は神の要求に足りないことを悟り、自分の力で救いを獲得しようとすることを止め、神の恵みと哀れみに頼って、救いを求めることこそ必要なのです。 



  
人間が最初に罪を犯したときから救いを準備してくださった神は、人間を愛し、たとえどれほど(けが)れ果て、弱く惨めで何一つ正しいことができない人であっても、救われることができるように、救いの道を準備しておられるのです。その道とは、自分の罪を悔い改め、神の恵みと憐れみに信頼して生きることです。自分の罪を悔い改めるには、自分の罪に気付かなければなりません。自分の罪に気付くことこそ、まず、最初の大切な関門です。その関門に至らせる働きをするのが、聖書の厳しい戒律の役割なのです。 



  
ですから、キリストの高い倫理的要求も含めて、聖書の戒律は徹底してやってみようとすることが大切です。そして、自分には絶対にできないと悟ることが必要なのです。始めから、「神が完全であるように、あなた方も完全でありなさい」という高い教えを見上げないで、もっともっと、足元からはじめてみることです。そして、それを守ることができない自分を発見したら、気落ちせず、そのような自分を愛してくださっている神に感謝するのです。聖書の戒律の第一の目的は、その戒律を守ることができない者は神の厳罰の対象になると、警告することではありません。神が準備してくださった救いを受け、永遠の命を獲得できるようにすることなのです。 



8.   聖書全体の教えから一つ一つを理解する



   
聖書の中には、一度だけ言及されている事柄や、2度だけ言及されている事柄もあります。そのようなわずかな事例を取り上げて、断定的なことを考えたり語ったりしないことが大切です。そのようなことを許すと、聖書の言葉を悪用し、あるいは曲解し、自分たちの好きなことを言えるようになるからです。聖書を知るには、全体の教えを総合的に理解し、そこから、一つひとつの教えや言及を理解していくことが大切です。しかし、順番としては、まず一つひとつの教えや言及を、ある程度理解しなければなりません。最初から全体を理解できるわけはないからです。しかし、一つひとつを見ている段階で結論づけたり、断定的なことを言ったりせずに、一つひとつの判断をたくさん集めて総合的に判断し、その判断理解をもって、改めて一つひとつに戻る手順が大切なのです。 



   
先にも述べたとおり、聖書のそれぞれの書物には、それが書かれた背景や事情があります。表面的にはまったく相容れないようなことも出てきます。しかし、ゆっくりと落ち着いて総合的に見ていくと、その意味していることがわかるのです。矛盾と見えたことも矛盾ではなく、聖書の教えることがらの大きさや幅の広さ、奥の深さを示しているのだと見えてくるのです。 偏った聖書の理解をしないという意味では、たとえたくさんの用例があったとしても、注意が必要です。それに合致しない聖書の教えが他の箇所にあるかもしれないからです。ゆっくり注意深く読み進むことが大切です。たとえば多くの日本人が、聖書が描き出す厳しい神の姿に驚愕してしまい、優しい神の姿をまったく見失ってしまうという、残念な間違いを犯しています。それで、「日本人に必要なのは、キリスト教が教える厳しい『父なる神』ではなく、すべてを受け入れ赦す『母なる神』であるなどと、的外れなことを言うことになるのです。聖書の神は確かに厳しい神です。それは「聖」であるという性質によるものです。しかし一方、どのような母親
にも勝って、自愛と愛情にあふれた髪なのです。神は「愛」であると教えられている通りです。落ち着いて聖書船体を読むと、理解できることです。



         

        第一部

      お わ り
 




 

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聖書を読むぞー (21)



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5. 話法に注意する


   聖書にはいろいろな話法が用いられています。日本語では例話あるいは寓話と言う程度の、大ま
かな区別しかありませんが、英語ではかなり細かい区別がされているため、勉強にはとても便利です。ただし、いまは日本語での学びですから、一般的な日本語で説明します。 


   聖書にはたくさんの喩え話が出てきます。とくにキリストの教えのほとんどは喩え話です。喩え話には二つの目的があります。ひとつは教えを物語化してわかりやすくすることです。もうひとつは反対に、聞いている者たちの一部だけが理解でき、他の者にはわからなくするためです。キリストはこの両方を使い分けておられます。したがって非常にわかりやすいという面と、とてもわからないという面があるのです。誰にもわかりやすい喩えと、キリストの教えをかなり理解していなければついて行けない喩えです。いま聖書を読む私たちには、それがどちらの喩えであっても、基本的に同じ注意が必要です。喩え話はあくまでも喩えですから、それが何を意味しているのか、大筋や中心的な登場人物について探り出すだけに止め、細かい点まで詮索してはなりません。少し細かい点まで意味がありそうな喩えもありますが、多くは大筋だけで止めておくのが安全です。細かくやりすぎると、読み込みになる場合が多いのです。




   
また喩え話の多くは、当時の日常生活からの喩えが多いため、当時のことを知らない私たちには、かえって難しくなっている場合が少なくありません。たとえば、婚宴を待つ10人の娘の喩えなど、あまり意味が通りません。(マタイの福音書25:1〜13) 当時のイスラエルの婚姻の習慣を知らないからです。また、正確には喩え話ではありませんが、キリストの話には類似した話法がたくさん用いられています。「あなた方は地の塩である」という教えは、キリストに従う人々を「地の塩」に喩えたものです。ここでキリストが意味したことは、塩は塩味と言う大切な性質を失ったら、役に立たなくなるということから、キリストに従う者として大切な性質を持っているあなた方も、それを失ってはならないという意味です。次の「あなた方は世の光である」という喩えも、同じことを強調するために重ねて語られた喩えです。ここでは、光を隠してはならないと教えられているのです。ところが、教会での説教などを聞くと、しばしば、「地とは何か」「塩は腐敗を止める」などとやっていたり、「光をより広く見せる山の上とは何か」「光を隠す枡とは何か」とやっていたりするのです。キリストはそのような詮索をさせるために、喩え話を用いられたのではありません。



   
ある教会に出席したとき、「塩とは塩素とナトリウムが混じり合ってできたものである。同じようにクリスチャンも、よい性質と悪い性質を併せ持っている」という、説教を聞かされたことがあります。こうなると、喩え話を利用して、どんなことでも自分の好きなように説教できることになります。キリストは、当時の人々にわかるように喩えを話されたというのが原則です。当時の人々が塩化ナトリウムなどを理解していたはずがないのですから、これは聖書への読み込みです。




※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※※※※ わからない聖書の言葉 ※※※※※※※

 
    聖書は、時代と場所を遠く隔てた文化の中で書かれたものです。現代の
日本人には馴染みのないもの、何のことやら見当もつ
かないものも出てきま
す。あるいは翻訳できないものも結構たくさんあります。


  とくに、日本に存在しない動物や植物の名は、翻訳のしようがありません。
それで、「それ
らしい」名前で、一種のごまかしをすることになります。たとえ
日本語にあったとしても、古い時代のもので、現代人にはわからないものも
少なくありません。たとえばキリストがおっしゃった、「雌鳥が雛を集めるよう
に、私はあなた方を集めようとした」と言う表現を、現代の日本人のどれだけ
が理解できるでしょう。「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために
命を捨てる」という言葉の意味はわかるでしょうか。「あなたの目にある『ハ
リ』を取り除きなさい」と言う言葉の、「ハリ」は「梁」であって「針」ではありま
せん。大工さんなら知っていますが、普通の日本人は知らないでしょう。家を
建てるときに必要な、一番太い材木です。「すべて重荷を負って苦労してい
るものは私のもとにきなさい。私が休ませてあげよう。私のくびきは負いやす
く、私の荷は軽いからである」というお言葉の、「くびき」とは何のことでしょ
う。「頸木」と書くともっとわからなくなります。「首木」と、大和ことばを示せる
漢字にするとわかるでしょうか。キリストが意味されたのは、二頭の牛や馬が
並んで荷物を引くときに、重みが両方に平均してかかるように、首にあてがう
湾曲した木のことです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



  むかし宗教改革で有名なルターという人が、もう一人の改革者だったツイングリという人と話し合
をしたことがありました。協力して働きを進める可能性を探ったわけです。他のすべての面では折り合ったのですが、残念ながら、「聖餐」という大切な儀式の解釈で折り合えず、とうとう協力はできなくなってしまいました。このときルターは、キリストの「これは私の血である」という言葉を文字通り「血」であると理解して、聖餐式に用いられるぶどう酒は、キリストの血となるのだと言い張りました。一方ツイングリは、ぶどう酒はキリストの血そのものではなく、血を象徴するものであると主張しました。(ルターは、宗教改革でカトリック教会とは袂を分かった人物ですが、徹底したカトリックの教育を受けた僧侶でしたから、まだまだいたるところにカトリックの誤った教えを持ち続けていました。そのために、カトリックの色眼鏡で聖書を読んで、いわゆる読み込みをしてしまったのです。それに対しツイングリは僧侶ではなく一般人でしたから、カトリックの教えに捕らわれず、より公平に聖書を読むことができたようです) もしも、キリストが「これは私の血である」と言われたのだから、文字通り血であると解釈するなら、キリストは、「私は門である」とも「パンである」とも「光である」とも「まことのぶどうの木である」とも言われました。キリストは木の門か石の門か鉄の門かと、尋ねてみなければならなくなります。

 

   多くの場合、話法は常識を持って聞くと理解できるものです。聖書を読むときも常識が大切です。特別な意味が隠されているとか、神秘的真理が隠されていると考えて、単純な喩え話に探りを入れてはならないのです。





 
6. 物語形式の教えを理解する



  多くの場合、喩え話は喩え話だとわかるように語られています。しかし中には、事実そのものなのか、ある種の話法によって話しているのか、なかなか判断できない場合があります。その代表的なものが創世記の天地創造の物語です。

  


   
天地創造の物語は、啓蒙主義が現れてくるまでは事実そのものと信じられて、何の問題も起こりませんでした。しかし、啓蒙主義から合理主義、自然科学の興隆、進化論の導入などと共に、疑われ、批判され、非科学的であり信じるに足りないものであると、烙印を押されるまでになってしまいました。現在はクリスチャンであるという人々も、多くはこの物語を信じられないでいます。一方、この物語の一字一句を、間違いのない事実であると信じることに、命を賭けているクリスチャンたちもまたたくさんいます。



   
非常に合理主義的で、過度に科学に信頼を置く日本人の多くは、この物語を始めから非科学的であると考えていますが、その日本人が信頼を置くアメリカなどの進んだ科学者たちの多くが、非科学的だとは考えていないのも面白い現象です。現代は、科学の先端を行く人たちほど、科学に信頼を置けないでいるというか、科学の限界を知っているということがあるようです。筆者の娘が通っていた学校に、人類で最初に月に立ったアメリカ人が招かれて講演会をしたことがあります。彼は月の上で神様をたたえたそうです。どれほど人間の科学が発達しても、その片鱗さえ知ることができないほど大きな宇宙をお造りになった神様を、分厚い宇宙服の中で賛美したそうです。娘からその話を聞きながら、筆者は、自分が高校一年生だったころを思い出していました。



   
真剣に神の存在について考えていたとき、ちょうど、ソビエト(旧ソ連、今のロシア)の宇宙飛行士が人類初の宇宙飛行をして帰ってきました。そのとき彼は言ったものです。「宇宙にも神はいなかった。」 ラジオでそのニュースを聞いたとき、あまりにも愚かなその言葉に、宇宙飛行の偉業さえ色あせたかのように感じたものです。地球からわずか180kmから230kmほど離れたところを、よたよたと飛んで、2時間ほどで戻ってきただけで「宇宙」とはとんでもないと思ったのです。お猪口(ちょこ)で海の水をすくい取り、「どうだ、この中に鯨はいないだろう。海に鯨なんていないんだよ」と言うより、もっと愚かです。宇宙は現在わかっているだけでも、光の速さで何億年どころか何百億年もかかる広さを持っているのです。もちろんこの宇宙飛行士は神の存在いう命題などを、真剣に考えたこともなかったのでしょう。共産主義の教育をそのまま鵜呑みにしただけです。 



  とにかく、天地創造の物語が科学に反しているという議論はいたるところにあります。それに対して、まったく科学的であると一所懸命に論じている、強硬なクリスチャンたちの書物も山ほどあります。著者から見ると、ま、痛み分けと言うところでしょうか。両方とも間違っているのです。それは、バスケットボールの試合をハンドボールのルールで裁こうとする人と、サッカーのルールで裁こうとしている人たちが、それぞれ自分たちの正当性を主張して激論を交わしているようなものです。噛み合うはずも、正しい結論が出るはずもありません。




   
天地創造の物語は、物語法とでも呼ぶべき話法で語られています。複雑な事柄を単純化して、大切な事柄を教え、覚えこませるひとつの表現方法であり、多くの場合、子供や理解程度の低い人たちを教えるときに用いられます。その表現方法を理解せず、非科学的だとか科学的だとか論じることがすでにおかしいのです。たとえば私たちも、日常的に「太陽が東から昇る」と表現します。昔の人々は、文字通り、太陽は東から昇ると考えていたかも知れません。それで何の不自由もしませんでした。しかし、現代人ならば、これが科学的に誤っていることを知っています。だからといって、これは非科学的だといって目くじらをたてることもありません。表現方法として認められているからです。



   
創世記は3,000年も前の人々に対して書かれたものです。物理学や生物学、あるいは天文学や考古学などの、現代科学を知っている人のためではなく、そのようなことを一切知らず、必要性も感じていなかった、大昔の大衆に向けて書かれたものです。ですから、天地創造の物語は、天地創造の内容やいきさつ、創造の順番などを、詳しく科学的に教えるために書かれたのでもありません。少しばかり極端な言い方をするなら、そんなことはどうでもよかったのです。天地創造の物語は、あのような表現方法で単純化して、もっと大切なこと、少なくても信仰の書物としてはもっともっと大切なことを教え、それを覚えこませようとしたものです。



   
天地創造の物語は、原始時代さながらのジャングル生活をしている人々に、DVD画像を説明するようなものです。電気もICもデジタルも何にも知らない人たちに、あなただったらどのように説明しますか? あるいは生殖と出産について、小学一年生に教えるようなものです。非常に単純化して教えなければ、小学一年生にはわかってもらえません。性教育のあり方についてはいろいろ議論があり、ひとつの教え方を採用すると、他の教え方を主張する人々から鋭い批判とクレームがつくでしょう。その人の立場によって、教える部分、内容、強調点も異なってきます。天地創造は、生殖出産とは比べ物にならないほど複雑な出来事です。その天地創造の物語をもって、神は、人間にとって最も大切なことを教えようとして、あのような単純化した物語形式の教育をなさったのです。くり返しますが、天地創造の物語の目的は、天地創造の事実、すなわちその内容や、順番やいきさつを教えることではありません。その物語をもって、人間にとってもっと大切なことをお教えになったのです。



  
では、この創世記の物語を通して、神は何を教えようとなさったのでしょう。第1日目には何が造られ、第5日目に は何が造られたかというようなことでないことは、すでにお分かりと思います。もちろん、断定的に言うことはできませんが、いくつか挙げて見ましょう。神がまず伝えたかったことは、神が天と地をお造りになったという事実です。この物語の出だしは、「天地創造のいきさつは次のような次第であった」ではありません。「はじめに神は天と地をお造りになった」です。天地創造の物語そのもの、あるいはいきさつを教えるのではなく、神が創造なさったという事実を伝えているのです。



   
当時の人々は、一体どのような神々を信じていたでしょう。彼らも、神を礼拝する本能を持っていた人間ですから、必ず宗教を持っていたはずです。多分シュメール文化、あるいはメソポタミア文化の神々、あるいは古代バビロンやエジプトの神々の感覚を持っていたことでしょう。それは、天地をお造りになった神、空間と時間を超越しておられる絶対の神とは、似ても似つかない神々だったに違いありません。せいぜい人間より少しばかり力を持っていて、人間のように怒り、悲しみ、人間に騙され、人間に利用され、良いように扱われる小さな神々だったに違いありません。それに対し神は、ご自分を天地創造の神、際立った神、並ぶもののない神、超絶した神、絶対の権威を持つ神であることを、天地創造の物語で示そうとなさったのです。



   
次に考えられるのは、神は創造物を支配しておられるという事実です。人間も含めてすべての被造物は神の絶対の権威と支配の下にあることを教えているのです。神は人間と相談していろいろなものを造ったのではありません。人間の姦計に操られてあれこれと対策に終われ、駈けずりまわる神でもないのです。人間がいかに強大なことを成し遂げ傲慢になったとしても、神の力の下にしか生きることができない厳粛な事実が、明確に示されているのです。  




※※※※※※※※ ちょっとした話  ※※※※※※※※
※※※※※※※※  神という言葉  ※※※※※※※※


  創世記の始めの部分を注意深く読むと、神がご自分をどのよう
にお示しになるべきか、苦心しておられるのがわかります。日本語
に翻訳された聖書ではわからないことですが、「神」という言葉の問
題です。神はご自分を示すために、当然、当時の人々が使っていた
「神」という言葉を用いなければなりませんでした。もちろんその言
葉は、天と地をお造りになったお方を示す言葉として、そのまま用
いるにはふさわしくなかったはずです。当時の人々が信じていた神
は、小さくちっぽけな「神」、あるいは、いろいろなおかしな性格を持
ち合わせた「神々」だった
に違いないからです。そういうわけなのか
どうか、創世記には主に二つの「神」という言葉
が用いられています
が、面白いことに、ひとつは複数形なのです。それから、すでに触れ
たよ
うに「私はある」という自己紹介があり、その後は、多くの場合
「主」という言葉で表現されるよ
うになりました。


  これが日本語に訳されるときには、また苦心がありました。日本
語の「神」は、聖書が教える「神」とは似ても似つかない「神」だから
です。本来「かみ」とは、単に「上」を示す言葉で、川上の「かみ」、
髪の毛の「かみ」、薩摩の守の「かみ」、もっとくだけると、「うちのか
みさん」の「かみ」と同じなのです。ですから日本の神々は、人間よ
りちょっとだけ力が強いだけの、殺され、朽ち果てる、「かみ」に過
ぎなかったのです。そのような「かみ」を、天地を創造された絶対の
「神」に用いたのは、翻訳としてまずかったと著者も感じます。カトリ
ックでは「天主」と訳しましたが、これの方が良かったかなと思いま
す。中国では「天帝」と訳されたそうです。韓国では「ハナニム」で
す。「ニム」は日本の「かみ」に近いのですが、「ハナ」が「一番」と
か「唯一」と言う意味を持つそうで、日本語の訳よりはよほど良いと
思います。韓国ではキリスト教が爆発的に成長し、日本ではほとん
ど成長がないのは、この辺りにも理由 がありそうです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



   その後に考えられるのは、すべての被造物が秩序の下にあるということです。神はすべての物をお造りになって、それを「よしとされた」のです。それは、神がよろしいと判断する完全な状態だったのです。神が秩序を与え、秩序が継続するように定められたのです。記述によると、動物や植物は「種(しゅ)に従って」増え、子孫を残すように定められました。どうやらそれは、進化論とは根本的に相容れないものと考えられます。進化論の原則は、種を超えて変化をすること、しかもより高等なものに進化することです。ところが進化論が発表されてこの方、非常に多くの進化論者が種を超えて進化した痕跡、いわゆるミッシング・リンクを求めて、あらゆる努力を重ねましたが、いまだに成功していません。人為的な力を加え、遺伝子操作をしても、まだ、種を超えて進化させることはできないでいます。神は、基本的に種をお定めになり、種に従っての繁殖を定められたからです。もちろん、特定の種の範囲内での変化や進化と見られるようなことは、多くの場で観察されていることは言うまでもありません。犬は犬の中で変化を続けます。しかし人間はやはり人間であり、サルと言う異なった種からの進化ではないのです。
 


   さらに天地創造の物語は、人間は本来神を認めて礼拝し、神との交わりを持って生きるように造られていることを教えたものであると考えられます。そのために人間は、他のあらゆる被造物と異なって、神に似せて造られている事実が強調されています。神はご自分の性質に似せて人間をお造りになりました。「神は霊である」と聖書に教えられている通り、神は肉体を持たない霊的な存在者ですから、人間にも、肉体によらない部分があるのです。それが人間を人間としている大切な部分です。神に似せて霊的な動物として造られているために、人間はあらゆる動物とは異なって、本能的に神を感じ、祈り、礼拝したくなるのです。子犬が母犬の乳を飲み、腹にくっ付いて寝ると安心できるように、ひよこが母鳥の翼の下に入ると安らかなように、人間は神を礼拝すると心が満たされるのです。人間は神をたたえ、礼拝することによって、人間本来の喜びを感じられるようになっているのです。神を礼拝することなしには、どんなにおいしいものを食べ、どれほど豪華な家に住み、いかに権力を振るったところで、人間としての喜びを感じることは出来ないのです。  




※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※※※※※※  不思議な人種  ※※※※※※※※※

 
    筆者は、多くの日本人が進化論を信じて聖書の記述を攻撃するの
を聞き、
不思議でならなくなります。彼らのほとんどが、神社やお寺に
行き、お祈りをし、お札
を買っているからです。霊界だの占いだの、何
とかの霊、何とかの魂と言うテレビ番組を真剣
に観ています。彼らの
信じている神や仏や霊や魂、あるいは幽霊だとか、死霊だとか言う存
在は、彼らの奉じる進化論によると、進化のどの過程のどの部分で、
どのようにして発生してきたのでしょう?一方では科学的人間であるこ
とを自認して、進化論をふりまわしながら、他方では前世だの、来世へ
の生まれ変わりだのとやっている人たちが、筆者には非常に不思議な
人種に見えるのです。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 



  そのうえ人間は、すでに述べたように、愛の神に似た心を与えられていますので、愛し合うことによって最高の幸せを感じられるように出来ているのです。そのために人間は本来、他の人々と一緒に共同体を作って生きる社会的動物なのです。また神は人間をお造りになったとき、始めから、家庭生活を営むものとしてお造りになったのです。おしどりの夫婦は一般の常識に反して、一生の間たがいに相手を「とっかえひっかえ」生きて行きます。鶴やコウノトリの仲間は、一生、一夫一婦を守りとおして睦まじく暮らしていきます。それぞれ、神がお与えになった本能に従って生きているのです。人間にも、人間本来の生き方があります。それは、神を礼拝し、一人の人と結婚し、家庭を造って生きることです。天地創造の物語はその原則を教えているのです。現在の私たちの不幸の多くは、その本来の生き方が、さまざまな理由のためにできなくなってしまったことによって、起こるものです




※※※※※※※  ちょっとした話 ※※※※※※※※
※※※※※※※ 恐竜はいたの?  ※※※※※※※


   天地創造の物語に、ティラノサウルスやブロントザウルスが出てこ
ないのが不満だという人が結構いるようです。確かにアンモナイトも
三葉虫も出てきません。なぜ出てこないの
でしょう。天地創造の物語
が、創造のいきさつをきちっと教える目的で書かれたのならば、当然
出てきたはずです。でも、これが書かれた目的はそんなところにない
のです。それにもかかわらず、なんとしても、どこかに恐竜の時代や
アンモナイトの時代を入れたいために、いろいろな学説が提唱され、
議論されてきたのは、人間の愚かさを示す以外のなにものでもあり
ません。


   天地創造の物語は、人間が神との関係をどのように保つべきか、
人間として基本的にどう生きるべきかを教えるために書かれたので
す。ですから、当時の人々が知る由もなかった恐竜の話や三葉虫の
話を持ち出して、混乱させる必要はまったくなかったのです。


   同じように、この天地創造の物語には、天使の創造や悪魔の発生
についてもまったく語られていません。神がそのようなことを語る必要
を、感じられなかったのです。最近は、地球以外に生物がいるかなど
と、真面目に議論論されるようになっていますが、聖書が基本的に人
間の救いを目的に書かれた書物であり、それに関わりのないことは
小限にしか語られていないところから考えて、地球以外にも、地球
生物とは似ても似つかない生物がいる可能性も否定できません。
しろ神は空間と時間を越えた存在なのです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※







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2010年09月16日

聖書を読むぞー (20)

 
D. 正しい理解の助け

  次に大切なのは、聖書を正しく読むことです。せっかく聖書を読んでいながら、正しい読み方をしていないために、とんでもない思い違い、まったくおかしな理解をしている人たちがいます。また、そのような間違った読み方を勧めているグループや教会もあって、おかしな方向に導かれています。そこで、できるだけ正しい理解をするために、いくつかの要点を挙げておきましょう。


   
1.  前後関係の中で理解する


  聖書を自分に語りかけられた神の言葉として読む、あるいは鏡として読むということが大切だと語りましたが、実はそのような読み方にも落とし穴があります。


   
あるとき、普段はあまり聖書を読まない人が、とても困ったことに遭遇しました。すっかり行きづまって、聖書を読むことを思いついたのですが、どこをどう読んだら良いのかさっぱりわかりません。そこでお祈りをしました。「神様、とても苦しいんです。私に必要な言葉を与えてください」。それから聖書を取り上げ、目をつむってそれを開き、人差し指で一箇所おさえました。そしてそっと目を開き、おさえたところを読んでみました。「ユダは出て行って首を吊って死んだ。」「神様。とんでもないことです。とんでもないことです。どうか私に必要なお言葉を・・・・・」。こう言って再び目をつむり、聖書を開き指で差し、眼を開いて読み始めました。「あなたも行って同じようにしなさい」。「神様どうか冗談はよしてください。私を助けてください。どうか何をしたら良いのかお教えください」。心の中で呻きながら、もういちど目をつむり、聖書を開き、指で指し、読み始めました。「・・・・あなたのしようとしていることを明日に伸ばしてはならない」


   
聖書を、自分に語りかけられた神のお言葉として読むのは大切です。しかし聖書は、おみくじや、うらないの言葉ではないのです。短い言葉を取り出し、前後関係を無視して解釈してはならないのです。前後関係をしっかり読んで、その部分が、いつ、どこで、どういう事情で、誰によって、誰に対して書かれたのか。あるいはその背景はどうだったのか、目的は何だったのかなどなどを考えながら、その書かれたときの意味を考えるのが、第一のステップです。それを無視して、聖書の「(言葉づら」を自分への言葉として受け取ると、「あなたも今すぐに首を吊って死になさい」と言うことになるのです。 


   前後関係の中で言葉を理解することは、聖書だけではなく、どのような本でも、普段の会話でさえも同じです。会話の中で夫が妻に、いとおしさを込めて「馬鹿だなーお前は・・」と言ったのを、妻が「私のことを馬鹿と言ったわね!!」と、眉を吊り上げたのではおしまいです。言葉は、前後関係、流れの中で解釈されるべきなのです。一節だけを切り離してしまうと、本来の意味とは違ってしまうことがよくあります。キリストが、「行ってあの狐に言いなさい」とおっしゃったときも同じです。前後関係を無視してこの言葉を取ると、「狐はどこにいるのだろう。どの狐だろう。狐に言葉がわかるのだろうか」などと、つまらないことを考えなければなりません。もちろんこれは当時の偽りに満ちた王のことを、キリストが狐と呼んだものだということは、前後を読むとすぐわかるのです。
 


  2. 聖書の中に読み込まない



   まず、聖書の中に自分の先入観や、見解や意見、立場、主義、神学などを読み込まないことです。自分の考え方に合う表現や言葉を捜し出して強調したり、無理に自分の意見に合うように解釈したりしてはなりません。先にも少し触れましたが、ウーマンリブが華やかだったころ、ウーマンリブの考え方を聖書に読み込もうとした人たちがいました。ウーマンリブの主張に都合の良いところを探し出すだけではなく、ウーマンリブの理念に合うように聖書を解釈したのです。日本人に多いのは、すべての宗教は、結局みな同じだという前提で読む人たちです。そのような前提で読むと、知らず知らずのうちに自分の前提に都合が良いような言葉を捜してしまいます。その結果、表面上の言葉の意味だけを取り上げ、仏陀や孔子の言葉につなぎ合わせることになり、聖書の言っている奥深い意味に注意が届かなくなってしまいます。
 


   本当のところ、先入観や自分の考え方を読み込まないというのはとても難しいことです。みんな、知らず知らずのうちにやってしまうのです。日本人は日本人の先入観、中国人は中国人の先入観、経営者は経営者の先入観、従業員は従業員の先入観、男性は男性、女性は女性の先入観を持って聖書を読んでしまい、それぞれの色のついた聖書理解ができてしまいます。それで、日本人は日本人、労働者は労働者としての共通した色を持ち、その中に生きる限り、それが正しいと思い込んでいることになります。
 


   また、自分に都合の良い読み方をしないことが大切です。自分の言うことを聞かない息子を持った父は、「子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい」という聖書の教えを、金科玉条のようにかざしてはなりません。「勉強しろ勉強しろ」と言い続ける父親に向かって、「父たちよ。子どもをおこらせてはいけません」という聖書の言葉を、投げつけてはならないのです。自分に都合が良い読み方ではなく、聖書が本当に言おうとしていることを読み取るのが、正しい読み方です。
 

  
   それは聖書の特定の部分だけではなく、全体をくまなく読み、全体の思想、全体の流れを把握するということでもあります。聖書は非常に幅の広い書物で、表面の言葉だけを切り取ってつき合わせるならば、まさに両極端。矛盾そのものと思われる教えさえ出てくるのです。簡単な例話で考えて見ましょう。父親が息子に、「もっとどんどん喰わんかい」と言いました。でも同じ父が同じ息子に、「そんなに大食いするな」ともいいました。表面だけを読むと矛盾です。でも、もっと食べろと言ったのは、寝食を惜しんで勉強してやっと念願の大学に合格した、お祝いの食事会でのことです。そんなに食うなと言ったのは、その息子が大学に入って安心し、食っては寝、食っては寝をくり返し、8キロも太ってしまった夕食のことです。けっして矛盾ではないのです。
 
  

   聖書は、40人ほどの異なった背景を持つ人間が、1600年間にわたって、異なった事情の中で書いたものです。それだけ広範囲であるために、一部分だけを読んで理解したつもりになってはならないのです。広い見方、奥行きのある見解、深い度量が必要なのです。
 


  3. 文化背景を考えながら読む



   聖書は、2,000年から3,500年も昔に、特定の文化と背景、あるいは特定の事情の中で書かれています。それらを知らなければ、正しく理解することは困難です。ただ、時代背景や文化、習慣、そして事情を知るのは、容易なことではありません。それ相当の参考資料が必要で、それだけでとんでもない仕事になります。そこで、そのような参考資料が手に入らなくても、書かれている部分から、できるだけそのような事柄を読み取る注意深さが必要です。
 

 
   たとえば、クリスチャンたちの間には、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」という言葉に、しがみついている人たちがたくさんいます。もちろん、「自分が信じたら、その信仰によって家族も救われるのだ」と受け取る人は少なく、「自分が信じたら、結果として、いつか必ず家族も救われるようになる」と理解して、「神様どうかこのお言葉のようにしてください」と、家族の救いを祈り続けているわけです。その気持ちはわかりますが、聖書の読み方、理解の仕方としては間違っているのです。
 
  

   練習だと思って、実際に聖書を開いて見てください。使徒の働きの16章31節です。この言葉もまた、前後関係の中で、その当時の時代背景、文化、事情を考慮して理解されなければなりません。まず、この言葉は誰に向かって語られたのでしょう。今から1950年ほど前の看守です。この牢番は、一家の主人、つまり家長でした。家族制度が社会の基盤になっていた当時の文化の中で、一家の主人の権威はとても大きく、その言葉は重く力がありました。彼が決定したことは一家の決定でした。その中で驚くべき感動的体験をした家長に向かって、この言葉が語られたのです。召使でもなければ女中でもなく、妻でも息子でも娘でもなく、家族の中で一番力を持っていた人間に対して語られたのです。
 
  

   それを、家族制度が崩壊した現代日本の、あまり力を持たな妻や子どもが、「自分が信じたら、自分も自分の家族も救われる」と信じるのは、間違っているのです。あくまでも、ローマ時代の家族制度の中で一家の長である彼が信じたら、「彼も彼の家族も救われる」という約束なのです。そして、その通りになりました。たとえ家長であっても、現代の日本の名ばかりの家長では、当時と同じ結果を期待するのが間違っているのです。そういうわけで、この言葉を本当に自分のものとして受け取るためには、たとえローマ時代の家族制度に戻ることは不可能でも、少なくても、自分がローマ時代の家長のように、影響力のある言葉、力ある言葉を語ることができるようにならなければいけません、それは単なる権利とか権威の問題ではなく、家族の中の信頼関係を作り上げ、自分の信頼性を高めることだと思います。自分が家族の中で信頼されて、始めて言葉に力が加わるのです。聖書は、書かれた文化背景を考えながら読むことが大切です。
 
  

   ただしこの一節を、自分に与えられた言葉だと信じて祈っている人の祈りは、聞かれないということではありません。間違った理解で祈った祈りは聞かれないとしたら、私たちの祈りのほとんどが聞かれなくなります。私たちはたくさんの間違いを犯すものです。ところが神は大きな方ですから、人間の間違いや勘違い、無知や誤解を超えて、祈る人の真情に応えてくださるのです。とはいえ、神は真情に応えてくださるからといって、間違った聖書の読み方をしていてはなりません。まず、あくまでも聖書が書かれた実情の中でそれを理解し、現代に生きる自分に正しく適用することが大切です。
 


  4. 原則的な教えとその適用を見分ける



  聖書の中には、いつでもどこでも誰に対してでも変わらない、極めて原則的な教え、あるいは普遍的な教えと言えるものと、時代と地域、あるいは特殊な事情に限られた教えがあります。状況に限られた教えは原則的な教えの適用です。状況に限られた教えは、表面上、しばしば矛盾することもあります。しかし、原則をたどると同じであることがわかります。
 


  それは私たちの日常生活においても同じです。筆者は沖縄で自動車免許を取りました。まだアメリカの施政権下にあった時代のことで、車は右側を走ることになっていました。でもある日突然、左側通行になりました。沖縄が日本に返還されて、日本の道路交通法が適用されたためです。右と左、まったく反対です。しかし原則は同じ。事故を起こさず、幸せな生活を営むためというのが原則です。左側運転の日本の法律をアメリカに引きずって行って、左側運転をしてはならず、アメリカの右側運転を日本に持ち込んでもいけないのです。このように原則というものは、多くの場合隠れているのです。でもこの隠れた原則こそ大切で、普遍的なものです。
 
 

  実は、原則といえるものは多くはありません。突き詰めると非常にわずかです。聖書は、人間が守るべき戒めの原則としては、二つだけ挙げています。ひとつは神に対する人間の態度に関わるもので、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」と言うものです。もうひとつは対人関係に関わるもので、「あなたの隣人を自分と同じように愛せよ」です。この二つが、神が天地をお造りになり、人間をその中に置かれたときの原則です。すべての戒めはここに帰するのです。
 
 

  その二つの原則が、罪を犯して堕落し、救いの必要になった人間世界に適用されると、たくさんの具体的な戒めとなりました。「殺してはならない、盗んではならない」という極めて原則に近い戒めも、堕落した人間世界に対する適用です。適用である以上、ごくわずかであっても例外が出てきます。殺してはいけないのだけれど、殺さなくてはならない場合。盗んではならないのだけれど、盗まなければならない場合があるのです。「あなたの神、主だけを礼拝せよ」という戒めも、極めて原則に近いものですが、堕落した人間に与えられたという特殊性を備えています。これを適用するためには、まず「主である真の神」を知らなければならない、という条件がつきます。自分の神を知らない人はその戒めを守ることができないのは当然です。それぞれの戒めの中にある原則を見つけ出し、その原則を大切にして、それぞれ自分たちの異なった生活環境の中に、適用するという作業をしなければならないのです。
  



※※※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※※  形骸化の問題  ※※※※※※※※※※※


  どのような組織にも形骸化の問題があります。これはほとんどの場合、
原則的な戒め、ある
いは理念とも言うべきものを忘れ、その適用部分だけ
をいつまでも後生大事に持ち続けるこ
とによって起こってきます。あるいは
まったく実情の違う、異なった文化、異なった環境に入れ
られると、向こう
では素晴らしかった適用が、形骸となってしまいます。多くの学校の生徒
の制
服や、アクセサリーについての生徒指導など、形骸化の良い例です。
ある伝統校では、明治
時代の校風をいまだに大切にして、生徒たちに、そ
のころ決められた規律を守るように、求め
ていると聞きました。女生徒の女
性らしさを強調していたある学校は、つい最近まで裁縫とお
料理が必修で
した。ほとんどの女性が、ボタン付け以外に針を持つ必要はなくなったよう
な、
「この時代」にです。同じことはどこにでも起こります。もちろん、教会の
中にも起こります。聖
書が教える教えの多くは、ひとつの文化の実情へ適
用したものなのに、それを普遍的なも
の、理念的な原則であると勘違いし
て、どこにでも強要しだすと、形骸となってしまいます。大
切なことは原則的
な教えか、適用かを判断し、適用ならば原則を探り、その原則を自分たち
の実情に適用することなのです。そうすることによって、多くの形骸化は避
けることができま
す。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


   また、「女は、教会ではベールを被りなさい」という教えがあります。ある教会ではこの教えをそのまま現代にも持ち込み、世界中でそれを守っています。でもこれは、女性が礼拝の場に出てくるときは、女性としての慎ましい姿で出てきなさいと言うことなのです。その当時、この戒めが与えられた土地では、公衆の面前では女性がベールを被るのが習慣だったのです。それを被らないのはふしだらな女であるというイメージが伴ったために、ベールを被るようにと教えられたのです。 


  
私がまだ若かった頃、ミニスカートで教会に出席することが禁じられていました。そのころの日本では、ミニスカートはまだ軽薄な女性というイメージがあったため、教会に来る人々は慎ましい姿で来るように、聖書の原則が適用されていたのです。200年ほども前のヨーロッパでは、女性がくるぶしの見えるスカートを着て教会に来ることは、禁止されていたことがあります。くるぶしが見えるのは「みだら」というのが、当時の一般常識だったからです。女性は慎ましやかな身なりをするとい原則は、時代と場所によって適用が異なるのです。 


  
しばらく前のことですが、南太平洋の小島に宣教師が入り込み、「近代的なキリスト教」を根付かせようとしました。大変な苦労の末、とうとうトップレスだった女性たちがブラウスを着るようになるまで、「キリスト教化」に成功して、故郷の教会に喜びの手紙を送ったということです。でも土地の人々みんなが、昔からトップレス姿を当然として、少しもみだらさを感じていなかったとしたら、なんでブラウスを着せる必要があったのでしょう。これもまた聖書の誤った読み方から出てきたことです。

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2010年09月08日

聖書を読むぞー(19)





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Y. 聖書の読み方
 


 

  聖書について、いろいろな説明をしてきました。かえって聖書のことがわからなくなったとか、反対に読む気がしなくなってきたと、言われないことを心から願っています。ここで、どのように聖書を読み始め、どのように理解していったらいいのか、以下のことについてお話します。    


  
A.  聖書を読む態度

   1. 自分に宛てて書かれたものとして読む
  
     2. 自分を映す鏡として読む

  
     3. 祈りをもって読む

 
   B.  どの聖書が良いか

 
   C.  どこから読むか

   
   D.  正しい理解の助け

   
      1. 前後関係の中で理解する
   
   
      2. 聖書の中に読み込まない
 

      3. 文化背景を考えながら読む
   
   
      4. 原則的な教えとその教えの適用を見分ける

   
      5. 話法に注意する

   
      6. 物語形式の教えを理解する

   
      7. 律法の目的を理解する
   





 A. 聖書を読む態度 


   ところで、聖書を紹介するこの文章を、ここまで真面目に読み進んでくださったあなたは、なぜ聖書を読もうとしておられるのでしょう。このような文章をここまで読んでくださったのですから、かなり真剣に聖書を読もうとしておられるのだと思います。いったいどのような目的で、聖書を読もうとしておられるのでしょうか。ある人は、始めから聖書の欠点や間違いを見出そうとして、いわばあら捜しのために読みます。他の人は歴史資料を読むような感覚で、単にひとつの興味深い情報源として読みます。面白い物語がないかと探しながら読む人もいれば、高尚な宗教書としてある種の畏敬をもって読む人もいます。 

   どのような目的で読んだとしても、読まないよりはるかに良いのは確かです。とはいえ、どのような書物でも、その書物に対する態度が大切なのです。野口英世に送られた母の手紙をご存知でしょうか。まったく音沙汰なしの親不孝な息子。頭は良いけれど借金ばかりして義理を欠き、どこか浮世離れをした英世に、まったくの無教養の母親がミミズの這ったような字で、せつせつと書き送った短い手紙です。多分、数多くの母親が息子に書き送った数え切れないほどの手紙の中でも、最も感動的な手紙の一つに違いありません。 


   そのような手紙からは、子を想う母の心、愛情、不安、期待などを、一所懸命に読み取ろうとするはずです。だれもそこから数学の定理を探し出そうとしたり、天文学の基礎を学び取ろうとしたりはしません。それぞれの文書には、それを読むにふさわしい態度と言うものがあるのです。聖書は、神が人間に与えてくださった救いの書、救いの道を示す書物です。それを読むにふさわしい態度をもって読んでみて、初めて正しく理解できるものです。その態度を、一言や二言で表すのは、なかなかできることではありませんが、あえて試みてみましょう。



1. 
 自分に宛てて書かれているものとして読む



  愛の告白の手紙があったと仮定しましょう。客観的な事実として、これは誰から見ても同じ一通の愛の手紙です。しかしこれは、読む人によってまったく異なったものになります。うれしくて、うれしくて、何回も何回も読み返す人もいるでしょう。下手な字とまずい表現を笑う人もいるでしょう。苦々しく思ったり、迷惑に感じたり、困惑したりする人もいるでしょう。開封しないで捨ててしまうか、そのまま送り返す人もいるかもしれません。 


  聖書は客観的には誰が読んでも同じ書物です。しかし読む人がどのような読み方をするかによって、まったく異なったものになります。聖書を読む正しい態度は、天地をお造りになった神が、自分に与えてくださった書物として読むことです。聖書にはとてもたくさんのことが書かれています。最も簡単な分類でも、すでにおわかりのように、歴史、詩歌と知恵文学、預言と分けることができます。そしてそれらの中にはさらにいろいろな事柄が記されています。でも、それらすべてのことは、単なる歴史の記録や、昔誰かが歌った歌ではなく、神が、それらを通して自分に語りかけておられるのだと理解し、真摯に向き合うことが大切なのです。もちろん聖書は全人類に与えられた書物です。しかし、それを全人類と言う漠然としたものではなく、自分という個人にも与えられていると理解して、しっかりと受け止めることが大切なのです。そのような読み方こそ、聖書が私たちに勧めている読み方なのです。(参照:ローマ人への手紙15:4、テモテへの手紙T3:14〜17) 


  聖書に記されている教えは、他人に与えられたものとしてではなく、自分に与えられたものとして読むのです。あるいは、聖書に記録されているさまざまな歴史、その中に散在するいろいろな物語、成功の話も失敗の話も、それを通して神が自分に語りかけておられるものとして読むのです。詩歌や預言の中からも、神の語りかけを聞こうという心がけで読むのです。 



2.  鏡として読む



   聖書を、自分の姿を映し出す鏡として読むことです。他の人にあてつけるものでも、社会の悪を非難するのでもなく、高尚な倫理道徳を教える教科書でもなく、自分の姿を映し出すものとして読むのです。ですから聖書を読むとは、自分と向き合うことです。喧騒の中に生きる現代人は、自分と向き合う機会が少ないといわれていますが、こんな時代だからこそ自分をしっかり見つめ、自分の立っている場所、自分が向いているところ、自分が歩んでいく方向を確認しなおすことが大切なのです。 


   旧約聖書のイスラエルの物語、一人ひとりの人物の物語、あるいは歴史や詩歌預言などを読むとき、そこに自分の姿を映して、あるいは当てはめて読んでみることです。立派な人物の姿に自分を投影して読み、ひどく捻じ曲がった人物の姿にも自分を見つけるのです。新約聖書においても同じです。キリストに激しく叱責を受けたパリサイ人を愚かな人間どもとあざ笑うのではなく、自分の中に巣食っているパリサイ人を掘り出すのです。哀れな罪人や収税人の姿に自分を重ねてみるのです。すべて他人事としてではなく、自分のこととして読むのです。



3. 祈りをもって読む



   聖書は非常に深く高く広い書物です。しかも異なった文化背景の中で、異なった言葉で書かれたものです。私たちがただ読んだだけで理解できるのは、非常にわずか、うわっつらだけです。しかし、この聖書を理解できる秘訣もあるのです。聖書は神の霊、聖霊によって霊感された書物です。神の霊の感動を受け、神の霊によって導かれ、神の霊によって教えられて、神のみ心を誤りなく書き記したものです。ですから、その聖書を正しく理解する最大の助け手は、聖書の影の著者、あるいは真の著者である聖霊に教えていただくことです。もちろん、クリスチャンでもない自分がどうして祈ることができるのかと、おっしゃる方もいることでしょう。でも、神様はクリスチャンの祈りだけは聞いて、クリスチャンでない人の祈りは無視する方ではありません。正当な祈りであるならば、誰の祈りでも聞いてくださるのです。 


  でも、いるかいないかわからない神に祈るなんて、おかしと言われる方もおいででしょうか。ちょっと、考えて見てください。部屋の中に人がいるかいないかわからないとき、私たちはどうするでしょう。まず声をかけて「いらっしゃいますかァ?!」と尋ねてみます。いるかいないかわからないから声をかけるのです。「神様いらっしゃいますか?! 聞いていらっしゃいますか? 聞いておられたら答えてください。私に聖書を正しく理解し、深く味わわせてください。霊感をもって聖書を書かせてくださった聖霊様、私に聖書をお教えください」と祈ってみることです。そのような祈りができてこそ、聖書は理解できるのです。ただひとつ、その祈りを有効にする鍵がありますのでお教えしましょう。祈るときには必ず最後に、「イエス様のお名前によって祈ります」と付け加えてください。これは偉い人に会うときに誰かに紹介状を書いてもらい、しっかりと署名捺印もお願いするようなものです。つまり、イエス・キリストと言うお方が、神様と私たちの間に入ってとりなしをしてくださっているので、そのイエス様をとおしてお願いしますということです。イエス様のとりなしのついた祈りは、神様のみもとに届くのです。 


   そういうわけで聖書は、祈って読み始め、祈りながら読み続けることが大切なのです。聖霊の助けを求めながら読み、聖霊の助けを願いながら考えるのです。「どうか、私の人間的な考えや思いでは理解できないところを理解させ、わからないことをわからせください」と訴えながら読み進むと、ただ新聞や雑誌を読むときの理解力とは、まったく違う新たな理解力が与えられるのです。聖書の参考書や注解書も、それが良いものならば大いに助けになります。牧師や年季の入ったクリスチャンに尋ねるのも悪くりません。しかしまずすべきことは祈りです。人間に対する聖霊の、現在の働きの中で最も大切なもののひとつは、聖書を読む人に働きかけ、聖書を理解できるようにしてくださることです。 




B. どの聖書が良いか



  
では、実際に読むのにはどの聖書が良いのでしょうか。もし、すでに聖書を持っているなら、その聖書をお読みになるのが良いでしょう。新しく買うと、非常に安く設定されているとはいえ、何しろ分厚い本ですから、結構な値段になります。ただし、もしその聖書が「新世界訳」であった場合は、他の聖書を手に入れることをお勧めします。「新世界訳」は悪意によって改ざんされた訳です。 


   新しく購入する場合は、やはり、多くの人々の協力によって翻訳されたものが、穏健な訳として薦められます。プロテスタント側の現代日本語訳としては、古い順から、日本聖書協会発行の「口語訳聖書」、日本聖書刊行会発行の「新改訳聖書」、日本聖書協会発行「新共同訳聖書」の三つがあります。カトリック側には、「フランシスコ会聖書翻訳会訳」もあります。それぞれ神学的な傾向や訳語の選択、あるいは日本語としての美しさなどに長所と短所があり、これが良いと言い切れるものはありません。すでに述べたように、「新共同訳」には外典の入っているカトリック版よりも、プロテスタント版をお勧めします。余分な文書に力を費やすのを避けるためです。フランシスコ会で出している聖書も、外典は今のところ無視しておくのが良いでしょう。


   多くの協力者によって翻訳された聖書は、どれも平準化されているために美しさに欠けます。せめて詩篇などは、格調の高い日本語で読んでみたい方は、日本聖書協会発行の「文語訳聖書」をお求めになるのが良いでしょう。厳しく言えばこの訳の日本語にも問題はありますが、詩篇などは、こちらの方が断然良い日本語です。細かいことはさておいて、易しくわかりやすい文章で全体を知りたい方は、「リビング・バイブル」をお勧めします。ただしこれは原典からの翻訳ではなく、英語に翻訳された聖書をわかりやすい英語に書き換えた、「言い換え聖書」の「living Bible」を、もう一度わかりやすい日本語に翻訳した、ややこしい「聖書」です。そのあたりの欠点を理解して読むならば、大いに益があるでしょう。  


   個人訳としては、わかりやすいことを前面に翻訳された「尾山令二訳」が良いでしょう。古いところでは塚本虎二と言う人の訳も優れています。(新約聖書部分のみ出版) 旧約聖書だけならば関根正雄訳がありますが、読みやすいとはいえません。カトリックのエミール・ラゲ神父が訳した「ラゲ訳」は名訳だと言われていますが、文語訳ですので現代人には少し難しいでしょう。同じくフェデリコ・バルバロが訳した「バルバロ訳」も、外国人の翻訳としては見事なものです。その他、キリスト教新聞社訳による新約聖書もあります。これらのあるものは、すでに絶版となっている可能性がありますが、どこかに残っているのが見つかるかもしれません。 


   わかりやすく翻訳された聖書からはじめて、内容の細かいところにも関心を持った場合には、ぜひ原語でお読みくださいと言いたいところですが、そう簡単にできることではありません。そこで次の手段として、一つひとつの言葉の字義に忠実な訳を捜すことになります。今のところ岩波委員会訳か、(複数の訳者の訳を合冊) 田川健三訳が役に立つことでしょう。これらの訳には、「意地でも独自の訳を」という意気込みが感じられます。英語がわかる方ならば、NASV(New American Standard version)と呼ばれる聖書を参考にするのも良いでしょう。また、インターリーニアと呼ばれる、ギリシヤ語新約聖書の一語一語に、英語の訳がついている聖書を参考にするのも、ひとつの方法です。最近は日本語のインターリーニアも出ているそうですが、どちらにしても初心者にはお勧めできません。初心者が手軽に、少しばかり原語に近づける方法としては、「詳訳聖書」という聖書をみつけることです。これは、複数の意味や深い意味があって、ひとつの日本語では言い表すことができない場合、いくつかの日本語を並べて表記している聖書で、かなり役に立つと思います。これらの聖書をどこで手に入れたらよいのか、筆者にも良くわかりませんが、キリスト教書店などに問い合わせるとわかるでしょう。


   原語もわからないし、字義通りの訳を調べるのも大変だけれど、もう少しきちっと読んでみたいとおっしゃる方は、いくつかの易しい訳の聖書を比べ合わせながら読むのが良いでしょう。そうすると逆に、ときおり個人訳に見られる、勢い込んだ無理な訳も見えてくることがあります。幾種類もの翻訳が出てくるということは、存在する翻訳に満足できない人たちがたくさんいるということで、それぞれ自分たちが翻訳した聖書の長所を挙げています。ただし、すべての面で優れているという翻訳聖書はひとつもありません。ですから、時間はかかりますが、複数の聖書を比較しながら読むことに、大きな利点があるわけです。そして、さらに時間があるならば、現代語訳の「源氏物語」を複数手に入れ、比較して読んで見てください。すると、聖書と言う書物の性質、それを取り扱う人たちの真摯な態度、あるいは真剣さも見えてくるでしょう。 




C. どこから読むか 




  では一体、聖書のどの部分から読み始め、どう読み進んだら良いのでしょう。少し上級になると、聖書全体を通して読むのが一番良いのですが、初めての人にはかなりの負担です。まずわかりやすく面白いところから読み始め、いく度かくり返して基礎的なことを理解した上で、困難な部分に進むのが賢明です。



※※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※※
※※※※※※※※※   特殊な聖書  ※※※※※※※※※※

源氏物語には現代京ことばに訳されたものがあるそうですが、聖書
には、大阪弁に訳されたものもあるそうです。根っからの
大阪人には大
阪弁の聖書がほしくなるのでしょうね。宮城県の言葉には強い東北

まりがありますが、その中の気仙地方には気仙語とも言うべき独特の
言葉があるそうです。数年前に、この言葉に訳された新約聖書が発行
されました。著者も、その聖書を翻訳者本人が朗読したのを聞きました
が、痛いほど感動しました。著者の母方の祖父がその近くの出だったた
めに、とても懐かしく、表現ひとつひとつと発音そしてイントネーションが、
心にしみる思いでした。翻訳者はカトリックの方でしたが、ぜひ気仙地
方の人たちに、自分たちの言葉で聖書を読んで欲しいと、ただただそれ
だけを願って情熱を傾けたとのことでした。いささか個人的になって申し
訳ありませんが、うれしく、うれしく思ったものです。世界中には、このよ
うな聖書がまだまだたくさんあるのでしょうね。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


   もしも、すでに旧新約聖書を持っておられるのなら、旧約聖書からお読みください。これから購入する場合は、新約聖書だけではなく、できるだけ旧新約聖書にしてください。まず旧約聖書から読み出すのが最善だからです。ただし、すでに新約聖書をお持ちの場合は、迷わずに新約聖書からお読みください。読んでいるうちに旧約聖書を手に入れてくだされば良いと思います。また、実際に読み始める前に、「第二部 Z.聖書各書の紹介」で、それぞれの簡単な紹介を読んで、少しだけでも予備知識をもっておかれると、理解しやすくなるはずです。 


  では、具体的に書名を挙げて行きますので、メモを取っておくことをお勧めします。(校正を手伝ってくださった方が、わかり易い表を作成してくださいましたので、「第二部 Z各書の紹介」始めに掲載します) まず、聖書の最初、創世記から読み始め、出エジプト記に進んでください。この二つの書物は、他のすべての書物の基礎となる大切な部分です。また、すべてが歴史物語として進められていますので、とても読みやすい部分です。次のレビ記は、イスラエル人に与えられた宗教祭儀が細々と記されていて、上級者には大切ですが初めての人には退屈なだけですので、飛ばしてください。民数記も始めの10章は人数を数えることに集中して、一般の現代人にはほとんど意味のない部分です。飛ばして11章からお入りください。申命記はイスラエル人に与えられた法律が細かく記されていて、初心者にはあまり意味がありません。30章までは飛ばして、31章からお読みください。その後、ヨシュア記、師士記、ルツ記、サムエル記、列王記と読んで行くのが良いでしょう。 


  次の歴代誌のかなりの部分は、サムエル記や列王記と重複する部分が多いため、あきてしまうこともあるでしょう。もちろん細部まで同じと言うわけではありませんので、歴代誌もきちっと読むに越したことはありませんが、あきて投げ出すよりは次回にまわした方が良いでしょう。読む場合でも、歴代誌Tの10章まではカタカナの名前ばかりが出てきて、初めての人には意味をなしません。飛ばしてください。その後からも、名前がたくさん出てくるところが何箇所もありますが、躊躇しないで飛ばしてください。その次は、順序をちょっと変えて、ダニエル書に行くのが良いでしょう。それは、全体として年代順に読み進むためです。ダニエル書の出来事のほうが、その後に収録されているエズラ、ネヘミヤの両巻より、歴史的には先に起こっています。ダニエル書は、歴史書ではなく大預言書に分類されていますが、かなりの部分は歴史的な出来事であり、時代順にいうと、歴代誌Uの36章20〜21節の記述の中に入るからです。その後にエズラ記、ネヘミヤ記を読み、続いてエステル記を読んで、旧約聖書の第一回目は終わります。エステル記はネヘミヤ書に記された時代に、ペルシャで起こったことを記録したものです。
 


   その後に、新約聖書の歴史書に入って行きます。まず、マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書と進み、ヨハネの福音書を飛ばして使徒の働きを読み終えてから、改めてヨハネの福音書に進みます。そのほうが、四つの福音書を先に読んでしまうより、理解しやすいと思います。使徒の働きは本来、ルカの福音書の続巻だったことを思い出してください。ヨハネの福音書は一面とてもわかりやすい書物ですが、かなり高度な福音理解を要するために、あとに読むほうが良いと思います。 


  ところで、もしも、すでに新約聖書を持っておられるなら、すぐにそれを読み始めるのが良いでしょう。また、ぜひキリストの生涯や教えから読んでみたいと思う人は、そのようになさってください。ただし、旧約聖書の背景がいくらかでもわかっていないと、キリストの生涯も教えも、読み取りが浅くなってしまうことは念頭においてください。また、けっしてパウロが書いた手紙などに読み進まないでください。福音書と使徒の働きをいくどもくり返して読み、基本的なことを理解するのが先決です。初めて聖書を読むふつうの人が、パウロの手紙を理解できるかもしれないなどと、露ほども思わないことです。福音書と使徒の働きを4回5回と読んでいる間に、何とかして旧約聖書を手に入れて、そちらを先にお読みください。先に述べたように、神に祈って聖書を読むならば、普通では理解できないようなことも理解させてもらえることがあるのは事実です。とはいえ神の奇跡も、多くはごく当たり前のことの上に起こるのです。当たり前のことをして、その上で神の助けを祈るのが本筋です。

  
旧新約聖書の歴史的部分を一度読み通したならば、もういちど同じ部分を読み返してください。読み返しながら、ちょうど、ご飯を食べながらおかずに手をのばすように、ときどき詩篇をお読みになることを勧めします。詩篇は旧約時代のイスラエルの人々が、神に対する信仰を歌の形で表現したもので、喜び、悲しみ、怒り、恐れ、感動、感謝などが素直に表現されています。当時の人々の信仰は非常に堅固ですが、新約聖書の教えに比べるといろいろな面で理解が浅く、勧善懲悪、因果応報的な考え方が必要以上に強く出ています。ただ、心情的にはとてもわかりやすく、読む人にぴったりと来るところも少なくないでしょう。また、伝道者の書に読み進むのも面白いでしょう。伝道者の書は、神に信頼しない人の人生がいかに空しいものであるかを、徹底して語っている書物です。 


   こうして旧約聖書のわかりやすいところを2度くり返し、もう一度新約聖書の読みやすいところに進んでください。3度目に旧約聖書を読むときには、申命記も読んで見てください。レビ記はまだ早いでしょう。歴代誌もしっかり読んでください。ここにきてヨブ記を読んでみるのも悪くないでしょう。出だしの2章だけは簡単に読めるはずです。その後は、何が何だかわからなくなっても失望しないでください。95パーセント以上の人は、「さっぱりわからない」のが普通です。そして2章までの物語だけで、ヨブ記を語らないでください。ただ、「ヨブ記を読んだ」という事実が残るだけで、充分です。
 


   ヨブ記で頭を痛めた後は小預言書に跳んで、少なくても表面的にはわかりやすいヨナ書を読んで、爽やかな気分になりましょう。ぜひ紹介文を読んで背景を理解してから読んでください。面白さが倍増します。その後は、ホセア書が良いかもしれません。預言書の多くは、イスラエル民族の歴史と神のご計画について、よほどの造詣がなければ理解不可能ですが、ヨナ書とホセア書は筋書きがはっきりしていて、理解しやすいからです。ただし、紹介文をお読みになってから聖書の本文に入ることをお勧めします。
 


   その後は、もういちど新約聖書に進み、4つの福音書と使徒の働きを読み、続いてヨハネ第一の手紙を読み、ヤコブの手紙を読んでください。この二つの書簡は、初心者にもわかりやすいものです。それから旧約聖書に戻り、4回目に挑戦しましょう。今回もレビ記は後回しにしましょう。その他はどんどん読み進み、詩篇から箴言にも入って行きましょう。箴言は格言という意味です。今から3000年も前の格言であること、それから、正しい神の存在を大前提とした格言であることを、しっかり頭にとどめて読んでください。それから伝道者の書、雅歌と進み、そのまま大預言書のイザヤ書に入ってください。この巻は、非常に深い内容と高度な預言(予言)を含む、とても大切な書物です。とくにキリストに関する預言、あるいは終末に関する予言は圧巻です。



   ただし、このイザヤ書から始めて預言書のほとんどは、初心者が読んですぐに理解できるという性質のものではないことを、予め心得ておいてください。忍耐と意地を養うためのゲームならば、とにかく読み進めばいいのですが、もしもいくらかでも理解しようとするなら、参考の資料を読みながら読み進むか、良く知っている人の指導を仰がなければならないでしょう。「第二部 Z.各書の紹介」の説明は最低限のものです。無益とは言いませんがまったく不充分です。読み進むのが困難だと感じたならば、どうか無理をしないでください。聖書のすべての箇所が、現代人にとって同じように大切だというわけではないからです。42.192キロのマラソンを3時間以内で走るには、それだけの体力を養わなければなりません。時間制限なしなら歩いてもいいのですが、3時間ではそうもいきません。わかってもわからなくても、聖書を読んだという実績を残すためではなく、わかることを目的とするなら、それに応じた読み方が必要です。


  
そこで、預言書の多くを残したまま、また新約聖書に入ってください。今度は4つの福音書と使徒の働きを読み、ヨハネ第一とヤコブの手紙を読んだ後は、ガラテヤ人への手紙に行って見ましょう。この手紙には、キリスト教がユダヤ教という小さな民族宗教の一派に終わらず、世界的な宗教となっていくための貴重な教えが、論争のような形で書かれています。キリスト教理解のためには非常に重要なものです。基本的な事柄さえ飲み込んでおけば、理解は比較的簡単です。「第二部 Z.各書の紹介」で基礎知識を得てください。


  
ガラテヤ書のあとはエペソ人への手紙、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、テサロニケ人への手紙と読み進むのがよいでしょう。それぞれ、紹介を読んで基礎知識を得てから読むと、より理解が進むことでしょう。次は少し跳んで、ピレモンへの手紙に行くのが良いと思います。わずか1章だけの短い手紙ですが、キリストを信じるものの精神と社会的適応が非常に良く現れています。ただし、背景の事情がわからなければ、まったく理解できないと思いますので、紹介文をお読みください。その後は、ペテロの手紙、ユダの手紙、ヨハネの第二と第三の手紙も読んでおいて良いと思います。それからまた、レビ記だけは残しておいて、旧約聖書を読破してください。ただ今回は、旧約聖書を読みながら、新約聖書も平行して読んでみるようにお勧めします。そしてローマ人への手紙、コリント人への手紙と読んで見てください。両方とも相当長く、深いため、紹介文をしっかり読んでおくことをお勧めします。


  
そのあとで旧約聖書に戻り、レビ記を読んで見てください。紹介文を読んでくださると、かなり理解できると思いますが、イヤになってしまうかもしれません。それでもなんとか読破したならば、すぐに新約聖書のヘブル人への手紙をお読みください。その後は新約聖書の最後、ヨハネの黙示録へ進んでください。この書物は、無理に理解しようとしないでください。自分勝手な思い込みも持ち込まないでください。ただ、どんなことが書かれていたか、大体のことを記憶するだけで充分です。良い参考文献を読むか、良い指導者に教えてもらうのでなければ、正しい理解は無理だからです。 


   ところで、もし著者のこの指導に従って聖書を読んでいたら、普通の人なら、少なくても数年かかってしまうと思います。聖書はそれほど大冊だからです。でも、急がば回れです。ゆっくりでもここまでお読みになると、かなり聖書を知っている人の部類に入ると思います。ちょっと耳打ちしますが、相当まじめなクリスチャンたちの間でさえ、一年に一回、新旧約聖書を読み通す人はあまりいません。よほどの努力が必要だからです。多くの人は教会で教えられるために、全部を読まないでも大まかなことを理解しているだけです。案外聖書は読まれていないのです。このように言う私も、毎日聖書を読んでいますが、全体をきちっと読み通したというのは、48年のクリスチャン人生で、多分、7回くらいに過ぎません。まったく自慢になりませんが、それでもいいのです。大切な部分はかなり暗記もしていますが、大切でない部分に時間を費やす必要はありません。ときどき、全部を読んでいることを自慢している人もいるようですが・・・・・。



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聖書を読むぞー(18)




 D. 攻撃を受けてきた聖書


  聖書は間違いなく、歴史上もっとも長い間、もっとも多くの人々に読まれてきた書物ですが、また、最も激しく攻撃されてきた書物です。聖書が受けてきた攻撃にはさまざまな形がありました。 


1.     異端者や異教徒による攻撃


  すでに述べたことですが、多くの人々が聖書の内容を悪用して自分たちに都合の良い宗教をつくったり、金儲けに利用しようとしたりしました。そのために、聖書は書き換えられたり、妖しげな文が加えられたり、大切な部分が削除されたり、ずいぶん改ざんされてきました。しかし、これだけ長い歴史と広い読者層を考えると、そのような改ざんは最小限度に止まったといえるでしょう。多くの改ざん聖書は、しばらくのあいだ人心を惑わしたりはしましたが、やがて省みられなくなり、忘れられ、うずもれ、消滅していきました。ここ100年余り多くの人々を惑わしている「新世界訳聖書」もまた、同じ道をたどることでしょう。 



  
聖書はまた、他の宗教の人々からも攻撃されてきました。他の宗教の人々がキリスト教を攻撃したことを、あまり取り上げたくはありません。宗教ということならば、キリスト教ほど大がかりにろくでもないことをやった宗教は、他にないからです。確かにキリスト教には良い面もたくさんありましたが、中世の暗黒時代のキリスト教、大航海時代のキリスト教、植民地時代のキリスト教と、とんでもないことをたくさんやってきたことも事実です。筆者が感動しているのは、聖書の教えであり、聖書が教える信仰であり、聖書が教える神であって、キリスト教ではないからです。そういうことで、他の宗教の人々がキリスト教を攻撃し、迫害しても、お互い様です。しかし、キリスト教が攻撃される中には、当然聖書に対する攻撃もありました。教義的に、宗教論争として聖書が攻撃されることもありましたが、中には物理的に、捨てられたり焼かれたりしたことも少なくありませんでした。



2. 合理主義者の攻撃 


   聖書に対するもっとも激しく執拗な攻撃は、啓蒙主義あるいは合理主義者からの攻撃です。啓蒙主義は、歴史的にはプロテスタントと同じ流れを汲むもので、考えることを非常に大切にしました。そこから、すべての事柄を理性的に考えるという風潮が現れ、合理主義と名づけられました。合理主義が進むと、理性で説明のつかないものはみな無価値とされ、排除されるようになりました。そのため、人間の理性を超えた奇跡だとか、預言だとか、天地の創造だとか、永遠の命などをとり扱う聖書が攻撃され、宗教の価値が軽んじられるようになったのです。プロテスタントは、人間には理性が与えられていて、それは非常に大切ではあるけれど、この世界には、人間の限られた理性が及ばない、たくさんの分野があると考えます。そしてまた、人間には理性だけではなく、霊性も与えられていて、理性的本能だけではなく、霊的本能によって知り得る事柄もあるとも考えるのです。人間は霊である神に似せて造られたために、霊である神を本能的に感じ、本能的に語りかけるのです。


   そういうわけで聖書は、ここ数百年のあいだ合理的な考え方、またその頂点である、自然科学的思考から攻撃を受け続けてきました。聖書は非科学的であるという前提に立った攻撃です。聖書を知らなかったカトリック教会が、地動説を唱えたガリレオを断罪した話が、教会の非科学性を説明する例としてよく用いられます。確かに当時の教会が非科学的であったことは、まったくの事実ですが、聖書が非科学的であるかどうかは別の話です。地動説を取り上げるならば、聖書はむしろ地動説と受け取れる記述をしているほどです。 


   合理主義者、あるいは合理主義的科学者は、始めから、合理主義で説明のつかないものの価値を認めません。それを知性に反する、科学に反すると言って、迷信あつかいにします。たしかに物質の世界は物理の原則によって動いています。とはいえ、聖書の中の奇跡や合理的に説明できない事柄も、多くの場合は非科学的なものというより、現代の科学では説明できないだけのことも、たくさんあります。筆者がクリスチャンになりたての頃、高校一年のことですが、周りにはいつも大勢の学友があつまって論争に明け暮れたものです。全員、自分こそ現代科学の申し子であるという面構えをした、アゴヒゲが少し濃くなり始めた若者です。ずいぶん「科学的」論争を続けたものですが、彼らは、当時盛んだった反キリスト教の書物を、何冊も買い込んでいました。言葉を変え、形を変えて出てきた問題は、「キリストの処女降誕」でした。要するに科学に反するというのです。 


   しかし当時でさえ、処女降誕の可能性はすでに科学的に証明されていました。日本のある大学では(広島大学だったと思いますが・・・・・)ウサギの卵子に刺激を与えて、細胞分裂の可能性を確かめていたのです。でも一般には、つい最近まで処女降誕の物語が、キリスト教の非科学性を証明するかのように言われ続けていたものです。三日前にも、そのように信じてやまない、「時代遅れの若い女性」とお話したところです。すでにクローン技術が開発され、処女降誕が当然の世界になって、それを人間に適用すると大変なことになるということで、大きな倫理問題になったのに、知らない人は知らないのですね。


  
実はこのような例は意外に多いのです。特に、考古学の分野ではたくさんあります。聖書に書かれていることは本当ではありえないと、始めから信じて話を進めている人は、そのような立場で考え、そのような立場で筋道を立て、そのような立場で研究し、そのような立場で発掘作業を行い、そのような立場で聖書を語ります。そしてそのような立場こそ科学的だと信じて疑いません。さまざまな歴史的発見や考古学的な発見も、正しい科学的な調査に基づくよりも、まず、前提によって自分の立場に組み込まれてしまうのです。こうして聖書は非科学的で信頼に足りないという、科学的に証明されていない「説」が、あたかも証明されたものであるかのように伝えられてしまいます。そのために、とても多くの人たちが、聖書に対して誤った考えを持ってしまうのです。ただし、ここで述べたようなか科学絶対主義の考え方は、ここ数十年かなり陰を潜めてきました。先に触れた、死海写本の発見なども、それに大きな影響を及ぼしたといえますが、次々と聖書の史実性、信頼性を高める発見が続いているためです。



3. 共産主義者による攻撃



   カトリック教会が聖書を焼いてきたことは、(焚書といいます) すでにお話したとおりですが、それよりも、共産主義者たちによって焼き捨てられた数の方が、圧倒的に多いことでしょう。聖書が非科学的であるという思想的攻撃に対して、これは暴力的に取り除こうとする物理的攻撃です。多くの共産主義国は、以前はカトリック教会、あるいは制度と物事の考え方で良く似た、東方教会の強い影響下にあった国々でした。それらの国の人々は、一人の人間として自分で考えることの大切さを教えられず、上からの絶対の命令に従うことだけを教えられてきたためです。カトリック的な絶対主義、全体主義から、容易に、共産主義の絶対主義、全体主義に移行してしまったのです。一人ひとりが聖書を読んで考え、一人の人間として、自分に責任をもって神の前に立つことを教えてきた、プロテスタントの精神土壌に共産主義が根付くことはありませんでした。共産主義はいまや、早くもすでに過去の物となりつつありますが、彼らは聖書を徹底して憎み、これを攻撃しました。共産主義は科学の仮面をかぶっていましたので、科学知識を持って聖書を攻撃することが多く、聖書は科学的に無知な人々の書いたもので、信頼するに足りないと攻撃を続けました。マルクスが宗教は阿片だといったのは有名ですが、一時的に痛みを和らげるだけで、本当に癒すものではないという意味です。本当に癒すのは共産主義だと主張したわけです。ただし、マルクスやレーニンが強い反宗教思想家だったわけではありません。むしろ、宗教の役割を認めていたといえます。「宗教は阿片だ」と言う言葉も、後の共産主義者や共産主義政権に曲解されて、宗教攻撃のスローガンのように用いられてしまいました。 


※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※※※※※  宗教はアヘンだ!? ※※※※※※※

  「宗教は阿片である」という言葉は、もともとマルクスの友人であ
ったハインリッヒ・ハイネとい
う詩人が言ったのを、マルクスが借用し
たものです。ハイネはマルクスと同じくユダヤ人として生まれました
が、後にキリスト教に改宗しま
す。しかし彼はこれを後悔してマルク
スに賛同し、科学的社会主義に身を投じるようになりました。ところ
が晩年になって、病の中で再びキリスト教に戻るという変転をたどり
ました。彼は普通、「愛の詩人」と呼ばれ、日本でも彼の詩を愛する
人がたくさんいます。「宗教は阿片である」という言葉は、その後マ
ルクスの言葉として独り歩きを始め、しばしば、宗教を批判する人
たちに引用されてきました。多くの場合、マルクスが言った意味で
はなく、「宗教は阿片のように人を酔わせ、ついには死に至らせる
危険なものである」という、間違った解釈で用いられ、過激な宗教
攻撃のスローガンとされてきました。 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 


E. 聖書と源氏物語 


   ここで少し、たわむれで頭をゆるめてみましょう。話をわかりやすくするために、日本が世界に誇る古典文学といわれる、源氏物語と聖書を比較してみようと思います。 


   源氏物語は、今からちょうど1,000年前頃に書かれたと言われています。(源氏物語1,000年祭が行なわれています) 普通は紫式部という女性が書いたと教えられて、多くの「科学的現代人」が疑いもなくそのように信じているのですが、確実にそうなのかと尋ねると、かなりの確実でそうだろうということで、本当のところはわからないのが実情です。また、たとえ彼女が著者であったとしても、源氏物語のすべてを彼女が書いたのではないということは、多くの研究者が共通して認めるところです。さらに、いま私たちが知っている源氏物語が、著者が書いたすべてなのかも明らかではありません。他に何帖(巻)もあったという意見もとても強いのです。 


   また現存の源氏物語が、はたして原書の通りであるかとなると、これはもう非常に心もとなくなります。もちろん原書は残っていないばかりか、とても多くの人々の手が随所に加えられた、おどろくほど変化にとんだ写本が多数残っているからです。まだ原著者が書き続けているうちに、その手元から持ち出されて、読者たちに勝手に物語を発展させられたり、筋書きが変えられたり、削除されたり、加えられたり、向こうの出来事がこちらに移されたり、後になると、仏教的な教えを混入させられたりしたらしく、実際のところどこまで最初の著者の手によるのか、どれひとつとっても、誰も確実なことは言えないのです。現在、写本は大きく分けて二つあるいは三つの系統にまとめられるそうですが、その間の相違はかなり大きく、とても調和させられるようなものではありません。(今年、2008年の夏に、三つ目の系統の存在が明らかになりました) 


   日本が誇る古典文学と言うことですが、内容は平安朝の恋愛物語です。そこには人生観も、死生観も、政治的な側面もあるにはあるのですが、かなり情の濃い露骨な恋愛物語をたくさん集めたものに過ぎません。全体を流れるテーマにしても、「もののあわれ」という意見が強いようですが、少々感動して読み込み過ぎの感もあり、ひいきの引き倒しではないかと思います。とはいえ、一体どこまでが原著者の意図なのかわからないのですから、なんと言って良いのかわかりません。
 


   その源氏物語は、ずいぶん多くの日本人に愛読され続け、さまざまな異本や戯曲、あるいは絵巻、そして最近では漫画までも出されています。濃厚な恋愛小説ですから、どきどきわくわくと、気楽に読めたのです。近代に入り、皇室を侮辱する内容であると少しばかり責められたこともありますが、全体的に見ると悪意による反対や弾圧はほとんどありませんでした。明治以降の作家たちも、何人も現代語訳を出しています。それぞれが、すばらしい訳であるといわれていますが、聖書の翻訳について少しばかり知っている者にすると、いろいろな問題があって、どこがすばらしいのか首をかしげるところがあるのです。まず、何を底本としたかです。本当のところ、底本となりうる確実なもの、原書に限りなく近いものがまったく特定できない現状なのですから、どのように美文名文の妙訳でも、「源氏物語」の訳として高く評価することができません。源氏物語を特定できないのですから、「源氏物語らしきもの」の訳に過ぎないのです。その源氏物語らしきものが源氏物語であると言われれば、なるほどと言うよりしょうがありません。 


   あるいは、有名作家や学者たちの翻訳そのものにしても、ほとんどは自由な意訳、あるいは書き換えや書き足しの多いもの、さらには抄訳に過ぎないのです。翻訳の原則と言うものがないといったほうがよいでしょう。訳す人の自由な裁量によるわけです。したがって、現近代の作家たちは「源氏物語らしきもの」に触発されて、「自分の源氏物語」を書いたとさえ言えるのです。多分、谷崎潤一郎の訳が、「底本に最も忠実な訳」らしいのですが、それさえも、厳密に訳したものではありません。ある意味でそのような「源氏物語」だからこそ、また魅力がありロマンもあるわけで、まさに日本的だと感じます。


   
この日本的なものが、いま、多くの言葉に訳されていて、世界的に受け入れられ愛されているということで、日本人としてはうれしく思うところもあるのですが、・・・・・国の歴史の浅いアメリカ人などには、「日本には、源氏物語って言うすごい小説があるんだよ」などと言って、歴史の長い自国の文化を自慢したりして・・・・・、できれば「もう少し哲学的で、男女の秘め事だけではなく、社会的な側面を備えたものであったらなァ」と、個人的には思うものです。現在およそ、20の言語に訳されているとのことですが、「京ことば」に訳されたものを別の言語と数えると、もう一つ増えることになるのですが、これはやはり日本語ですかね。 


   源氏物語は1,000年前に書かれた書物です。聖書は新しい部分でも1,900年以上、古い部分では3,500年ほども昔に書かれたものです。それにもかかわらず、現在私たちが手にすることができる翻訳は、聖書のほうが圧倒的に正確で、原書に限りなく近いものなのです。神の誤りのない言葉と信じられて、大切に扱われてきた聖書と、通俗のやさしい恋愛小説である源氏物語を、比較すること自体が少しばかり酷なのですが、聖書の性格がこのような比較によって、少しばかり明らかになるのではないでしょうか。 

 





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聖書を読むぞー(17)



C. 聖書の翻訳
 



  さて、私たちがいま手にするのは、ほとんどの場合、翻訳された日本語の聖書です。この翻訳作業もまた、細心の注意をはらって行なわれるのが普通です。多くの場合多数の専門の学者たちが集まって、共同作業で翻訳します。また、外国語の聖書も多数参考にして、多くの国語学者を加え、より厳密で適切な翻訳を試みています。誤りのない神の言葉として、できる限り正確な翻訳でありながら、日本語として意味を取ることができ、その上に品格までも求められるのです。そのために、先にも述べたように、躍動的な表現や、美しい表現が失われてしまう欠点が出てくるのです。一人の人間が訳す「個人訳」では、その人物の能力によって、文体や表現の面白さが出てきたり、絶妙な訳と思われるところもあったりしますが、全体的には信頼性が低くなってしまいます。 



   また聖書はふつう、神の言葉として正確を第一にして翻訳しますが、正確さを犠牲にして翻訳を進める場合も少なくありません。たとえば、まだ聖書がまったく翻訳されていない言葉への翻訳は、とにかく聖書の基礎的な教えを早く伝えることに主眼がおかれ、厳密な正確さは二の次になります。また、すでにたくさんの種類の翻訳が出ている言語でも、たとえば、言葉にハンディキャップをもつ人向けの聖書が出版されたりします。私も英語がわからなかったとき、「単語600だけで書かれた新約聖書」というのをもらったことがあります。他にも、子供向けの聖書というものもあります。このような場合、わざわざ原語から訳す手間を省いて、英語に翻訳された聖書からさらに他の言葉に翻訳したり、日本語聖書から他の国の言葉に翻訳を重ねたりすることさえあります。言うならば翻訳の邪道ですが、目的と必要性によっては許されることです。あるいは、翻訳と言うよりは、「言い換え」の聖書もあります。要するに、わかり易く書き直したものです。このような聖書が、厳密な研究には適していないのはいうまでもありません。従って、より深く正しい聖書の学びをするためには、原典に近い原語の聖書を底本(翻訳の元になる本)にした翻訳が必要になるのです。 



   翻訳が行なわれる場合には、まず、一人でする翻訳か、数人で行なう翻訳か、多くの人々の協力によって行なう翻訳か、はっきりさせなければなりません。それぞれ長所と短所がありますが、多くの人々の協力によって行なわれる翻訳のほうが、正確さと言う意味では優れている場合が多いといえるでしょう。生き生きとした表現や文体、あるいは強調点を明確にするというなら、個人の翻訳が良いでしょう。それぞれに特徴があるのです。日本でもしばらく前に「読むだけでわかる」という宣伝文句で販売された、個人訳の聖書がありました。とても立派な牧師がやり遂げたすばらしい仕事で、わかりやすさに重点を置いた翻訳です。でも、あまりわかりやすさを強調すると、聖書のもともとの意味が不明になったり、変わったりしてしまいます。若かった私などは「じゃ。読まなくてもわかる聖書を出して欲しいものだ」などと、減らず口を叩いたものです。 



  次に必要なことは、底本を何にするかです。より正確で、しっかりとした学びを想定した翻訳を目指すならば、当然、原語からの翻訳となります。しかし原語にしてもすでに述べたように、いくつか存在しているために、どれを選ぶかが問題です。それで、ある場合はその中からひとつを選び、もっぱらそれに従って訳します。他の場合は、ひとつを基本としていながら、他の読み方があるときは脚注などで示す方法を取ります。また翻訳者が、その場その場でいくつかの原語聖書の中から、最もふさわしいと思うものを選んでいく方法もあります。きちっとした聖書ならば、何を底本にしどんな原則で翻訳したかが、説明として載せられているのが普通です。
 



   さらにまた翻訳の原則として、一つひとつの言葉の意味を大切にした字義通りの翻訳にするか、一つひとつの言葉の意味は充分には出せなくても、全体の意味を大切にした翻訳にするかの選択があります。あるいはその中間程度にする場合もありますし、場合に応じて選ぶという方法もあります。たとえば、聖書の時代のイスラエルでは、一日は太陽が沈むときから始まると考えられ、いまの私たちの夕方の6時が、彼らの0時となっています。聖書に記された「何時」と言うのを、現代の私たちの時間に直して訳すか、聖書のままの時間にするかもひとつの選択です。一つひとつの言葉の意味を大切にすると、たとえば日本語に翻訳された場合、とても読みにくい、へたくそな日本語になってしまいます。流暢な美しい日本語に直すと、原語の細かく微妙な、また奥深い意味が失われ、大切な理解ができなくなります。翻訳者はそれを選択しなければならないのです。きちっとした翻訳ならば、この点も、説明として載せるのが普通です。





※※※※※※※※ ちょっとした話   ※※※※※※※※※
※※※※※※※※※
 翻訳裏話 ※※※※※※※※※※
 

   現在日本語で出されている聖書は、わずかの例外を除いては、
読み易さに重点が置かれています。たとえば、日本語の聖書
とし
ては最も新しい訳で、プロテスタントとカトリックが共同で翻訳出版
した、
「新共同訳聖書」のいきさつにそれが良く現れています。「新
共同訳」となっているのは「旧」の共同訳があったからです。その
「旧」の方は「共同訳聖書」という名で、まず新約聖書だけが出版
されたのですが、一年で絶版になって、今は手に入れることがで
きません。読みやすさに重点が置かれすぎていて、いくらなんでも
、教会で公に用いるにはふさわしくないと、多くの牧師やクリスチャ
ンたちに酷評されてしまったからです。


   読みやすくすると言うのは、日本語らしい日本語にすることで大
切な努力ですが、やりすぎると、もともとの言葉の意味が変わってし
まったり、翻訳ではなく解釈や説明になって、翻訳者の理解だとか
意図といったものがたくさん混じりこむことになったりします。それで、
「共同訳聖書」には翻訳者の臭いが残りすぎていて嫌われてしまっ
たというわけです。
初めて聖書を手にする人は、比較的読み易い聖
書から入って、まず基礎的な事柄を大まかに把握するのが良いでし
ょう。クリスチャンではない人が、聖書を漫画化したりしていますが、
これも「大まかに、大まかに」捉えると言う意味では捨てたものでは
ありません。でも、もう少ししっかりした学びをしたいという場合には、
原語の言葉に忠実な聖書を選ばなければなりません。もちろん、ギ
リシヤ語やヘブル語の聖書が読めれば、それに越したことはありま
せんが・・・・・・・。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

   そういうわけで、簡単に聖書を読むといっても、どの聖書を読むかによって、相当理解の度合いが違ってきます。この点については後述します。日本語の場合、あまり極端なのはありませんが、中にはとんでもない間違いが混入した聖書も存在するのです。たとえば、英語の聖書で「姦淫聖書」と呼ばれた有名なものがあります。1631年に発行された欽定訳と呼ばれる聖書ですが、モーセの十戒の大切な部分で、「姦淫するなかれ=Thou shall not commit adultery」と命じられているところを、どういうわけか、「姦淫をすべし=Thou shall commit adultery」とプリントしてしまったのです。もちろんこの聖書は即刻出版停止となり、回収されました。現在でもたしか6冊残っていて、(11冊と言う説もある) マニアの間では「ものすごい値段」がついていると聞いたことがあります。その他にも、とんでもない間違いの聖書がいくつかあります



※※※※※※※※   ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※※※※※※   とんでもない聖書 ※※※※※※※※

   校正ミスや印刷ミス、あるいは翻訳の間違いはどこにでもあるものです。
もっとも厳しくチェックされている聖書にも、「姦淫聖書」以
外にも結構いろ
いろあるようです。1580年にドイツで出版された聖書は、「Und er soll 
dein Herr 
sein」(彼はあなたのとなる)とすべきところを、「Und er
soll dein Narr sein」(彼はあなたの
か者
となる)としてしまいました。
印刷屋の細君のいたずらだったと判明しました。1763年には、「The 
fool 
hath said in his heart there is no God(愚かな者は心の中で神は
ないと言った)を、 「The 
fool hath said in his heart there is a
 god
(愚かな者は心の中で神がいると言った)と、間違っ
て印刷された聖
書が出版されました。これは非常に愚劣な間違いで、ここにも作為が感じ
られます。「no
God」 を 「is a god」と間違うことは、いくらかでも聖書と英
語を知っている者には、ありえないからです。
他にも、「イチジクの葉でエプ
ロンを作り」(aprons)を、イチジクの葉で股引を作り(breeches)とした聖書
も、
life」を「wife」とした聖書もありました。本当に、人間は間違いを犯
す動物です。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

  
  
   また、そのような単純な間違いではなく、始めから信念に基づいた意図的な間違いを入れた聖書もあります。ウーマンリブが華やかだったころには、聖書のところどころが、ウーマンリブに沿った方向に曲訳されたことがあります。「父なる神」が「母なる神」とされたり、「親なる神」にされたりしたのです。エホバの証人(ものみの塔)という異端(偽クリスチャン団体)は、自分たちの教えに合わせて都合よく翻訳した、「新世界訳」という『偽聖書』を出版しています。初心者にはもちろんのこと、相当年期の入ったクリスチャンにも気付かれないように、巧妙にごまかしが行なわれていますので、知らず知らずのうちに騙されてしまうことになります。そういうわけで、聖書を読むときにも、どんな翻訳であるかに注意することも必要なのです
 






 
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2010年09月07日

聖書を読むぞー(16)

 


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X.現在の聖書


 では、こうして成立した聖書は、どのようにして現在まで伝えられてきたのでしょうか。
 ここでは次の順に学びましょう。  


A. 現在まで伝えられてきた聖書

B. 聖書の原本をたどる

    C. 聖書の翻訳

    D. 攻撃を受けてきた聖書

       1. 異端者や異教徒による攻撃
 
       2. 合理主義者による攻撃

    
       3. 共産主義者による攻撃

    E. 聖書と源氏物語
    



A. 現在まで伝えられてきた聖書



  まず、はっきりさせておかなければならないのは、聖書の原本(最初に書かれたもの)は一つも残っていないことで
す。羊皮紙に書かれた文書が、2,000年から3,500年も存在し続けるのは、物理的にも不可能です。ですから、現在残っている聖書はすべて、後代の人々が書き写したもの、いわゆる「写本」です。先に枠内の説明で述べたように、旧約聖書を書き写した人たちはそのために専門の訓練を受けた人々で、細心の注意を払って作業を行ないました。それでも人間の行為ですから、わずかながらの間違いが紛れ込みました。
 


  新約聖書にいたっては、専門の訓練を受けた人が書き写したのではなく、正式に神の権威が認められる前に、いろいろな人たちが書き写したと考えられることから、さらに間違いや、余分な書き込みが紛れ込みました。また原本はすべて大文字で、単語と単語の間の区切りもなく、句点や句読点もなく書かれているために、後代になって、大文字と小文字が用いられるようになり、単語間に空白が設けられ、句点や句読点も入れられるようになったとき、読み方の違いがたくさん出てきました。


※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※※
※※※  聖書は誤りのない神の言葉?    ※※※※※


  

 クリスチャンは、「聖書は誤りのない神の言葉である」と信じて、
とても大切にしています。ただしそ
の聖書は、いま私たちが手に
している日本語や英語の聖書のことではありません。最初に書
かれたもの、つまり「原本」において誤りがないと言う意味です。
ですから、くり返して書き写されて来た聖書には当然誤りがあり
ますし、それを翻訳したものである日本語の聖書にも、誤りがあ
ります。そこで大切なのは、できるだけ原本に近づく作業です。
これについては後述します。

 また、聖書には誤りがないという意味は、神がご自分の書か
せたいと思われたことを、当時の文化の中で、そこに住む人々
の表現方法を用いて、間違いなく書き記させたと言う意味で、現
在それを読む私たちの「感覚」で、誤りがないという意味ではあ
りません。たとえばある部族の間では、「非常に歳をとっている」
ということを「100歳を超えた」と表現します。それを現代日本人
である私たちが文字通り「100歳を超えている」と理解して、計
算が合わないから間違いだと言ってはならないのです。 実際
は90歳でも95歳105歳でもかまわなかったのです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



その書き写し作業が、新約聖書の場合でも1500年近く、印刷機が発明されるまで続けられたのです。キリスト教が伝播した多くの場所で写本が作られたために、いたるところに写本が散在することになりました。また、ヘブル語やギリシヤ語を理解しない人々のために、聖書は幾つかの言語に翻訳されていきました。ただし、カトリック教会がラテン語の聖書を公式の聖書としたことがあったために、他の言語への翻訳は意外に少なくおさまっています。また逆に、ラテン語ではなく原語で読みたい人は、ギリシヤ語やヘブル語の聖書を手に入れようとしました。それが出来ないときには、翻訳されたものを逆に原語に翻訳しなおすことで、欠けた部分を補うことまで行なわれていました。これに対して、ローマの権力と固く結びついて堕落した後のカトリック教会は、聖書を軽視し、さらには敵視するようにさえなりました。そのような時代が1,000年ほども続きましたが、真面目なクリスチャンたちは常に聖書を大切にして、ひそかに保管してきたのです。

 

教会は、紀元4世紀頃までは純粋なクリスチャンの集団でしたが、人数が増え、力を増し、ついにはローマの国教と認められるようになると、すべての人間が、法律上クリスチャンにならなければならなかったのですから、当然、外面だけのクリスチャンがあふれるようになりました。その結果、聖書などはほとんど省みられなくなってしまいました。あまりにも急激な人数の増加に、正しい信仰の教育が追いつかなくなってしまったのです。 教会は急激な世俗化の大波に飲み込まれたかのようでした。 


  ローマ皇帝は、以前の共和制から独裁制に移行したときに、皇帝としての絶対の権威を主張できる、新たな理屈が必要になりました。それには、当時増加し続けていたクリスチャンたちの信仰を利用し、自分は天地をお造りになった神から、絶対の権威を受けたと主張するのが得策だと判断したのです。そこで皇帝は教会を優遇して目的を達成しようとしたわけです。結果として、皇帝の任命権さえ手にすることになった教会の上層部の世俗化は、一般の人々にもまして激しいものでした。ほどなく、野望に満ちた人々が教会の重要な地位に着き、ついには法王に至るまで、クリスチャンとは似ても似つかない人物になってしまったのも、一度や二度ではありませんでした。彼らはローマの皇帝さえ従わせる権力を用い、自分たちの欲望の限りを尽くし、教会を腐敗させて行きました。そのような時代が1,000年以上も続いたのです。いわゆる中世の暗黒時代です。
 


   そんなカトリック教会の腐敗の頂点のひとつが、現在のバチカンにある聖ペテロ大寺院の建築でした。当時の法王は自分の権力を誇りカトリックの力を示すために、膨大な費用のかかる大寺院の建設を思いつき、その費用を調達するために、全世界から金を集めました。しかしそれでも不充分だったために免罪符の発行に踏み切りました。免罪符と言うのはカトリックの教えで、死んだまま天国には行けず、地獄にも行かずに、煉獄という場所で刑罰を受けて苦しんでいる人が、聖ペテロ大寺院建築のためにお布施をすると、直ちに天国に行くことができるというお札でした。無知の中に放置されていた一般民衆は、こぞって金を工面し、この免罪符を買って先祖を天国に送ろうとしたのです。(煉獄とそれに関する教えは、カトリック教会の捏造で、聖書にはまったく出てこない思想です) 


   それに対し、いくらなんでもそれはおかしいと、おずおずと反対の声をあげたのが、当時修道僧だったマルチン・ルターという人物です。しかし、免罪符の発行に反対することは、教会の(頭(あたま)で神の代弁者とされている、法王の権力に反対することであると逆に厳しく追求されてしまいました。「法王にたてつくお前は何者だ。何の権威によって法王に逆らうのか」ということになったのです。行き場を失ったルターが、そのとき頼みにしたのが「聖書の権威」だったのです。歴史的にはここでルターが抗議をしたことから、プロテスタント、すなわち抗議者と言う名称が生まれ、カトリックと異なる教会が発生したことになります。法王を頭とする教会の権威を認めず、聖書の最終権威を主張する教会が始まったわけです。こうして、失われかけていた聖書は再び日の目を見ることとなりました。また同じころに発明された印刷機によって、聖書は大量に印刷されて、一般の人々にも読むことができるようになってきたのです。
 
 

   ところが、とんでもない悪事を次々とくり出すカトリック教会にとって、聖書はとても厄介な書物でした。彼らも、たとえ教会の権力に劣るものとしてではあっても、聖書の権威を認めていましたから、自分たちのやっていることが、あからさまに聖書に反するものであると、一般大衆に知られたくなかったのです。そこで、プロテスタントが大量に印刷出版しだした聖書を、片端から刈り集め、どんどんと焼き捨てていったわけです。


  
しかし聖書の印刷発行はますます盛んになり、世界中で非常に多くの翻訳聖書が出版され続けました。ある調査によりますと、現在、(2008年) 旧約聖書と新約聖書のすべてが翻訳されている言語は、429あります。新約聖書だけが翻訳されているのは1144、一部分だけが翻訳済みなのが853、翻訳のプロジェクトが始まっているのが1941あるということです。中には、20種類、30種類の翻訳が出ている言語さえあります。日本語の聖書も優に10種類以上は出版されています。 
  

   ただ、カトリック教会の名誉のために一言加えますが、ルターの後、カトリック教会内部にもかなりの改革が広がり、以前のような腐敗は少なくなりました。また、次第に聖書に対する信頼と、権威の認容も高まり、聖書が読まれるようになりました。日本に入ってきたカトリックの宣教師たちも、早くから聖書の翻訳をしています。また1963年から64年に開催された第二バチカン会議によって、カトリック教会は正式に聖書の権威を認め、世界中の信徒たちにも読むように勧めるようになりました。そのために、現在ではカトリック教会内部にも、熱心に聖書を読み、その教えに従おうとする人たちが増え続けています。




B  聖書の原本をたどる


  
いま存在する聖書の写本、つまり、印刷機が発明される前に、一つひとつ手で書き写された聖書は、断片的なものを入れると5000近くにもなります。それらの写本すべてが同じ価値を持つのではありません。ある写本はより間違いが少なく、ある写本は多くの間違いを含んでいるからです。私たちは当然、その中でより間違いが少なく、最初に書かれた「原本」に近い写本を探り当て、さらにそれらを比較検討して、原本を想定して行かねばならないのです。この作業は、まったく科学的手法によるもので、専門の学問として成立し、ほとんど完成の域に到達しています。大変複雑な作業ですが、わかり易く単純化して説明しましょう。


   まず、現存する写本をすべて比較します。言うのは簡単ですが、聖書の長さと、写本の数を考えて見てください。ぞっとする作業です。でもそうすることによって、類似した写本と、類似していない写本が判明します。 たとえば「雨が降っていた」となっている写本と、「雪が降っていた」となっている写本が見つかったとします。それでとりあえず、「雨」となっている写本はすべて「雨組」にいれ、「雪」となっている写本はすべて「雪組」に入れて大別します。次に「雨組」の中でも、「西風」となっているものと「北風」となっているものが見つかると、それらも二つに分けておきます。その上で、先の雪組みと比較して見ます。雪組みのその部分が「西風」と書かれていると、原本は「西風」であった可能性が非常に高くなります。そこで「雨組」の中では「西風」となっているもの方が先に写されたもので、より間違いが少ないと判断されるわけです。そしてこのような作業が、まさに延々とくり返されて、いくつかの系列に分類され、それぞれの系列の中で最も古い写本が特定されることになるのです。このような作業は、大筋としてすでに100年以上も前に、完了間際まで進んでいましたが、その後も、たとえば死海写本などの新しい発見も加わり、まだまだ続けられています。

  
   科学が発達した近年では、同位炭素による測定が持ち込まれ、写本の年代の特定に役立てることもあります。さらに最近では、コンピュータが利用されるようになって、作業は飛躍的にスピード化し正確にもなっています。この分野の学びを専門にする学者たちから見ると、まさにコンピュータ様々です。


  
ところが、実際の作業はこれほど単純ではありません。なぜなら、写本もひとつの言語ではなく、いくつかの言語に翻訳されて残っているからです。でも、それらの複雑で困難な作業の結果、現在私たちが手にしている聖書は、まさに限りなく原本に近い聖書と言うことができるのです。とくに、大切な部分における相違は非常に少なく、信頼できるものとなっています。そこで、いま、たとえば日本語の脚注付の聖書を読むと、※印がついていて、脚注に、「ほかの重要な写本では・・・・・・・となっています」などという注意書きが載っている場合があります。それは、いま説明した作業では決定できない相違が残ったとき、つまり、どちらが原典のものだったか決定できない場合の処置で、どちらかの読み方を本文に残してもう一方を脚注に載せたということです。そのような違いはごくわずかしかありませんし、その違いはまた、聖書の教えている基本的教えに変化をもたらせるようなものではありません。 


   このようにして現代の私たちは、2,000年前、あるいは3,500年も前の古代文書である聖書を、それぞれの言語で、ほとんど寸分の狂いもないほど原典に近い形で持つことが可能なのです。でも、実際にそのようなことが可能なのか、疑問を差し挟む人がたくさんいました。特に合理主義が盛んだったときには、疑問を差し挟むことこそが、まるで学問的であるかのように錯覚していた人も、少なくなかったようです。ところが先にも触れた、1947年の死海写本の発見が、現代の聖書の正確さを証明し、疑問の声を封じてしまいました。紀元前2〜3世紀に書き写された死海写本の聖書が、現代の聖書とまったくと言ってよいほど同じだったからです。
 


   とはいえ、厳密の上にも厳密にいうと、現在私たちが手にできるギリシヤ語やヘブル語の聖書は、原本と微細な違いがあるのは事実です。すでに触れたように、どうしても決定できない違いがわずかながら残るからです。そこで、実際にはその微細な違いを正直に残した、原典に限りなく近い原語の聖書が複数、それぞれ名前を付けられて存在するわけです。そしてそれらの聖書も、現代に至っても続いている新しい発見を取り入れた学びによって、微細な正確さを加えられ、改訂版として出版されているのです。ですから原語で読んだり学んだり論文を出したりする場合は、何々版の第何版と指定するのが当然になっているわけです。
 











 

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聖書を読むぞー(15)

 




B. 新約聖書



  新約聖書は年代が新しいために、・・・・・・とはいえ、1900年以上も昔ですが・・・・・・・旧約聖書に比べてたくさんのことがわかっています。実際のところ、旧約聖書でも同じことが言えるのですが、これだけ古い文書で、ここまで事情が明らかな例は他にありません。


  新約聖書の最初の部分にある歴史書は、その書かれている内容の比較対照によって、多分、マルコの福音書が最初に書かれ、それを参考として、マタイの福音書やルカの福音書が書かれたと考える人が多いようですが、本当のところは不明です。ヨハネの福音書は内容が独創的であるところから、そのような参考を用いず、自分自身で見聞きしたことを、独自に深め構成して書いたようです。


  キリストの生涯と教えは、ごく始めのうちこそ口から耳へと伝えられるのが一般的でしたが、程なく、断片的な記録、覚え書きに毛の生えたようなものが、かなりの数で出回るようになったと考えられます。当時のユダヤ人男性の大部分は文字を書くことが出来ましたし、筆記用具も、比較的簡単に手に入りました。キリストの姿を自分の目で確かめ、教えを自分の耳で聞いた人たちは、それらを記録に残して、自分たちの集まりで用いられるようにしました。ユダヤ人たちは、伝統的に、記録に残す習慣を持っていたのです。しかしそれらが際限なく存在するようになり、中には怪しげな内容のものも出てくるようなことになると、しっかりとした人物による、より信頼性が高く、より包括的な記録が求められるようになったのも当然です。また時代が移りキリストのことを直接知っている者の数が減ってくると、信頼性の高い記録文書の必要性はさらに高くなりました。

 

それで、始めのころから最もキリストの近くにいたエリートでありながら、多分、年が若くて信頼性が乏しかったことなどから、重用されることがなかったマルコという弟子が、歳を重ねて円熟し、ここぞとばかりに、まずその役割を果たしたのかもしれません。マタイという弟子も、もとは収税人として人に嫌われ、さげすまれ、惨めな人生を送っていました。それでまたさらに人を憎み、人をだまし続けて生きていたのです。それがキリストに救われて、神と人とのために働くことが出来るようになったのです。それで、そのときの感動をあらたにしながら、自分が見聞きしたこと、また、他の弟子たちから聞いたことなども含めて、書き残そうと決意したのでしょう。ルカは直接キリストに会ったことがないだけでなく、自分の先生であった使徒パウロも、キリストに会ったことはなかったようですから、すべて弟子たちや、キリストに直接あったことのある人たちに聞くか、資料を集めて書かなければなりませんでした。しかし、非常に熱心にそれをやったために、マルコやマタイよりもっと細かい記録を残すことができました。彼の場合は、さらに生まれたばかりのクリスチャンの共同体、教会の歴史と福音宣教の歴史も書き残しています。これらのことは、おそらく紀元50年代か60年代の始めに起こったのでしょう。


  私たちが福音書を読むとき、ひとつ注意をしなければならないことがあります。それは、キリストの教えはもともとアラム語で語られたということです。すでに述べましたが、アラム語は中近東で広く用いられていた言葉ですが、ヘブル語に非常に近く、ヘブル語の方言といっても良いほどのものでした。ですから、キリストの語った言葉は、非常になまりの強い、「いなかっぺ」のヘブル語と聞こえたはずです。ところが福音書は、ちまたで普通に用いられているギリシヤ語で記されているために、キリストの言葉は翻訳されて記録されたことになります。ただし、実際にキリストが語った言葉ではないのだから、神の言葉としての権威が薄れるのではないかと考えるのは間違っています。神の霊感は、聖書を書くときに働いて、神のみ心を誤りなく伝えるように、言葉を選択させているからです。


   一方、ルカのお師匠さんだった使徒パウロは、クリスチャンになる前から「パリサイ派」の最高の教育を受けたものとして、旧約聖書には精通していました。それに加えて、クリスチャンになってからは多くのクリスチャン仲間や使徒たちから、キリストの生涯と教えについて話を聞くことも出来ました。その上に、彼は聖霊の直接の啓示を受けて、旧約聖書とキリストの関係、キリストの働きとその普遍的な効力、キリストを信じた人々が構成する教会などを始めとして、実に多くのことを理解し、それを教え、また手紙の形で文書として残していきました。それらの手紙の多くは、次々と書き写され、広範囲の地域に住むクリスチャン仲間に広められて、生まれたばかりの教会の中で、重要な役割を果たして行きました。パウロは、紀元68年頃にローマによって処刑されたという記録がありますので、それが正しいと仮定すると、45年から67年までの間に、いま新約聖書に残されている手紙を書いていたことになります。


  
パウロのほかにも、さまざまな形でキリストの教えを書き残した人たちがいました。その中でヨハネやペテロ、ヤコブその他の人々は、キリストの教えを正しく理解し、大切な内容に満ちているものを書きましたが、当然ながら、薄っぺらで見るべきものがないものも出てきました。中には間違いだらけのものや、始めから人を欺くために書かれたものさえ存在したのです。そのような文書が福音書的な断片と共に、ローマ帝国のいたるところに生まれていた、若い教会で用いられていました。そのようなことが、キリストの死後350年ほども続いたようです。



※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※
※※※※※※※  パリサイ派? ※※※※※※※



 新約聖書、特に福音書には、「パリサイ派」あるいは「パ
リサイ人」
いう言葉がいくどもでてきます。また同時に、「サ
ドカイ派」および「サドカイ
人」、また「律法学者」という言葉
もしばしばでてきます。パリサイ派とは、当時のユダヤ

の中の平民クラスの派で、モーセの律法を厳密に守ること
を特徴とした、立派な人たちの集まりです。ただ彼らは、
モーセの律法だけではなく、その後に加えられたこまごま
とした無意味な定めごとまで律儀に守り、自分たちを正し
い人間であると自負する一方で、守ることができない人々
を軽蔑する傾向がありました。その自己義と偽善をキリス
トが鋭く責め、罪の自覚をうながしたために、キリストを激し
く憎むようになりました。

  サドカイ派というのは祭司階級のエリート集団で、なにか
にとパリサイ派と敵対していました。キリストの当時はロー
マの傀儡政権として、ローマへの恨みと敵意を持ちながら
も、恭順していたのです。ところが彼らは、キリストを偽者だ
と判断したために、偽者が騒動を起こし、ローマと無益な悶
着を起こすことを非常に恐れて、キリストを殺そうとしました。
律法学者と言うのは、聖書を書き写すことを専門にした人々
ですが、パリサイ派に属する者が多く、聖書を良く知ってい
ながらその教えを守らないために、キリストから厳しく非難
されました。それで、彼らもキリストを憎悪するようになりま
した。これらの人々の利害が一致して、キリスト殺害へと
突き進んだのです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


こまごまとしたことは省きますが、その350年ほどの間に、誰が指導したとか誰が取りまとめたとか言うことではなく、多くの教会がそれぞれ取捨選択していくうちに、内容がしっかりして信頼のおける文書と言うものが、自然に、共通して受け入れられるようになって行きました。中には、都合のいい文書だけを集めて、自分勝手な宗教を作りあげようとした人たちがいましたが、それがかえって、信頼性のある文書をまとめる動きを強めることにもなりました。このような経過をたどり、紀元4世紀に入る頃には、現代の新約聖書に収められている27巻の文書が、一般的に、多くの教会で認められるようになっていました。そしてそれらの文書が、霊感によって神の権威を帯びた書物として、教会の会議によって正式に認められたのが397年のことです。このときから、広く散在していた多くの教会は一致して、27巻の書物だけを権威あるものとして受け入れ、旧約聖書と並べて大切に扱うようになりました。こうして旧新約聖書が完成したのです。


  27巻の文書を正典と定めたのは、教会会議ではないということが非常に大切です。会議はすでに一般に受け入れられていたことを、正式に認めたに過ぎません。どこの誰、どこのどの教会と言うことではなく、長い期間に、多くのクリスチャンたちの心の目を通して、受け入れられるべきものとそうでないものとが、取捨選択されていたということです。それはまさに、霊感をもってそれらの文書を書かせてくださった聖霊が、長い時間をかけて、人々が自然に正しいものを受け入れるように、導いてくださったことにほかなりません。見方を変えると、聖霊は、どの文書を正典とすべきかという決定を、教会会議に委ねなかったのです。もしもこの決定が教会会議に委ねられていたら、教会会議が聖書の文書を選択して権威を与えたことになり、聖書は教会の下に位置し、教会が聖書よりも高い権威を持つ理屈になってしまいます。すると、ちょうどカトリック教会がやり続けてきたように、聖書の教えに反することを堂々と行い、教会の権威でそれを正当化することもできるのです。新約聖書は、ある意味で教会の産物です。しかしそこには、人の手や人の頭よりも、神のみ手、神のご配慮を見るのです。 


  
プロテスタント教会では、旧約聖書も新約聖書も、誰か特定の人物や団体、あるいは会議や調査団の決議によって決められたのではなく、長い歴史の中で、人間的な見方をするならば自然に決定され、神の側から言うならば聖霊の導きによって、決定されてきたという経過を非常に大切にします。そうしてこそ初めて、聖書が最も高い権威を持つものであることを、信じることができるからです。たとえ、法王がなんと言い、教会会議がなんと決議しようとも、私たちは聖書の教えに従うのは、そのような信仰があってこそできることなのです。  




 

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聖書を読むぞー(14)



 


W. 聖書の成り立ち



 では聖書66巻の各書は、どのように保管され、現在のような旧約

聖書と新約聖書にまとめられたのでしょうか。聖書の各書はさまざま

な事情の下に書かれ、それぞれの特殊事情の下で読まれまた保管

されました。長い間行方不明になっていて、偶然に発見されたものも

あります。あるいは66巻以外にも、さまざまな文書が書かれ読まれ

ていたこともわかっています。その中で、どうして今の66巻だけが残

って、今のようにまとめられたのでしょうか。
 



ここでは簡単に二つに分けて見ていきましょう。


 

    A. 旧約聖書


    B. 新約聖書
  



 A. 旧約聖書 


  
旧約聖書は、あまりにも時代が古いために、はっきりとわかっていることは少ないのが実情です。とはいえ、同じ年代の書物などに比べると、また、ずっと後代の古典などに比べても、非常に多くのことが確実にわかっているのも事実です。ただ、そのような考古学的発見や事実を、簡単な筋書きで並べて説明するのは非常に困難です。テレビなどで時々やるように、ひとつの発見からいろいろと想像をかき立てて、夢のある物語を作り上げれば良いのなら話は簡単ですが、聖書の真面目な学びにはそのようなことはできません。 


   キリスト教に疑いを挟む人たちは、発見された断片的資料を自分の考え方に都合がいいように並べて、聖書
がいかに信用できない代物であるかを証明しようとしてきました。何でも疑いなく信じろという、少しばかり狂信的なクリスチャンたちも、自分たちに都合のいい解釈や筋書きを駆使して、聖書が絶対的な権威を持つ神の言葉であると主張しています。どちらも間違いです。片方は始めから、そんなことはありえないという前提で、その前提を正当化するために理屈をつけるわけですし、もう一方は、なんでもありの前提でやるのですから、正しい結論に行き着くはずがありません。私たちは、わかっていることをわかっていると認め、わかっていないことはわかっていないと認め、想像力による結論は極力避けるべきなのです。科学的手法として、想像力は絶対に必要ですが、想像による結論はいけません。あってはならないのです。


 
   想像による結論では、モーセも、ヨシュアもサムエルも、イザヤもエレミヤもキリストさえも、架空の人物、フィクションになってしまいます。同じ手法を用いるなら、聖徳太子も、源義経も、織田信長も、もっと端的に言えば、いまこの文を読んでくださっているあなたの存在だって、死後10年もたてば、フィクションだと結論付けることが可能なのです。あなたが生きていたことを、絶対の確立で証明できるものなどあるでしょうか。ちなみに、鞍馬天狗や机龍之介(古いでしょうか)あるいは名探偵ホームズや怪盗ルパン、さらには銭形平次も架空の人物、フィクションです。でも、清水の次郎長は実在の人物、大岡越前も実在の人物、長谷川平蔵も実在の人物です。もっとも、いま私たちが知っている彼らの物語は、ずいぶん脚色されたものですが。


   旧約聖書は、最も新しい部分でも、2450年ほども前に書かれているのです。最も古い律法の書は3,000年
も前です。それらを調べるためには、途方もない努力が重ねられていますが、不明なことばかりです。ですから、ここではできるだけ確実なことだけを記していきましょう。
 
 

   モーセによって書かれた「律法の書」については、少しばかり歴史を辿ることができます。少なくてもモーセの死後、彼の後継者であったヨシュアが生きている間、律法の書は非常に大切に取り扱われてきたことが、ヨシュア記の中にはっきりと記されています。イスラエルの人々は折々それを読み聞かせられ、子どもの頃から、積極的に暗記させられ、家々の柱や壁には、今で言うカレンダーや、神社でもらうお札のように、モーセの律法の一部を書き写したものが貼られていました。また、律法全体が書き写され、より多くの人に読めるようにされたこともうかがえます。 (ヨシュア記1:7〜9、8:34〜35)


   ところがヨシュアの死後、律法の書については何も言われなくなります。次に律法の書のことが出てくるのはダ
ビデ王が死ぬ直前のことです。ダビデは息子のソロモンに「モーセの律法に書かれている通りに」歩むべきことを
言い残していますので、ダビデ自身、この書に親しんでいたことは間違いなく、ソロモンもそれを読んだに違いあ
りません。律法の書が書かれてから、500年ほども後のことです。(列王記T2:1〜4)  その500年の間、律
法の書が人々に読み聞かせられたとは記録されていませんし、そのような形跡もありません。ダビデとソロモン、
および数少ない人々が律法の書を読んでいた形跡は、詩篇や箴言の中に読み取ることが出来ます。考えられる
のは、祭司という宗教的役割を果たす家系に、代々伝えられてきたのではないかと言うことです。


   さらにソロモンの後、律法の書のことは完全に忘れ去られてしまいます。それが再び日の目を見るのは、およそ350年も後のことです。神殿の修復作業中に、偶然律法の書が発見されたのです。この神殿はソロモンが建てたものですから、彼によって保管されたのがそのままになってしまったのでしょう。このように、常に読み、記憶し、守るべきであると命じられた律法の書が、長年にわたって軽んじられてきたのが、イスラエルの堕落のひとつの要因だったと考えて、間違いがないでしょう。このとき発見された律法の書は、民の指導者たちに読んで聞かせられたため、激しい悔い改めが起こり、信仰復興となった様子が記されています。 (列王記U22:1〜23:27)

 
  
次に律法の書が表舞台に出てくるのは、さらにおよそ200年近くも経って、ユダヤ人がバビロンの捕囚から帰
り神殿を再建したときのことです。祭司であり学者であったエズラという指導者が、民の要請を受けて律法の書を
持ち出し、すべての人々に読んで聞かせました。このときも、人々の間に悔い改めが起こり、信仰復興となった様子が記されています。 (ネへミヤ記8:1〜13:31)


  バビロン捕囚の時代のイスラエル人たちは、律法の書をはじめとして、さまざまな旧約聖書の書物を読んでいたことがうかがわれます。当然かなりの写本も出回っていました。それは発見された古代文書で明白です。他国に捕囚となっていたこの当時は、イスラエルの神礼拝の特徴であった神殿での礼拝が出来なくなっていましたので、人々は後に「会堂」と言われる形に発展した小さな集団を作り、そこで熱心な宗教活動を行なうようになったのです。そのような中で、現在の旧約聖書に含まれている多くの書物が読まれ、保管され、加えられ、書き写されていきました。この当時書かれて加えられたものには、列王記や歴代誌を始めとしてエゼキエル書やダニエル書があり、その他にもいくつか挙げられます。またその後にも、いくつかの小預言書が加えられています。そういうわけで、人々は、ネヘミヤに律法の書を読み聞かせて欲しいと願い出るほど、律法の書を知っていたのです。また、エズラが学者であったといわれていますが、それは律法の書を書き写すことを生業とし、それに深く通じている者という意味でした。


   旧約聖書が現在の旧約聖書のようにまとめられたのは、たぶん紀元前4〜3世紀頃だと考えられています。編纂の仕方にはかなり差があって、各書物の配列も現在のものとは異なっていましたが、内容は同じ39巻の書物でした。また現在の聖書に含まれていない、いろいろな書物も出回っていたようです。しかし、それらが多くの人々の自然な取捨選択によって、現在の39巻にまとめられるようになったものです。だれか一人の人物がそのようにしたとか、何かの会議でそのようにまとめたということではありません。クリスチャンは、その自然の取捨選択のうちに、神の霊の関与があったと信じています。 そのように考えるのは、新約聖書がこの39巻を収めたものだけを聖書として認め、キリストもまた、その39巻だけを聖書として認めて、神の権威を持つものとして語っておられるからです。それが間違いなく、当時のユダヤ人の常識でもあったのです。 


   ところでカトリック教会では、現在、この39巻の旧約聖書ではなく、49巻の旧約聖書を認めていますので、少々説明が必要です。加えられた10巻は、紀元前3世紀以降にユダヤ人によって書かれ、キリストの当時、外典として読まれていたものです。ただし、確かに読まれてはいましたが、あくまでも外典(アポクリファ=正典としての権威を持たないものと言う意味)と呼ばれて、旧約聖書とは明確に区別されていました。ですから外典は、キリストに引用されたことも、新約聖書で引用されたこともありません。キリストと新約聖書の記者たちに、神の霊感を受けて権威のある書物と認められていたのは、39巻の書物だけなのです。そのためにプロテスタント教会では
39巻の旧約聖書だけを認めています。カトリック教会が10巻の外典を認めているのは、自分たちの主張に都合の良いことが書かれているためだと思います。


   日本では1987年にカトリック教会とプロテスタント教会が協力して、「新共同訳聖書」という翻訳聖書を出版し
ました。翻訳の質自体はかなり良いものですが、カトリックとプロテスタントの聖書についての見解の違いを乗り
越えることができず、結局、二種類の聖書を出版することになってしまいました。カトリック側の聖書は旧約39巻
に10巻の外典を加えただけでなく、他に、カトリック教会でさえ外典としている3巻までも含めています。ただしカトリック側でも、この13巻の外典を旧約聖書39巻とは区別して、「旧約聖書続編」という名でまとめています。しかし本来これは続編ではなく、あくまでも外典(アポクリファ)で、正典としての権威を持たないものす。プロテスタント教会ではこれらの外典を、紀元前2〜3世紀のユダヤを知る貴重な資料であると考えています。
 


  
現在の旧約聖書の各書の並べ方は、紀元前2世紀に70人の学者によってギリシヤ語に翻訳された、普通
「70人訳」といわれる旧約聖書の並べ方に従ったものです。この70人訳聖書は、キリストの当時、ギリシヤ語を話すヘブル人たちの間だけではなく、パレスチナに住み(ユダヤ国内)、日常はヘブル語やアラム語を話すユダヤ人たちの間でも、広く読まれていたことがわかっています。キリストご自身も、他の新約聖書の記者も、この翻訳から引用して「聖書」として語っています。
 





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2010年09月06日

聖書を読むぞー(13)




C.  新約聖書に対するユダヤ人の考え


 
キリストの時代のユダヤ人たちは、新約聖書のことは知りませんでした。まだ書かれていていなかったからです。新約聖書が書かれたのは紀元45〜90年頃までですが、まだ一般に広まっていなかったために、当時、読むことが出来たのはごくわずかの身内の者にすぎません。ましてや、愛国的であったユダヤ人たちは、植民地であり続けることに我慢が出来なくなり、ついにローマに反逆して独立戦争を企てたために、ローマの軍隊に完全に滅ぼされてしまったのです。紀元70年のできごとです。これをもってユダヤ国家は消滅し、人々は離散してしまいます。そのため、一般のユダヤ人が新約聖書を読む機会は、ほとんどなかったのです。 たとえ読む機会があったとしても、ローマに反旗をひるがえすどころか弱々しく十字架で死んでしまった人間を、救い主と崇める人々が書いたものを積極的に評価することは、まずあり得ないことでした。


※※※※※※※※  ちょっとした話   ※※※※※※※※
※※※※※※※ 白人のユダヤ人!? ※※※※※※※


  現在のイスラエルのユダヤ人たちが、キリスト時代のユダヤ人
と同じ民族で
あるか、確かなことは不明です。キリスト時代のユ
ダヤ人は有色人種でした。当然
キリストも有色人種であり、黒い
髪と黒い目をしていたと思われます。現在数多く残されてい
るキ
リストの画像のほとんどは、西欧人が理想的な西欧人男性の顔
として描いたもので、本
来のユダヤ人の顔ではありません。また
現在のユダヤ人は、ほとんどが白色人種ですが、ユ
ダヤ人と言う
のは血族だけではなく、ユダヤ教を受け入れた人々のことですか
ら、長い歴史
の中で、血族としてのユダヤ人が非常に少なくなり、
異民族が大部分になったと考えられま
。血縁的には、ユダヤ
人と「兄弟民族」に当るアラブ人は、現在でも、明らかに白人とは
なった姿で生存しています。筆者は何人かのユダヤ人に尋ね
てみましたが、有色人種と白色人種の問題を知っている人は何
人もいましたが、明確な答えは返ってきませんでした。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


  ところがそれから1900年近くもたった1947年、世界中に離散していたユダヤ人が集まり、現在
のイスラエルを建国したのです。彼らはもちろん新約聖書を読むことが出来ますが、基本的にキリストの時代と同じく、十字架にかけられた弱々しい人物を、救い主とは認めることが出来ずにいます。(現在、ごくわずかのユダヤ人が、「メシヤニック・ジュー」と言われるクリスチャンになっています) ですからベツレヘムで生まれ、十字架で死んだイエスという人物を、救い主として信じる「おかしな人々」が書いた新約聖書は、彼らには何の権威もない妄想の書にすぎません。



 D. クリスチャンたちの新約聖書観


  
クリスチャンは、ユダヤ人とはまったく違う見方で、新約聖書を観ています。 


1. 神聖な書物


  クリスチャンにとって新約聖書は、旧約聖書と同じように神聖であり、神の霊感によって書かせられた書物です。直接書いたのは人間の手ではあっても、その人間を感動させ、書く心を起こさせ、書くべき事柄を示し、正しく書くことが出来るように教え導き、神のみ心を誤りなく伝えることが出来るようにしてくださったのは、神の霊、第三の神格者である聖霊であると信じているのです。



※※※※※※※※ ちょっとした話 ※※※※※※※※
※※※※※※   霊感されている聖書    ※※※※※※

  聖書は、神の霊感によって書かれたというのが、聖書自体
の教えです。霊感という言葉を聖書との関係で用いると
きは、
ふつう、ちまたで使われる霊感という言葉とは、まったく違う意
味になります。霊感商法や、霊視や、霊能力とはいっさい関
係がありません。
 聖書を語るときに用いる霊感とは、天地を
造られた神が、人間にご自分の心を教えるために、人間を用
いて、人間の言葉で、ご自分のみ思い、お考え、お気持ち、
ご計画などを、間違いなく書き止めさせることです。多くの場
合、人間はまったく自由に自分の使う言葉を選び、書きたい
と思うことを書くのですが、それを神がしっかりと導き、必要な
ことを書かせてくださるのです。あるときにはもっと明確に、書
くべきことを直接教え、示してくださる場合もあります。聖書は、
そのようにして書かれたさまざまな内容の文書をまとめたもの
です。聖書は他のすべての書物とまったく違います。それは
霊感されることにより、神の権威を持つものとなったからです。
また、クリスチャンたちは、聖書だけが霊感された書物で、他
に霊感された書物は一つもなく、これからもないと信じていま
す。それは聖書を学んで得た結論です。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 2. イエス・キリストの生涯と教えを記した書



  新約聖書には、ダビデの子孫として生まれた救い主、イエスの生涯と教えが記録されています。イ
エスの生涯と教えを記している本は、聖書以外に存在しないのです。というより、聖書以外の書物でイエスの生涯と教えを記しているのは、すべて聖書を元にして書いただけなのです。あるものは真面目に書かれていますが、ずいぶん不真面目で、勝手に想像を膨らませて書いているものが、少なくありません。ですから、聖書以外の本からイエスの生涯と教えを学ぼうとするのは、あまり賢いことではありません。それが間違っていないか、でたらめではないかを知るためには、結局、聖書を読まなければならないからです。幸い、イエスの生涯と教えを直接記録した部分は、聖書の中ではもっとも読みやすい部分ですから、まず聖書を読むのに越したことはありません。


3. イエスが旧約聖書で約束された
                      キリストであることを証明する書物


  新約聖書全体は、実にさまざまな事柄を取り扱っていますが、その中心は、ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ったイエスという人物が、旧約聖書で予言され約束されたメシヤ、すなわちキリストであることを証明することです。それが「新約聖書」と翻訳された言葉の本来の意味ですキリストの誕生から死、そして甦りから弟子たちの宣教、さらにはキリストの救いの福音が全人類に及ぶまで、すべて旧約聖書によって語られていた事の成就であると、はっきりさせることです。そのために、キリストの生涯の物語の多くの場面で、旧約聖書が引用され、キリストの行為が旧約聖書から説明されているのです。


  
新約聖書は、イエスが旧約聖書で約束されていたキリストであることを示し、イエスを信じる信仰が、旧約聖書を信じる神信仰の継続であること、旧約の信仰の延長線上にあることを教えるものです。特に、ユダヤ人たちが旧約聖書を読んで理解し、期待していた、イスラエル国家の回復は、目に見える国家としてではなく、目に見えない霊的な神の支配、すなわち神の国の確立として継承されています。従って、王として君臨すべき救い主も、政治的な王、軍事的な王としてではなく、霊的な神の国、神の支配を具現化する王として示されています。事実キリストは、ご自分が人々の期待する王であることはお認めになりましたが、軍事的な王として見られることはいくども拒絶して、私の国は「この世のものではない」と語っておられます。


4. クリスチャンが血筋によらない
                       イスラエル人であることを示す書物 
 



  とくに始めのうちは、当然ユダヤ人クリスチャンばかりだった教会が、だんだん外国人(聖書では異邦人という言葉が使われています)が多数を占めるようになり、ほどなく大多数が外国人になって行きました。その過程で、旧約聖書に教えられている神の救いと祝福は、ユダヤ人のためだけではなく、民族の枠を超え、すべての人間のためであるということを、旧約聖書そのものからから説いたのが新約聖書です。それだけでなく、キリストであるイエスの十字架上での死を、